今日の北斗の調子がおかしい。
どこかうわの空で、いまいち魔術の操作に集中しきれていない。やる気がない、なんてことはないでしょう。わざわざ魔法の森までやってきて、頭を下げて教わっているのだから。
「魔力の流れが乱れているわよ。流れは均一に、身体で覚えなさい」
「はい……」
注意してみるけれど、上の空の返事しか返ってこない。私はつい額に手を置いて吐息を吐いてしまう。
パチュリーの講義と並行しながら魔術を教えて数ヶ月、ようやく魔術の基礎を教え終わり、応用に入ろうとしたところなのに……こんな北斗は初めてだ。
暖炉が効いた部屋の中で必死に木偶人形を操っているが、木偶の動きは鈍くたどたどしい。部屋が暑過ぎるのかしら?
「上海」
上海に窓を開けさせながら、無言で北斗の様子を見守る。
私は彼の集中力をそれなりに評価していた。私達魔法使いのように長時間横目を振らず没頭するわけじゃないけれど、切り替えが上手いと言えばいいのかしら? 瞬間的な集中をコントロールするのが上手い。
しかも反復練習好きで、剣術や体術の鍛錬を続けながら魔術の訓練も欠かしていない。理解度、飲み込み、覚えも悪くないので日に日に上達していく。教える側からすれば教え甲斐のある楽しい弟子だ。
今だって、木偶人形を集中出来ていないなりには操作出来ている。ここまで辿り着くのに1年程は掛かると思っていたのだけれど……
まあ、彼も普通の人間だってことか。たまには集中できない時だってある。むしろ今までうまく行き過ぎていたのかもしれない。
私は篭った空気を換気しても、様子の変わらない北斗の肩を叩いた。
「北斗、少し休憩しましょう」
「いや、もう少し……」
「このまま続けても効率が悪いだけよ。お茶を入れるからしばらく頭を冷やしなさい」
「……わかった」
にべなく言ってみせると、北斗は渋々と手を止めた。私は北斗が息を吐いたのを見て、台所へ向かう。そして紅茶とカボチャのマフィンを用意し、一緒に差し出す。
けれど北斗はただ紅茶の水面を見つめているだけで、手を付けようとしなかった。これは思った以上に深刻なのかもしれない。そう感じながら私は北斗の正面に座る。
「で、何があったのかしら?」
そして頬杖を突きながら尋ねる。
……あまり他人のプライベートを詮索する趣味はないのだけれど、このままの状態で彼に何を叩き込んでも無意味だろう。一度始めたことを中途半端で終わらせるのは気に入らない。しばらく無言の圧力をかけて答えを待っていると、おずおずと話し始める。
「……ちょっと俺の能力について、考えていたんです。本当に俺には『影響を与える程度の能力』しかないのか、って」
「どういうことかしら?」
私は眉をひそめる。いまいち彼の言っていることが分からなかった。言った本人も伝わっていないのを察したのか慌てて両手と首を振った。
「いや、何というか……ある人に言われたんです。俺には影響力を操る以上の力を持っているんじゃないか、と。例えば人の行動を自在に操ったり……」
「……それなら以前やった実験で出来ないって証明したじゃない」
私は首を傾げながら首を捻る。というのも、かねてから北斗の能力を図るため様々な実験に協力して貰っていた。
例えば影響の力でギャンブルに勝てるか検証してみたり、虫や小動物からも影響を受けられるのかやってみてもらったり等々……
彼の能力を魔術に応用できれば、私の目的である完全なる自立人形のヒントになると思っての実験だったのだけれど……今のところは何も掴めていなかった。
……閑話休題、それの一環として私や上海の選択を操作できるかどうか検証したことがあった。
赤、青、黄色、緑のカードを用意し、先に北斗がその四枚から一枚を選びメモをしておく。その後北斗はそのメモしたカードを取らせるよう力を使って私達を誘導させる。その上で私か上海にメモした色のカードと同じものを選ばせられるか統計を取っていく、というものだ。
結果から言うと、ある程度は成功した。同じカードを選ぶ確立は単純計算に計算すれば四分の一なのだけれど、北斗は半数以上当てることに成功した。
彼が幻想郷で起こしてきた異変の規模を考えたら幾分地味な結果だと思えてしまうけれど……魔法使いとしては興味深い内容だ。
乱数を操作するのは事象を操作する魔術であるのに、人の意識を向けさせる力というのは一種の呪いのようにも思えて面白い。けれど、この統計によって北斗の能力は人を完全に支配することはできないと証明できたはずだ。
