「フランちゃん……」
あの無邪気な女の子が戦っている。どこからともなく生み出した大剣を振るい、輝く球体を放ち、レミリアさん、魔理沙、霊夢、そして紫色の髪の女性を攻撃していた。
感情のまま暴れる彼女達を止めようと、霊夢達4人の少女達がビームやら魔法弾やらを乱射して応戦している。
鳥よりも高く自由に飛び、蝶よりも華麗に舞う彼女達の足元……それよりはるか下で、俺はただそれを見上げることしかできなかった。
「ああ、そうか。これが幻想郷なのか……」
俺は目眩く空中戦を見つめながら呟く。
一昨日に霖之助と話した会話を思い出した。確かにこの光景を見れば否応になく彼女らが妖怪、あるいは普通じゃない人間だと理解してしまう。そして、普通の人間の無力さを痛感させられた。
いや、俺にもできることはあった。フランちゃんを止められたのは俺だけだったのだ。
あの時、フランちゃんが大図書館に入った時点で、俺が制していればこんなことにはならなかっただろう。いや、そもそもフランちゃんをあの部屋から出さなければ……
「馬鹿だ、俺……」
俺は忘れていたのではないだろうか、フランちゃんも吸血鬼であることを。それなのに何の責任も持たずに外に連れ出してしまった。
事情も分からず勝手に可哀そうだと同情してしまった。彼女のことを、何もわかっていなかった癖に……
「……後悔しても、何の役にも立たない、か」
俺は暗く傾きかけた気持ちを自虐気味な独り言でなんとか持ち直す。
飛べない俺に何ができるかはわからないが……俺がなんとかしないといけなかった。俺が引き起こしてしまった悲劇なのだから。責任感が俺の感情を奮い立たせていた。
放っておけばあの四人がフランちゃんを止めることは出来るだろう。だがこのままだとフランは外に出るどころか、またあの部屋に幽閉されてしまう。
「どうにか、どうにかしないと……ッ!?」
ない頭で考えを巡らせる。が、そのせいで一瞬反応が遅れる。
気付けば目の前に光弾が迫っていた。もう避けられない、直撃する!
俺は思わず身を固め目を瞑る。しかし、いつまで経っても痛みや衝撃の類は襲ってこなかった。
恐る恐る目を開けると、いつの間にか大図書館前の通路に立っていて、目の前にはメイドさん……もとい咲夜さんが立っていた。
「間一髪のところでしたね」
「えっと……時間停止で助けてくれたんですね。ありがとうございます」
一瞬戸惑ってしまったが、何とか状況を把握した俺は咲夜さんにお礼を述べる。しかし、咲夜さんはニコリもせずに澄ました顔で首を振った。
「いえ、お客様にお怪我がありましたらメイド長として名折れですので。お嬢様からも貴方を守るよう申し付かっておりました故……」
「……俺をフランちゃんの部屋に転がしとくのはいいんですね」
「それもお嬢様の命令でしたので」
咲夜さんは悪びれもせず涼やかな顔で言葉を返してくる。やっぱりレミリアさんの指示か。
まったく、一体何の意図であんなことをさせたのだろうか?まあ、腹を立てているわけではないし……今はそれどころじゃない。
「そんなことより聞きたいことがあるんですが、いいですか?」
「出来れば手短にお願いします。お嬢様達に加勢をしなければなりませんので」
「……素人目に見てもみんな強そうですけど、5人がかりで相手しないといけないほどフランちゃんは強いんですか?」
「はい、彼女の能力は『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』です。まだその能力を使いこなせていないのもあって、非常に危険です。なので決して大人しくなるまで大図書館に入ってはいけませんよ」
咲夜さんが子供に言いつけるように注意してくるが、俺はそれを聞き流して思考にふけっていた。
破壊の力……なるほど、フランちゃんが閉じ込められていた理由が分からなかったけど、ようやく見当がついた。俺は口元に手を添えながら、咲夜さんに尋ねる。
