東方影響録   作:ナツゴレソ

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75.0 異形の妖怪と弱い自分

 妖怪の山の麓、その森の一角に静かに泉が湧いていた。秋晴れの空と南中を通り過ぎた太陽が移る水鏡に、恐る恐る自分の姿を映す。そこにはどう見ても人間には見えない黒づくめの異形が居た。

 

「グォォォ……」

 

 独り言すらくちずさめない。代わりに唸り声が口から零れた。

 あの時……霊夢にこの姿を見られた瞬間、俺は衝動的に逃げてしまった。きっと霊夢はこの黒いキメラが俺だと気付いただろう。それがたまらなく嫌だった。こんな姿をした自分を見らたくなかった。

 それに、万が一キメラが俺だと気付かなければ……俺は霊夢に殺されるだろう。俺の命がどうなろうと構わないが、もし霊夢が俺を殺したと知ったとき……霊夢はどう思うだろうか?

 ……霊夢は博麗の巫女の使命に対して忠実だ。異変の時に誰よりも早く行動し、誰よりも早く解決してしまう。妖怪退治の専門家、異変のスペシャリスト。それが幻想郷での彼女……いや、博麗の巫女の立場なのは間違いない。

 けれど一緒に住んでいると、ごく稀に『破滅思想』のようなものが見え隠れするときがあるのだ。紫さんを呼ぶためだけに博麗大結界を緩めてみたり、幻想郷を否定するような発言をしたり……

 以前、白玉楼で幽々子さんもあった時もそうだった。あの時の霊夢は『俺にすべてを押し付けようとする幻想郷なんて滅んしまえばいい』とみたいなことを言おうとしていたが……それは霊夢が勢いで口を滑らしただけだと思っていた。

 霊夢が幻想郷を愛しているのは間違いない。だが、それと同時に幻想郷の在り方に疑問を持っているようにも見えるのだ。

 俺の存在が霊夢にどれだけの影響を与えているかは……俺にも分からない。けれど、もしかしたら霊夢の手による俺の死こそが、幻想郷の終焉に至らしめる引き金になるかもしれないのだ。そうなる前に元に戻る方法を見つけるか、もしくは……

 俺が考え事に浸っていたその時泉の対岸に一人の妖怪が現れる。

 

「あら、こんな所にも変な妖怪が……しかもとびっきり厄いのが」

「……ッ!?」

 

 声のした方を振り返ると妖怪らしき女性がいた。赤いドレスを着た人形のような少女で、鮮やかな緑の髪をリボンで飾っている。

 何の妖怪か分からないが……不要な戦いは避けたい。俺は逃げようと翼を広げ、空を見上げる。

 その瞬間、ワイヤーで作られたネットが上空から降ってきていた。罠か!?咄嗟に腰に手を当てて構えてしまうが、当然ながら刀はない。代わりに左腕の爪を振って、ネットを切り裂こうとする。が、しかし……

 

「グ、アアアアッ!?」

 

 ネットに触れた瞬間、凄まじい痛みと痺れが身体を貫いた。飛ぼうとして、地面から足が離れていたのがよくなかった。接地していれば多少電流を受け流せたかもしれなかったが……俺は身体を貫く高圧電流に、なすすべもなく意識を失った。

 

 

 

 

 

「……助かったよ、雛。おかげで上物を捕まえられた」

「これくらいお安い御用よ。妖怪の山が平和になることはいいことだし……彼からたくさん厄を戴いちゃって、私も満足しているの」

 

 聞いたことのない声同士の会話で目が覚める。薄ら目で周囲を確認すると……ガラクタでごった返した工房のようなところにいるのがわかる。そして、どうやら俺は鉄製の檻の中に閉じ込められているようだ。

 檻の外では、さっきのドレスを着た妖怪と、ツナギに緑の帽子を被った青の髪の小柄な女の子が話をしている。念のため起き上がって自分の右手を見るが、相変わらず奇怪な腕のままだった。一眠りすれば元通り、というわけにはいかないってことか。

 思わず内心で溜め息を吐いて、鉄板で出来た床に座り込む。すると俺が起きたことに気付き、会話していた二人の視線がこちらに向く。

 

「お、ようやくお目覚めか……おおっと、暴れるなよ?このにとり様設計の元継ぎ目一つなく作られた完璧な檻だ。お前が暴れても埃が舞ってうっとおしいだけだからな!」

 

