東方影響録   作:ナツゴレソ

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100.0 代償と矛盾

 寒い。学生時代に寒中水泳をしたことがあるが、海から上がってすぐの感覚に近い。

 水の中の方がまだ暖かいと思えるほど、沢を吹き抜ける風は冷たかった。服も靴も何もかもグショグショ、背中に刺すような痛みもある。いつも通りの、満身創痍の勝利だ。

 

「この状況で風邪引いたらさすがに笑えないなぁ……」

 

 なんて一人で苦笑いを浮かべながら、俺は横たえていた身体を起こして沢の対岸で天魔さんと話をしている文をぼんやりと眺める。

 危なかった。本当に紙一重の勝利だ。側から見たら思い通りに戦っていたように見えたかもしれないが、俺からしたら霊力、魔力、体力もギリギリの勝負だった。

 全てを出し切った勝利は嬉しいものだが……俺はこの勝利を手放しで喜べなかった。

 今後、俺はレミリアさん達や輝夜さん達と連続で戦う必要が出てくる。今回は霖之助さんとの戦いもあったし、連戦と呼べなくもないが……それでも手加減してくれた文にくらいもっと余裕で勝ちたかった。

 

「このままじゃダメだ。もっと、強くならないと……」

「北斗ちゃんがこれ以上強くなっちゃうと私達も形無しなんだけどなぁ……天狗に勝ってもまだ上を見るんだね」

 

 俺の独り言に割って入る様に天魔さんが空から降りてくる。慌てて立ち上がって、身形を正そうとするがびしょ濡れで泥だらけの服では体裁を誤魔化す事は難しかった。居心地悪く佇んでいると、天魔さんにクスクスと笑われてしまう。

 

「ふふ、ボロボロね。けれど力は十分に示せたわ。約束通り私達天狗の里一同は貴方に協力しましょう。時が来るまでは情報収集に徹して、北斗ちゃんをサポートさせてもらうわ」

「ありがとうございます。助かります」

「で、なんだけれど……早速いい知らせと悪い知らせがあるわ。北斗ちゃんはどっちから聞きたいタイプ?」

 

 唐突な問いに俺は一瞬戸惑ってしまう。

 茶化すような口振りは変わらないが、その表情は妙に硬い。紫さんもそうだが常に笑顔を貼り付けたようなポーカーフェイスの印象が強いだけに、その表情が意外だった。

 悪い知らせか……いくらでも浮かんでしまうな。だからこそ逆に良い知らせ方が気になった。

 

「……いい方からで」

「あれ意外ね。悪い方から聞くと思ったのだけれど……まあ、いい知らせというほどでもないんだけれど。さっきの戦いね、大天狗だけじゃなく河童の奴らも見ていたみたいよ。あいつらもこの状況をよく思っていない。もしかしたら貴方に興味を持ったかもね」

「あー、はい。そうですか」

「何だか微妙な顔をしてるわね。あいつらに何かされた?」

 

 見世物にされかけるどころか挙句解体されかけた、なんて言えるわけがないし、言いたくもない。笑われそうだし。

 まあ、初めて接した時は俺も普通の状態じゃなかったわけだし……実際話してみると印象は違ってくるかもしれないし。いや、そうであってほしい。

 そんな薄い希望を願いながら、俺は咳払いして誤魔化す。

 

「んん、いえ何も……それで、悪い知らせというのは?」

「それなんだけどね……気を強く持って聞いてほしいの」

「………………?」

 

 随分勿体ぶった前置きだ。先の話と表情から察して……天魔さんの顔を引きつらせていたのはこっちの悪い知らせの方か。これは天魔さんのいう通り覚悟して話を聞いた方がいいだろう。

 天魔さんは体の前で腕を組み……落ち着き払った声音で呟く。

 

「……守矢神社の二柱と人間が、紅魔館の妖怪共の元に合流したらしい」

「なっ……」

 

 一瞬、何を言っているかわからなかった。濡れた衣服の下からさらに冷たい汗が吹き出る。まさか、早苗が、そんな……

 それなりに身構えてはいた。レミリアさん達の時も、輝夜さん達の時も自分の中で相当なショックではあった。

 だからそれくらいの衝撃には耐えられるように気を張っていたのだが……その上を行かれた。胴体に大きな穴が空いたかのような空虚感が身体を過ぎる。心臓すら動いているかわからないほど、身体が固まっていた。

 

「ちょっと北斗ちゃん!大丈夫!?」

「……あ、はい。大丈夫です」

 

 天魔さんの不安そうに問いかけに、俺は外の世界からの癖で反射的に大丈夫だと返してしまう。きっと強がりだと見抜かれているだろうが。

 

「守矢の風祝との仲は知っていたのだけれど……少し無神経だったわ。ごめんね、北斗ちゃん……」

「……いえ、遅かれ早かれ知ることですから、気にしないでください。むしろ、貴重な情報ですよ」

 

