まったく腹が立って仕方がない。最悪のタイミングで最悪の異変だ。今年一年で、いや人生の中で一番頭に来ているかもしれない。
「まったく……まったくまったくまったく!結局北斗達は帰ってこなかったし、幻想郷中に気持ちが悪いバケモノがわんさか現れるし、こんな時でも紫は顔を見せもしないし!何もかもが癇に障るわ!!」
私は感情のままに口と手を動かす。勘を頼りに飛び、出会った妖怪を片っ端から妖怪を退治していく。いつも通りの、私流の異変解決方法だけれど、それのお陰で皮肉にも八つ当たりの相手には事欠かなかった。
羽の生えた魚顔の蛇が林の木々をなぎ倒しながら突進してくる。それを眼前に捉えながら、私はスペルカードを突き出す。
「あーもう! 『宝具「陰陽飛鳥井」』!」
掌から霊力で形成した陰陽玉海だし魚顔の蛇の顔面に叩きつけ、陰陽玉ごと蛇を蹴り飛ばした。陰陽玉の霊力に押し潰された化け物が痙攣しながら動かなくなったのを確認して、額の汗を拭った。
「……これで何体目だったかしら?」
二桁超えたあたりから数えるのを止めてしまってわからないわね。ま、どうでもいいけれど。何体退治したって、腹の虫は収まらないんだから、この異変が収まるまで狩り尽くすだけよ。
「さて、それにしてもそろそろ黒幕が出ていいと思うんだけど……アンタが犯人かしら?」
木々の陰から私はまるで木の葉のようにフラリと現れた妖怪に向けて言い放つ。その妖怪……化け狸のマミゾウは煙管をふかししてから、紫煙の向こうで首を振った。
「いいや、儂は関係ないよ……いや、まったく関係ないといえば嘘になるがのう」
「やっぱり関係あるじゃない」
私はマミゾウに向けてお祓い棒を突きつけるが、やる気が無さそうに空中に腰掛けているだけでまったく戦う気がない。
構わず退治してやろうとするが、その前にマミゾウが首を傾げながら尋ねてくる。
「ふむ、北斗の坊やは一緒じゃないようじゃな。はぐれたかのう?」
「……知らないわよ。あんな甲斐性なし」
私が吐き捨てるように言うと、マミゾウは愉快そうに笑った。ついカッとなって針状にしたお札を投げるが、あっさり躱されてしまう。そして気を盾にしながらニヤケ顔で俺の顔を覗き込んで、私の神経を逆撫でてくる。
「ははは、アレは気がよく回る優しい男じゃからのう。待つ女は気苦労は絶えないじゃろうて」
「そんなんじゃないわよ……そもそも何でアイツの名前が出るのよ」
「いやな、朝方地底で会ってのう。博麗の近く……いや、正確にはお主の近くにいれば何事もないかと思っておったんじゃが……」
「……どういうこと?」
私は意味深なことを言う化け狸を、マジマジと見つめ返す。
何事もない? 北斗が一体どうしたっていうの……? 手に嫌な汗が浮かぶ。吐き気がするほど動悸が酷い。私は、焦燥感に駆られていた。こんな感覚は初めてだった。
そんな私を他所に、マミゾウは回りくどく話を進めていく。
「いやな、お主は気付いていると思ったのじゃがのう……? この正体不明の化物の正体が何なのか」
「……なんとなくだけどね」
私は出来るだけ焦りを顔に出さないように努めながら頷く。この異変、最初あの変な化け物を見た時からとある妖怪の顔が浮かんでいた。
「封獣ぬえ。コイツは絶対に異変に関わっているわ」
「流石博麗の巫女じゃな。異変の時に限っては恐ろしく頭が切れる」
「一言多いわよ」
これは勘でも何でもない。動物の身体を継ぎ接ぎしたバケモノといえば、鵺が出てくる。妖怪の知識があれば誰だってそうだ。
けれど、ぬえの能力は『正体を判らなくする程度の能力』。姿や匂いを誤魔化せてもこんな化け物を作り出せる能力ではないはずだ。こんなことが出来そうなのは……身近一人いる。
「まさか、北斗がまた何かしたんじゃないでしょうね……?」
「儂も最初はそう思っていたんじゃが……北斗坊は何もしておらん。その逆、狙われた側じゃった」
「狙われた……って」
……そういえば北斗は妖怪にちょっかいを掛けられたと言っていた。あの時北斗の姿が曖昧になったような感覚があった。だけどそれはほんの一瞬で、気のせいだと流してしまった。
バラバラだった事象が、継ぎ接ぎされた異形の姿を見せ始める。今幻想郷を闊歩している妖怪よりも、恐ろしい、真実というバケモノが……
「ぬえの能力の本質は妖怪の誕生と同じものじゃ。人は得体のしれぬもの、現象、存在を、自らの想像力で補完する。妖怪は人の畏れから生まれるもの。裏を返せばその畏れを得られれば、小鳥だろうがイモリだろうが、あんな醜悪なキメラに姿を変えられるということじゃ」
「それが元凶ってこと? 素直に話してくれるのは殊勝な心がけだけれどね……どうして何もしていない北斗が関わってくるの!?」
私は苛立ちからつい声が荒げてしまう。私の勘が悪戯に背を蹴飛ばし急かしてくるが……あくまでマミゾウは冷静で、何事もないようにそれを受け止めている。ただ、眼差しだけは真剣なそれに挿げ替えられていた。
「ここ最近、ぬえは鳥やイモリに正体不明の種を植え付けて遊んでおってのう。その中に北斗坊も含まれておった」
「ま……さか……」
「……『地底では』無事じゃったよ」
その瞬間、私は弾かれたように上空へ飛んだ。頭の中の理性は、いち早く異変を解決するよう諭している。だけれど、身体は完全に本能に支配されていた。
自分の身体が寒い。風の冷たさのせいだけじゃない。動いていないとどうにかなってしまいそうなほどの焦りが私に冷や汗を掻かせていた。
さっきの話、もしあの化け狸が言っていることが正しかったら北斗は……キメラになっているかもしれない。
勘を頼りに飛んでいると、いつの間にか守屋神社の裏手に辿り着いた。
また間の時間が飛んでいる。これが魔理沙とか華仙が言っていた瞬間移動ってやつかもしれない。けれど、そんなことはどうでもいい。早く北斗を探さないと!