……なのに彼は何を悩んでいるのだろうか? 北斗は天を仰ぎながら再度首を振った。
「それはわかっています。けれどそれは俺の力が未熟なだけで、いずれはそんなことも……」
「出来るかもしれない、と? まるで絶対神ね」
「今の能力でも持て余しているのに、そんな力はいらないんです。ただ、俺は強くなりたいんです。みんなと同じくらいに……」
ようやく悩みを吐き出した北斗はそれを流し込むように紅茶に口を付ける。
……まあ、なくはない話だと思った。彼の能力は日に日に進化している。最初は無意識的に影響を与える存在だったけれど、今や自分自身に他人の影響を与えることで、身体を変化させることだって出来る。
これ以上先に行けば自分はどうなるのだろうか、なんてつまらない不安を抱いているのだろう。
「……中途半端ね」
つい冷たい言葉が口を衝く。私は紅茶を一口飲む。茶葉の香りが広がっていくのが分かる。一息吐いてから、北斗へ視線を向ける。
「貴方は強くなりたいから魔術を教わっているのでしょう? なのに自分の能力が強くなるのは怖いのかしら?」
「けれど、俺は幻想郷に、みんなに迷惑をかけるのは……」
「嫌かしら? 何かを望むなら、そんなもの捨て置きなさい。迷惑なんて掛けて当たり前。現に私にも迷惑は掛けてるじゃない。気にしてるならそっちも気にするべきね」
「………………」
「望みがあるなら、何もかも利用する。それくらい貪欲になりなさい。変化を恐れる必要なんてない。自らの願望を成就させることこそ、魔法の本質よ」
……つい偉そうに言ってしまった。説教なんて私らしくないのだけれど、次々と浮かぶ台詞は止まることがなくて、気付けばこうなってしまった。けれど北斗は怒るでも嫌そうな顔をするでもなく、目を丸くして私を見つめていた。
マジマジと注がれた視線がむず痒くて、私は思わず顔を逸らす。
「な、何かしら……?」
「いや……なんというか、アリスさんらしくない熱を感じたもので」
「……まあ、自分でもそう思うわ」
だって……これは魔理沙の受け売りだもの。
『魔法は恋を叶えるためにある』……何の目的もなく魔法を使っているような奴だけれど、誰よりも魔法の可能性を信じているのは魔理沙なのかもしれない。
そういえば、ここ最近魔理沙を見ていない。普段なら頼んでもないのに様子を見に来たりするんだけれど……まあ、今は冬だし風邪でも引いて自宅に籠ってるんでしょ。馬鹿でも風邪を引くってことね。
「何はともあれ、下手な考え休むに似たりってね。どうせ休むんなら効率よく休みましょ?」
「そう……ですね。そうします」
ようやく北斗が普段通りの様子に戻ったようで、カボチャのマフィンを食べ始めた。まったく、世話の掛かる弟子だわ。
さて、元通りになった北斗に向けて私は咳払いする。
「ん、それじゃあ休むついでに、貴方の専攻魔法を決めましょうか」
「……専攻魔法、ですか」
「ええ、魔法には色んな種類がある、それは知っているわね」
「精霊魔法や呪い、薬やマジックアイテム、魔法陣を用いた魔法等々……ですよね? 一通りやりましたから覚えていますよ」
北斗が苦笑しながら言う。今日まですべての魔法の基礎部分のみを教えて、彼の向き不向きを探ろうとしたのだけれど……なまいきなことに北斗は全てそれなり出来てしまった。
多少向き不向きがあっても、反復練習で克服してしまうんだもの。それだけ努力されると逆に呆れて物も言えないわ。
「今まではそうしてきたけれど、これからは一つの魔法の取得に専念させようと思ってるの。そうした方が理解も早くなるし、教える方も楽だもの」
「さらっと本音が聞こえましたけど……それで専攻ですか」
「そういうこと。それで、何がいいかしら? こういうのは本人が一番興味があるものでないと、モチベーションは上がらないでしょうから自分自身で決めなさい」
「……そうですね」
北斗はしばらく口を動かしながら考え込む。流石に今すぐ決まるとは思っていない。最悪また次回までに決めてもらってくれていればいいくらいに考えていた。けれど北斗はマフィンを食べ終えたところで、ポンと自分の手を叩いた。
「うん、決めました」
「随分早いわね、もう少し考えてもいいのよ」
「いや……多分結論は変わらないですよ」
「やけに自信満々ね……とりあえず聞かせてもらおうかしら?」
……その後、北斗の言葉を聞いた私は、思わず笑ってしまう。あまりにも馬鹿馬鹿しくて、呆れる、けれど面白い答えだった。そして……彼は魔理沙によく似ていると思った。