赤い霧の中、霧笛の様に低い爆発音が空から降ってくる。それを聞いた俺は真上に向けていたリボルバーの銃口を静かに下げた。
これで俺の意思は魔理沙達に伝わっただろう。俺はリボルバーをポケットにしまい、溜息を吐こうとする。が、それを遮る様に隣に浮かんでいた椛さんが話しかけてくる。
「撃たないんですか、魔理沙を」
「……今のが、俺の答えです。目的は達成しました。だからもうやり合う必要はないですよ」
「目的はこの繰り返しの時間を終わらせることでしょう? なら躊躇わず魔理沙を撃つべきです。手段と目的を取り違えているじゃないですか」
「………………」
流石椛さんだ、冷静に痛いところを突いてくる。まったくその通りだ。少なからず迷いはあった。今だって正しいとは思い切れなかった。
彼女の言う通り魔理沙を撃てば、八日目を迎えることはできるかもしれない。だが、それじゃ誰も納得出来ないだろう。レミリアさんも、霊夢も……俺自身も。
「俺は……」
俺は右の拳を握りしめ、そして解いた。
ただこの時間を終わらせたい訳じゃない。俺は元通りにしたかった。どのピースも欠けない、今まで通りの幻想郷で俺は生きたいんだ。そう言おうとするが、声にならなかった。
さっきまで俺がやろうとしていたことは、それとは真逆の行為だ。例え協定を結ばせるために必要なブラフだとしても、自己矛盾には変わりない。まるで目の前の霧のように晴れない気持ちが、身体を苛んでいた。
「まあまあ、向こうも譲歩したんだから私達も余裕を見せないと」
そんな弱気になっていた俺を庇う様に文が背中に乗っかってくる。
小っ恥ずかしいからやめてもらいたい……と以前まで思っていたのだが、最近もうどうでもよくなってきた。耐性ができたのかもしれない。ただ、目の前の椛さんの視線は冷ややかですこぶる痛いが。
俺が渋い顔で腕組みしていると、文が肩越しに呟く。
「第一、当たるかどうか怪しいもの。撃たないのは正解だと思うけれどね」
「……当たらない? まあ、確かに外す可能性はありましたけれど」
椛さんはそう言ってチラリと俺を盗み見てくる。いや、確かに命中精度は散々だったけど。たが、今回は椛さんの千里眼と文の聴覚で状況を把握しながらの狙撃だ。むしろよく当たった方だと誇りたいくらいなのだが……
しかも今回は弾丸ほどに小さくした否定結界を魔術による炸薬で打ち出す、なんてほぼ初めての試みをしながらなんだから多少大目に見て欲しい。
などと自己擁護を頭の中で展開していると、唐突に文が背中から離れて葉団扇を手に持つ。
「ま、その話はおいおいしましょう。それより、さっき上空に撃った弾のせいで、犬っころに場所がバレってしまったみたいよ」
「……みたいですね」
椛さんも頷きながら刀と盾を構える。白い耳も尻尾もピンと伸び切っていた。
臨戦態勢で待つこと数十秒……三つの影が近付いてくる。事前に椛さんから聞いていたおかげで驚きは全くない。夜霧の中から現れたのは咲夜さん、美鈴さん、そして鈴仙さんだ。
向こうも俺達の姿に気付いたようで、ゆっくりと近付いてきながら咲夜さんが話しかけてくる。
「こんばんわ本物の北斗。もう撃たなくていいの?」
「話は終わりましたから。魔理沙が『スペルカードルール』を受け入れる形でね」
「そういうことなら私達が貴方を止める理由はなくなったわ。はぁ、結局無駄足を踏まされたわけね……」
いつも洒脱な咲夜さんが珍しくボヤく。月光の加減でそう見えるだけかもしれないが、顔にも疲れが現れていた。なんだかこの顔に類似したものをどこかで見た気がする。あれは……何だったか、思い出せない。
俺が記憶を探っていると、不意に鈴仙さんの赤い瞳と目が合う。が、すぐにバツが悪そうに顔をそらされてしまった。まあ、気持ちはわかる。だから俺からも何も言わない。
代わりに、と言ってはなんだが、俺は咲夜さんに問いかける。彼女が来るとわかってからずっと聞きたかったことを。
「咲夜さん。レミリアさんの……いや、魔理沙の真意は何なんですか? 一体何のために終わりのない時間を作ったんですか?」
「……死にたくない、今がずっと続いてほしい。永遠の時間は、人間の夢なんて、そのものじゃないかしら?」
「本当にそれだけなんですか? その永遠の時間が必要な理由が別にあるんじゃないですか?」
俺は畳み掛けるように質問を重ねる。すると咲夜さんは押し黙ったまま首を振った。
それが答えないという意思表示なのか、はたまた知らないだけなのか、うかがい知ることは出来ない。が、何かしらの意味が込められているように思えてならなかった。そう思いたかった。
だから俺は咲夜さんに……いや、三人に向けて、率直に尋ねた。
「咲夜さん達はどこまで知りながら、そちら側に着いているんですか?」
「北斗、さん……」
鈴仙さんが瞳を震わせながら呟く。対して咲夜さんと美鈴さんは険しい顔で黙りこくっていた。
これは俺の推測でしかない。だが、別の意図がないと今までの魔理沙の強引さが説明できないのだ。
ただ永遠の時間を望むならもっと穏便なやり方だってあったはずだ。紫さんが認めるほどの状況だ。無駄に霊夢に喧嘩を吹っかけるようなことだってする必要ないだろう。
何かある。魔理沙は何か別の理由があってこの時間……彼女達が言う『常世の幻想郷』を作り出したのではないだろうか?