 小柄な女の子は胸元に飾られた鍵を叩きながら胸を張る。別に無暗に暴れようと思ってはいないんだけどな。ここがどこにあるのかは分からないが、しばらく人目のつかない場所にいられるのはとっちにとっても都合がいい。

 言い訳染みた理由づけを自分に言い聞かせながら檻に背を預けていると、ドレスの妖怪が首を傾げながら小柄な女の子に向かって尋ねる。

 

「けれど……こんな妖怪捕まえて何するの?解剖?」

「いいや、こんなへんてこりんな姿をしてるんだ。見世物としてがっぽり稼がせてから、じっくり解剖させてもらうよ……」

 

 ……ただ、長居は禁物のようだ。一晩夜露を凌がせてもらうだけに留めておこう。とりあえずやることもなかったので、俺は冷たい床に座って目を閉じていることにした。

 

 

 

 

 

 暗闇に銀の破片が浮いている。その欠片ひと一つに火依の顔が写っていて、ジッとこちらを見つめていた。俺は歪な腕で破片に手を伸ばそうとする。

 

「触らないで!」

 

 火依の言葉が心に刺さる。それは俺の異形の姿を拒絶したのか、火依を二度も殺してしまったことに対する怒りかはわからない。

 だが、少なくとも今の俺には、火依へ手を伸ばすことすら許されないことを悟った。

 破片の奥から、紅白の巫女服を来た少女が現れる。少女はお祓い棒を天に掲げて、振り下ろす。それ同時に、宙に浮かんでいた刃が俺に向かって殺到した。俺は指一本動かすことも出来ずに、身体中に刃が突き刺さる感触を噛み締める。

 一体どうすればよかったのだろうか?これからどうすればいいのだろうか?何もわからず、ただ力の入らない身体を地面に放り投げた。

 

 

 

 ……酷い夢だった。俺は自分の顔を拭おうとするが、固い感触が当たり、さらに憂鬱な気分になる。

 工房には人影はない。俺を捕獲した二人も何処かへ行ってしまった。窓からは月の光が差し込んでいる。まだ朝まで時間が掛かりそうだ。

 俺は自分の腕を見つめながら、内心で笑う。

 これは罰なのかもしれない。火依にやってきたことへのツケの結果。因果が、自分に返ってきたのかもしれない。だけど、その罪が自らが妖怪になることだなんてな……

 現実逃避の考えなのはわかっているが、そんな暗い思考が醜い身体も悪くないような気にさせてくれた。

 

 

 

 そうだ、いっそのこと……妖怪として生きるのも悪くないかもしれない。妖怪として死んでしまえば……

 

 

 

 俺は鉄格子に向かって頭突きする。格子が丸く歪むほどの威力だったが硬い甲殻のせいで頭に痛みはない。構わず連続で頭を叩きつけていると、じんわりとした痛みと共に、額から赤い血が流れる。

 異変を起こした時、もう俺の人生は俺だけのものじゃないんだと知ったはずだ。なのにすぐ楽な方に逃げようとする。なんて弱い人間なんだ!

 考えて考え抜け!空っぽの頭をフル稼働させろ。ここは幻想郷だ。非常識が常識の世界だ。なら妖怪から人になるくらいのこと出来るはずだ。

 俺は連続頭突きでひしゃげた格子を、キメラの力で無理やりこじ開ける。確かに継ぎ目一つない檻だが……力づくで捻じ曲げられる程度の強度しかなければ意味がないな。

 行く宛があるわけじゃない。けれど、立ち止まってもいられない。さあ、行こう。

 俺が人として生きるために、自分の姿を取り戻しに!

 

 

 

 

 

 月明かり眩しい夜の下、俺は翼を広げ、眼下の館を見据える。闇の中に浮かび上がる不気味な紅の屋敷、紅魔館。俺は息を一つ吐いてから、そこへ乗り込もうとする。

 

「あら、まだ私達に喧嘩を売ろうとする愚か者がいたのね」

 

 が、そうする前に背後から声が掛けられる。振り向くと、月を背に似つかわしくない悪魔の羽を広げた少女が浮かんでいた。笑う口から犬歯がチラつく。

 

「私の館に何か用かしら、黒いの」

 

 永遠に紅い幼き月、レミリア・スカーレット。幻想郷でも有数の強者だ。幾度も俺の運命を導いてくれた……友人。

 きっと今対峙しているのが、輝星北斗だと彼女は知らないだろう。だが、それでも俺は友人として貴方を頼る。

 幾度もそうしてくれたように、俺の運命を示してほしい。俺は獣の声を上げて、レミリアさんに飛びかかった。


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