ほんのり赤みがかった闇の向こう側で弾幕の光が絶え間なく瞬いている。腹の底から突き上げるような轟音が断続的に何度も響く。
戦争が始まった。これから、妖怪あるいは人間が数え切れないほど多く死ぬかもしれない。というのに、北斗率いる軍を指揮する本陣はいたって呑気していた。
「早速作戦が崩れたのう」
紅い霧で染まった薄暮の空に紫煙が昇っていく。シミジミとそう呟いたのは私の斜向かいで煙管をふかす化け狸……確か、マミゾウだったか? どうも最近新参者の名前が覚えられなくなってきた。
私は不老不死の身だ。望んでも老いは来ない筈なんだが、興味のないものが覚えられないのは老人も若者も変わりないということだろう。そうぼんやり考えながら陣幕を背に棒立ちしていると、マミゾウが馴れ馴れしく話しかけてくる。そんな話したことないんだけどなぁ……
「もう一度くらい影武者作戦が使えると思っておったんじゃがなぁ。小僧に伝え忘れてしまったわい」
「小僧って、北斗のことか? あいつならこれ以上の小細工は望まないと思うぞ」
「それもそうじゃのう。そこがそれ、良くも悪くも小僧の小僧たる由縁じゃな」
私の適当な言葉に、マミゾウが井戸端会議のような呑気さで笑う。その、のらりくらりとした態度は化け狸の性だろうか。
それにしても、暇だ。本丸は道教を拝する者達が仕切っているのだが、私達は彼女らから待機するよう命令を受けていた。逆らうつもりはないが、おかげで暇を持て余して仕方がない。永遠亭のお嬢様に至っては従者にお茶を継がせてお茶受けを頬張っているほどだった。
「大丈夫なのか、これ……」
一連の状況を見ていた隣の慧音が心配そうに呟く。さっきからそわそわとしていて落ち着きがない。かく言う私も少し浮き足立っていた。何せ、大将である北斗は最前線で戦っている。これでは私達はサボっているようではないか。
ついに耐え切れなくなった私は、少し歩いて本陣の奥に向かう。そして、本来北斗が座わるはずの場所に腰を落ち着かせている少女へ話しかける。
「おい、私達は動かなくていいのか? 上にいる北斗達を助けに行ったりは……」
「必要ないな」
切れ味鋭い断言をしたのは、南蛮の外套を身に付けた派手な姿の道士……聖徳太子こと豊聡耳神子だ。猛禽のように目を尖らせ、笏を手の中で遊ばせている。
「北斗に霊夢、妖怪幽霊に天狗。私からしたら、むしろ戦力を裂き過ぎているくらいだ。紅魔館の吸血鬼も向かったようだけれど……高々数百年生きたくらいで息巻いている吸血鬼程度、一人で倒してもらわないと困る」
……流石、私より昔から生きてる偉人様は手厳しいな。ま、私から言わせてもらったら冬眠時間が長過ぎるんだが。しかしまあ、先の聖徳太子の台詞でこの状況の意図するところがわかってきた。
「戦力を出し渋っているのは、私達で戦線を拮抗させる狙いか」
「流石藤原一族ね。それとも……死なぬ少女の年の功かな?」
「さあね」
私は肩を竦めてはぐらかす。なに、特別なことはない。少し考えればわかることだった。
素人目に見ても紅魔館側との戦力差は大きい。紅魔館のメンツに妖精メイド、永遠亭の奴らに、守矢神社の神二柱と風祝、そして野良妖怪多数……
こちらも北斗の尽力で戦力を集めてはいるが、頭数は確実に足りていない。今だってチルノや天狗、命蓮寺の奴らで何とか戦線を維持している状況だ。それでも、神子は動こうとはしなかった。
「相手の出方がわからない以上、下手な手は打てない。戦線が崩れれば、生死無用の乱戦になってしまう可能性もある。後手に回るのは癪ではあるけれど……諜報に走っている天狗の報せを待つしかないな」