「教えてください! そうじゃないと、きっと後悔すると思うんです。だから……」
つい情けない懇願が口を突いてしまう。だが返事は誰からも返ってこなかった。
霧の中に沈黙が流れる。先程まで鳴っていた除夜の鐘ももう聞こえない。静かな夜が戻ってきていた。
「北斗、貴方は純粋ね」
「咲夜さん……?」
「人への思いを決して淀ませない。幾ら迷っても、結論を見失わない。運命に抗い続ける」
静寂を破ったのは咲夜さんの言葉だった。咲夜さんは俯きがちに、湖面に落とすように、ポツリポツリと呟き続ける。
「何度時間を繰り返してもただ一人、貴方だけは抗い続ける。なるほど、お嬢様が気にいるわけね」
「なっ……」
一瞬、聞き間違いかとも考えたが、違う。咲夜さんは間違いなく何度も時間を繰り返して、と言った。
てっきり俺はこの時間の巻き戻しが起こらないのは、霊夢と紫だけだと思っていた。が、二人以外にも巻き戻しが起こらない人がいたのか。俺は思わず口に手を当てて考え込んでしまう。それを、文と椛さん、そして鈴仙さんは不思議そうに見ていたが……
「……北斗さんも気付いていたんですね。この時間が何度も巻き戻っていると」
悲しそうにそう言ったのは咲夜さんではなく、美鈴さんだった。隣に並ぶ天狗二人が息を呑む音が聞こえる。
俺も思わず状況も詰め寄りそうになってしまう。椛さんが盾で制してくれなかったら、普通に近付いていたかもしれない。俺は動揺を必死に抑えながら、咳払いを一つして喋り出す。
「ん……はい、俺は霊夢から聞きました。どうやら霊夢と紫さん以外の人は記憶もリセットされるみたいですから。けど、美鈴さんがそれを知っているっていうことは……」
「私は咲夜さんに教えてもらって知っているだけで、過去の周回の記憶はありません。あるのは……」
「咲夜さん、ですか」
五人の視線が咲夜さんに集まる。反応からして鈴仙さんも知らなかったみたいだが……
俺はそこで気付く。咲夜さんと同じような、辟易とした疲れ顔をしていた人を。そうだ、霊夢もそんな顔をしていた。いや、同じなのは咲夜さんだけじゃない。
「ええ、私は何度もこの繰り返しの時間を過ごしているわ。ま、私だけじゃなくて魔理沙もそうだけど」
……そう、か。よくよく考えてみれば、時間を巻き戻す張本人である魔理沙の記憶が失われるというのも変な話だ。
以前の無意識の異変でも影響を受けなかった霊夢、幻想郷外に出れる紫さんの二人に関しても違和感はない。だが咲夜さんは……
「どうして咲夜さんは記憶が残ってるんですか?」
「さあ? もしかしたら『時間を操る程度の能力』の恩恵かもしれないわね」
「……本当にそれだけ、ですか?」
確かに咲夜さんは日常的に時間を操作しているのだから、何らかの耐性はあるのかもしれない。だからそれで納得できなくもない、が……どこか、引っかかりを感じていた。
表情とか仕草なんてものじゃない。咲夜さんの能力と魔理沙の行う時間のリセット、二人の時間を操る力の類似性が気になっていた。少なくとも無関係じゃない。そんな予感があった。
咲夜さんはしばらく澄ました顔を保っていたが……ややあってから、溜息と共にそれを崩した。
「どこかの巫女に似て勘がいいわね。悪いけれどその問いには答えられないわ。従者としても、一個人としてもね」
そう言い放つと同時に、咲夜さんがナイフを両手に持って掲げて見せてくる。瞬間、霧の中に緊張が走る。
「さあ、用がないなら去りなさい。もうお喋りの時間は終わりよ」
「待ってください! 最後に一つ聞かせてください!」
俺は攻撃されることを覚悟しながらも、質問を続ける。どうしても、聞きたいことが、聞かなければならないことがあった。
