東方影響録   作:ナツゴレソ

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69.5 独りぼっちの神社

「……またあの二人帰ってこないのかしら?」

 

 私は窓の外から真っ暗になった空を見上げる。ずっと一人で生活をしていた時間が長かったせいだろうか。誰かの帰りを待っている自分に違和感を覚えて仕方がなかった。

 

「何かしらね、この気持ち……」

 

 まさか私が、誰かと一緒に生活することになるとは思いもしなかった。いや、もしそんなことがあったとしても、私の生活も私自身も変わらないと思っていた。

 確かに生活事態に大した変化はなかった。強いて言うなら毎日修行するようになった事と、日々の食事が豪勢になったことぐらいかしら?

 だけど心境の変化はあった。二人と一緒にいる時の温かさ、二人がいない時の寂しさ……私にもこんな気持ちが持てるなんて考えもしなかった。

 

「今晩はカップラーメンでいっか」

 

 ……どうやら今日は帰ってこないみたいだし、簡単に済ませたい。

 私は食器棚の下の戸棚を開け、シーフードヌードルを手に取る。料理をするのが面倒というわけじゃないけど、自分自身だけのために料理をする気にはなれなかった。

 お湯を沸かそうと台所に立ったところで、唐突に台所の裏勝手口が開かれる。北斗かと思って慌ててカップラーメンを隠そうとするけれど、見慣れた白黒のエプロンドレスと大きめの帽子が入ってくるのを見て、止めた。

 

「よう北斗……じゃなくて霊夢か。ここ最近じゃお前が台所にいるなって珍しいな」

「何だ魔理沙か……北斗ならいないわよ。作り置きもないし、飯を集りに来たのならまた明日にすることね」

「いや、北斗に用はないんだぜ。むしろいない方が都合がいい」

 

 魔理沙は室内なのに何故か帽子を深く被って、顔を隠す。何だか様子が変だ。いつもはウザいほどテンションが高いのだけれど……

 

「魔理沙……?」

 

 不思議に思った私はしばらく魔理沙を見つめるけれど、魔理沙はただ静かに立ち尽くしているだけだ。仕方なく私は魔理沙に向かってカップラーメンを投げ渡した。

 

「……何だこりゃ?」

「夕飯よ。何か話があるんでしょう?食事しながら聞くわ」

 

 私がそう言うと、魔理沙は帽子を脱いで……何故か微妙な笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 麺を啜る音と木枯らしだけが耳に届く。やけに静かだ。いつもの魔理沙なら頼んでもいないのに話しかけてくるんだけど……

 結局、私が食べ終わっても、魔理沙は一言も喋らなかった。随分気まずい食事になってしまった。こんな大人しい魔理沙、初めて見た。きっと明日は雪になるわね。

 私は箸を置き、一息吐く。対面に座る魔理沙は緩慢な動きでまだ食事を続けている。お茶が入れ直すために席を立とうかと思い立った頃、ようやく魔理沙の口が開く。

 

「なあ、霊夢」

「……何よ?」

「霊夢は私の事を友達だと思ってるか?」

「藪から棒に何を言い出すと思えば……それを聞きに来たの? 私がどう思ってようが、魔理沙には関係ないじゃない」

 

 私はいつになく真剣な問いに、頬杖を突きながらはぐらかす。すると魔理沙は箸を止め、じっと私を見つめてきた。宝石のような金色の瞳が瞬きもせずに、私の目の奥まで見通そうとしているようだった。

 私は何だか照れくさくなって、ついその視線から逃れるように顔を背けてしまう。

 

「私が魔理沙のことをどう思おうとも、アンタは好きな時にここに来て、好き勝手やるだけじゃない。今更文句なんて言わないわよ」

「はは、相変わらず口が悪いな」

「お互い様よ。昔から言ってることじゃない。私もアンタも何も変わってないわ」

「……いや、霊夢は変わったよ」

 

 魔理沙の言葉に、私は心臓を握られたような息苦しさを覚える。それは先からずっと館が得ていたことだった。癪に障るけれど、素直に頷く。

 

「そう……かもね。けれど、それは北斗のせいよ。きっとアイツ能力のせいに違いないわ」

「ああ、北斗が来てから本当に色んなことが変わった。けれどな、アイツが能力で与えた影響なんて大したものじゃない。あんな能力、幻想郷ではよくあることの範疇さ」

「流石に度か過ぎてると思うけどねぇ……」

 