 俺は心臓の異様な高鳴りを押えてながら過剰に引け目を感じている天魔さんにフォローを入れた。

 天魔さんは俺の気持ちをおもんばかりながら、この事実を伝えてくれたことくらい分かる。そんな彼女が引け目を感じるのは不本意だ。

 それから俺は舌先三寸の出任せで、必死に平然を取り繕うことに努めた。何を言ったかはあまり覚えていない。

 ただ去り際の天魔さんと文の憐憫の表情を思い起こせば……きっとそれは酷く滑稽で矮小な言葉の羅列であっただろうことは察することは出来た。

 

 

 

 

 

 それから博麗神社までの帰り道、俺は守矢神社の……早苗の行動の意図について考え続けた。しかし、博麗神社の境内にたどり着くまでに、それであろう理由を見つけることはできなかった。

 ああ、まったく情けない。天魔さんと文には随分格好悪いところを見せてしまった。自分に辟易としてしまう。

 俺は早苗は味方をしてくれると手放しに信じてしまっていた。今までそうしてきてくれたように、今回もそうしてくれると根拠もなしに思い込んでいた。

 

「あれだけ慕ってくれていた後輩の事を、理解できていなかったのか……俺」

 

 さとりさんじゃあるまいし、そんなことできる訳ない……出来ても俺には御しきれないのはわかっている。それでも……何か察することができなかったのかと、後悔が止まらなかった。

 鬱屈とした気分のまま日の落ちはじめた境内に降り立つと、待ち構えていたように霊夢が御賽銭箱の上に座っていた。

 黙って出ていったから怒っているだろうなぁ……俺は叱られるのを覚悟してその前に立つ。しかし、霊夢の表情に心中を読み取れるほど強い感情は見られなかった。

 

「突然雲隠れしたと思ったら濡れ鼠になって帰ってきて……今までどこほっつき歩いてたのかしら?」

「えっと……ちょっと妖怪の山に用があって」

「……早苗のとこ?」

「ッ……いや……そういうわけじゃないんだけど……」

 

 当たってはいない。が、ある意味で鋭い読みをしている。

 早苗の……守矢の事を隠すつもりはない。いずれわかることだ。だが……どう伝えればいいかわからなかった。俺が言い淀んでいると……霊夢が賽銭箱から降りて両手でスカートを払った。

 

「まあ、何でもいいわ。とにかく先にお風呂入りなさいよ。そのままじゃ風邪引くわよ?」

「えっ、あぁ……」

 

 俺は自分の襟足を撫でながらなし崩しに頷く。確かに帰りの飛行で衣服は多少乾いたが、身体はめっきり冷えてしまっていた。

 このままじゃ本当に風邪を引くかもしれない。風邪で寝込んで一週間過ぎてしまったら、霊夢と紫に一生軽蔑されるだろうな。

 

「……それじゃあ、お言葉に甘えて」

「ん、火依に沸かしとくように言っておくから。はい、行った行った!」

 

 そう言うと霊夢は俺の後ろに回り込むと、背中を押して急かしてくる。その瞬間、ビクリと身体が硬直してしまう。

 

「ッ!?」

「……どうしたの?」

「いや……何でもない」

 

 俺は適当に誤魔化して、霊夢から逃げるように縁側から居間に上がる。そして衣装ダンスから着替えを取り出して……額に掻いた脂汗を濡れた衣服で拭った。

 

 

 

 浴槽で身体と衣服を洗い終えた頃には、浴槽のお湯はすっかり沸き上がっていた。流石火依だ、俺達三人の中で一番日の扱いが上手い。まあ、火喰い鳥だから当然かもしれないが。

 身体に軽くかけてから浴槽に入ると、ヒリヒリとした微かな痛みと共に寒さと疲れがお湯に溶けていくのを感じた。俺はできるだけ深く浸からないように気を付けながら、底に行かれた簀子の上であぐらを組む。

 

「はぁ……」

 

 思わず口から吐息が漏れる。脚は伸ばせないが、十分リラックスできた。何より一人の空間っていうのが嬉しい。

 別に霊夢と火依の事を疎ましく思っている訳じゃないが、この神社の中で寛げるプライベート空間と呼べる場所はここぐらいしかない。そういう意味では、この風呂の時間は日々の楽しみになっていた。

 ただここ数日はこの場所で考え込むことの方が多くなっていた。

 早苗の事、魔理沙の事、今後俺はどうするべきか何をするのが最善か、魔理沙はこの時間ループをどうやって生み出しているのか、今日の晩御飯と明日の朝食の献立、あぁそうだ、途中に掃除も夜にできるところはやらないと……

 

「……ッ!」

 

 背中の焼けるような痛みで、思考の渦から引き戻される。慌てて身体を起こし身体を前のめりにさせる。痛みの原因はわかっている。肩甲骨のライン……天狗の翼が生えていた箇所を触れると、巨大なミミズ爛れが出来ていた。周りの筋肉も炎症を起こしている。肩の傷も治ってないし……ボロボロだな、俺。

 

「これが……天狗の速さに追いつこうとした代償、か」

 

