東方影響録   作:ナツゴレソ

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92.5 彼方に失われた言葉

 私の飛ぶ速度の遅さに、これほど苛立ちを覚える日が来るとは思ってもみなかった。紅魔館までひとっ飛びだと思っていたのに、今は随分時間が掛かっているように思えてしまう。

 ……きっと私の焦りがそう感じさせているのでしょうね。

す自覚はしている。けれど、心臓の鼓動が乱れて仕方ない。頭に血が足りていないのがわかる。寒さ以上に身体が震える。嫌な想像が思考の片隅に居座って鬱陶しい。

 それでも全力で凍えるような風の中を必死に飛んだ。

 

「ああ、もう!」

 

 早く、速く、疾くしないと……間に合わない。私は眼下に広がる紅魔館に向かって一気に急降下していく。

 行く手を阻む結界は無理やり穴をこじ開けて通り抜ける。その際に体の端々や巫女服に傷がいくけれど、気にしていられない。さらには着地場所を見誤り花壇へ落ちてしまう。

 

「……我ながら無様な姿ね」

 

 私は口の中の土と共に自虐を吐き出す。こんな姿を誰かが見たらきっと笑われるでしょうね。どうでもいいことだ。

 私はすぐに立ち上がり、紅魔館の入口に向かう。私のプライドなんてちっぽけなことだ。それより急がないと。終わってしまう前に辿り着かないと。私が、止めないといけない。

 私は無駄にでかい正面扉を蹴り破り、館内に跳び込む。吹き抜けになったエントランス、その二階を見ると四人が待ち構えるように立っていた。

 レミリア、咲夜、輝夜、永琳が各々複雑な表情を浮かべながら私……いや、一階で膝を突く一人の男を見下ろしていた。

 

「……北斗!」

 

 それは凄惨な姿としか表現することができなかった。

 全身血だらけで、矢とナイフが何本も刺さっている。彼の肩が上下していなかったら死んでいたと勘違いしていただろう。部屋中に血の匂いが充満していて、壁にも血飛沫が飛んでいる。

 文字通り死に物狂いで戦う北斗の姿が目に浮かぶようだ。

 居ても経ってもいられず北斗の元に駆け寄ろうとするが、その踏み出そうとする一歩目を挫く様に地面に銀製のナイフが突き刺さる。

 私は階段に澄ました顔で立つ咲夜を睨み付けた。

 

「邪魔よ、退きなさい!」

「貴女こそ今すぐこの館から立ち去りなさい、霊夢! 彼のようになりたくなかったら、ね」

「四人掛かりで随分大口叩くじゃないの……!」

 

 私は悪態をつきながらお札とお祓い棒を構えようとするが、それを遮る様に枝を折るような音がエントランス内に響く。誰もが黙り込む。その音の出所は……

 

「まだ、だ……」

 

 北斗は刺さった矢を抜くのではなく、その矢柄の部分をへし折りながら立ち上がっていた。

 身体にはナイフも矢じりも刺さりっぱなしだ。まともに身体を動かせるはずがない。なのに、北斗は刀を握りしめ、一歩一歩……図書館へと向かおうとしていた。普通の人間ならもうとっくに死んでいてもおかしくない。意識があるのも不思議なぐらいなのに……

 

「どうして……そこまでするのよ……」

 

 身体を引き摺って歩く北斗に向かって輝夜が呆然としながら言うが、アイツには届いていない。ただ、もがき続けていた。

 そんな北斗を見て……永琳は苦々しい表情で首を振り、レミリアは顔を逸らしてため息を吐く。

 

「北……斗……」

 

 きっと私達には理解できない。命を賭けた戦い……私達は弾幕ごっこでそれを避けてきた私達には。

 幻想郷のパワーバランスは誰かが足を踏み外すだけで簡単に崩壊するほどに脆く、強者ほど争いを遊びにまで退行させなければならなかった。

 そんな世界でずっと生きていた私達に、あんな意志を持って行動できるのだろうか。幻想郷を元に戻したい、その程度の思いで……本当にそれだけ、で?

 千年もの時を生きた輝夜ですら北斗の行動は理解できないようで、髪を振り乱しながら駄々っ子のように叫ぶ。

 

「死ねないって言ったじゃない! 同じ時間を過ごしたいと言ったのは貴方じゃない! なのにどうして……!」

 

 それは雨の中の竹林で北斗が言った言葉だった。あの世まで追いかけてきそうな奴らに囲まれているからなんておどけながら言った……輝夜を納得させた言葉。けれど、それすら北斗には届かなかった。

 北斗は刀を床に突き刺し、何とか身体を支えようとするが……足元の血で足を滑らせ転んでしまう。それでもまだ身体を起こそうとする。

 私はその横顔から目が離せない。血を吐きながら、震える唇で呟いた音にならない言葉が……

 

 

 

「     」

 

 

 

 

 

「北斗……あの時、貴方はなんて言ったの……?」

 

 私は布団の中に潜り込みながら、答えの失われた問いを呟いた。

 あの時の北斗はもういない。何巡も前の時の彼方にいなくなってしまった。同じ顔、同じ性格の、北斗でもあの時の答えは……きっともうわからない。

 気付けば頬に涙が伝っていく。たかだか昔の夢を見た程度で泣くなんて……随分涙もろくなったものね。

 私は寝巻きの袖で頬を拭い、布団から立ち上がる。そして障子を開け放ち深呼吸する。冷たい空気が、眠気を一気に取り払ってくれた。

 