今のところ唯一の頼みの綱である勘を頼りに辺りを捜索する。すると、どこからか声が聞こえる。
「れ、霊夢さん!」
「早苗! ちょうどいいところに!」
私は木に寄り掛かってる早苗を見つけ、急ぎ駆け寄る。早苗はボロボロの状態で、肩で息していた。けれど、大事に至る怪我はしていない。
私は北斗の行方を聞こうとするが、その前に早苗に袖を捕まれる。
「私の事はいいんで……センパイを、探してください……! 私も、後から追いますから……」
「なっ……アンタ、北斗がどこにいるか知ってるの!?」
突っ掛る様に尋ねると、早苗は傷付いた腕で森の奥の方を指差す。確かに藪を無理やり突っ切ったような道が出来ている。
早苗を放っておくのは気が引けなくもないけれど、早苗本人の意思も尊重することにした。
新しく出来た獣道に沿って飛んでいくと、生臭い鉄の匂いが鼻を突いた。しかも進むほどにその匂いは強くなっていく。吐き気を催しそうな酷い臭いがさらに不安を煽ってくる。けれど、それでも前に進む。
辿り着いたそこは……まさに血だらけの空間だった。木の幹に張り付けにされ、頭を潰された甲殻を纏った人型の怪物……マミゾウ曰くキメラを中心に血が広がっている。
人型のキメラ。それを目にしただけで心臓の鼓動が跳ね上がる。
キメラになった北斗が別の誰かに殺されたのではないかと、最悪の想像をしてしまう。
私は辺りを経過しながら茂みを乗り越えて、地面に降り立つ。
その瞬間、重々しい獣の唸り声が森に響いた。私は反射的にお札を構える。声の先には漆黒の人型の怪物が此方を睨んでいた。
角の生えた兜のような相貌、背中には翼膜を失った蝙蝠羽、そして鳥のような四本指の足をしていた。まるで涙のように左右非対称の歪な腕から銀色の破片がバラバラと落ちていく。
「……あな、たは」
私が口を開こうとした瞬間、異形の者は高速で天高く飛び上がってしまう。
……今までのキメラなら躊躇なく襲ってきたはずなのに、あれはそうしてこなかった。届かないとわかっているが思わず虚空に手を伸ばす。何か言えばよかったんじゃないか、そんな後悔が胸につっかえる。
そうしなかったのは、信じたくなかったからだ。あの姿が北斗だなんてことを……
しかし、そんな思いはいとも簡単に砕かれた。
足元に転がった、見慣れた刀の柄が目に付く……封魂刀、火依が封印されていた刀だ。
一瞬、状況が理解が出来なかった。いや、理解を拒んだ。わかりたくなかった。耳を塞いでしゃがみ込んでしまいたくなるけれど……悪魔のような理性が囁いてくる。
『あのバケモノは封魂刀の破片を拾い集めていた。刀さえ直れば、火依が帰ってくると信じて』
「やめて……」
『無駄なことだ。憑代を失った魂の行方は……』
「やめて!やめてよ!!」
私は自分の思考を振り払おうと声を絞り出す。だが、そんな私をまるであざ笑うかのように、あるいは諭すように、悪魔は残酷な判断を下した。
『貴方は、また独りぼっちになったのよ』
膝が折れ、血だまりに手が濡れる。口からは嗚咽すら出ない。瞬きすらできないほどに身体が硬直していた。
何気ない日常。何もしなくても続くと思い込んでいた毎日は、まるで砂の城のようにいとも簡単に崩れ去った。