白蓮さんには悪いが、深夜の寺はどうも薄気味悪いと思ってしまう。流石に神社の雰囲気には慣れた……というより元々張り詰めた神社の空気は嫌いではない。
だが寺のそれは何かいそうな気配が漂っていて……あまり好きになれなかった。まあ、妖怪寺と呼ばれている命蓮寺だ。何かいると感じるのも無理はない。そもそも隣にいるし。
「こんな真夜中にお邪魔して失礼じゃないか?」
「いいんだよ。どうせもうすぐ夜が明ける。みんな起きてくるさ」
「さいで」
俺は無気力に呟きながらぬえの後ろに付いていく。ぬえはここなら答えを出せると言っていたが……どうも気乗りしない。本当にこの場所でどうするべきか答えが出るのだろうか?睡眠不足と肩の傷からの出血で頭も回らなくなってきたからか、俺にはぬえの意図がまったく察することができなかった。
なし崩しに本殿前の大広間まで歩いていくと、突然ぬえが立ち止まる。勢い余って背中にぶつかってしまうと、ぬえが顔を赤くしながらこちらを睨んでくる。
「ご、ごめん。そんなに怒るなって」
「……ふん!まあ、いいさ。ちょうどお出迎えがきてるぞ」
「お出迎え……?」
俺が首を傾げていると、頭上から全身が泡立つようなプレッシャーが降りかかってくる。咲夜さんのような鋭い殺気とはまったく異質の、大きく重い覇者の威圧。
せめてもの反抗で屋根を見上げると、そこに眼を爛々と輝かせた虎がいた。いや……違う、人だ。槍を持った金の短い髪の女性が屋根に仁王立ちしていた。
彼女の姿……以前見た覚えがある。あれは宗教不信の異変の時だったか。
「こんな夜中に何か用か?」
女性の声に、俺は身を震わせて萎縮してしまう。彼女がどういった戦いをするかどうかは分からないが……勝てる気がしなかった。もう心が敗北を認めている。それほどまでの威圧感と存在感を放っていた。刀を抜く事すら出来ない自分の弱さに辟易としてしまう。
もしかしてぬえはこうやって諦めさせたかったのだろうか?だとしたら……有効な手だと褒めてやりたいよ。俺は後ずさりも声も出すことも出来ず、呆然と立ち尽くしていると……
「止めなさい星」
本殿から落ち着いていながらよく通る鋭い声が響く。そこには寝間着姿の白蓮さんの姿があった。それを聞いた星と呼ばれた女性は何も言わずに屋根から降りてくる。それと同時にさっきまで纏っていた威圧感が消えた。
俺は思わず口から吐息を洩らしていると、白蓮さんが俺の前まで歩いて来て頭を下げる。
「申し訳ありません北斗さん。御客人である貴方にとんだ粗相を……」
「い、いえ、こんな時間に連絡もなしに来たんですから警戒されるのは当たり前ですよ」
俺は畏まる白蓮さんを宥めていると、隣に立っていたぬえが手を頭の後ろで組みながら口を挟んでくる。
「聖、ちょっとこいつを鍛えてやってくれよ。心身ともにさ」
「ぬえ、北斗さんを巻き込んで一体何を……」
「頼む」
白蓮さんはぬえを叱ろうとするが、それより先にぬえが頭を下げた。俺は目を疑ってしまう。ぬえが素直に頭を下げるなんて……
白蓮さんも隣の女性も信じられないようで息を呑んでいる。だが、白蓮さんはすぐに気を取り直し、真剣な顔を俺に向けた。
「……詳しく話を聞きましょうか。その前に傷の手当てを。星、用意を」
目蓋に眩しい光を受けて、俺の意識は覚醒する。怠い身体を持ち上げあたりを見回すと、神社のそれより新しい障子と畳の部屋にいることがわかる。布団も真新しい。
……眠っていたみたいだ。もしかしたら血液不足で気絶してしまったのかもしれない。怪我の手当てを受けていたところまでは覚えているのだが、それ以降の記憶がぽっかりと抜け落ちていた。
「はぁ……」
……今日のうちに何回自分に幻滅すればいいんだろうな。もう情けなさすら感じなくなってきたぞ。俺は憂鬱な思いを抱いたまま布団から起き上がると、布団横に誰かがいるのに気付く。狸の耳に尻尾、彼女は……
「おお、ようやっと起きたか。働き者だと聞いていたが以外とお寝坊さんじゃのう」
「貴方は確か……マミゾウさん、でしたか。命蓮寺に住んでいたんですね」
「居候させてもらっておるだけじゃよ」
居候はともかく、マミゾウさんが命蓮寺に住んでいるというのは意外だった。勝手なイメージだが、マミゾウさんは宗教と縁遠い妖怪に思えたんだが……まあ、それを言ったらぬえもか。
