東方影響録   作:ナツゴレソ

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99.0 玄武の沢と天狗の黒翼

 華仙さんに封筒を渡した後、俺達は昼食を取った。

 去り際華仙さんは俺に対して、期待しているわ、とだけ言ってくれた。華仙さんにも華仙なりの事情がある。きっとこれが精いっぱいの支援なのだろう。

 昼食後、食器を片付けるついでに軽く台所を拭き掃除していると、裏勝手口の方から石畳を杖で突く様な足音が聞こえる。普通の靴音じゃない。こんな変な靴を履いてる心当たりは……多すぎて分からないな。

 

「鍵は掛かってませんよ」

 

 外にいる誰かにそういうと、ややあってから扉が開かれる。

 勝手口の前に立っていたのは、物々しい和装姿をした文だった。なるほど、さっきのは一本下駄の音だったのか。

 普段は近代っぽい恰好をしているギャップもあってか、天狗らしさが際立つ衣装だ。おそらく天狗のこれが正装なのだのだろう。

 いつもなら図々しく入ってくるはずなのに、文は入り口から動こうとしなかった。不思議に思っていると、程なく話しかけてくる。

 

「……こんな状況なのに暢気に掃除ですか。貴方らしいですね」

「まあ、本来なら大掃除をしたかったんだけどね……せめてもの、年越しの準備だ」

「年越し、ですか。北斗さんはそれが出来ると?」

「………………」

 

 随分挑発的な台詞だ。それはいつものことだから気にしないが……普段ならもう少し明るい筈の声が、今は真剣味に溢れていた。服装、雰囲気から察するに……ただ様子を見にきた訳じゃないようだ。どう返せばいいものか考えあぐねていると……何を思ったか、文はうやうやしげに頭を下げる。

 

「その件について天魔様がお呼びです。是非、貴方と話がしたいので玄武の沢まで来て欲しいとのことです」

「玄武の沢……?」

 

 確か妖怪の山の麓にあるんだっけか。噂では河童のアジトがあるらしいが……どうも中途半端な場所だ。あの人ならどんなに多忙でも無理やり博麗神社に来そうなものなのだが……そうしないのはここに来れないほど忙しいか、あるいは……

 

「……霊夢抜きで話がしたい、と?」

「あやや、察しが良くて助かります。詳しくは私も知らないですが……素直に来ていただけたら私の手間が減るのです」

「さいで……まあ、断る理由もないけどさ」

 

 むしろ俺からしても好都合だ。

 天魔さんや文などの例外はいるが……天狗は保守的だ。だから俺はこの異変に関しても静観を徹底するだろうと決めつけていた。それが逆に向こう側から話を持ちかけてくれるなんて幸運だ。

 ……いや、偶然じゃないのかもしれない。以前文は俺の事を監視しているような口振りをしていた。天狗もこの状況をずっと注視していたに違いない。だからこのタイミングで接触してきたのだろう。紫さんと多少の折り合いがついたこの時を狙って。

 

「先に行ってて。霊夢に見つかる訳にはいかないんだろ?」

「ええ……麓で落ち合いましょう。それでは、必ず来てくださいね?」

 

 文はそう言い残すと促されるまま、一瞬で視界からいなくなる。鴉天狗だけあって消えるほど速い。俺は出来るだけ文を待たせないよう手早く掃除を終わらせてから、勝手口から外に出る。

 きっと文は頃合いを見計らってここに来たのだろう。居間にいる霊夢と火依、そしてこころちゃんもまだ気付いていない……はずだ。

 出かけてくるとだけ声をかけようかとも思ったが……止めておくことにした。天魔さんがどういう意図で俺を呼び出したかわからない。迂闊なことをすれば最悪天狗の里を敵に回すことになってしまうことを考えると……この程度のことも避けた方がいいかもしれない。

 

「ごめん霊夢、火依、あとこころちゃんも」

 

 俺は罪悪感を紛らわすため居間にいる三人に小さな声で謝ってから、外套を取りに行く手間も惜しんで博麗神社から飛び立った。

 

 

 

 

 

 妖怪の山の手前で文と合流した俺は、彼女の先導で玄武の沢までやってきた。ここまで来ると赤い霧の影響も弱まっていた。それでも空の色は不穏なままだが。

 上空から見ると亀の甲羅のような石柱が巨大な沢を形成しているのがよく分かる。冬だがまだ緑は残っているようだ。雪解け水のせいか沢の水量は多い。ほとりに降りるのも危ないかもしれないな。

 しばらく幻想郷の雄大な自然に圧倒されていると……ふとあることに気付いてしまう。

 

「どうしました? 随分変な顔してますけど」

「……いや、ここはあんまりいい思い出がなくて、ね」

「あやや、さっきは沢の場所を知らないと言っていませんでしたか?」

「ええ、まあ、確かに知らなかったんだけど……」

 

