東方影響録   作:ナツゴレソ

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85.5 祈りの吸血

「はい、ホットミルク。寒かったでしょ。今火依がお風呂沸かしてくれてるから、もうちょっと待ってね」

「う、うん。ありがとうホクト」

 

 私はホクトからマグカップを受け取り、お礼を言う。するとホクトは軽く手を振りながら台所に戻っていく。どうやらお夜食を作ってくれてるみたい。

 ホクトに借りたはんてんを羽織ってしばらく炬燵に座っていたおかげで、体は十分暖かくなっている。お腹もさほど空いてない。けれど、やり過ぎだって思えるくらいの厚意が嬉しくて、断る気が微塵も起きなかった。

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

 熱々のホットミルクに息を吹きかけて冷ましていると、炬燵の反対側のコイシがマジマジと私を見つめてくる。コイシもホットミルクを渡されているはずなのに、口も付けずに視線を逸らさない。流石に気になった私はマグカップを置いて尋ねた。

 

「コイシどうしたの?」

「……やっぱり北斗は優しいなって」

「うん、私もそう思うけど……なんで私を見ながら言うの?」

「さあ……なんとなくかなー」

 

 コイシははぐらかすように笑ってマグカップに口を付けた。

 結局コイシが何が言いたいのかはわからなかったけれど……ホクトが優しいなんてみんなが知ってる。その優しさに沢山の人達が救われた。コイシがそうだったように、私がそうだったように。

 ホクトは初めて会ったばかりの私のために、自分の命を賭けてくれた。ホクト自身、色々思うところがあったのかもしれないけれど……そんなの関係ない。

 

「私にとってホクトは私の世界を変えてくれたヒーローだから……」

 

 私ははんてんの裾を握りしめながら未だ北斗に言えなかった言葉を呟く。

 みんなを助けてくれる正義の味方、そして……私に持っていないものを持っている憧れの存在。誰かに変わらず向けられる優しさを持ったヒーロー、それがホクトだ。

 もし、私にホクトの優しさの一欠片があったら、今みたいにホクトに迷惑をかけなくて済んだのかもしれないのに……

 私はそんな後悔の念をホットミルクと共に飲み込んだ。

 

「……熱い」

 

 私は喉を通っていく熱い感覚に顔をしかめてしまう。煮え湯を飲まされたようだ、なんて笑えない表現を思いついて、私はため息とも吐息とも区別のつかないものを吐いた。

 

 

 

 お夜食を食べ終え、お風呂に入ってきてからもホクトとコイシは私の家出を聞こうとはしなかった。 ホクトは私とコイシ分のお布団を居間に敷くと、霊夢の様子を見に行ってしまった。

 コイシは興味がないんだろうけれど……ホクトは私を気遣ってくれているのがわかる。

 気持ちは嬉しい。けれど、本当はホクトに聞いてもらいたかった。また私を助けてほしかった……っていうのは甘えているってことになるのかな。

 

「……よくわからないな」

 

 私はお布団の中でボロボロの天井を見つめながら呟く。

 火依から借りた寝間着は少し丈が長いけれど着心地はよかった。ちょうど、背中に羽用の穴も空いてるし。

 ちなみにコイシはタンスから北斗のシャツを取り出すと、勝手に着替えてすぐに眠ってしまった。少し寂しいけれどこれで気兼ねなく独り言し放題だ。

 

「地下に閉じ込められていたときも、静かな時間が耐えられなくてずっと一人でぬいぐるみに話しかけていたなぁ……」

 

 あまり思い出したくない記憶。けど、私はあの時の私を不幸だなんて思っていない。勿体無い過ごし方をしたなぁって後悔はするけれど……それなりに幸福だった。

 これは強がりなんかじゃないよ。地下室は退屈だけれど安全で傷付かない居心地のいい場所だった。そして私は間違いなく姉様に与えられた世界で満足していた。

 

「……霊夢と魔理沙に出会うまでは、ね」

 

 籠の鳥として生きていた私にとって二人は眩し過ぎた。霊夢と魔理沙の生き方は自由気儘で、好き勝手で……ずっと二人に憧れた。

 けれど、今の魔理沙は何かに囚われているようだ。私が今自由になってるから相対的にそう見えるだけかもしれないけれど……どうもらしくないって思ってしまう。ううん、それを言うなら……

 

「霊夢も、かな」

 

 私は目を瞑ってうつ伏せに寝返る。お布団はフカフカ、暖かいお夜食に服……地下室にいた時より恵まれた環境なのに眠れそうになかった。

 しばらくゴソゴソ寝る向きを試行錯誤していると、今の障子が少しだけ開く。

 どうやら北斗が様子を見に来たようで隙間から覗いた目とバッチリ合ってしまう。すると北斗は障子を少しだけ開けて、そっと手招きしてくる。

 誘われるまま北斗のはんてんを着てから廊下に出ると、外はしとしとと静かに雪が積もりかけていた。ここに来るまでは全然降ってなかったのに……雪の妖精でも通ったかしら?

