東方影響録   作:ナツゴレソ

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102.0 輝針城と萃める鬼

 白玉楼を後にした俺と文は命蓮寺に向かっていた。理由は色々とある。以前挨拶せずに帰ったことを詫びたかったし、白蓮さん達の状況も知っておきたかった。

 その道中、現世の手前辺りのところで文がカメラのレンズを向けながら話しかけてくる。

 

「ただのタダ働きな庭師だと思っていたけれど……北斗の弱点、見抜かれていたわね」

 

 弱点……か。確かに、俺は誰かと無意識的に手を抜いていた。文もこころちゃんもそれに気付いていたから突っかかってきたのだろう。

 俺は無言のまま、刀の鞘口をそっと指でなぞった。

 別に慢心しているつもりはない。誰と戦う時だって常に格上と戦っていると言い聞かせてきた。それでも見た目年端もいかない女の子を攻撃することにずっと抵抗があったし、何より既知の相手を傷付けること自体嫌だった。

 これからの戦いではそれが致命的な弱点になる。そう思ったから妖夢は俺を試したのだろう。レミリアさん達との戦いを目前にした、このタイミングで。

 思わず自嘲気味の笑みが溢れてしまう。悪い癖だ。

 

「弱点だらけだよ、俺は。まだまだ未熟者……多分、死ぬまで未熟者さ」

「人間の短い命では出来ることは限られているものねぇ……特に、同じ人間でも人間離れしたのがいると焦るものかしら?」

 

 文はカメラを横にしたり縦にしたりして構図を探りながら言う。なんだか含むのある言い方だ。

 まあ、妖怪はともかく、妖怪以上の強さを持つ霊夢が近くいると……劣等感を覚えてしまうことはある。同じ存在なのに、背中が見えないのは……諦めろと言われているようで、辛いものだ。

 

「天才と凡人の差、か……」

「ん? どうしたの北斗? 感慨深そうに呟いちゃって」

「いや……きっとそれを感じていたのは俺だけじゃなかったんだろうな、って」

 

 そう言いながら俺は立ち止まって紅い空を見上げた。

 ……もしかしたら魔理沙は霊夢に勝ちたかったんじゃないか? だから異変を起こす側になり、霊夢一人では解決出来ない異変を作り出して、その中に閉じ込めた。

 酷い妄想だ。けれどあり得ないとは思いきれない。

 劣等感は人を簡単に変質させる。これはただ妄想でしかないが、そんな理由で霊夢にあんな思いをさせたというなら……絶対に許さない。

 かじかんだ手で握り拳を作りながら空を睨んでいると、隣から白い溜息が飛んでくる。

 

「……よくわからないけど、少しは愛想のいい表情してくれないかしら? 写真映り悪いわよ」

「悪かったな。でも今日はプライベートなんだろ? なんで写真撮ってるんだ? 妖夢との手合わせの時も撮ってたし」

 

 思わず文に尋ねるが、答えは返ってこない。何も言わず俺を追い抜きながらファインダーを覗き込むだけだ。いや、別に被害がないなら構わないけど……

 まあ、気を利かせて笑うべきなのだろう。だが文には悪いが、俺はそれが出来なかった。

 文は根気よくレンズをこちらに向け続けていたが……しばらくして諦めてカメラを下ろした。

 

「はぁ、さっきはいい表情してたのに……やっぱり北斗って私のこと苦手よね」

「……記者とカメラが苦手なだけだ」

 

 子供の頃、俺は実の両親と養子として育ててくれた家族を二度の事故で亡くした。当時は結構なニュースになって不躾な記者達に何度も無断で写真を撮られたものだ。

 そのせいか俺はカメラを向けられるだけで顔が強張ってしまう癖がついてしまった。唯一手元に残った写真である胸元のロケットペンダントのそれも、我ながらかなり緊張した面持ちで写っていた。

 

「外の世界で色々あってね。トラウマになってるんだよ」

「………………」

「いい気がしないのはわかるけど、あんまり気にしないでくれ。別に文が苦手なわけじゃあ……なくはないから」

「ちょ、苦手なんじゃない! 酷いわ、こんなちょーぜつびしょーじょを捕まえて!」

 

 文はそう叫ぶとポカポカと背中を叩いてくる。背中の傷に当たって割と痛い。いや、そうやって簡単にスキンシップをしてくるところこそ苦手なんだよ。

 俺は文から逃げるように全速力で前に飛ぶ。結局、文が写真を撮っている理由を聞きそびれてしまったことに気付いたのは、幾分後のことだった。

 

 

 

 

 

「なあ、文。前から気になってたんだが……あの逆さまになってる城、何なんだ?」

 

