東方影響録   作:ナツゴレソ

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77.5 全て幻想の如く

「これで、よかったのですか?」

 

 私はスキマの中で背を向けて立ち尽くす老人……柳に問いかける。老人は振り返りもせずしばらく黙っていた。答えは返ってこないと思っていたけれど、ややあって……

 

「あぁ」

 

 まるで感嘆のような言葉を返される。口下手な男性だ。いや、人見知りなのかしら?北斗と話しているときは、一方的に話をしていたのにね。ま、北斗が喋れないようだったし、無理やり口を動かしていたのかもしれない。

 

「何はともあれ、目的は果たしました。彼の、北斗の中にはまだ正体不明の種も残っているますが、貴方からの強い影響を受けたことで、人間の姿を取り戻すことができました。感謝します」

「……私は、アレのためにできることをしただけだ」

「そう、ですね。ですが、それでも結果として幻想郷を救うこととなりました。ありがとうございました」

 

 『影響を与える程度の能力』を持つ彼が、人の姿を忘れることは幻想郷にとって危険だ。最悪の場合、幻想郷に人間がいなくなり、私達妖怪も存在が維持的無くなってしまう。それは何としても阻止しないといけなかった。

 けれど、私としても彼を排除する形は取りたくなかった。いや、最初は取ろうとしたのだけれど……

 霊夢が、北斗と火依にあれだけ依存しているとは思ってもみなかった。いえ、正しくは『彼女自身が北斗達に依存していると自覚してしまった』ことこそが、彼女から能力を奪った原因なのだけれど。早苗が上手くフォローしてくれたお陰で何事もなかったけれど、これから気をつけなればならないわね。

 ……ううん、違う。もう現実から目を逸らしてはいけない。あの子が受け入れたように、私もいつか来る瞬間を覚悟しておかないといけないのだ。

 私が思考の海にたゆたっていると、柳は私の方を振り向いて頭を下げた。

 

「こちかこそ、お前には感謝している。アレに会う機会をくれたこと」

 

柳は仏頂面で礼を言うけれど……それは受け取れないわ。私は貴方という存在を打算的に利用させてもらったのだから。けれど、私から謝ることはない。彼もそれを承知で、私の話に乗ったのだから。私を利用して、北斗に会うために。

 だから、代わりにまた問いを投げかけた。

 

「……行くの?」

「あぁ」

 

 即答だ。まったく迷いがない。大したものだ。北斗に似て、心が意思が強い。だからこそ、彼は『亡霊になっても』ずっと北斗を待ち続けられたのだろう。

 

 

 

 柳の家を訪ねたときには、彼は既に亡くなっていた。

 孤独死した者が自らの死を理解できずに亡霊化することは少なくない。だが……彼はあろうことか自身の墓を自らの手で建てていた。自らの死を受け入れながら、それでも彼は待ち続けていたのだ。たとえ待ち人が誰かすらも思い出せなくなっても、ただひたすらに……

 亡霊になるのは死んだことに気付かない者か、死を受け入れない者がなると言われているけれど、強い思いが彼を人ならざる者に変えただろうか? だとしたら、その強い精神に心服せざるおえない。

 柳はずっと頭を下げたまま言葉を紡ぎ続ける。

 

「北斗を、あの迷いやすい孫を頼む。あれは自分のできることなら何でもやろうとする。やってしまう。頼めた義理ではないが、目をかけてやってくれ」

「……そんなに言うなら残ればよかったじゃないですか。幻想郷は全てを受け入れる。亡霊の一人や二人大した問題になりませんわ」

 

 そもそも特殊な状況でない限り、外来人が幻想入りすることは問題ない。むしろ亡霊化しているのなら、幻想郷に来るのが自然だ。

 だから柳がこちらに来ることになったとき、私は彼に幻想郷に住むことを提案した。けれど彼は、今と同じようにただ首を振って断るだけだった。

 ふと、柳が右手を差し出してくる。握手かと思ったのだけれど……その手は指の先から透けて消えかけていた。

 

「しばらく言わないでくれ。まだアイツにはやらないといけないことが残っている」

 

 最後の瞬間が迫っているというのに、彼は表情を変えない。いや、彼にとっての最後の瞬間は北斗と別れたあの瞬間だっただろう。

 そして、もう彼を現世に留めていた思念……消えてしまった北斗への未練が途切れたことで、彼は本来死者が辿るべき道に戻ることとなる。

 

「もう一度だけ言う。北斗を頼む」

「わかりました」

 

 私は一言だけ返す。けれど、もう目の前に柳の姿はなかった。まるで心に空虚な感覚が過る。

 妖怪の身である私だ。誰かとの別れは飽くほど経験してきた。けれど、それでも未だに無感動ではいられない。ある日突然そこからいなくなって、私の記憶にしか残らなくなる。それもいつかは薄れていき……忘れる。

 まるで夢のようだ。誰かも、この世界も、私も……

 

 

 

 

 

「心の整理は付いたかしら?」

 

 しばらくしてから、私は北斗の元に戻ると、彼は元の人間の姿で倒木に座っていた。私の姿を見ると、北斗はゆっくりと立ち上がる。

 

「ええ、もう大丈夫です。俺の事を覚えていてくれる人がいる。もう自分の姿を見失ったりしません」

「そう、それはよかったわ……ん?」

 