「咲夜さんは、このままでいいんですか!?」
「………………」
「死も別れも辛いものなのはわかります。けど、今のこの世界で……咲夜さんは生きてると言えるんですか!?」
俺の叫びに顔をしかめたのは咲夜さんではなく、美鈴さんだった。ギリ、と音が聞こえてきそうなほど歯を食いしばる姿がそこにあった。
俺は霊夢がこのまま時の流れの中に残されることを見過ごせなくて、一緒の時間を過ごせないことが許せない。
だから、俺はこれを異変と決めつけて否定した。
咲夜さん、貴女はどうなんですか? 今、貴女がそこにいる理由は一体何が……
「私は従者よ。お嬢様が望むなら、私は何も言わないわ」
「ッ!」
ただ、それだけ。その言葉が耳にたどり着いた瞬間、俺は宙を蹴って咲夜さんに殴りかかっていた。
が、打ち出した右拳が右側に逸れる。いつの間にか美鈴さんが咲夜さんを庇うように立ち塞がっていた。彼女が拳をいなしたのか。それでも俺は拳を撃ち出すのをやめられない。
「退いて、ください!」
「そういうわけには!」
美鈴さんに八つ当たりするのはお門違いなのはわかってる。だが、俺は咲夜さんを一発殴らないと気が済まなかった。
咲夜さんがレミリアさんの忠実な従者なのは知っている。が、さっきの言葉はレミリアさんを諦める言い訳に使っているように思えて仕方がなかった。それくらいに、生気の感じ取れない声音だった。だから……納得いかなかった。
「はぁッ!!」
突き、蹴り上げ、肘打ち、体が反応するままに攻撃するが、当たらない。まるで未来視を持っているかのような正確さでことごとく美鈴さんに防がれてしまう。
不意に鼻先に影が走る。寸前に手を出してギリギリ受けるが、反動でたたらを踏んでしまう。
「く……」
ふと手の甲を見ると、真新しい血が付いていた。先の衝撃が手の平を突き抜けて鼻を潰したらしい。恐ろしく速く正確で鋭い。蹴りか拳かすらわからないほどの、神速の一撃だ。
俺は袖で鼻血を拭いながら息を吐く。一瞬の攻防に、天狗二人も、鈴仙さんも呆然としている。ただ咲夜さんだけが、凍りついたような無表情を浮かべていた。
俺は二度息を吐いてから、構えを解く。一撃食らったおかげか、茹で上がっていた脳内は幾分クールダウンしていた。それでも、怒りは収まりはしないが。
「俺は、『常世の幻想郷』自体を否定する気はありません。繰り返しの同じ時間でも、誰一人欠けずに過ごせるならそれは夢のような時間だと思います。けど……」
口は勝手に動き続けた。言の葉が次々と溢れてくる。届かなかった拳の代わりに、本心をぶつけていく。
「誰かがその時間に取り残されるようなことはあってはいけないんです。俺には、同じ時間を見せられる辛さはわかりません。けど、それを見続けた結果、壊れかけようとした人を俺はよく知っています」
俺は空中に立ち尽くす咲夜さんを指差す。その姿に、赤い巫女服の彼女が重なる。
他人のことなんてどうでもいいと割り切ればいいのかもしれない。霊夢には『背負い過ぎる』と指摘されたが全くその通りだ。魔理沙の真意も、咲夜さんの本意も、俺は何一つ知らないし、関係はないのかもしれない。
だが、もう覚悟した。咲夜さんが望まないとしても、魔理沙の願いを打ち砕くとしても、二人を……四人をこの時間から解き放ってみせると。
「もう、二度とやり直せなくなる前に、この欠陥だらけの常世を、俺が壊します。そう、魔理沙にそう伝えておいてください」
強欲で貪欲な、確固たる願い。それと共に、俺は決別の言葉を告げる。だが、咲夜さんは俺が立ち去る最後の瞬間まで口を噤んだままだった。