異変は終わりへと向かおうとしている。
私は幻想郷を見下ろせるほど高い枯れ木の幹に腰を下ろしながら、その光景を漠然と眺めていた。動物を継ぎ接ぎしただけの鵺崩れの姿は見当たらない。ほとんどやられてしまったようだ。
「もう少しくらい長引くと期待していたんだが……あれも大口叩いた割には大したことがない」
一人そう呟いてから鼻を鳴らす。まったく世の中は儘ならないな。
アイツの案に乗ったはいいが、手を抜かれたか上手く利用されたのかもしれない。結局奴は私の前に一度も姿を見せなかった。おかげでこの異変も私が原因ってことにされるのだろう。
どうでもいいことだ。いいえ、むしろ都合か。私は頬杖を突いて微笑んだ。
「これで大妖怪に仲間入りじゃのう、ぬえ」
「……そんなんじゃないよ」
私は突然隣に現れたマミゾウに肩を竦めて見せる。私とマミゾウの二人が座り、木の幹がほんの僅か音を立ててしなった。
マミゾウはからかっただけだろうが、そもそも私は鵺だ。平安の世から生きる由緒正しき妖怪なんだよ。ま、化け狸ほど有名じゃないけどさ。
「それじゃあ、お主はどうしてこの異変を引き起こした?儂にはさっぱりわからんわい」
白々しく尋ねてくるマミゾウを、私はジロリと睨み付ける。嘘つけ。薄々気付いてているくせに。ただ一応答え合わせがしたいだけだろう。
私はまさに下衆の勘繰りだと自ら言わんばかりにニヤけるマミゾウへ、言葉を吐き捨てる。
「そもそも幻想郷に住む妖怪が起こす異変に、大した意味なんてないじゃないか」
「ほほ、そうかもしれんのう」
そうだ、大抵は単なる興味や気まぐれでしかない。ふと思い出したように何か異変を起こすんだ。
妖怪が自身の存在を維持するためには、人間の畏怖が必要だ。だが外の世界では、妖怪達は人間に、科学に正体を暴かれることで居場所を失った。
人間の変化は異様に早い。そして、まるで和紙に垂らした墨のようにそれは伝播していく。妖怪の楽園である幻想卿だって外の世界と大差はない。いつか、外の世界のように妖怪を畏れなくなるかもしれない。
「しいて言うなら……最近の幻想郷は平和に暮らし過ぎているから、だよ」
「ほう……?」
私達妖怪は異変を起こし続けないといけない。私達がここにいることを証明し、常に畏れを抱かせないと……いつか忘れ去られてしまうかもしれない。
だが、誰もそんな危機感なんてない。なら、せめて私だけでも生き残って見せる。すべての正体不明の妖怪を取り込んで、最後の最後の妖怪になってやる。
心の中でギラギラと野心を燃やしていると、マミゾウが煙草をふかし煙と共に溜め息を吐いた。
「……お主は態度に反して『真面目な妖怪』じゃからのう。誰より妖怪らしく生きることにひたむきじゃ」
「………………」
「それは悪くないが、必死過ぎる姿は傍から見れば危うく映る。行き過ぎてしまわないか不安で酒も喉を通らんほどじゃよ」
「飲んだくれが良く言う」
私は幹を蹴って空中に移り、マミゾウの目の前に立つ。そして片目を瞑って見上げてくるマミゾウにはっきり言ってやる。
「老婆心は沢山だよ。異変はもうじき終わる。後はノコノコやってきた博麗の巫女を倒せばこの異変は終わりだ。今まで通りの人々が妖怪を畏怖する日々が始まるだけ……ただ、それだけだよ」
「ふむ、そうか……しかし、ただ今まで通りとはいかないようじゃて」
マミゾウは何故か愉快そうな笑みを顔に張り付けながら私……いや、私の後ろを見つめる。視線に吸い寄せられるように振り向くと、傘を差したスキマ妖怪といつぞやの外来人が宙に浮かんでいた。
「輝星、北斗……」
「やあ、ぬえ……マミゾウさんもさっきぶりです」
私は返す言葉を失ってしまう。確かにこの外来人に正体不明の種を植え付けた。実際それはしっかりと残っている。なのにどうして人間の姿でいられる!? 姿の見えない奴の影響の力によりキメラと化しているはずじゃなかったか!?
信じられずただ無言で空中に浮かんでいると、マミゾウが枝から立ち上がりながら口を開く。
「北斗坊……無事じゃったのか」
「無事、というわけじゃないですよ。失ったものもあります。さっきまで人間の姿も失っていましたし……って、坊ってつける呼び方はちょっと嫌なんですけど?」
「ほほ、青臭さが抜けない内はまだまだ子供じゃよ」
「……精進します」
北斗とマミゾウが和やかに会話をしている。知り合いだったのか。
二人の様子を伺っていると、北斗は私の方を向いた。それを見てマミゾウは煙管の灰を叩き落としながら再度片目を瞑った。
「それで、スキマ妖怪と一緒に来たのは……ぬえに用かのう?」
「ええ、霊夢が来れないので俺が代わりに来ました」
「……外来人の男が、博麗の巫女の代わりをするか! これは傑作じゃ!」
マミゾウが声を上げて笑う。確かに、面白い。こいつが博麗の巫女の代わりだって? 舐められたもんだ。以前ちょっかいを出した時もペットの妖怪に守られていた癖に、そんな奴が私を倒そうというのか!?
「笑わせてくれる! お前にそれが出来るのか!?」
「さあ、やってみないと分からないじゃないかな」
煽ってみるが、北斗は冷静に言葉を返してくる。気負っている風にも、畏れている様にも見えない。落ち着いているのが逆に腹が立ってくる。
スキマ妖怪が後ろ盾にいることの余裕だろうか? けれどスキマ妖怪は先程から一言も喋っていない。
「ん? ああ、私は手を出しませんわ。あくまで戦うのは彼一人です」
私の視線に気付いた紫が傘を回しながらはっきりと言う。幻想郷の事実上の支配者は今回の異変に関しては消極的なのか?