「……厳しいな」
「ええ、なかなかにね」
そこまで言うと神子は笏で口元を隠しながら吐息を漏らした。かの有名な聖徳太子様でも、疲労困憊の模様だ。だが、無理もない。この戦いの根本的な勝利条件が私達を追い詰めていた。
「向こうさんは夜が明けるまで耐え抜けば勝ち。対して儂らはガチガチに守られているであろう紅魔館内に入り込み、手段不明の時間遡行を阻止しなけりゃいかんわけじゃが……勝ち目が薄いのう」
いつの間にか後ろをついてきていたらしいマミゾウが、半笑いで割って入ってくる。冗談か本気かわからない台詞だが、感に触るな。勝ち馬に乗るなんて選択肢は、この戦いにないはずだ。思わず鼻で笑ってしまう。
「勝ち目が薄くても勝つしかないだろう? 諦めに意味はない。ただこの一瞬だけ楽になるだけだ」
「強気じゃのう。時間遡行を止められても手前が死ねば意味がないじゃろうて。皆不死者であれば蛮勇も振るえるんじゃがな……」
嫌味ったらしい。ニヒルなことをのたまっているが何もわかっていない。
私にだってそれなりのリスクはある。死ななくても失うものはある。私は……私が失いたくないもののために戦っているだけだ。
何もわからない奴に私を語ってほしくない。抗議の意を込めながら無言でマミゾウを睨んでいると、不意に空から黒い影が降ってくる。二つ結びの方の鴉天狗……えーっと、誰だっけ?
「大変よ! 前線が凄い勢いで押されてるわ!」
「お前は……姫海棠はたて、だったか。何が起きた?」
神子の口調が厳しくなる。二人の緊迫した様相に、ダラダラと重い空気だった本陣が、一気に引き締まる。
「どうもこうもないわ! 永遠亭の奴らに守矢の神二柱……ありったけのメンバーで気持ち良さそうに無双してるわよ!」
「なっ……!」
冷静沈着な神子が動揺の声を上げる。
無理もない。私だって驚いたのだから。向こうは紅魔館内で時間稼ぎをすれば確実に勝てる筈なのに、最初から攻勢に出る理由がわからない。わからないが……このままでは戦線が壊滅して戦力温存どころじゃなくなるのは確かだ。
私は空中に浮かび上がりながら神子に向き直る。
「……出るぞ。文句はないな?」
「あぁ、頼んだぞ藤原の。永遠亭の不死二人に対抗できるのは貴女ぐらいだろう。後は……」
「私達も行くわ〜! 退屈してたところだもの」
声を上げたのは白玉楼の亡霊だ。後ろに控える庭師も準備万端のようだ。そんな二人を見て、神子も迷いなく頷き返す。
「なら三人で永遠亭組の足止めを。後詰に布都と屠自古も行かせる。後は守矢の三柱だが……」
神子とマミゾウが真剣な様子で対応を話し合い始める。私達の役割はもう既に決まっているのだから、これ以上話に付き合う必要はないだろう。
私は幽々子と妖夢に視線を送ってから前線に向かって飛ぼうとする。
「妹紅!」
その時、慧音が足元まで駆け寄ってくる。そして、心配そうな瞳で私を見上げてきた。世話焼きな慧音のことだ、私も手伝うと言い出すだろう。その前に私は慧音に背を向けた。
「慧音は里を守ってくれ。あそこに被害が出たら元も子もない。今、それができるのは……慧音だけだ」
返事を待たずに飛び立つ。背中に何か言葉が投げかけられたような気がするけど……そうだな、なんて言ったかは明日尋ねることにしよう。
「一本の花は心寂しくも可憐だけれど……我を、いや我を見よとばかりに好き勝手乱れ咲く花園もなかなかいいものね」
「そんな風流なものじゃないだろう」
私は幽々子の呑気な言葉に茶々を入れる。
眼下では色とりどりの弾幕が乱れ飛んでいる。あの中を飛んで行くのは流石に骨が折れるので、私達は地上から大分離れた高度を飛行していた。
