人から妖怪に成った者……人妖。人と妖怪との間に生まれた子供……半人半妖。
似たようで本質の違う両者だが、里の人間にとってはその存在に大した違いはない。生まれもっての半端者か、望んで成った半端者か。里に生きる人間にとっては、その程度の差異しかなかった。
いくら半端者が人であろうと努めても、いつかは自分が人ならざる者だと思い知らされる日が来る。そしてその時になって、僕は絶望してしまうのだ。
人妖と半人半妖、どっちも疎まれる存在なら僕は選択を後悔できる方がよかった。それとも僕は……
生まれてきたことを後悔しないといけないのだろうか?
武器として剣を持ったのは何十年ぶりだろうか?刃の切っ先を向けられたことなんて覚えていないほど昔のことだ。だがブランクを悔いている暇はない。
「くっ……人間にしてはやると聞いてたけど、過小評価だね」
僕は思わず愚痴を吐きながら腹部を狙った刺突を剣でいなしながら右に身体を流す。が、そこに待ちかまえていたように右の肘撃ちが飛んでくる。裏拳の様に身体を回転させながらの打撃。右の手で受け止められなかったら鼻と眼鏡が潰されていたところだ。
ホッとしたのは刹那にも満たない。その腕がクイと下げられ脇の間から右手が覗く。手には霊夢がよく使っているお札。そう気付いた時にはもうそれは手から離れ、僕に向かって投げつけられていた。
「がっ……はっ……!?」
身体の芯を貫く様な痺れが駆け巡る。身体に流れる妖怪の血が拒絶されている。
僕は苦悶に悶えるように左手の剣を振り回し、何とか北斗君を遠ざける。痛みを無視して胸元に張り付けられたお札も引き剥がす。マジックアイテムとして加工しておいた服がなければ大火傷をしていただろう。
「はぁ……はぁ……」
僕は荒れる息を整えながら、目の前で仁王立ちする北斗君を睨んだ。真剣な眼差しの中にはっきりと怒りの感情が込められているのがわかる。
間違いなく北斗君は僕の、魔理沙を殺すという発言に憤りを覚えていた。それだけで僕は自分の使命を放り投げてしまいたくなる衝動に駆られてしまう。
あぁ、本当に嫌だ。北斗君や霊夢に恨まれながら家族の様に思っていた魔理沙を手に掛けないといけないなんて、とても酷い拷問だった。
「くそっ……」
僕は普段なら口にしない様な悪態を吐いてしまう。それでも僕がやらないといけなかった。
里ではこの異変が遠因で人々が混乱し始めている。ある者は一週間後に訪れるのは終末だと勘違いして散財し、ある者は全てなかったことになるのならとあらん限りの罪を犯した。
僕からすれば自業自得でしかなかったが……加害者は口をそろえて異変のせいだと言い訳をした。そうされた被害者達は行き場のなくなった憎悪を異変の首謀者に向けた。向けるしかなかった。
「魔理沙は俺が止めます!貴方の様に簡単に終わらせたりしない!」
「簡単とのたまうのかい!?ならば君の理想は絵空事……夢物語でしかないよ!」
僕は甘ったるい理想論を否定しながら腹部の鞄から呪符を取り出し、北斗君の足元に投げつける。呪術の扱いは術書を読んだだけの我流だが、自信はあった。
北斗君は当然のごとく飛行して避けようとするが、呪符は地面に当たる前に空中で爆発する。
「ぐ……おおおっ!」
かなり近い距離で爆風を食らったはずなのに北斗君は構わず突っ込んで、鍔迫り合いに持ち込んでくる。本来力比べなら僕の方に分があるはずなのに……気迫が足りていないのか日々の鍛錬の有無のせいか、押し負けてしまう。
「……魔理沙は、もう人に戻れない領域に踏み込んでしまった!」
僕は力の差から生じた焦りのせいか、声を荒げてしまう。
魔理沙は里の畏れだけではなく憎悪も集めつつあった。北斗君だって里を見たなら気付いたはずだ。そしてそれが何を意味するかわかるだろう。
「もうこれしか道がないんだ!彼女が、人間として生きるためには……」
「死ぬしかないっていうんですか!?」
「そうだ!」
「ッ……!?馬鹿野郎が!」
北斗君は罵倒の言葉と共に空中に飛び上がってお札を投げつけてくる。軌道は直線、まっすぐ三枚。速い、だが……逆袈裟、袈裟斬り、横薙ぎで全て切り落とす。
が、またしても目の前に北斗君が迫って来ていた。何故だかこちらに向かって来ていることに全く気付けなかったため、いとも簡単に懐を取られてしまう。
「簡単に死ぬとか殺すとか……」
「ぐっ……」
「言うなッ!」
そう耳に届いた時には僕の視界は跳ね上がっていた。脳が縦に揺れる衝撃、掌打で顎を撃ち抜かれていた。か弱い人間の身体だったら気絶していたかもしれないほどの一撃。なんとか踏ん張って転倒は免れたが、その腹部に回し蹴りがめり込む。堪らず膝を突いてしまう。
「ッ……強いね」
「負けられませんから」
北斗君は僕を見下ろしながら力強く言い放つ。僕は眼鏡を直そうとして……それがないことにようやく気付く。さっきの一撃で飛んで行ってしまったようだ。予備を持ってきていて良かった。
僕は腹部の鞄から眼鏡と……呪符を取り出し、立ち上がる。
さっきの体術といいお札の乱れ撃ちといい人間離れした連続攻撃だった。
幻想郷に来たばかりの彼とは一緒に弾幕ごっこ怖いと言い合って意気投合したんだけど……まるで別人のような強さだ。もっとも、僕が男だからこそ遠慮なしに打ち込んでいる節もあるのだろうが。
僕は眼鏡をかけ直しながら……北斗君へ微笑みかける。
「……北斗君、変わったね」
「そう、ですか?」