 ……幻想郷は歪な箱庭だ。色んなものを切り捨てながら変わり続けることを選んだ外の世界で、生きられなくなった妖怪達の最後の楽園。

 けれど変化を嫌い、変わらない時間を進もうとするはずの幻想郷が、北斗という影響を受け入れ変わろうとしている。

 私達は北斗が来たことで結界が破られることを危惧していたけれど……もしかしたら北斗が幻想郷に来たこと自体が、一つの異変だったのかもしれない。だとしたら、博麗の巫女として失格ね。

 私は自嘲の声をお茶ごと飲み干し、吐息を漏らす。対して魔理沙は炬燵の中で胡座を掻き直し、お下げ髪をいじり始めた。

 

「全部北斗だけのせいにするのは言い訳だってことだよ。変わっていくことから目を背けて、あいつのせいにしているだけさ」

 

 魔理沙は吐き捨てるように呟く。そういえば魔理沙は過大評価されがちな北斗の能力を、信じていない節がある。わからなくもない、私達は北斗に原因を押し付け過ぎていたのかもしれない。

 事実、そのせいで今まで別の黒幕の存在に気付けなかったものね。そこは反省しないわ。なんて考えていると、魔理沙はふと障子の外を見遣る。風と木の葉の擦れる音がしていた。秋が終わり、もうすぐ冬がやってこようとしていた。

 

「私達は大なり小なり変化を続けている。それは時が止まらない限り止まることはない。変わらないものなんてない。私も、霊夢だってそうだ」

「……そうね」

 

 ……当たり前のことだ。時間が経てば何かしら起こって何かしら変わる。特に人間は、ね。

 けれど、幻想郷ではそんな当たり前すら忘れてしまいそうになる。緩やかな時間の流れのせいで、このままずっと同じ時間を過ごしていくんじゃないかと勘違いしてしまいそうになる。

 けれど私が、魔理沙が、北斗が人間である限り、終わりは必ず来る。そして、別れも。

 

「けど……けど、私は! 今がずっと続いて欲しいんだ。過去なんてどうでもいい、未来なんて来なくてもいい、だけど今は、今だけは失いたくないんだ!」

 

 突然、堰を切ったように魔理沙が声を張り上げる。私はやや驚くけれど、すぐ首を振ってみせる。

 幻想だ、不老不死の蓬莱人ですら叶わない願いだ。いや、もしかしたら魔法使いの魔理沙ならそれくらい出来るかもしれないけれど……

 私は博麗の巫女だ。人であり、人の味方でなければならない。だからどうやっても人の宿命から逃れることはできない。いつか来る未来は決まっている。

 

「霊夢、お前はどうなんだ?」

 

 魔理沙が問いかけてくる。その瞳は何かを求めるように震えていた。そこで、私は魔理沙の思いに気付いた。

 あぁ、魔理沙はきっと同意して欲しいんだろう。だから、最初にあんなことを聞いたのだろう。魔理沙の願いを受け入れることは簡単だった。もしかしたら、嘘でも肯定してやった方がよかったのかもしれない。けれど、それは出来なかった。

 口を突いたのは、思った以上に冷たい言葉だった。

 

「私は、過去も、未来も……今にも興味はないわ」

「……そうか」

 

 魔理沙はポツリと短く答える。しばらくお互いに黙り込む。まるで時が止まっているみたいだった。気付けば魔理沙は立ち上がって、帽子を被り直していた。

 何か話さないといけない。直感だけど、そう思った。なんて声を掛ければいいのかわからなかった。

 

「……やりたい実験があるんだ。結構大掛かりだから引きこもらなきゃいけない。だから、しばらくここには来れない」

「……そう。火依が寂しがるわ」

 

 結局その程度の、他愛もない会話しかできなかった。口に出せたのは私の気持ちなんて一部も入らない、乾いたような言葉だけだった。

 

「大丈夫だ、きっと春には会える。みんなで……全員で笑って花見が出来るさ」

 

 魔理沙は下手な作り笑いを見せつけてから、裏勝手口から出ていった。

 また静寂が居間を満たす。残された私は……自分の身体を抱きしめて震えた。怖い。ただ無性に怖い。独りがこんなに恐ろしいと思ったのは初めてだった。

 

「早く、帰ってきてよ……火依、北斗」

 

 絞り出すように吐き出した私の弱音を聞く者は……誰もいなかった。


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