「……こんなことして意味があるのか?」
私は気絶し倒れた北斗に視線を送りながら聖に尋ねる。
北斗を強くしてほしい、そう頼んだのは他ならぬ私だ。けれど聖がこんな乱暴なやり方をするとは思わなかった。しかも、私と吸血鬼の妹と覚り妖怪の妹にやられた演技までさせて……
「こんな念入りに舞台を整えてからこの仕打ち……もしかして、私怨?」
「まさか。私は北斗さんの為を思い、行動したのですよ、ぬえ」
聖はボロボロの身体で横たわる北斗の側に座ると、額に手を当てる。
隣では吸血鬼の妹と覚妖怪の妹が半べそをかきながら、北斗にしがみ付いていた。
まあ、無理もない。北斗が心配で、幻想郷中探し回るほど懐いてるようだしな。特にフランドールは吸血鬼なのに朝まで北斗を探していたらしい。
「ホクト……ホクト!」
「……失礼します」
聖はそんな二人を他所に、しばらく瞠目し魔力を高める。そして、ゆっくりと北斗に流し込み始めた。おそらく治癒の魔法だろう。聖は身体強化の魔法が得意だからな。明日には紅魔館のメイドにやられた分も含め、傷一つ残っていないだろう。
……ただ、アイツが精神的に立ち直れるかどうかは怪しいが。だからこそ、私はこの場で唯一人間だったことのある聖に聞いてみることにした。
「なぁ……人間は挫折から立ち上がったら、強くなるのか?」
「そういう人もいらっしゃいますが……大半の方は自分に限界を見て諦めます」
「そんな!? じゃあホクトは……」
フランドールが飛び上がって聖にしがみ付く。随分不安そうな顔をしている。
フランドールとこいしの二人には事前に昨晩に起こったことを伝えてあるが……フランドールにとってはかなりショックな内容だったらしく、しばらく動揺して動くことが出来ていなかった。
動揺の原因はメイドが北斗を傷付けたことに対してか、北斗が負けてしまったことに対してかは私にはわからないが……今のこいつは精神的に不安定な状況なのは確かだ。
そんな吸血鬼の妹を見た聖は真剣な表情を崩さないながらも、その肩を優しく叩いた。
「……それは北斗さん次第です。彼は十分に強い。少なくとも一つの異変を解決できる程度には。ですがこの幻想郷で強さの天井を見ればキリがありません。本当に力を欲するなら……手段を選んでいる余裕はないのです」
「……邪法に手を染めた聖が言うと説得力があるな」
「ぬえ! 聖に向かってなんて言い方を……!」
私の適当に言った皮肉に、星が目くじらを立てる。過剰反応だなぁ……
何であろうと、私は強い奴が好きだ。ただ人間が勝手に決める正義や悪に何の意味も感じないだけだ。聖も私と同じ考え……なのかは知らないけど、大した反応もなく声を荒げる星を制した。
「星、いいのです。事実、私は心の弱さ故にこの力を手に入れたのですから……」
「心の……弱さ?」
まるで懺悔のような呟きにこいしが小首を傾げるが、聖はそれに答えずに、お姫様抱っこで北斗を持ち上げる。
アイツが知ったらさぞかし凹むんだろうな……なんてぼんやりと考えていると、聖は北斗を抱えたまま本堂を出て行ってしまった。
「待ってください聖!」
星もその後を追おうとするが、その前にフランドールが立ち塞がる。長身の星と背の低いフランドールが対峙すると、何ともちくはぐ見えてしまうが……幻想郷では見た目で強さを推し量るべきじゃない。星もフランドールのことを警戒しているようで、たたらを踏むように数歩下がった。
星は毘沙門天代理としての威圧感を露わにしながらフランドールに話しかける。
「……これは北斗さん本人が望み、聖が考えた末の結果です。恨まれる謂れはありませんが」
「別に怒ってないわ。ヌエからお話は聞いてるし、ホクトのためにしてるってことはわかってるから。けど、どうしてあんなやり方をしたんだろうって気になって……さっきの人はあんまり教えてくれなかったから、貴女なら何か教えてくれるかな、って……」
フランドールは星の圧力に押されたのか、尻すぼみな口調で言う……だが、視線は真っ直ぐに星の顔を見据えていた。
何というか……随分健気だな。やっぱり北斗に惚れているんだろうか?……まあ、そんな邪推は置いといて、私も星の後ろに回り込む。
「私も気になるな。聖の答えじゃあどうにも理解できなかったし。それに……ダシにされた私達にはそれくらい聞く権利があるよな?」
「同感! このままじゃ納得できないし……北斗があんまりだよ!」
私の言葉に便乗するようにこいしも前に出てくる。普段は嫌に笑顔を貼り付けているのに、今は真剣な表情そのものだ。星は三人に囲まれしばらく固まっていたが……ふと、肩の力を抜いた。
「聖から何も聞かされていませんが、私の憶測でよければ話しましょう。せっかく天気がいいんです。外で話しませんか?」
