勇儀さんがキメラを旧都の外れまで運んだのを見届けた俺は丸一日ぶりに博麗神社に戻る。朝には帰る予定だったんだが、太陽は既に中天を過ぎようとしていた。
「これだけ帰りが遅かったら、流石に霊夢も怒るかな……」
「行先も事前に言ってるし大丈夫だろう。ただお土産の一つくらい買って帰った方がよかったかも」
「やっぱり北斗もビビってるじゃん」
「機嫌損ねると次の日の修行の時ひどい目見るから嫌なんだよ……」
俺と火依はお互いに軽口を叩きながら境内に降り立つ。この時間は大抵霊夢が掃き掃除をしているんだが……その姿がない。どこかに出掛けているのだろうか?
火依もそう思ったのだろう、首を傾げながら居間の方へ確認しにいった。俺もそれに続こうとすると、突然周囲の日が遮られる。今朝も昨日に引き続き快晴のはずだったはずだ。雲が出始めたのかと思って、何気なく空を見上げると……巨大な物体が、俺目掛けて振ってきていた。
「なっ!?」
俺はカエルのように横っ飛びしてその影の範囲から抜け出す。それとほぼ同時に、境内の中央へ凄まじい質量が落下した。
地響きと共に砂埃が舞い上がる。視界が封じられるのは不味い。咄嗟に腕で目を防ぎながら、砂塵の届かない上空へ飛び上がる。そして、そこでようやく降ってきたものの正体を確認することができた。
「こいつは……」
蛇、獅子、山羊、三つの首を持ち、背中には鳥類と蝙蝠の羽がそれぞれ1対ずつ生えている。前足は象のそれだが、後ろ脚は馬と非常にアンバランスだ。そして尾は魚類の尾びれが付いている。
地底にいた奴とは違う種類……より様々な動物が混ざった多頭のキメラが境内に立っていた。突然の襲来に唖然としてその巨体を見つめていると、慌てた様子で火依が神社から飛び出て俺の傍まで来る。
「北斗!これっていったいどういうこと!?」
「それはこっちが聞きたいって!」
俺は火依の悲鳴に近い問いに叫んで返す。何でこんなのが神社にいるのかサッパリ見当もつかない。だが、一つだけ言えることがあった。
「分からないけど、このままじゃ神社が壊される!霊夢の怒られるどころじゃ済まないぞ!?」
「私達の家、守らないと……」
俺は火依の呟きに頷いてから封魂刀とお札を抜いて臨戦状態に入る。火依も覚悟を決めたようだ。正直この巨体相手にどこまでやれるかわからない。つい最近これと同じか少し小さいくらいの人形と相手をしたが、それには傷一つ付けられなかったことを思い出すが……それでもこのまま見過ごすわけにもいかない。
「行くぞ火依!『乱符「ローレンツ・バタフライ」』!」
「うん!『鬼火「イグニスファトゥス」』!」
二人掛かりでキメラの背にありったけの弾幕を叩きつける。するとキメラはそれぞれの首から苦悶の唸り声を上げながら俺と火依を見上げてきた。そして、巨体とは裏腹に機敏な動きで飛び上がりこちら目掛けて飛んでくる。
三つ首がそれぞれ牙を覗かす。丸のみにするつもりか。だが、手は打ってある。事前に火依が放っておいた鬼火が機雷のようにキメラの進路を塞いでいた。
たじろいだところで一旦神社から離れる予定だったのだが……キメラは炎を気にせず此方へ突っ込んでくる。
「嘘ッ!?」
火依が信じられないように声を上げる。当たっていないわけではない。効いていないようでもない。捨て身の特攻。これは、地底のキメラと同じような戦い方だ。
俺は噛み付こうと首を伸ばしてきた蛇の顎を寸で躱し、すれ違いざまにその目を封魂刀で切りつける。刃が止まった訳ではないが、感触は鈍い。水風船を割ったように生暖かい血しぶきと体液が吹き出し、身体を濡らす。不快極まりないが、怯んでいたら別の首に食われてしまう。お札をばら撒きながら首の届く範囲から離脱する。
