東方影響録   作:ナツゴレソ

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96.0 人妖と半人半妖

「どういうことですか、霖之助さん」

 

 身体が勝手に動いていた。礼儀も忘れてしまった。気付くと俺は障子を開け放ち正座する霖之助さんを見下ろしていた。突然現れたことに驚いたのか、はたまた俺達には秘密の話だったのか、霖之助さんと向き合うように座っていた阿求さんは、俺を見て顔を真っ青にしていた。だが俺はそんなことを気遣う余裕はなかった。

 霖之助さんは妙に落ち着き払った様子で眼鏡を外すと、眉間のしわをほぐし始めた。

 

「君には絶対に聞かれたくなかったんだけどね……僕の運が悪いのか、はたまた因果なのか。それとも……これも君の影響かな、北斗君?」

「質問に答えてください。魔理沙を殺すって……一体どういうつもりで言ったんですか?」

「……君には関係ない話だ」

 

 関係ない?随分な言い様だ。それで俺がはいそうですかと引き下がると思っているのだろうか?気付けば拳を強く握りしめすぎて爪が手の平に突き刺さっていた。その痛みのお陰で今にも拳を振いたい衝動を堪えることができた。そんな俺の横を霊夢がゆっくりとした歩みで通り抜ける。そして霖之助さんの前に回り込んだ。

 

「やめた方がいいですよ霖之助さん。貴方が行っても異変は解決しない。たとえ魔理沙と刺し違えても、ね」

「……そうかもしれない。だけどね、大人には負わないといけない責任があるんだ」

 

 霖之助さんは懐から取り出したハンカチで眼鏡を拭くと、ゆっくりとした動きで眼鏡をかけ直す。そして首を捻って俺の方を見遣る。そうやって見せた表情はやるせないような……後悔しているような表情だった。

 

「魔理沙は僕という存在のせいで、時間がどれだけ残酷かを知ってしまったんだ。物心が付いたときから魔理沙は僕の事を兄の様に慕ってくれたけれど……同時に成長する中で僕の変わらない姿をずっと目にしてきた」

「けどそれは……幻想郷で生きていればいつかは直面する問題です」

「そうかな?里の人間は生涯妖怪に出会うことなく……いや、総会で会っていることに気付かずに生を終える者も少なからずいる。君や霊夢みたいに、里の外を行き来しようとする人間なんて……ほんの一握りなんだよ」

「それは……そう、かもしれません」

 

 霖之助さんのいう通りだ。俺が里で浮いてしまっているのは外来人であること以上に……里の外に住んでいること、そして人から外れた能力を持っているからだろう。だが……

 

「ですけど……それが原因かどうかなんてわからないですよ。それにもしそうだとしても霖之助さんが責任を取る理由なんてないじゃないですか。第一魔理沙を殺す必要だって……」

 

 俺は言い訳じみた台詞を捲し立てるが、霖之助さんは静かに首を振って否定する。部屋の奥に座る阿求さんもそっと顔を伏せてしまった。

 

「北斗君、里の混乱した様子は見たろう?魔理沙は混乱を避けるためにあんなことをしたのだろうが……かえって里に混乱を招いてしまった」

「………………」

「なにより……『里出身の人間が異変を起こした』という事実が里に知れ渡ってしまった。魔理沙はもう既に里中の恐れ、怒り、そして力への嫉妬の念を集めつつある……それはもう里というコミュニティの問題じゃなく、幻想郷の問題なんだよ」

「……それじゃあまるで魔理沙は」

「やめてッ!」

 

 俺の言い掛けた言葉を霊夢の悲鳴に近い叫びが遮る。霖之助さんと阿求さんは驚いていたが……俺には霊夢の気持ちが痛いほど伝わってきた。

 これは以前霊夢から何気なく聞いた話だが……博麗の巫女の仕事の一つに里の監視があるらしい。里の人間から人妖……人から妖怪になったもの、あるいは妖怪じみた人間が出ないように見守ること。そして……万が一人妖が現れた時、それを抹殺しなければならない。

 魔理沙はこの異変のせいでおそらく人妖の域に踏み入れてしまったのだろう。だからこそ霊夢はその事実から目を逸らそうとしている。そして霖之助さんが魔理沙を殺そうとしているのは……

 

「僕は人と妖怪との間に生まれた半端物だ。ある意味人妖に近い存在だろう。そんな僕にしか出来ないことがある……」

 

 息の詰まるような空気の中、霖之助さんの呟いた一言に俺は何も言えず……つい俯いてしまう。すると霖之助さんの傍らに見慣れぬ刀が置かれているのが見える。装飾過多で見事な黒塗りの封魂刀と比べて対照的な、まるで今さっき掘り出して洗ったばかりのようなボロボロの刀だった。彼はそれを左手に手に取るとゆっくりと立ち上がる。

 

「さっきは君達二人には関係ないことだと言ったけれど……それは僕のエゴだ。僕は霊夢にも北斗君にもその役目を任せたくない。だから……」

「冗談じゃないわ」

 

 霖之助さんの決意の籠った言葉を霊夢が遮った。霖之助さんがピクリと反応して顔を上げるや否や、その胸倉を霊夢が掴み上げていた。唐突な行為に阿求さんと俺はギョッとするが、当人達は冷ややかな視線を交差させていた。

 

「離してくれないか、霊夢」

「嫌よ。今手を放したら霖之助さんは死にに行ってしまうもの」

「さっきも言ったよ。魔理沙がああなったのは……」

「貴方のせいじゃないわ!!」

 

 霊夢は両手で胸倉を掴んだまま叫ぶ。さっきまでの霊夢じゃない。昨日の夜の様に感情が制御できていなかった。

 

