東方影響録   作:ナツゴレソ

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77.0 彼岸花と墓標

 紫色の花を付けていた桜の葉が色付いている。俺が初めてここに来たときと同じ桜木かどうかはわからないが、ついあの時と同じように枝の合間から空を覗く。

 半年前、ここから俺の幻想入りが始まった。あの時の俺は、これから起こることを何一つ想像できていなかっただろう。空を飛べるようになることも、死にかけることも……人間じゃなくなることも。まあ、想像しろっていう方が無茶があるが。

 

 

 

 紅魔館を離れた後、俺はまっすぐ無縁塚にやってきていた。レミリアさんの運命の導きを信じ、休憩や仮眠を挟みながら歩き回っては見たものの……正午近くなっても、誰にも出会うことはなかった。流石に不安になってくるが、それでも歩くことは止めない。

 俺はレミリアさんの能力をそれなりに信用していた。早苗に会えたり、火依の最後の時に間に合ったり、大事な瞬間を与えてくれた『運命を操る程度の能力』の中毒的な魅力に呑まれたのかもしれない。

 しかし、理由はそれだけではない。友人として信頼しているからだ。我儘で自分勝手なのは偶にキズだが、まだ空も飛べない時から目を掛けていてくれた親愛なる友。俺は彼女なら何とかしてくれると思い、真っ先にレミリアさんの所へ向かったのだ。

 

 

 

 俺は群生する彼岸花を避けながら無縁塚の奥へと向かっていく。

 墓標に寄り添うように咲く花……目に焼きつきそうなほど鮮やかな彼岸花は、まるで飛び散った血の様に見えてあまりいい気はしない。祖父と住んでいた田舎でも土手によく咲いていたが、あの時はただ綺麗だなとしか思わなかった。やはり墓場の雰囲気のせいか。ま、もう幽霊、妖怪、墓荒らしの類が出ても平気だが。むしろ今の俺の方が怖がられるだろう。

 余裕の面持で歩き続けていると、周囲の空間に違和感を覚える。そもそもこの無縁塚はかなり危険な場所らしい。外から迷い込んだ演者のいない人々の墓が多いせいで、外の世界に偏って博麗大結界が緩んでいる地帯とのことだ。

 それも相まってか冥界にも繋がり易くなっているとかで、何が起こってもおかしくないと幻想郷縁起に書いてあった。そう、例えば俺が幻想入りしたり……

 

 

 

 

 二度と会えないと思っていた人に出会ったりとか……

 

 

 

 

 

 えっ……?俺はその場に立ち尽くしてしまう。視線の先で禿頭の老人が倒木に腰掛けていた。

 精悍な顔つきだ。痩躯で小柄な身体だが、まくった袖の腕は老人と思えないくらい鍛えられている。相当な歳なのに、肌は若々しい。和風の衣装が趣味人というイメージを際立たせているが、実際その見た目通り何かやっていないと落ち着かない性分の人だ。しかし、どうして、何で、ここにいるんだ……?

 

 

 

 辰薙 柳……高校まで俺の面倒を見てくれた、祖父だ。

 

 

 

 ありえない、何で幻想郷にいるんだ……?もしかして、この人の事だから幻想郷まで俺を探しに来たんじゃないだろうか?聞きたいことが次々浮かんでくるが、この身体では喋ることもままならない。それに俺のこの姿を見たらどう思うのだろうか?

 どうすればいいか分からず固まっていると、祖父が俺の存在に気付いた。そして……何も言わずに、手招きをする。

 

「変わり果てた姿になったな。北斗」

 

 俺は祖父の言葉に耳を疑う。どうして俺のことが分かるんだ……? さっきから疑問が浮かび過ぎて頭がパンク寸前だ。混乱状態に陥っていると、キメラ状態でも動揺が伝わったのか、祖父は大きな溜め息を吐いた。

 

「……全部話してやる。だから座れ」

 

 祖父の昔から変わらない、ぶっきら棒な言い方を聞いて、少し気持ちが落ち着いた。言われた通りに俺が隣に座ると、祖父は静かに話を始める。

 

「……お前のことは八雲紫とかいう娘から聞いた。それまでお前のことは忘れてしまっていたが、そいつのお陰で全て思い出した」

 