 ぶっつけ本番の運用が仇となったようだ。人間の身体のまま、烏天狗の翼だけ背中にくっ付け使ったために過剰な負荷をかかったのかもしれない。

 本当なら吸血鬼化の様に身体全体に影響を与えたほうがよかったのは承知している。だが、如何せん天狗のイメージが定まらなかったせいでそこまで影響の力が及ばなかったのだ。

 

「まったく、儘ならないなぁ……」

 

 俺の影響の力は、霊夢達の様なはっきりとした能力と違い出来ることが曖昧だ。未だに自分でも、出来る事出来ない事の境がわかっていない。

 どこまでも手が伸ばせそうでいて、気付けば足元から崩壊してしまいそうでもある。

 何でもできそうなほどに万能にみえるが、一歩間違えば自分の存在すら危うくなりそうになる。今までだってそうだった。この力で俺がどうなろうと構わないが……霊夢達に迷惑を掛けるのは嫌だった。

 

「……上がるか」

 

 普段ならもう少しゆっくりするのだが……体は十分暖まったし、この背中と肩の傷を庇いながらじゃ逆にストレスが溜まってしまうだけだ。夕飯の献立は……まあ、余ってる食材を見ながら考えよう。

 浴槽から立ち上がろうとした途端、脱衣場に誰かの気配を感じて押し止まる。

 足音がするあたり、霊夢だろうか?何の用かは知らないが、できるだけ手短に済ませてもらいたいんだが……

 

「北斗、入るわよ」

「はぁ……はぁ!?」

 

 思わず変な声が出る。制止の言葉が喉を通るより先に、霊夢が入ってくる。しかも、タオルを身体に巻いただけの格好で。

 

「ばっ……なんで入ってくるんだよ!?」

 

 俺は直視することが出来ず、霊夢に背を向けてしまう。そして、すぐに気付いてしまう。背中の傷を晒してしまっていることに。

 

「……やっぱり怪我してるじゃない。しかも二箇所も」

「いや、これは……」

「動くな、脱ぐわよ」

 

 どういう警告だよ!?と叫びたかったが、そうされたら本当に色々とヤバイのでおとなしくすることしかできなかった。

 代わりに、湯船に移る自分の顔を睨みつける。霊夢達に心配させないために隠し切るつもりだったのになぁ……

 素直に言うより大事になってしまい後悔していると、そっと小さな手が背中のミミズ腫れに触れた。瞬間脊椎を貫かれたような痛みで、顔をしかめてしまう。

 

「まったく……どうせ包帯すら巻くつもりなかったんでしょう?コソコソ何かするのは勝手だけれど、手当ぐらいしなさいよ」

「……すみません」

「しかも結構大きい傷だし……あー、もう先上がってるから私の部屋に来なさい!わかったわね!?」

「はい……」

 

 風呂場でタオル巻いただけの女の子に説教される名状しがたい状況に思考処理能力が追いつかず、ただただ言われるがままに頷いた。

 

 

 

 その後、着替えてから霊夢の部屋に行くと、すぐに畳へ正座させられて上着をはだけさせられた。そして丁寧な手付きで背中と肩に軟膏を塗ってくれた。

 

「はい、終わり。包帯巻くわよ」

「ありがとう霊夢」

「……いいわよ、これくらい慣れたわよ」

 

 お礼を言うと、霊夢はいつも通りのぶっきらぼうさで言葉を返してくれる。が、ふと包帯を巻こうとしていた巻く手が止まる。

 振り向けないので、首を捻り横目で様子を伺っていると……霊夢がそっと、腰元に抱きついてくる。

 露わにしていた地肌に、霊夢の熱が直に伝わってくる。突然どうしたのか尋ねようとするが……微かに鼻をすする音で俺は動きを止めてしまう。

 

「……北斗、やっぱり私、アンタに頼り切るなんて出来そうにないわ」

 

 震える声で告げられたのは、今日俺が望み、霊夢が願ってくれたことの否定だった。思わず息を呑むが……あえて口を挟まずに霊夢の言葉を待つ。沈黙はすぐに破られた。

 

「どんなに人を頼るって言っても、アンタは背負えるだけ背負ってしまう……背負い過ぎてしまう。そんな北斗を、私は見過ごせないみたい」

「霊夢、俺は……」

「別にそれを止めたりはしないわよ。けど北斗が自分のことを大切にしなくても……私は、アンタのことを大切に思ってるから」

 

 それはいつも素直じゃない霊夢が、初めて素直に内心を吐露してくれた瞬間だった。

 

「傷も、早苗のことも、何でも一人で背負うつもりなら、せめて私が大切にしているものくらいは最後まで、守ってみせてよ」

 

 淡々と、滞りなく流れていく台詞は霊夢が泣いていることを一切感じさせない。その姿が彼女の外面の強さと内面儚さを体現しているように見えた。

 矛盾、しているだろうか?

 俺は霊夢の強さに憧れながら、可憐な彼女を守りたいと思った。霊夢は全てを背負うつもりなら、自分の命も背負って欲しいと言ってくれた。

 違うだろう。矛盾は生じていない。あったとしても少なくとも俺は……

 

 

 

 矛盾している霊夢のことが、好きだった。


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