「はぁはぁ……」
魔力枯渇は魔女にとっては致命的だ。特に、人間の私にとっては。
弾幕ごっこ出来ないのはもちろんのこと、飛行から家事も、自身の命を魔力で繋いでいるやつだっている。
使い方によっては様々な使い方ができるのは魔力の利点だが……当然依存し過ぎれば弱点になる。たとえ妖怪に属するとされる魔女でも魔力が尽きればただのひ弱な人間だ。それを知っている魔女は無闇矢鱈に魔法は使わない。料理も洗濯も、なるべく自分の手で行ったり、使い魔にやらせる。……たまに魔法使ってサボる時もあるけどな。
それにしても……いつ以来かな、頭痛がするほど魔力を使い切ったのは。私は適当な林の木にもたれ掛って、魔力回復を待っていた。まさか箒で飛ぶことすらできないほど消耗するとは思わなかった。
……やっぱり世界の理に干渉するにはそれなりの代償がいるってことなんだろうな。
私は緩慢な動きで帽子に積もる雪を払った。その拍子に口に入ってしま咳き込んでしまう。
「ッ……こりゃ辛いな」
つい誰もいないのをいいことに弱音を口走ってしまう。私一人でやり切ると決めたはずなのに、最初の一歩でこんな有様じゃあこれから先の道程が思いやられる。
……もう賽は投げちまった。後戻りもコンテニューできない。背水の陣だ。だから、私がどんな悪役になろうとも、絶対に願いを叶えて見せる。
私は気に身体を預けながら立ち上がって、八卦炉を構える。すると木の陰から藍色の翼が現れる。
「ぬえのやつは撒いたんだがな……どうやって付いて来たんだ、火依?」
「……幽霊は人に憑くものだよ、魔理沙」
「私に憑依してたのかよ。道理で疲れるわけだぜ」
「一回三途の川渡ったらできるようになった。こうでもしないと魔理沙に付いて行けないよ」
火依は平然とした様子で言う。
そういえば火依のやつ弾幕ごっこの途中からまったく姿が見えなかった。もしかしたらあの時点から私に憑いていたのかもしれないな。だが心底優しい火依がボロボロになった霊夢と北斗を置いて私を追いかけるなんて、想像もつかなかったぜ。
私は八卦炉を構えたままで片手に箒を取る。この疲労度合いで弾幕ごっこか……しかも普段からあまり弾幕戦をしない火依との戦い。この魔力の残りで初見スペカを突破できるだろうか?
いや、やるしかない。これからもっと追い込まれた状態で、より強い相手と戦わないといけなくなる。それに本気の霊夢に勝ったんだ。やれないはずはない!
と、内心で戦う気力を高めていたんだが、火依は一向にスペカを抜かない。それどころか私と向かい合う様に地面に座り込んでしまう。私はいつもより低い声で、火依に尋ねる。
「どういうつもり、だ?」
「私は北斗と霊夢の仇を打ちに来たわけじゃない。私は、魔理沙と話に来たの」
「話にって……ああ、わかった。北斗に頼まれたな? あいつ、こういう所は鋭いからなぁ……」
「ううん、北斗には何も言ってない。私がそうしたいからしてるの」
純真無垢な瞳が私を貫く。視線がバッチリ合ってしまい、私はつい顔を背けてしまう。
やめろ、やめてくれ……そんな目で見られたら鍵を掛けて心の奥に放り捨てていた罪悪感が溢れ出してしまう。自分が正しいことをしてるかわからなくなる、足元がおぼつかなくなっちまう。
八卦炉を握る手が下がってしまう。火依はそれは会話してもいいと受け取ったのか、微かに笑みを浮かべた。
「ありがとう」
「謝るくらいなら何も聞いて欲しくないんだぜ」
「……話してくれるのが一番いいけれど、答えてくれないのわかってるから。けど、一つだけ聞きたいの」
「……なんだ?」
私は頭の上の帽子を握り締めながら、聞き返す。すると火依は誰かさんの真似か、息を一つ吐いてから口を開く。
「魔理沙は、霊夢と北斗が嫌いになったの?」
それは今まで食らった中でもっとも痛いと感じた一撃だった。一撃で身体に穴が開いたような衝撃と空虚感。それでいてじんわりと痛覚を、感情を、心に纏っていた鎧を蝕んでいく。
私は耐えきれず箒を掴み、立ち上がる。魔力が戻ったかなんて確かめない。一刻も早く火依の前から逃げ出したかった。そんな私の背に、どこまでも甘く、甘く、甘く……優しい言葉がかけられる。