永遠亭の奴らのことだ。上空から見てれば派手な弾幕ですぐわかると踏んだんだが……今の所奴らを見つけられていなかった。
しばらくして痺れを切らしたのか、妖夢がおずおずと手を挙げる。
「……どうしましょう? 私が先に地上に降りて陽動を掛けましょうか?」
「いや、必要ない。ほら、向こうから来たぞ」
タイミングが良いか悪いかわからないが、真正面から長い黒髪の少女がやってくる。蓬莱山輝夜。私が最も殺し殺されした相手だ。珍しく取り巻きの従者を連れていない。好都合だ。
私は幽々子と妖夢に手振りで先に行くよう促す。すると幽々子はあっさりと、妖夢は渋々といった様子で私を追い越していく。
邪魔されると思っていたのだが、輝夜は見向きすらせず二人を通り抜けさせた。
「いいのか? 止めなくて」
「どうでもいいわ。それより……貴女こそいいのかしら?」
「……何がだ?」
「永遠の時間、貴女だって望んでいるはずよ。慧音と一緒に生きる時間を北斗から貰った貴女ならね」
……そうだな。癪だが輝夜の言う通りかもしれない。この数日間、ずっと迷っていた。何度も慧音と話し合って、決めようとして、できなくて、喧嘩もして……でも最後には選んだ。
私は肩にかかる髪を払うように大きく首を振ってみせた。
「終わりのない永遠に、もう興味ない。私が見たいのは不安定で、終わりのある未来よ」
「……蓬莱の薬を盗んだ小娘とは思えない矮小な達観ね。結局貴方は蓬莱人になっても本質は変わっていない。汚れ多き人間のままね」
輝夜はまるで月から見下ろしているかのような傲慢な態度で、私を睨みつけてくる。けれど、その姿は子供が背伸びするようで、逆に滑稽に思えた。月から蹴落とされた罪人の姫様が、よくもまあ言えたものだ、と。
私は口角が少しずつ吊り上がっていくのをそのままに、輝夜を見上げる。
「お前は死にたくないんだな」
「がっかりした? 私は貴女にとって数少ない共感者の一人だものね。けれど、だからこそ私の気持ちもわかるでしょう?」
「……あぁ、そうだな。まったくもって不本意だが、お前は私に近い」
だから輝夜の気持ちもわかった。誰もが同じ時間を過ごし、永遠に笑えたなら……それは桃源郷のごとき光景だろう。
でも、私には見たい未来があった。慧音が、北斗が、霊夢が、里の子供達が創る未来を見てみたいと思った。思えるようになった。
だから私は永遠の時間を捨てて、こちら側に立っている。たとえ輝夜の望みを踏みにじり、恨まれることになっても。
私は身体に火を纏いながら、輝夜に指を突き付けた。ジリジリと肉を焼く感触、痛み……私の身体から発せられた煙が赤い月に昇っていく。
「だからこそ私がお前を殺す。いつかお前が死ぬその日まで、何度も、何回でも」
きっとそれが私の出来る唯一の償い。お互いに死を感じるためでもなく、永劫の時間を暇潰すためでもない。いつか、終わりを受け入れられるその時まで。
「そう。本当は北斗に殺されたい気分なのだけれど。今夜は貴女で我慢してあげるわ。ただし……」
対して輝夜は袖の下から龍の頸の玉を取り出し、私に見せびらかすかのように突き出してくる。瞬間、赤黒い闇夜に極彩色の弾幕が広がった。
「貴女を死にたくなるほど殺さないと、気が済みそうにないの。ねえ、付き合ってくれるわよね?」
「はっ……今更だな」
一千年の間ずっと殺し合ってきたんだ。私達にとって……たった一夜程度、ほんの一瞬だ。
目の前を埋め尽くそうと迫る弾幕を鎧袖一触に焼き払う。この程度じゃ焼き足りない。もっと、もっと激しく……
不死の煙が月まで届くほどの、殺し合いを。