 命蓮寺までの道程の半分ほど行ったところで、ふと俺は遠くに見える建物を指差して尋ねる。

 まるで雲を地盤にしているかのように逆さに建てられた巨大な城。前から気になっていたのだ。一体どう立っているかなんて今更そんなことは聞かないが、誰の城かくらいは知っておきたかった。

 文は逆さの城を見ると、写真を一枚撮ってから、嫌そうに喋り始めた。

 

「輝針城よ。以前異変を起こした小人が住んでるらしいけど……あまり近付きたくないわね」

「近付きたくない?何で?」

 

 俺は内心で驚く。妖怪の中でも有数の実力者で、なおかつ新聞記者である文が近付きたくないなんて……よほど危険な所なのだろうか?

 そう尋ねると、文はもう一度シャッターを切ってから……らしくない、暗い声音で呟いた。

 

「……あの城は元来鬼の世界にあったもの。臭うのよ、鬼の気が。少し前、妖怪の山は鬼が仕切っていてね。天狗や河童は頭が上がらないのよ」

「へぇ……」

 

 鬼……俺が知っているのは勇儀さんくらいか。俺からすれば竹を割ったような性格で接しやすいと思うのだが……まあ、性格のいい人でも上司だから苦手って言う人もいるからわからないでもないが。

 

「随分ハッキリ言うじゃないか。媚びへつらわれるより、そっちの方がよっぽどマシだけどな」

 

 と、不意に至近距離から知らない声がする。幼い少女の声だが、随分居丈高な口調だ。俺は辺りを見回すが、誰かが側にいるわけじゃない。

 ただ、いつの間にか俺の身体に黒い靄が纏わり付いていた。嫌な予感がした俺は咄嗟に結界を張ろうとするが、その前に腹部に衝撃が走る。

 

「カ、ハッ……」

 

 まるで蹴り上げられたかのような痛みが走り、胃酸を戻しかける。強烈な一撃だが、身体が動かないほどじゃ……ない!四方にお札を投げ、柏手を打つ。

 

「文、離れろ!」

 

 返事も待たず結界を展開する。この『四神結界』は霊夢の結界術と早苗から習った障壁を組み合わせたものだ。周囲の空間から浮かせることで外からの攻撃を躱しつつ、内側のものは四方の障壁によって閉じ込める。つまりこれは結界の内と外では性質の違う結界というわけだ。

 

「捕まえ、た……!」

 

 この黒い靄がどういうものかはわからないが、少なくとも普通のものじゃない。こんな状況だ、魔理沙の性格ないとは思うけど……刺客を差し向けてくる可能性はゼロではない。まずは逃さないで正体を見極めることを優先だ。

 

「へぇ……身を守るんじゃなくて逃さないための結界か。人間にして、中々剛毅じゃないか。勇儀が気にいるのもわかる」

 

 意外そうな声と共に、黒い霧が収束していく。どんな恐ろしい怪物が姿を現わすかと身構えていたのだが……

 現れたのは稲穂色をした長い髪の、幼い少女だった。ただ頭には大きな角が左右に二本生えているし、黒い霧になる不思議な能力もある……間違いなく妖怪だろう。

 

「勇儀さんの知り合いですか」

「通りすがりの、な。お前の話はアイツからそこそこ聞いてるよ。それにたまたま会えたと思ったら私の話をしてるから……気になっちゃってね」

「気になったら攻撃してくるんですか? 勇儀さんでもそんな無茶苦茶しませんよ」

「ただの軽い挨拶代わりじゃないか。まあ、弱っちいやつはこれで倒れてしまうんだけどな」

 

 それはただの不意打ちなんじゃ……まあ、幻想郷では弾幕ごっこが挨拶みたいな奴らもいるから大して変わらないが。

 俺は警戒しながらも結界を解く。敵意があるかどうかはまだわからないが……実力の測りきれない相手の戦意を刺激するようなことはしたくない。それにもし向こうがやる気だとしても、結界を張ったままではおちおち逃げることもできないしな。

 しばらく様子を見るが、鬼の少女はジロジロと値踏みするように見つめてくるだけだ。反応に困っていると……文が俺の背に隠れるように回り込んできながら、耳打ちしてくる。

 

「戦うならやめたほうがいいわ。あの方は伊吹萃香。正真正銘の鬼……『山の四天王』の一人よ」

「山の四天王……?」

「……妖怪の山を牛耳っていた鬼達のことよ。勇儀さんもその一人」

「昔の話だよ。ふわぁ……ん、今の妖怪の山は天狗の天下さ」

 

 二人で隠れるようにしていた話に、萃香さんが欠伸をしながら割り込んでくる。そういえば妖怪の山に限らず、幻想郷では鬼と出会うことがほとんどない。よく会うのは勇儀さんぐらいだし……地上で鬼に会うのは初めてだ。