6つある目のうち1つを潰した程度で戦況は変化しないが、少なくとも目などの急所を狙えば有効な攻撃ができると知れただけ十分だ。キメラには悪いが、俺は勇儀さんみたいに余裕のある戦いは出来ない。きっと最終的には殺してしまうことになるだろう。だが、仕方ない。俺だって死にたくはないし、死ねない理由がある。
「『特異点「パブリックエネミー」』」
俺はスペルカードを天に掲げ、宣言する。その瞬間、キメラを中心に縦横無尽に弾幕が展開され、一斉に発射される。人間ほどの大きさなら回避できる余裕があったのだが、キメラは全方位から弾幕を浴びることになる。回避不能の弾幕は弾幕ごっこで御法度なのだが……どちらかが殺意を持って攻撃をし始めた時点で、既に弾幕ごっこは成立していないからな。
あくまでスペルカードルールは弾幕の美しさやアイディアなどで競い、相手を精神的に屈服させる『ごっこ遊び』の意味合いが強い。最初スペカを作成した時はあまり理解していなかったが……これは本気で戦うことを避けるために他ならない。幻想郷では本気で殺し合いをすること自体が危険な連中が多すぎるし、そんな中で人間が異変を解決しようものなら幾ら命があっても足りないだろう。が、裏を返せばルールを守らない者はそれなりの覚悟をしないといけない。
「ガアアアアッ!!??」
キメラが三重奏の悲鳴を上げる。捨て身の攻撃を仕掛けてきたキメラも痛覚がないわけじゃない。流石にこの攻撃には堪えたようで、動きが鈍っている。
「スペルカード、『現想「夢葬回帰」』」
宣言と共に俺の周囲に球体型の否定結界が7つ浮かび上がる。それは一度にキメラに向かって殺到した。皮膚を、足を翼を首を抉っていく。秋の森に獣の絶叫が響き渡る。俺は火依の視界を遮るため前に立って頭を抱き寄せた。
否定結界は俺がその妖怪に対する知識があるほど威力が強くなる。が、同時にその妖怪がいることを不思議に思わなくなるほどに威力が減衰していく。おそらく、今回はほぼ最大の威力がキメラを襲っただろう。
しばらくそうしていると、声が聞こえなくなる。俺は火依を抱き留めたまま、背後を振り向く。キメラは跡形もなく姿を消していた。それを確認した俺は火依から手を離す。
「もう大丈夫だ」
火依にそう声をかけるが、火依は俺の胸に頭を預けたまま動かない。その様子に困惑していると……火依は蚊が鳴くような声ですすり泣いていた。
「……火依、もう大丈夫だから」
「違うの、違う……」
火依は顔を横に振って、泣き腫らした目でこちらを見上げてくる。服に染み付いた蛇の返り血で、頬が汚れてしまってより悲惨な姿に見える。
「ごめんね、北斗……辛いこと全部北斗に押し付けて……」
「……俺ができることをしただけだから。あんまり気にするな」
俺は首を振りながら火依の頭を撫でる。まったく、火依は妖怪にしては優し過ぎる。死ぬこと知っている彼女は、誰かの死に過敏だ。そんな彼女に任せるなんて残酷なこと俺にできるわけないじゃないか。
仕方なかった、で済ませるのはあまりに短絡的だ。俺がもっと強ければ、勇儀さんのように加減できたかもしれないんだから。俺は自分の右手を見つめる。命を奪ったという感覚はまったくない。妹紅さんの生々しい感触に比べて、なさ過ぎて不気味だと思うほどだった。
こんなことが出来てしまう俺は、果たして本当に人間なんだろうか?ゾッとするような問いが脳裏を掠めるが、すぐ消える。
幸運に不運か、視界の端にある物を見つけたのだ。蛇の身体に魚の頭、それに翼が生えたような奇怪な竜が空を飛んでいる。それだけじゃない、千差万別の姿をしたキメラが、場所で闊歩したり暴れている。
「これは……」
なるほど、霊夢がいない理由が分かった。今まで起こす側、もしくは原因だとされてきた立場だから不思議な感じだが、間違いないだろう。霊夢の台詞を借りるなら……
「これは異変だ……!」