 私は北斗の言葉に違和感を覚えた。それの正体を確かめるために、私は北斗に質問する。

 

「北斗、貴方が異形の魔物になったのは、どうしてだと思う?」

「えっ……俺の影響の力のせいじゃないんですか? レミリアさん達の力を使う時みたいに、キメラの影響を受け過ぎたと思っていたんですけど……?」

「そう、なるほどね」

 

 そういうことか。霊夢とマミゾウの立ち話と、さっきの北斗の言葉で原因がはっきりした。私はスキマに腰掛けると北斗も首を傾げながら倒木に座り直す。

 

「……えっと、違いましたか?」

「いいえ、影響の力が原因ということは合っているわ。けれど、貴方の力によるものではない」

「それは……!」

 

 北斗も察したようで、目つきが鋭くなる。流石に今回はご立腹かしら? 私は北斗を宥めるためにワザとゆったりとした口調で喋る。

 

「今回の異変について整理しましょう。まず封獣ぬえ、彼女は間違いなく関与しているわ。マミゾウが霊夢に対して言っていたわ。信用している訳じゃないけれど、鵺のような奇怪な怪物になる異変……これで無関係だという方がおかしいものね」

「ええ、それは俺も薄々感じていました。けれど、ぬえにこんな大規模な異変を起こす能力があるんですか?」

「いいえ、ぬえの能力だけでは姿を適当な姿に見せることは出来ても本当に姿や大きさを変えることは出来ない。だけど……」

「『影響を与える程度の能力』なら出来る、と?」

 

 私が頷いて見せると、北斗はしばらく目を瞑って考え込み始める。

 ……それにしても今回はいよいよ直接的な行動に出たわね。今まで自分が起こした異変をさんざん擦り付けようとしていた何者かが、本格的に北斗を消そうとしているのかもしれない。

 気を付けなければならないけれど……どういうトリックを使っているのか、未だにもう一人の『影響を与える程度の能力』を持つ者を特定できていない。

 藍、橙に捜索させて、かつ私のスキマで幻想郷全土を探しても見つからない。流石に何か細工をして私達の目をすり抜けているのでしょう。見つからないのならば、どうしようもない。対応が後手になるのは癪だけれど、今私達に出来ることは一つ一つ異変を処理していくことだけだ。

 まあ、これ以上好き勝手させないけれど……私の、私達の幻想郷を弄ばれてたまるものですか。

 

「……紫さん。今、霊夢はどこに?」

 

 突然北斗が尋ねてきて、私は言葉に詰まる。一瞬、誤魔化そうかと考えてしまうが……いずれ知れることだ。隠す必要もないわね。

 

「霊夢は……今、三途の河にいるわ。火依を連れ戻すためにね」

「ひよ、りを……? そんなこと出来るんですか!?」

 

 北斗がふらつきながら立ち上がり、詰め寄ってくる。私の肩を持って揺さぶってくる北斗の唇に指を置いて、距離を離させる。

 

「ちょっと落ち着きなさい。幻想郷から三途の河の手間までは行けないことはないわ。けれど、死者を此岸に戻すなんて許されるはずもない……少なくとも、閻魔は許容しないでしょう」

「閻魔……」

「四季映姫・ヤマザナドゥ。幻想郷の審判を司る閻魔よ。今、霊夢とそれが戦っているわ」

「……霊夢が、火依のために」

 

 北斗が瞳を震わせながらポツリと呟く。意外に思うかしら? いえ……意外でしょうね。異変に関しては何を差し置いても優先していた霊夢が、それを放って別のことをしている。それだけでも明日は季節外れの大雪が降りそうだと思う出来事だ。

 

「紫さんは、知っていて止めなかったんですか?」

「……本来なら博麗の巫女の仕事をするよう言うんだけどね。今回は少し事情が違うのよ」

「事情……?」

「霊夢は、貴方と火依がいなくなったことで……一時的に『空を飛ぶ程度の能力』を失ったわ」

「ッ!?」

 

 北斗が、目を見開いて絶句している。彼は気付いたのだ。自分と火依が霊夢にどんな影響を与えたのか。誰にも囚われない霊夢に付けられた枷。それは北斗が絆と呼んだものだった。

 

「今は元通りだけれど、貴方と火依に何かあれば今度こそどうなるか変わらないわ。だから私は霊夢を止めることをしない。そして貴方が三途の河に行こうというなら、それも止めないわ」

 

 私は彼の目の前に三途の河に繋がるスキマを開く。

 幻想郷を荒らしまわっていたキメラ自体はもう殆ど倒されてしまった。ただぬえを放置しておく訳にはいかないので誰かが退治しなければならないが、それも火依のことに決着を付けてからでも遅くはない。

 北斗はそれをしばらく黙って眺めていたが……

 

「行きません」

「えっ……!?」

 

 私は思わず動揺の声を上げてしまった。予想外の反応だ。私はスキマを閉じ、訝しげな視線を北斗に注ぎながら尋ねる。

 

「じゃあ、貴方は何をするのかしら? ここで季節外れの肝試しかしら?」

「俺は……封獣ぬえを探します」

 

 北斗はポケットからスペルカードを抜いて言う。胸元のロケットペンダントを握りしめ、はっきりと私の瞳を見据える。

 

「俺が、この異変を解決します」


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