 まさか以前キメラの状態で捕まえられていた場所が玄武の沢だとは思いもしなかった。あの時は河童に危うく見世物にされかけたっけな。あと解剖するとも言っていたっけ? 紫さんほどではないが、あれもトラウマだ。

 

「とりあえず詳しくはまた今度ってことで。それで天魔さんは?」

「こっこだよん!」

 

 突然耳元で声がしたと思ったら、背中に何かが覆いかぶさる。柔らかな感触とほんのりと高級そうな香木の香りがする。大人の女性の匂いだ。重い……って言ったら怒るだろうし、俺は言葉に迷って……

 

「当たってます、って言った方がいいですか?」

「そういう台詞はもっと恥ずかしそうに言わないと可愛げがないって言われるわよ、北斗ちゃん」

「俺に可愛げを求めるのは天魔さんくらいですよ……」

 

 毎度のこと思うが、こんな緩い……もといフレンドリーな人が、厳格な天狗社会を牛耳っているなんて信じられないな。俺がやけにしつこく抱きつこうとしてくる天魔さんを引き剥がしに掛かっていると、それを見ていた文がコホンと咳払いした。

 

「天魔様、お戯れはお控えください。今は……」

「わかってるわよ、文ちゃん。北斗も何となくわかるでしょう?」

 

 天魔さんは名残惜しげに離れながら、意味深に問いかけてくる。一瞬なんの事かわからなかったが……文の様子を見て察した。以前天魔さんとお忍びで神社にやってきた時と口調も態度もまったく違う、一貫して丁寧な口調を貫いている。それも博麗神社に俺を呼びに来てからずっとだ。

 ……監視されているな。気配はしないが、おそらく見ているのは天狗のお偉いさん方だろう。

 霊夢抜きで何の話をするのかと思ったら……なるほど、こんなところに霊夢を連れてきたら持ち前の勘でいち早く監視に気付き、片っ端から退治してしまっていただろう。

 

「それで、話というのは?」

「せっかちねぇ……じゃあ、まずは私も単刀直入に。私達は貴方の異変解決を支援する準備があるわ」

「えっ!?」

 

 思わぬ言葉に素っ頓狂な声を上げて驚いてしまう。天魔さんも俺の反応にクスリと小さく笑った。

 ここに来る前から交渉の余地はあると見込んでいたが、まさかここまで踏み込んできてくれるとは思ってもみなかった。つい喜びのあまり浮つき気味な声で天魔さんに尋ねてしまう。

 

「意外ですね。てっきりこの異変でも中立に徹すると思っていたんですが……」

「そういうわけにはいかないのよ。私達は天狗の、天狗たる矜持を守らないといけない。それは例え世界が腐り切ろうとも、時が淀もうとも、失っていいものではないのよ」

 

 天魔さんは仰々しい例えと語句を並べると、中の大きな翼を羽ばたかせながら嘆息を洩らす。その姿を見ていて……文の『重要な愚痴』を思い出していた。

 鴉天狗は忘れることを最も嫌う。この異変は……そのもっと嫌う事が何度も起こりうる状況だ。いや……霊夢や紫さんのような例外を除けば、もう幾重もの記憶が消えてしまっている。きっとその事実が許せないのだろう。

 この状況では情報は無価値になり、メディアは存在自体を否定されるのだから。

 

「それに時が腐れば人の営みも、妖怪の居場所すら腐り堕ちていく。紫もそれをわかっているはずなのにねぇ……」

「……紫さんと知り合いだったんですね」

「まあね」

 

 俺の言葉に天魔さんは苦々しい笑みで返してくる。

 二人とも幻想郷の重鎮だ。お互いの事を知っていてもおかしくはない。ただ天魔さんの口振りは知り合い程度の付き合いの仲には聞こえなかった。旧友、それも疎遠になってこじれてしまったそれのような……いや、流石に邪推か。

 それより引っかかるのは……

 

「準備、と言っていましたが何か条件があるんですか?」

「条件というわけじゃないわ。ただ私達も手を貸すなら勝ち戦に手を貸したいの。敗戦の将に貸す兵は一兵たりともないの」

 

 天魔さんはそう言うと空中で器用にあぐらを組み、右手で頬杖をついた。そしてその逆の手でパチンと指を鳴らす。

 それを合図に超高速の影が、俺の眼前に出現する。俺は瞬く間に抜刀し、葉団扇での右横からの一撃を受け止める。顔のすぐ近くには団扇を振るった張本人……文の慇懃無礼な笑顔があった。

 

「あやや……これを防ぎますか。既に人では到達できない域に片足突っ込んでますね、北斗」

「お世辞なら新聞にでも書いててくれ。それにしても天下の天狗様が不意打ちはあまりに大人気ないんじゃないかな?」

「確かに私は烏天狗ではありますが、まだまだ未熟者。せいぜい天狗にならないようありとあらゆる手を使うのです。貴方の実力を引き出すためにもね」

「以外と狡いな!」

 