「……レミリアさんは、フランちゃんが力の制御ができないから地下に閉じ込めていたんですか?」
「……従者の私にはお答えできません」
咲夜さんはバツが悪そうに言葉を濁すと、ただ自分の顔を隠すように深々と頭を下げた。けれど、その態度が俺の言葉が正しいことを裏付けていた。
「いえ、頭を下げる必要はないですよ……レミリアさんを責めているわけでもないです」
「そう言って下さいますと助かります」
「………………」
……そうだ、レミリアさんの行動は正しい。
力を制御できないフランちゃんを簡単に外に出してしまったら、きっと取り返しのつかないことになる。
傷付けた相手だけじゃない、フランちゃんもだ。相手を深い傷をつけるほど、自分の傷も深くなる。破壊の力を持つには、フランちゃんは優し過ぎた。
レミリアさんは誰かを傷付け、自ら傷付くフランちゃんを見たくなかったのだろう。傷付いて自ら部屋に閉じこもって二度と部屋から出なくなることを恐れたのだ。
全て、俺の想像でしかない。だが……そうだとしたら、フランちゃんは一生外に出られないじゃないか。
例え、身体が成長して能力を制御できたとしても、あの部屋で一人きりでいては心が成長しない。
それではいつかレミリアさんが恐れた悲劇が起こってしまう。変わらない未来、最悪の結末を防ぐために出来ることは……
「それでは、私は……」
「すみません咲夜さん、一つ頼みがあります」
俺は去りかけた咲夜さんに逆に頭を下げる。すると、息を呑むような声が耳に届いた。そしてしばらくして……重苦しいため息が聞こえてくる。
「……お嬢様のお客様が、メイドに頭を下げてはいけませんよ」
「これから頼むことは、メイドに頼むようなことじゃないんです。だから、一個人の咲夜さんを頼りたい。だから、お願いします」
俺は頭を下げたまま誠心誠意頼み込む。今からやろうとしていることは俺一人……空すら飛べない俺では出来ないことだ。
今日会った咲夜さんに頼めた義理はないが、彼女の力を借りる以外に道はなかった。咲夜さんはしばらく黙りこくっていたが、もう一度大きな溜息を一つ吐いてから俺の肩をそっと叩く。
顔を上げると……咲夜さんは困ったような半笑いを浮かべていた。
「……ま、私に出来る事ならやってあげるわ。友人として、ね」
「ありがとうございます」
「ただしあの焼きプリン、また今度買ってき来ること。お嬢様が全部食べてしまって、私食べられなかったのよ」
不敵にウインクする咲夜さんに、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまった。その姿を見て……洒脱、そんな言葉が似合う魅力的な女性だと思った。
「……ということをしてほしいんです」
俺の作戦を一通り説明すると、咲夜さんはいかんもしがたい顔で眉間のしわをほぐしていた。明らかに呆れている。
無理もない。むしろここまではっきりと感情に出されると清々しいと思わせるほどの、露骨な態度だった。
「まったく……よくそんなこと考え付いたわね。外の世界では普通なの?」
「まさか……とにかく咲夜さんに任せっぱなしになるのは心苦しいんですが、きっとこれでフランちゃんは大丈夫です」
「呼び捨てでいいわよ。ま、あの世で恨まないでね。さようなら」
そう言い残すと瞬きする間もなく咲夜が消える。残された俺はただ、さようならの一言に一人吹き出すだけだった。随分皮肉の利いたジョークだ。メイドのスキルに毒舌も必須なのだろうか?
「ふ……さて、行きますか」
一通り笑ったところで、俺は図書館の扉に手を掛ける。そっと扉を開けて隙間から顔を出す。室内はまさに戦場真っ只中だった。どういう理屈か4人に分身したフランちゃんが、霊夢達と縦横無尽のドックファイトを繰り広げている。
正直、足が竦みをそうなほど怖い。それでも……止めようという気は全く起きなかった。息を一つ吐く、落ち着くためのルーティンを行う。大丈夫、いける。覚悟を決めた俺は図書館に入って全力で駆け出す!