外では響子と一輪が命蓮寺の屋根の雪下ろしをしていた。雪は積もっているが、空には薄雲すら見えないほどの見事な冬晴れだ。
私は屋根の上で動き回っている二人を横目で眺めながら、吐息を漏らす。なんでわざわざ外で話を聞かないといけないんだか……
「はぁ……眠い」
私が刺すような外気に顔をしかめていると、星が槍を後ろ手で持ち、グッと伸びをする。星はオンオフのスイッチが分かりやすい。まるで別人のように変わるあたり……本当に毘沙門天が乗り移っているのかもしれないな。
「さて、先程の戦いですが……貴方達三人にやられたフリをして貰ったのは彼の実力をほぼ最大限まで引き出すことが目的でしょう。彼の今の全力を図る必要がありますから」
「北斗のフルパワーを出させる……っていうと?」
こいしが本殿のグルリと囲む欄干の上で足をぶらぶらさせながら首を傾げる。普段なら行儀が悪いと叱られる行為だが、星はそれを咎めることなく見つめた。
「古明地こいしさん……そして、フランドールさん。貴方達ならわかるでしょう?北斗さんの強さは誰かを救おうとするときに力を発揮します。彼の性格もありますが、『影響を与える程度の能力』は思考や感情に依る力のようですから……」
「それは……」
「そうかも」
フランドールとこいしが一緒に頷く。同感だ。確かにアイツは誰かの為に戦うときが一番強い。それは何度も勝負を挑んだ私にはよくわかる。アイツが一番強かったのは、霊夢の為の戦っていた一番最初の……異変の時の戦いだ。
あの時は異変の影響を受けて強化されていたキメラの力にやられてしまった。きっと北斗の能力は『その状況で受けられる元々の影響の強さ』次第で、影響を受ける能力の強さも変わっていくのだろう。
アイツもそれを自覚しているからこそ、私やこいしの能力を選んで使ったのかもしれない。
「で、だ。北斗の本気を出させたいのはわかった。それで、どうしてわざわざ戦って負かさないといけなかったんだ?」
「それは聖も言っていましたよ。彼に限界を知ってもらうためです。今の『手段を選んでいる状態』では……ん?」
星は私の質問に答えようとして、唐突に言葉を途切らせる。
響子も一輪もスコップを持つ手を止めて、空を見上げていた。斯く言う私も……呆然とその光景を眺めることしかできない。
「空が紅く、染まっていく……」
さっきまでの蒼天は見る影もない。夕日の色を優に通り越した……例えるなら血のような真紅が空を侵食していく。
誰かが異変を起こしたのだろうか?それともただの自然現象?状況が飲み込めずに誰もがその異様な光景を眺めていた。ただ一人を除いて……
「紅い……霧……! まさかお姉様……!」
「フラン、どうしたの!? これがなんだか分かるの!?」
こいしが境内で立ち尽くすフランドールから聞き出そうとするが、吸血鬼は顔を真っ青にして俯くばかりで反応がない。
ふとフランドールの足元に目を向けると、ガタガタと足を震えていた。怯えている? ありとあらゆるものを破壊出来るコイツが、何をそこまで恐れる必要があるんだ……?
「お、おい、大丈夫か……?」
柄にもなく心配になってしまい、フランドールに話しかける。だが吸血鬼の妹が口を開く前に、空に聞き覚えのある声が響く。
『あー、あー! おい、パチュリー! これ本当に幻想郷全土に聞こえてるのかよ……ってもう始まってる? ちょ、なんか合図とかなかったのかよ!?』
底抜けに明るい、少女の声が大音量で空に放たれる。忘れたくても忘れられない太陽のような眩しいやつ。
『えーっと、初めてのやつは初めましてだぜ。霧雨魔理沙だ。普通の魔法使いだが怪しいもんじゃないぜ。今日はそのー、なんだ? みんなに断りを入れるために、こうやって幻想郷中に放送っていうのか? してるんだぜ』
行き当たりばったりな口調だ。昨日の真剣な表情の人物だとは思えない。けれど、それこそが魔理沙らしく思えて……私達は紅い空の事も忘れ、魅入られたように彼女の次の言葉を待っていた。
『私は今から異変を起こす。これはみんなが何も失わなくなる異変だ。いや、過去も未来も……ある意味今だって失っちまうかもしれない。けど、それでも……』
望む世界に変えてみせる。確か魔理沙はそう言っていた。 過去も未来も今もない、アイツが望む世界とは……
『私は明日なんていらない……過去なんて必要ない。失いたくないから! 私は!』
魔理沙の、大きく息を吸う音が聞こえる。その時、幻想郷中の時が止まったかのように静まりかえった。
『今日から一週間後、幻想郷は今日に戻る。一週間後が来るたびに何度も、何度も、何度も! 全てこの時間へと巻き戻る! 二度と八日目は来ない……幻想郷は今日から永遠の時間を生きる!」