 毒を吐きながら団扇を受け流し、回し蹴りを放つ。だが手応えはない。既に間合いの外まで距離を取られていた。

 ……速すぎる! 俺からすれば霊夢の瞬間移動と大差がないほどの速度だ。完全に見切れていない。

 俺は刀を構え直しながら奥で高みの見物をしている天魔さんを睨む。

 

「……で、これはどういうことですか?」

「見た通り腕試しだよ。私は大体北斗ちゃんの実力を知っているけれど……他の人は知らない。北斗ちゃんの『本当の実力』をね」

「………………」

 

 要は力を貸す値するか、テストしたいってことか。ずいぶん回りくどいことをする。

 いや、よく考えれば……妖怪でも有数の実力者である天狗が俺のような人間を手伝うというのだ。せめて他の妖怪から見下されない程度の言い訳をしたいのだろう。まあ、そこら辺のプライドにこだわっているのが、今の監視をしている奴らなのかもな。

 

「はぁ……」

 

 俺はいつもより大きく息を吐いて、刀を鞘に戻す。その仕草を見て天魔さんは面白げに、文はイラついたように顔色を変える。文は葉団扇で威嚇する様に突風を叩きつけてきてから、据わった声で喋り出す。

 

「……北斗。まさか私が女だから得物を使う気がない、なんて言わないわよね。流石に怒るわよ?」

「まさか、妖怪の頑丈さは嫌でも知っているさ。それに俺は妖怪より劣っているって自覚はある」

「………………」

 

 言い訳をしてみるが、どうも文の怒りを買ってしまったようだ。別に挑発した訳でも見くびっている訳でもじゃないんだが……まあ、戦って理解してもらうしかないな。

 

「スペルカードに……こだわる必要はないか」

 

 弾幕ごっこはあくまでスポーツ的な要素が強い。戦いから掛け離された戦いでしかない。天狗達が見たいのは俺の本気の力だろう。

 ふと昨日の星さんとの戦い……その最中で白蓮さんに言われた言葉が脳裏に過る。

 ……俺の強さは本物の強さじゃない。確かに俺は戦う力も戦う理由すらも他者に依存している。空を飛ぶことすらも霊夢の影響なしにできないのだから。

 じゃあ、俺の本当の力とは何か? あれからずっと考えてきたが……答えらしい答えは一つしか分からなかった。

 

「言っておくけれど、スペカを使わないって言い出したのは北斗だからね。本気で来ないと死ぬわよ?」

 

 文が随分厳つい目でこちらを睨む。俺はその視線を敢えて一心に受けながら……意識を背中に意識を集中させる。イメージは出来ていた。後はコントロール次第……!

 背中には黒い翼。本人曰く幻想郷最速。それに届かなくても……せめて追いすがれるほどの速さで!

 

「ッ!」

 

 俺は加速と共に右の拳を突き出す。その瞬間、腕に衝撃が伝わる。脳が電気信号を受け取り処理するよりも早く、俺は数十メートルほどのあった文との距離を縮めていた。寸のところで俺の放った正拳突きは受け止められたようだが……文の瞳は驚愕で震えていた。

 無理もない、俺自身もびっくりしているのだから。まさかここまで速いとは思ってもみなかった。

 

「へえ……なるほど。吸血鬼の真似事をするとは聞いていたけれど……まさか『私達の真似』までできるとはねぇ。見境ないね、北斗ちゃん」

 

 天魔さんが『俺の背中の翼』を見つめながら嬉々とした笑顔で言う。俺はそれに背中の翼の羽ばたきで応じる。

 鴉天狗の黒翼。文のそれは見たことがなかったが……天魔さんの翼は何度も見ていたお陰で再現できた。まあ、今のところほとんど飾りに近い機能しかないんだが。

 俺は受け止められた拳を振り払って後方に下がる。できるだけ速度を抑えたつもりなのだが、それでも普段の飛行速度程度は出てしまう。身体能力でスピードを出す吸血鬼とは違い、飛行のスピードだけが極度に向上しているようだ。

 飛行の感覚を確かめるように飛んでいると、文が団扇で口元を隠しながらジリジリと近付いてくる。

 

「あやや……素直に驚きました。まさか天魔様の影響を受けるとは……」

「これは文の影響ですけどね」

「へ、あ、そう……ふーん……」

 

 照れ隠しなのか文が自分の髪を撫でつけながらそっぽを向いてしまう。意外だったのだろう。無理もない。俺は今まで影響を受ける相手はそれなりに選んできた。選り好みしていた訳じゃないけど……心のどこかで、勝手な境界線を張って踏み込めずにいた。

 

「もう躊躇しないって決めたから」

 

 文の速度に追いつくには文の影響を受ければいい。我ながらなんて単純な思考なことか。まるで子供がするごっこ遊びのような短絡で見境ない発想だ。

 短絡? 見境ない? 結構じゃないか。霖之助さんにもう大人じゃなくていいって言ってしまったのだ。今更体面なんて気にするものか。

 結局俺は影響を与え続けることしか出来ないのだ。自分自身に……そして、他の誰かに。


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