「私じゃなくてもいい、霊夢や北斗じゃなくてもいい! だから、誰かに話してみて! 私は、魔理沙が」
それから先は魔力の爆発と風切り音が搔き消してくれる。行き先なんてどうでもいい。とにかく、一人になりたかった。私は後先考えずにただ前へ前へ飛んだ。
だが習慣ってものは末恐ろしい。こいしが無意識にでも北斗のところへ行っちまうのも頷ける。
紅魔館の大図書館、その端の端の本棚に寄りかかりながら内心で笑ってしまう。ま、博麗神社に行かなかったマシだと思っておくか。
私は自分の身体を抱きしめながら吐息を漏らす。冬の空を全力疾走したせいで体の芯まで冷え切ってしまった。常に常温の図書館が寒く感じるほどだ。
それにこの図書館のジメジメとした雰囲気と古書の匂いは落ち着ける。魔法の森もジメジメしてるからなぁ……なんて、私ナメクジみたいじゃないか。
いつもなら本の一冊二冊取っていくところだが、とてもそんな気分にはなれなかった。頭を使いたくない。泥のように眠ってしまいかったのだが……この図書館ではそれは無理そうだ。
「こんなところで何してるのかしら? 『水符「ジェリーフィッシュプリンセス」』」
上空から巨大な水泡に包まれたパチュリーが下りてくる。それだけじゃない、私の退路を断つように泡が宙に漂っていた。前に言ってたっけな。この図書館にいるやつは大抵わかるって。
私を帽子を脱いで白旗代わりに振ってみせる。
「弾幕ごっこならできないぜ。魔力切れで空一つ飛べすらしないんだ」
「私は貴方の人間にしては相当魔力を持ってると評価していたのだけれど、どんな魔法を使ったのかしら?」
「私も自負していたんだけどな……本は借りてかないからせめてゆっくりさせてくれ」
「借りるじゃなくて持って行く、でしょう?」
パチェリーはジト目で私を睨んでいたが……おもむろに私に本で顔を隠しながら、小さな声で呟いた。
「……まあいいわ。ゆっくりするならせめて床じゃなくて椅子に座りなさい。その方が私も貴女を見張りやすいし」
「素直じゃないなぁ……っと」
私がニヤけ顏をしていると、パチュリーは顔を真っ赤にしながら本を投げつけてくる。大事な過去の知識を投げるなよなぁ……と言いたかったが、変わらず私に接してくれることが何より嬉しくて、口に出せなかった。
「で、何をやったの?」
パチュリーは眼鏡を掛けながら、私に聞いてくる。相変わらず本を読む手は止まらないが、意識が私に向いているのがわかる。
私は慌ててどう誤魔化そうか考えようとするが、それより早くパチュリーの口が開く。
「博麗神社で派手に暴れたらしいじゃない。フランが半泣きで助けを求めてきた時は流石に驚いたわよ」
「……霊夢達はどうだって?」
「フランは死んじゃうなんて大げさに言っていたけれど、咲夜が神社に行ったし心配することはないと思うわよ」
「そうか、それは……」
よかった、と言いかけたところで私は口を噤む。
そんなこと言える立場じゃないのに……さっき言われたことを引き摺ってるのか、私? ううん、きっと私が火依や北斗に感化されているからかもしれない。どうも外の世界から来て間もないあの二人は人の良さが目立つ。
外の世界から流れ着いたものが幻想郷の文化、環境を変えることがよくある。例えば一冊の本、例えば一人の人間……世界はいつだって好き勝手に変化していく。時に人の思いごと、時に人の思いを置き去りにして。
「……魔理沙?」
パチュリーが怪訝そうに私の名前を呼ぶ。私は対面に座るパチュリーを見据えた。こいつの魔法知識は幻想郷一だ。もし力を借りれるなら……なんて、考えてしまう。一人でやるってあんなに意固地になっていたのに。けれど、焦燥が私を急かしてきていた。
怖かった。明日には何かを失っているかもしれない。それがどうしようもなく、身体が震えてしまうほど、恐ろしかった。嫌だ。私は今が好きなんだ。私は変わりたくない、私は……
もう手段を選んでいられなかった。一人じゃやりきれないかもしれない。なら、私は……
「なあパチュリー……」
「ど、どうしたのかしら改まって……?」
パチュリーが顔を紅くしながら聞いてくる。私は帽子を膝に置き、それを両手で握りしめながら……意を決して言い放った。
「もし、明日が来なくなる魔法があったら……どう思う?」