 

「やっぱり眠れない?」

 

 北斗は雨戸に背を預けながら聞いてくる。片手には本を持っているけれど、読もうとする様子はない。パチュリーだったらどんな真面目な相談でも他愛もない与太話でも読書を続けるから、別に気にしないんだけどなぁ……

 それでもホクトが私と真剣に向き合おうとしてくれているのはわかって、心の奥がポカポカとしてくる。

 私はいつも霊夢がしているように縁側に腰掛けて、足を庭に向けて放り出す。そしてしばらく二人で雪が積もっていく景色を眺めた。

 

「私……お姉様と喧嘩したの」

「えっ……?」

 

 しばらくして私が前置きも何もなく呟く。するとホクトが驚きながら振り向く。

 綺麗な景色に見とれていたとこもあったけれど、私はどう話掛ければいいか迷っていた。だから、無理やり捻りだした言葉だったから変に思ったのかもしれない。けれど、ホクトは一つ息を吐いてから、何事もなかったように外に視線を戻す。

 

「そうか……何があったか聞いても?」

「うん……聞いてほしい、って思ってる」

 

 むしろホクトに話さないといけない話だと思うし……

 私ははんてんを抱きしめながら、今日あったことを話し始めた。

 

 

 

 

 

 日没間近、私は魔法陣を使って紅魔館に戻った。咲夜はもう少しだけ残ってホクトと霊夢の様子を見てから帰ると言っていたから、一人での帰宅だ。

 咲夜を連れてきたときは碌な説明も出来なかったから、きっとお姉様達は心配しているだろう。魔理沙の事、どう話そうかな……?

 私がマフラーを外しながら図書館の本棚の間を歩いていると……

 

「本気なのね……魔理沙」

 

 お姉様の声が聞こえて、私は息を呑んだ。今、確かに魔理沙って呼んだ。つまり……

 私はスカートが汚れるのも無視して四つん這いになって本棚の陰から様子を伺う。すると、図書館中央に置いてある机を挟み、お姉様とパチュリー、そして魔理沙が話をしていた。

 お姉様は頬杖を付きながら、魔理沙は椅子にもたれ掛りながら、パチュリーは本を読みながらの会話。よく見かける光景だけれど……三人とも明らかに普段の表情とは違っていた。

 

「あぁ……私は本気だぜ。霊夢を本気でぶっ倒すほどにな」

「そう、よく分かったわ……」

 

 お姉様はしばらく眼を瞑って考え込みはじめた。図書館に水を打つような静けさがやってくる。音をたてないよう必死に身体を縮めこませていると、ふとお姉様が不敵に笑う。

 

「貴女の計画、私も乗ったわ」

「なっ……」

「レミィ!?正気!?」

 

 魔理沙とパチュリーが同時に声を上げる。私も口で押えていないと声を出してしまいそうだった。何をしようとしているのかはわからないけれど……お姉様は魔理沙が起こす異変に加担しようとしている。

 お姉様は知っているんだろうか? 魔理沙がやったことを。霊夢とホクトがどうなったかを。

 

「……知らなくても知っていても、止めないといけないわ」

 

 だから私は立ち上がった。隠れることをやめて、堂々とお姉様の前に出る。

 お姉様は唐突に私が現れても驚かなかった。むしろ私に水を差されたことに起こったようで、怒りの視線を向けてくる。

 ……怖くない、怖くない。そう言い聞かせて、私は大きく息を吸って叫んだ。

 

「駄目だよお姉様! 魔理沙はホクトと霊夢に酷いことをしたんだよ!? なのに……どうして魔理沙を手伝うの!?」

 

 私はあえてホクトと霊夢の名前を上げて言う。これはお姉様に対しての言葉だけれど……魔理沙への思いも込めていた。それを聞いた魔理沙はピクリと肩が跳ねた。顔は深く帽子を被られてわからない。