 

「私達なんかが天下を取れませんって。あれ?これ、前も言いましたね。まあ、ともかく今は天狗より、人間の天下ですよ」

「はっ、人間の天下ねぇ……確かに今はそうかもな」

 

 謙遜するような文の言い草に、萃香さんは鼻を鳴らしながらも頷く。そして幼い顔に似つかわしくない、凄みのある笑みを浮かべながら赤く染まった空を指差す。

 

「まさか魔理沙がこんな異変を起こすなんてねぇ。今、どんな妖怪よりも『畏れ』を萃めているじゃないか。下手な妖怪より真面目だよ」

「その言い方だと魔理沙が人妖になったかのような口振りに聞こえますよ」

 

 まるで世間話のような軽々しさで言われた言葉に、俺は突っかかるような口調で返してしまう。悪気はなかったかもしれない。だが、それじゃあまるで魔理沙が妖怪になりたいから異変を起こしたみたいに聞こえてしまう。

 悔しいけど俺は、魔理沙の真意を知ってるわけじゃない。それでもそんな目的のためにこの異変を起こしたとは思いたくなかった。それじゃああまりに霖之助さんの想いが、報われないじゃないか……!

 俺の態度に萃香さんは瞬き数回してから、馬鹿にしたような笑みを浮かべながら肩を竦めた。

 

「人が妖怪になることなんて、よくあることさ。道を外し境の者になる者、欲望のまま生きた結果人でなくなった者、そして過ぎた力を持つが故に人と呼ばれなくなった者……とね」

「魔理沙は人妖になったりしません。させません」

「息巻くのは勝手だけど、世の中にない可能性なんてあり得ないよ。結局人妖も、純血種の妖怪も元を辿れば同じだ。人の畏れが萃まれば石ころだって大妖怪になれるのが幻想郷だよ」

 

 真剣な語り口とは裏腹に萃香さんはスキップのような軽い足取りで宙を蹴って寄ってくる。あまりの天真爛漫な仕草に、構えることも忘れてしまう。気付けば額に指を突きつけられるほどの距離まで近付かれていた。

 

「ただ……私に言わせてもらったら、人も妖怪も大して変わりはないよ」

「……えっ?」

「霧雨魔理沙は人じゃなくなっても、きっと霧雨魔理沙のままで生き続ける。精々人として死ぬか、妖怪として長めに生きて消えるかしか違いはない。だからそんなにカリカリする必要ないよ、っと」

 

 一頻り語ったところで、萃香さんは腰に付けた瓢箪を手に取って煽った。ほのかな米酒の匂いが漂ってくる。昼間から酒を平気で呑むあたり、鬼らしい。

 萃香さんの言いたいことはよくわかる。例え妖怪になろうとも魔理沙は魔理沙なのかもしれない。けどそうなった時霊夢は、霖之助さんは……

 つい考え込んでいると、文が俺の隣に並びながら口を開いた。

 

「意外ですね、貴女がこんなグダグダ語るなんて。どっちかっていうと殴って分からせるタイプじゃないですか」

「拳で会話ができたら言葉なんて生まれてないよ。まあ、最近酒盛りがなかったからねぇ……たまには饒舌に喋って鈍らないようにするのさ」

「確かに最近酒盛りが出来てませんよねぇ。ああいう場所はネタの宝庫ですから……是非北斗に酒とアテとネタを提供してもらわないと」

 

 提供するものが多過ぎやしないか?せめて酒とアテだけにしてくれ。俺が渋い顔して文を睨んでいると、萃香さんが肘で脇腹を小突いてくる。

 

「お前のアテは地底でも評判だからね。楽しみにしてるよ」

「は、はぁ……ご期待に添えるように頑張ります」

 

 出会い頭に殴ってきた好戦性は何処へやら、萃香さんは随分人当たりの良い表情で俺を見上げていた。

 

「ま、そのためにもこのゴタゴタを早く終わらせるんだね。期待してるぞ」

 

 愛想の良い笑みを浮かべながら萃香さんはそう言い残すと、また黒い霧になって何処かへ飛んで行ってしまった。隣の文程じゃないが、まるで風のような奔放さだ。

 結局萃香さんは俺を応援してくれたのか。いや、それだけじゃない気がする。何か、別に伝いたいことがあったような……俺の気のせいだろうか?

 

「気にしても仕方がない、か」

「北斗?」

「いや……何でもない。行こう」

 

 俺はかぶりを振って、寒空の中を飛んでいく。時間はあるようでない。手遅れになる前に、全てを終わらせないといけなかった。


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