「自ら死を望んでいたあの時に比べたら……見違えるようだよ」
「すみません……死にたがりの俺が、ずいぶん偉そうなことを言ってますよね」
北斗君は俯きながらそう呟くが……僕はその言葉に首を振ってみせる。
偉そうなんて思わない。魔理沙からの又聞きではあるが、君がいろんな困難を乗り越えてきたことを知っているからね。それに……
「……君は死の欲望に打ち勝ったんだろう?そんな君に死生観を問われたら、僕に反論の余地なんてないさ」
「霖之助さん……」
「……正直に言おう。僕は北斗君を尊敬……いや、羨望していた。周りの人間、幻想郷を巻き込んでいきながら変化し続ける君が、変われることを証明した君が眩しかった」
きっと魔理沙もそう思っている。僕の知っている魔理沙は誰よりも変わりたいと願っていた少女だった。そんな彼女が日々着実に変化していく北斗君を見て、何も思わないわけがない。羨ましかったか?いや、きっと……悔しかったのだろうな。
北斗君もその自覚があるから異変の解決を目指しているのだろう。自分のせいだと思っているのかもしれない。残念ながらそれは……正しい。
「僕は君がこの異変を解決することを望まない。全てを北斗君の影響だと押し付けていいはずがない。僕にも責任があるし、魔理沙に言いたいこともたくさんある。そして……その重荷を背負うのは僕でありたいんだ」
「けど俺は……そのやり方が正しいとは思いません。いや、たとえ正しくても……認めるわけにはいきません」
「……例え魔理沙が人妖になっても、か?」
僕の決定的な問いに北斗君は石になったかのように動きを止めた。
隣を見ると阿求さんと霊夢も顔面から血の気がなくなっていた。三人ともその可能性には気付いていただろうが……信じたくはなかったのだろう。目を逸らしたかったのだろう。だが……現実はそんな生易しいものではない。
「遅かれ早かれ魔理沙は……人妖になってしまう。例え身体が、心が人であろうとも……世間が人ならざるものと見做せば、魔理沙は人じゃなくなる。その時君に……霊夢に、彼女を討つ覚悟があるのか!?」
「……そうなる前に魔理沙を止めます!」
「子供染みたことを言う!」
苛立ちのあまり僕は目の前で立ち尽くしていた北斗君に不意打ち気味に斬りかかってしまう。だがすんでのところで後ろに跳んで躱される。
やはり僕では武術で北斗君に勝てない。分かっていた。僕が彼に勝つには……切り札を使わなければならないことを。
北斗君と視線が交差する。北斗君は僕のやり方を認めないと言った。僕は北斗君の願いをただの絵空事だと否定した。もう僕達の道は交わらない……どちらかが折れない限り。
しばらく、お互い無言でそうしていると……熱くなっていた頭が冷めていくのが分かる。僕は北斗君に倣って深呼吸を一つして、口を開く。
「北斗君、草薙の剣を知っているかい?」
「……ええ、三種の神器ですよね」
我ながら先程の緊迫したやり取りから随分落差のある台詞だと思う。
北斗君も拍子抜けしたのか戸惑いながらも頷き、答えてくれる。しかし右手には刀を、左手にはお札を握っており、警戒しているのがわかる。僕も右手に呪符、左手に剣を持っているため、奇しくも鏡写しの形になっていた。
「そうだ。別名天叢雲の剣。ヤマタノオロチの尾から見つかり、ヤマトタケルの窮地を救った伝説の剣であり、れっきとした神格……『神』だ。各地の神社に奉られる存在だが、本物は紛失してしまっている。そうだよね?」
「ええ、そうですけど……まさかそれが本物だ、とか言いませんよね?」
……相変わらず鋭い。かんのつよさけど僕は刀を眺めながら首を振って否定する。
「いいや……この剣は違うよ。この剣の名は……霧雨の剣だ」
「霧雨、って……」
「僕が、魔理沙の名前から取って付けた。まあ、ただの皮肉だったんだけど」
かつてヤマトタケルが草薙の剣と名付けたように、魔理沙が鉄くずと一緒に持ってきて僕が勝手に名前を付けたその時から……この剣の名は『霧雨の剣』になった。そしてこの剣は……魔理沙が人として死ぬまで『霧雨の剣』でなければならない。
「僕には『道具の名前と用途が判る程度の能力』しかない。けど、その力のお陰で……僕は名前の持つ力を知ることができた」
「……どういうことですか?」
「君に分かり易く言うのなら……『名前による影響』の力だよ。名を与えればその者の性質が変わる。幻想郷では貴重品の『塩』でも、『砂』と名付ければただのどこにでも積もっている塵芥でしかない」
「その理屈だと『砂』に『塩』と名付けてもしょっぱくはならないと……」
北斗君はそこまで言いかけるが……ようやく状況に気付いたようで、辺りを見回している。だが僕は気にすることなく話を続ける。
「『天叢雲』の名は、八岐大蛇の頭上には必ず雲がかかっていたという言い伝えが由縁と言われている。ならば……もしも元々雨天の気質は持つ剣に『霧雨の剣』と名付けられれば、どうなると思う?」
「………………」
僕の問いに北斗君は何も答えない。代わりに吐息を一つ吐き、ゆっくりと刀を中段に構えた。
「これは……こんな季節に、霧?」
不思議そうに呟いたのは阿求さんだ。きっと屋敷の廊下から見れば庭全体が白い霧に包まれたように見えていることだろう。既に一寸先も見渡せないほどの迷霧が発生していた。
「確かに『砂』は『塩』にはなれない。だけど天叢雲の剣は……『神』は一体何になれないんだろうか」