 私は魔理沙に詰め寄ろうとすると、それを遮るようにお姉様が立ち上がった。

 

「フラン、下がりなさい。この話は貴女には関係ないわ」

「関係なくないわ! だって、ホクトと霊夢が……」

「いいから大人しく部屋に戻りなさい、フラン!」

 

 お姉様の叱咤で、身体が竦み上がる。この感覚……あの時と同じだ。初めてホクトにあった時と……

 お姉様は一度言い出したら引き下がらない。きっと力ずくでいうことを聞かせに来るだろう。

 ……そんなお姉様を壊したい。酷いことをした魔理沙を壊したい。以前まで心の底を埋めていた感情がまた湧き上がってくるのを必死で抑える。

 今の私は、あの時の私とは違う。もう嫌なことがあってもむやみに暴れたりしない。

 それに……今暴れたら、きっとまた閉じ込められてしまう。そうなったら……ホクトにこのことを伝えられない。私は変われた。ホクトのおかげで、ホクトと一緒に。だから……

 

「お姉様は……何もわかってない」

 

 私は図書館の天井隅を狙って、強めに弾幕を放つ。すると、その区画が爆発し大きな穴が空く。冷たい空気が流れ込んできた。穴の間からは夜の曇り空が見える。狙い通り地上に出ることが出来たみたい。

 

「わ、私の図書館に穴が……」

「フラン! 止めなさい!」

 

 パチュリーが顔を真っ青にさせながら呟き、お姉様が声を荒げる。パチュリーには悪いとは思ってるけれど、今は無視だ。私は飛んで穴を背を向けるように振り返る。鋭い目つきで睨むお姉様を見下ろしながら……もう一度、大きく息を吸う。そして……咲夜の編んでくれたマフラーをお姉様目掛けて投げつけた。

 

「お姉様の馬鹿! 分からず屋! ちんちくりん! お姉様が謝るまで絶対帰ってこないから!」

「なっ、こ……」

 

 思いの全てを吐き出した私は、お姉様の返事を待たずに穴から外に出る。刺すような外気に思わず震えてしまう。けれど、紅魔館に戻るつもりはなかった。

 

 

 

 

 

 そこまで話すとホクトはゆっくりと立ち上がって、私の頭を撫でた。優しく髪を梳かしてくれている。そのむずがゆくも幸せな感覚に、私は羽をパタパタさせてしまう。

 

「ほ、ホクト……マジメな話をしてるのに、くすぐったいよ……」

「ごめんごめん。けど……フランちゃんが約束を守ってくれたことが嬉しくてつい、ね」

 

 約束……それは地下室でホクトと交わした、私にとっての始まりの言葉。けれどホクトは勘違いしてる。約束を守ってくれたのはホクトの方だよ? 私のしたいことを叶えてくれたのはホクトなんだよ?

 私は頭を撫でるホクトの手を取ると、両手で握りしめる。

 

「ねえ、ホクト。ホクトは今から……」

「……紅魔館に行くよ。魔理沙とレミリアさんに真意を問いたださないといけない」

「だったら私も!」

 

 行くと言おうとした口を、ホクトが指先で止めた。ちょっと冷たい体温が伝わってきて、ドキドキしてしまう。そんな私の様子を知ってか知らずか、ホクトは指で口を塞ぎながら廊下で片膝を付き、硬い笑顔を浮かべた。

 

「ごめんけど、一人で行かせてくれ。向かい合って話したいんだ、俺一人で。二人ともに対して、ね」

「む……」

 

 私からしたらホクトが二人のうちどちらが相手でも勝ちそうにないから言ったのに……

 けれど、ホクトの顔は真剣だ。きっと意見を曲げないでしょう。つい不貞腐れてしまう。と、私は唇に付いた指が目につく。

 ……いいことを思いついた。私はその指を掴んで犬歯を突き立てる。

 

「……はむ!」

「痛っ……ちょ、フランちゃん!?」

「……ふぁいてほないほふるふぬいふぬ」

「何ってるかわからないけど……貧血で倒れないくらいにしてくれよ」

 

 ふふ、どーしよーかなー? このままずっと吸っていたいくらい美味しいから吸いすぎちゃうかも……なんてね。

 私はホクトの指先から微かに流れる血を舐めながら祈る。必ず帰ってきてね、と。まだまだ、私のしたいことは残ってる。それには……ホクトも、霊夢も、魔理沙も、そしてお姉様も必要なんだから。


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