当然だが弾幕を避けたりなんてできるわけがない。当たらないよう祈りながら足を動かすしかない。
俺は部屋の外側に廻っている階段をとにかく必死に駆け上がっていく。とにかく高い場所に。この爆音響く中でも気付けるくらい、フランちゃんの近くに……
「ちょ、危ない!」
その叫びが耳に届くや否やに目の前が唐突に爆ぜる。衝撃と爆風で身体が階段を転がる。流れ弾が目の前で炸裂したのか。
何とか手すりを掴んで、階段に留まることは出来たが……はっきり言って滅茶苦茶痛かった。
「ちょっと! 何でここにいるのよ!?」
何とか手すりに身体を預けて起き上がろうとしていると、ヒステリーめいた叫び声が耳を打つ。
身体を起こして辺りを見ると、霊夢が結界のようなものを張り俺に向かってきていた弾幕を防いでくれていた。
俺の視線に気付いた霊夢は背中越しに声を張り上げる。
「咲夜に助けてもらったんじゃないの!? 死にたくなかったらさっさと戻りなさい!」
「ありがとう霊夢。だけど……」
俺は霊夢の忠告を無視して再び階段を駆け上がる。後ろで霊夢が何か叫んでいたが、弾幕の衝撃音で聞き取れなった。
息を切らせながらも何とか最上階まで登ると、ちょうど空中戦が行われている高度くらいだった。マンションの高さでいうと4階か5階ぐらいだろうか。地下とは思えない構造だ。
「はぁ……はぁ……ッ! フランちゃん!」
俺は乱れる息を整えながら声を張るが、まったく反応がない。聞こえていない!俺は少しでも距離を縮めようと手すりから乗り出し、大きく息を吸った。そして……
「フランッッ!!」
残った力全て振り絞って叫ぶと、4人のフランちゃんの動きが一斉に止まる。しばらく全員が俺の事を注視していたが……何の前置きもなくそのうちの三体が消える。唯一残った本物が信じられないといったような表情で呆然と呟く。
「ホクト……何でこんなところにいるの?」
フランちゃんはただ目を見開いて驚いていた。
俺は拳を握りめ、フランちゃんの目をしっかり見つめながら、努めてはっきりとした口調で言う。
「フランちゃん、止めに来た」
その言葉に、フランちゃんはクシャっと顔を歪めた。きっと裏切られたと思われただろう。気持ちは痛いほどわかるが……構わず続ける。
「すぐに止めてレミリアさんに、みんなに謝ろう! 俺も一緒に謝るから!」
「……ホクトも、私が悪いって言うの?」
「違う、そうじゃない! けど、このままだとフランちゃんは一生後悔するこから! だから……」
「友達になってくれるって言ったのに……私を外に出してくれるって言ったのに!」
フランちゃんは右手に光弾を生み出して、涙を浮かべながら叫ぶ。その煌々と輝くエネルギーの塊にゾクリと背筋が震えた。
「友達なのに私の事悪く言わないでよ! そんな友達……死んじゃえばいいんだ!」
フランちゃんが昂った感情のまま腕を振り下ろす。
瞬間、光弾が俺の足元で弾けた。手すりが粉々に砕け、木片と共に背後の本棚へ叩きつけられる。
「北斗ッ!!」
魔理沙の焦った声が聞こえる。その声のおかげでなんとか意識を手放さずに済んだ。
痛みと衝撃で霞んだ目を必死に凝らすと、フランちゃんが涙目のまま茫然としていた。幼い少女は自分の行った行為に、明らかなショックを受けていた。
「ち、ちが……いま、のは……」
フランちゃんは両手で口を押さえ首を振っていた。そんな姿を見つめながら、俺は歯を食いしばって立ち上がる。そしてぼろ雑巾のようになった身体を無理やり引き摺って宙に浮かぶフランちゃんに近づいていく。
「……フランちゃん、俺は君の願いを叶えるって約束した」
フランちゃんは、幼い。容姿とかじゃなくて、精神的なものだ。孤独な時間を過ごした時間があまりにも長いせいで、人との接し方がわからないんだ。
ハリネズミのジレンマ。人は傷付け、傷付きながらお互いの居心地のいい距離を見つける。
レミリアさんはフランちゃんがあの力で誰かを傷付け、自ら傷付くのを危惧したのだろう。
「だから……もし、フランちゃんが死んでくれと願うなら……」
けれど、傷付かなければ痛みを知ることはできない。傷付けてもなお触れてくれる誰かを知らなければ、居心地のいい心の距離は一生わからない。
変えないといけない、場所を、状況を、二人の関係を、フランちゃんを、レミリアさんを! そのためには……きっかけがいる。
より鮮烈で、残酷な刺激が。
「俺は……君の願いを叶えよう」
俺は砕けた手すりの合間から、身体を投げ出した。恐怖と自己嫌悪を抱きながら走馬灯のようにゆっくりと視界が流れていく。逆さまの景色の中には、俺に手を伸ばす幼い少女がいた。
最悪な気分だ。俺が今まで逃げてきたことを、495年間閉じ込められていた幼い少女に強いるなんて……
なんて醜悪な願いだろうか。