 紫さんが……? そういえば今回の異変はかなりの規模なのに、紫さんの姿を見ていない。まさか祖父の元を訪ねていたとは、思いもしなかった。

 紫さんのことだ、俺がこうなったのも見ていたのだろう。しかし、わざわざ外の世界から祖父を呼ぶなんてどういうつもりだろうか? つい胡散臭い印象が抜けず、疑ってしまう。そんな俺の心情を知ってか知らずか、祖父は話を続ける。

 

「俺がお前に出来ることなぞ大してないかもしれんが、居ても経ってもいられなかった。だから、ここに来た」

 

 祖父は相変わらずの仏頂面だったが、力強い言葉で呟いた。俺はすぐに首を振ってみせる。何も出来ないなんてことはない。俺のために幻想郷まで来てくれた。それだけで十分だと伝えたいのに、言葉に出来ない。もどかしくて仕方なかった。

 そうやって項垂れている俺を見て、祖父は肩を叩いてくる。

 

「無責任な言い方だが……あまり気にするな。姿が変わろうとお前は輝星北斗だ。お前がそう思っている限りな。周りがなんと言おうとも事実は変わらん。そして……」

 

 祖父は自分の首に下げていたロケットペンダントを手渡してくれる。俺はキメラの爪で握りつぶさないようにそっと開けてみる。すると……高校時代の俺の写真が写っていた。

 どこか斜に構えたような、ダルそうな顔をしている。いつ撮ったかまったく覚えていないが……あまりいい顔をしていなかった。

 

「俺はお前の事をもう忘れない。あっちの世界でも、お前の事を覚えているからな」

 

 祖父はそう言うと、俺の硬い頭を撫でた。胸から熱が込み上がってくる。だが、この身体は涙すら出ないようで、代わりに獣の唸り声が漏れた。

 しばらく身体を燃え上がらせるような熱に耐えていると、目の前にスキマが現れ、そこからゆったりとした歩調で紫さんが現れる。

 俺は立ち上がって紫さんに頭を下げるが、紫さんは何も反応しない。その代りに、祖父が静かに腰を上げながら呟いた。

 

「……もう迎えか」

 

 その言葉に俺は思わず祖父の方を見遣った。祖父は顔色一つ変えず、まっすぐスキマの方へ歩いて行く。その歩みの最中、俺を一瞥もせずに言葉を紡ぐ。

 

「俺は元の世界に戻る。きっと、お前には二度と会えないだろう」

 

 そんな……さっき会ったばっかりなのに! それに俺はまだ祖父に何も伝えられていない! 慌てて紫さんへ振り返る。しかし、彼女は厳粛な表情を崩すことはなかった。

 どうしようもない、ようだ……

 ただの人間である祖父が幻想郷に長く残ろうとも、問題が無さそうに思えるが……無暗に人をこの世界に連れて来てはいけないのかもしれない。どのみち、俺に祖父を止める手立てはなかった。

 せめてペンダントを返そうとするが、祖父は両手で俺の手に握りこませた。

 

「それは、お前が持っていろ。楪の……お前の母の形見だ。老い先のない俺が持っていても仕方ない」

 

 ……そんなことを言わないでくれ 本当に、もう二度と会えないかもしれないじゃないか。そう言ってやりたかったが、祖父は何も言わずに歩を進めていく。紫さんは先導する様に、先にスキマの中へ消える。

 だが、あと一歩、スキマのに入る直前で、祖父の動きが止まった。

 

「……そうだな。一つだけ、我儘を言うならば、最後にお前の成長した姿を見たかった」

 

 それは遺言のように物悲しい、一言だった。俺は頬に伝う感触をそのままにペンダントを胸に抱きながら祖父の背中を見つめる。ぼやける視界の中、それでも後ろ姿を目に焼き付けようするしかできなかった。すると、スキマの中へ入っていく祖父が、ふと一瞬だけ俺を振り返った。

 そして俺の姿を見て、微かに笑う。

 

「ありがとう、北斗」

 

 

 

 

 

 涙で滲む俺の視界には、もう彼岸花と墓標しかなかった。ただ最後に祖父が残してくれた一言だけが、ここに残っていた。

 

「俺の方こそ、ありがとう……爺ちゃん」

 

 俺は最後まで届けられなかった一言を、秋の空へ向かって放った。


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