 

 

 着替えを終えた私は、朝の張りつめた空気の中、井戸の水で顔を洗う。手が赤くなるほどの冷たさだけれど、これできっと涙の痕は消えた。それでも居間へ向かう足取りは重かった。

 いつも通り北斗と話せる気がしない。この一週間を何回も繰り返したけれど、こんなに弱い自分を曝け出したのは初めてだ。

 そういえば火依にも見られていたのよね……本当に恥ずかしい。まあ、二人はこういうことでからかうような性格をしていないのが不幸中の幸いだけど。

 

「……よし」

 

 平常心、平常心……私は自分の頬を叩いてから、意を決して障子を開ける。そして先手必勝のつもりで、北斗と火依に挨拶しようと思った矢先……

 

「ねえ北斗まだー!? この私を待たせるなんて子分失格よ?」

「ぬう……妖怪ながら幽霊とは……面妖な!」

「お面な妖怪は貴女の方だけどねー」

 

 普段より賑やかな居間に、私は障子を開けた格好のまま固まってしまう。そんな私を、炬燵でくつろいでる天子とこころと火依が不思議そうに見つめてくる。

 

「霊夢さん、おはようございます」

「おそよう、何でそんなところで突っ立てるの?」

「なっ……えっ……」

 

 私は言葉を失い、鯉のように間抜けに口をパクパクさせてしまう。

 何度もこの朝を体験しているけれど、こいつら二人がいる状況は初めてだ。唖然とする私を見て……火依が堪えきれなくなったように噴き出した。

 

「あはは、霊夢、変な顔-」

「火依! なんでこの二人がいるのよ! あと笑うな!」

 

 私は火依へ突っ掛り気味に尋ねる。ついでに捕まえてげんこつの一つは落としてやろうとするけれど、するりと身体をすり抜けられて躱されてしまう。火依は普通の幽霊と違って触るも透けるも自由だから厄介だわ……!

 私達が不毛な追いかけっこを続けていると、台所から北斗がひょっこり顔を出す。

 

「ご飯で来たぞ……って霊夢、何してんだ」

「何してんだ、じゃないわよ! なんでこの二人がいるのよ!? 追い返しなさいよ!」

「俺がそんなことすると思うか? あとここにいる理由は俺にもわからないから本人達に聞いてくれ」

 

 北斗はそれだけ言うとまた台所に戻っていってしまう。まるで昨日のことなんて忘れてしまったかのような反応だ。私は悪い意味でいつも通りの北斗にモヤモヤにしながら、八つ当たり気味に天子とこころを睨む。

 

「で? 本当に何でいるの? あまり見ない組み合わせだけれど」

「何だか下が騒がしいから様子を見に来てあげたのよ。そこの妖怪とは偶々出くわしただけ」

「私は答えを聞きに来ただけだ。そしたら北斗に朝食を勧められたのだけれど……」

「……つまりどっちも北斗目当てってことじゃない」

 

 私はつい頭痛を覚えてこめかみを抑える。本当にどうしてアレはこういう奴らに好かれるのかしら? こんなだから里の人間に避けられるのよ。

 妖怪どころか天人神様閻魔様誰にも同じような接し方をして……敬意は払うが媚びへつらいはしない。頼まれ事は断らず、頼み事は誠意を持って頭を下げる。

 ……まあ、確かに嫌われはしない性格だとは思う。けれどそれを人間以外にも躊躇いなくやってしまうところが、北斗の悪いところだ。

 結局は人間のそれとまったく変わらない接し方なのだ。取らなければならない距離感をわかっていない。だから爪弾き者に気に入られてしまうのよ。おかげで博麗神社の妖怪神社化に拍車がかかってしまう。ゆっくりとお茶も飲めないじゃない。

 

「はぁ……」

 

 まったく……まったくまったくまったく! どうして北斗は変わらないのだろうか。この無限の時間の中、一方的に私だけがアイツの影響を受け続けてしまっているが悔しくて仕方がなかった。

 

「霊夢、なんでそんなところでずっと立ってるんだ?」

「えっ……?」

 

 いつの間にかお盆を持った北斗が私の顔を不思議そうに覗き込んでいた。妙に距離が近くて、思わずたじろいでしまうけれど、北斗は眉をひそめるだけでそれ以上聞いてこなかった。

 代わりに大根の煮物とごはんと味噌汁を炬燵の天板に並べながら呟く。

 

「あぁ、そうだ。霊夢、朝食終わったら出かけるから準備しといてね」

「は? 一体何処に……」

 

 そこまで言いかけたところで、私は言葉に詰まってしまう。

 もしかして紅魔館に行こうというのかしら? 一人で勝手に行かなくなったのは殊勝だけれど……行かせるわけにはいかない。私は北斗を止めようとするが……

 

「うーん……どこに行こうか? どこか行きたいところない?」

「……は?」

 

 その前に北斗が暢気な声音で首を傾げる。私は掛けようとしていた台詞が飛んでしまい、間抜けな声を上げてしまった。


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