「これは……魔理沙が自分で悩み抜いて決めたことよ!霖之助さんは関係ない!何も知らないくせに……勝手にアイツの決断を、努力を……願いを奪わないでよ!」

「霊夢……?」

 

 俺は霊夢の激情の籠った言葉に眉をひそめた。まるで霊夢は……魔理沙がこの異変を起こした理由を知っているような口ぶりだった。霊夢は紫さんと話して異変を解決しないと決めたと言っていていた。俺も霊夢はそれが理由で異変を解決のしないのだと思っていたんだが……

 いや、今はそんなことより、だ。俺は胸倉を掴む霊夢の手を押えて、代わりに霖之助さんの前に立つ。

 

「……霖之助さん。俺も貴方をこのまま行かせる訳にはいけません。魔理沙を殺させはしないですし、霖之助さんを見殺しにするわけにもいきません」

「心外だ。僕は……高々一年ほど幻想郷で生きた程度の人間に負けるほど弱くはないつもりだよ」

「俺だってずっと店の奥で閉じ籠っているような人より弱くないと自負してます。それだけ自信があるなら俺くらい瞬殺できますよね?」

「……僕と戦うつもりかい?」

 

 売り言葉に買い言葉、誰かと弾幕ごっこをする時は大抵こういう煽り合いをしたりするが……まさか霖之助さんとそれをすることになるとは思いもしなかった。俺は霖之助さんの目が据わっていくのを見つめ続ける。言葉はいらない。もう霖之助さんを言葉で説得することは出来ないだろう。ならば力づくで納得させるしかない。霖之助さんにもそれは伝わったようで、完全に状況に置いてけぼりだった阿求さんに向き直る。

 

「すまないが庭を借りていいかな。僕には弾幕が使えないから被害は出ないと思うんだが……」

「え、ええ、構いませんが……」

 

 阿求さんが頷いたのを見て、俺は霖之助さんより早く庭に降りて抜刀する。手の平の傷から流れ出した血が柄糸に染み込んでいく……だが滑るほどの傷じゃない。痛みも無視できる。軽く素振りをしていると俺の姿を見ていた霖之助さんが微かに笑った。

 

「……やっぱりその服は似合う。すべてを己の色に塗りつぶしてしまう黒が君にはふさわしい」

「デザインはともかく、感謝してますよ。この服のお陰で命も救われましたから」

「そうか……作った甲斐があったよ」

 

 他愛もない会話だ。本当は酒の場でしたかった。

 どうして、こんなことになってしまうんだろうな。霖之助さんも、レミリアさんも、輝夜さんも……魔理沙も友達だと思っていた。けれど……こうやって意見が対立して、戦う羽目になってしまう。これも……俺の影響のせいなのか?俺はまだ一人になりたいのか?違う、俺は……俺はただ……

 

「北斗!」

 

 思考の深い坩堝に嵌りかけようとしたところを、霊夢の声が引き止める。振り向くと霊夢が廊下から降りて俺の方に歩いてくる。激励にでも来たのかと思ったが、その顔は予想外に不安そうなものだった。霊夢は目の前まで来ると……背伸びして俺の耳を引っ張った。

 

「いたたたた!?ちょっ、何!?」

「一応今言っとくわ……私はまだアンタの行動にも納得していない。アンタなら自分が死んでも元に戻ればそれで万々歳、くらいは思ってそうだもの」

「まあ、最悪の場合はね」

「……絶対止めなさい。私は……このままでいい。けどもう誰も死ぬところなんて見たくないわ」

 

 霊夢の声は今にも泣きそうなほど震えていた。この時間のループの中で体験したであろう時間は確実に霊夢の心を蝕んでいた。あの霊夢がこれほど弱気になるほど深く、濃く……

 

「何もわかってないな」

「えっ……?」

「これが終わったら、二人っきりで話をしたい。言わないといけないことがあるんだ」

「………………」

 

 俺はそれだけ言って耳たぶを摘まんでいる霊夢の手をゆっくり解くと、頭をポンポンと叩いてやる。いつもは怒られそうなのでフランちゃんやこいしにしかしないんだが……霊夢はむず痒そうに顔を逸らすだけだった。

 と、阿求さんが気を利かせてくれたのか女中の一人が俺と霖之助さんの靴を持ってきてくれる。靴下で軽く飛びながら戦うつもりだったんだが……ありがたい心遣いだ。

 俺が靴を履いていると、その背中にかすかな呟きが当たる。

 

「絶対に勝ちなさいよ」

「勿論」

 

 俺は振り返らず一言だけ返して、息を吐いた。そして対峙している細見長身な男性を見遣る。霖之助さんは俺とは対照的に刀を抜いていない。それにそのほかの武器が見当たらないが……あの刀だけで戦うのだろうか?実力は未知数だ。だが落ち着いた立ち振る舞いからして油断して勝てる相手ではないのは分かる。

 ……幻想郷では一切のもめ事は弾幕ごっこで決められる。だが弾幕ごっこは本来女子供の行う遊びだ。俺がそれに参加しているのは……ある意味で掟破りなのかもしれない。でだ、もし男性同士でもめ事になった場合はどうなるか……考えたことがなかった。

 

「………………」

「………………」

 

 お互いに構えはなく動きもない。まるで雪の降る夜のような静けさが場を支配する。きっと形などないのだろう。あるものは話し合いで穏便に、あるものは血みどろの戦いを。そして俺達は……全力の決闘を。

 

「絶対に止める!魔理沙も、貴方も!」

「僕は僕の出来ることをする!それが僕の責任だ!」

 

 動いたのは同時、磨き抜かれた鋼の大刀と錆びついた赤い柳葉の剣がぶつかり合った。


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