そういえば前の異変の時、マミゾウさんはぬえと一緒に居た。鵺を倒した後のことを引き受けてくれたんだが……なるほど、同じ場所に住んでいたのか。
俺は一人納得していると、マミゾウさんは煙管で火鉢の縁を叩いた。そして新しい刻み煙草を煙管の先にある詰め始める。
「……それはさておき、お主とは先の件で話をしておきたくてのう」
「先の件……キメラ化について、ですか?」
「そうじゃ。ぬえとの弾幕ごっこでしかと見せてもらったぞよ。今やお主は人間でありながら『真の意味で妖怪にもなれる』存在じゃ」
俺はマミゾウさんの含みのある言い方に眉をひそめる。そう、それは霊夢が、紫が、危惧していた半妖化だった。本来人間から足を踏み外したものに霊夢達は容赦しない。そうしないのは……
「お主がのうのうと生きていられるのは、お主が人であることを止めていないからか、はたまたあの幻想郷の統治者共が情にほだされておるからか……」
「………………」
「どっちじゃろうな?」
マミゾウさんが眼鏡をくいと上げながら顔を覗き込んでくる。
……俺は霊夢でも紫さんでもない。そんなことわかるわけがないじゃないか。
「むしろ俺が知りたいくらいですよ」
俺は吐き捨てるように言い放つ。そして好奇にまみれた視線を無視して布団から起き上がった。誰も俺に何かしら期待してるようだが、煩わしいのはもう沢山だ。血が足りずふらつくが構わず、枕元にあった大刀を腰に差してから障子を開け放つ。すると見知らぬ女の子とばったり鉢合わせになってしまう。
グレーの髪の小柄な女の子だ。ネズミのような丸い耳と尻尾のおかげで一目で妖怪だとわかる。寺の人だろうか?女の子は俺を見上げ不機嫌そうに言い放つ。
「もう少し障子は静かに開けてくれ。何事かと思ったじゃないか」
「あ、ごめんなさい」
反射的に謝ると、女の子はそのまま俺の目の前を通り過ぎようとする。が、何かを思い出したように立ち止まりこちらに向き直った。
「あぁ、そうだ。ご主人がお前のことを呼んでいたぞ。起きたら本殿に来るようにだとさ」
「は、はぁ」
「確かに伝えたぞ」
女の子はサバサバとした態度のままどこかに行ってしまう。結局何者かはわからなかったが……さすが妖怪寺、三歩進めば妖怪に会えるなんてな。
それにしてもご主人って……白蓮さんのことだろうか?首を傾げていると、後ろからカン、と叩く音がする。振り向くとマミゾウさんが煙管を手の中で回していた。
「あれはナズーリンじゃ。たまに神社来て『ご主人』の様子を見に来るのじゃよ」
「ご主人……?誰のことですか?」
「さあのう、行けばわかることじゃて。ほら行ってこい」
「は、はい」
俺はマミゾウさんに促されるまま本殿に向かう。どのみち白蓮さんに事情を話さなければならないし、手当てのお礼もしないといけない。
廊下をしばらく歩くと本殿に辿り着く。そういえばここに入るのは初めてかもしれない。
俺は独特の雰囲気に緊張を感じながら、本殿の中に入る。すると、広い木の床の上に見慣れた三人の女の子が倒れていた。その容姿を見間違えることはない。
「フランちゃん、それにこいし、ぬえまで!どうしたんだ!?」
ぬえはともかく、何でフランちゃんとこいしがここに……なんて考えている場合じゃない。急いで駆け寄ろうとするが、今朝感じた威圧感に脚を止めてしまう。倒れている三人のその奥に、昨晩会った金髪の女性が立っていた。確か……
「星さん、でしたか。三人に一体何をしたんですか?」
「……来ましたか。毘沙門天代理の寅丸星と申します。この三人は我儘が過ぎたのでちょっとお灸を据えさせてもらいました」
「………………」
俺は目が座っていくのがわかる。三人が何をしたかはわからないが、こんな仕打ちを受けないといけない程だったのか?毘沙門天の代理だか何だか知らないが、許せない。
怒りが自然と身体を前に進ませていた。俺は三人を庇うように目の前の女性へ立ち塞がる。明確な敵意に星さんも気付いたようでゆっくりと槍を構えた。
「貴方にもお灸が必要ですか?」
「……そのセリフ、そっくりそのまま返します」
俺は大刀を抜き、息を吐く。昨晩は戦うことすら出来ないと思ってしまったが、今は彼女の威圧を真正面から受け止められている。
静寂は一瞬のみ、張り詰めた空気は瞬く間に弾け剣と槍先が交差した。