……いや、そもそも異変は収束しているという判断なんだろう。暴れ回っていた鵺もどきはもうほとんど生き残っていない。小さい奴は生き残っているかもしれないが、そんなのはただの少しおつむが弱くて狂暴な妖怪だ。
「もう八雲紫が行うことは何もない、やり残した形上の原因の退治は失敗しても問題ないということか」
それなら北斗に任せておける理由もわかる。私は愛用の槍を北斗に突きつけながらニヤリと笑ってみせる。
「それはよかった。じゃあ、コイツを倒しちゃっても何ら問題はないってことか?」
「いいえ、博麗の巫女の仕事を代行するのです。巫女は妖怪より弱いだなんて思われてはならない。それは代行者も同じこと。だから……」
「ええ、勝ちますよ。必ず」
スキマ妖怪の発破に北斗は自信満々に答える。どうやら、私の実力を判って無いようだな。なら、心の底の底に刻み込んでやろう。
私はゆっくり上空に上がっていくと、北斗も私と目線を合わせるように付いて来る。十分に高さが取れた所で、私はスペルカードを抜き出した。
「後悔するなよ……私はそこらの鵺もどきとは違う」
私は翼を広げ、槍を掲げて吠える。かつて、都中を恐怖に陥れた畏怖を以って。
「正真正銘の鵺、正体不明の怪物に怯え、震え、そして死ね! 『鵺符「弾幕キメラ」』!」
私は今まで溜めに溜めていた感情を弾幕と共に撃ち出す。
光線の弾幕は北斗目掛け飛ぶが、直接は当たらない。北斗が横をすり抜けた瞬間に弾丸の弾幕に変貌させる。それによって軌道が変わった弾幕が北斗を襲う。
自在に姿を変え、また継ぎ接ぎ光線の弾幕に再構成されるキメラの弾幕に北斗は大いに戸惑っているみたいだった。
それでも北斗は必死に身体を晒して躱しながら、スペルカードを取り出す。
「『特異点「パブリックエネミー」』!」
北斗の宣言の瞬間、私の周囲に弾幕が展開される。玉の種類も速度も何もかもバラバラの弾幕だ。
お世辞にも綺麗とは言えないが……ゴチャゴチャと混ぜまくったような雑踏感は私好みだ。
弾幕の間をすり抜けても弾は愚直に私を狙ってくる。だから、私はあえて北斗に向かって飛んでいく。
油断したのか足が竦んだのか北斗は動かない。私は遠慮せずに槍を突き刺す。しかし、硬い感触が腕に伝う。北斗が左腕を振るった瞬間、槍が軌道を変えていた。
「なっ……」
北斗の手には以前持っていた刀がない。スペカとお札しかない。なのにどうして……!
私は正体を確かめるべく全力で乱れ突く。普通の人間なら蜂の巣……のはずなのに、腕には壁に向かって攻撃しているような硬い感触が伝わる。北斗の左腕が蟹のような甲殻に変わって、盾のように刺突を弾かれた!?
「なん、だよそれ!!」
私の槍を持つ手に力が入る。だがそれがあだになってか、槍が穂の根元から折れてしまう。思わず舌打ちするが、次の手は打ってある。私は槍を捨てて真上に跳ぶ。
北斗のスペカは終わっていない。私を狙って背後から飛んできていた弾幕が私を追い切れず北斗に殺到する。当然避けれず、自らの弾幕が放つ激しい光に包まれた。
「あはははははは!! 自分の弾幕で負けるんだな!!」
高らかに笑いながら、被弾で巻き起こる光と爆風の中から墜落していく北斗の姿を探そうとする。だが……一向に落ちてこない。違和感に気付いたその時、秋風で掻き消された煙から人影が現れる。
「こ、いつは……」
そこに居たのは動物の身体の部位を継ぎ合わせたような黒い怪物だった。強靭な甲殻に身を纏い、骨組だけの翼を広げ獣のような声を上げている。
私はさっきまでの人の面影がまったくない姿を、唖然とした気持ちで見つめてしまう。
今になって気付いた。こいつは確かに鵺もどきになっていた。そして、手段は分からないが人に戻る方法も見つけた。そこまではいい。けれど……
「お前は、それを使うのか!?」
人の姿を、あるべき姿を取り戻しておきながら、それを簡単に手放せるというのか?そんなの、そんなの……
「……許してたまるか!!」
どんなに自分の姿を思い出そうとも思い出せない。次々と人間が私の姿を見間違え、想像し、変えていく。それが怖くて仕方なかった。
だから私は分からないことを本質、鵺の正体にした。そうじゃないと、私は私でいられなくなるから。
だのにお前は……人間のお前は自らの姿を取り戻しておきながら、変わっていった姿も受け入れるというのか!?
「そんなことはさせない。一生、人に戻れなくしてやる! そして忘れ去られろ! 人としてのお前を! 『恨弓「源三位頼政の弓」』!」
私は弓を召喚し、天上に掲げる、そして矢の代わり弾幕を放ちまくる。まるで雨のように矢の雨が降り注ぐ。だが、黒のキメラは被弾することも厭わず、私に向けて突っ込んできた。
どうして……どうしてどうしてどうして! 頭の中を叫びが埋め尽くす。私はどうすればよかったの? 私は正しかったの? 私は……誰なの?
誰か、答えてよ!
けれど、誰も答えてはくれない。
……唯一の救いは、目の前の対極の同類が意識を断ち切ってくれたことだけだった。