東方影響録   作:ナツゴレソ

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一章 幻想へ迷って ~Who was forgotten~
0.0 無縁塚と飛行体


 ふわりと目の前に紫色の花弁が舞った。

 空の彼方に消えていくその軌跡を追って見上げると、満開の桜が青空を彩っていた。薄紅色の桜ではない、紫色の花をつけた桜だ。

 こんな色の桜、生まれて初めて見た。今まで見てきた桜は濃淡の違いはあれどピンクの花弁ばかり。どうして見飽きないんだろうか、なんて捻くれたことを春になるたび考えたものだ。

 紫色の桜が作り出す幻想的な光景につい時を忘れて見とれていると、ふと素朴な疑問が花びらと共に落ちてくる。

 

「あれ、いつからここにいたんだっけ?」

 

 辺りを見渡すと朽ちた卒塔婆や墓石が無造作に並んでいた。そこでようやく自分が墓場にいることに気付く。雑草も生え放題で古い道具なども散乱している。少なくとも整備された墓地じゃなかった。

 ここは何処なのだろうか? いつの間にこうしていたんだ? どうしてここに至るまでの記憶がないんだ? 泡のように次々と疑問が浮かんでいく。

 墓地に居るのも辛気臭くてよくない。不安、恐怖心も一挙に膨らんで背中に冷や汗をかき始める。縋る思いでスマホを取り出すが、案の定というかお約束というか電波は圏外だった。

 

「……もしかして、遭難?」

 

 俺は絶望的な状況を信じられず、しばらく思考を止めてスマホの画面を睨み続けることしかできなかった。

 

 

 

 ……どれくらいそうしていたかわからないが、現状に焦りを覚えてきた俺は辺りを散策してみることにした。もちろん片手にスマホを握りしめ電波の届く場所を探しながらだ。電波さえ届けばGPS機能で自分の場所を特定出来るし、最悪の場合助けも呼べるだろう。

 俺は気分を落ち着かせるために一つ息を吐いてから、努めて無心の状態で墓地を歩いていく。だがそう意識すればするほど余計な考えが頭の中で浮かんでは消えていき、不安と恐怖が蓄積されていった。

 そういえばあまり見ないようにしていたが……そこら辺の石を並べたような墓の集まりをよく見かける。確かこういうところを無縁塚って言ったか。身寄りのない人達を纏めて供養する場所だと記憶しているのだが……

 それにしても荒れ放題だ。特にゴミが酷い。家電やら傘やらいろんなものが廃棄されていた。

 

「誰かが不法投棄でもしてるんだろうけど、場所ぐらい弁えろよ……」

 

 時より八つ当たりと弱音を吐き捨てながら30分ほど歩き続けたが、未だにこの墓地を抜けることは出来なかった。真っ直ぐ歩いているつもりなのだが、同じところを回っているような途方のなさを感じる。

 足が痛くなってきた。距離を歩くのは少し自信があったのだが道無き道を歩くのはいつも以上に疲れてしまう。せめてもの救いは靴が履き慣れたスニーカーだったことか。

 そういえば、今着ている服装は愛用の紺のダッフルコートに黒のジーンズ、中に着ているシャツも自分のものだ。財布もスマホも持っているし、寝ている間に拉致された、なんてことはなさそうだ。

 

「……やっぱりどうしてここにいるのか覚えがないっていうのが一番怖いな。夢遊病ってレベルじゃないぞ」

 

 記憶喪失というわけではないと思うのだが、過去の記憶が曖昧になっている。そもそも毎日代わり映えもない生活をしていたのもあって、いつから記憶が曖昧になっているかすら、はっきりと分からなかった。

 

「実は夢とか幻覚だったりして……ははは」

 

 なんて妄想染みた考えが過って、逆に笑えてくる。念のため手の甲をつねっておくが、少なくとも夢ではなさそうだった。ああ、そうだ、死後の世界って可能性もあるな……死因は今のところ一切思い出せないが。

 せめて誰かに出会えれば俺が生きているかどうかくらいわかるだろうが…それをこんな場所で出会えるのは、それこそ幽霊くらいな気がしてならない。幽霊は苦手という訳ではないが、それでも望んで会いたいものでもないが。

 

「まあ、知り合いの幽霊ならちょっと話してみたい気もするけどさ……ん?」

 

 なんて呑気な台詞を口に出してしまったせいか、どこからともなく鼻歌が聞こえてくる。墓場には似つかない陽気な曲調だ。

 さっきまで余計なことを考えていたせいで、頭の中が誰かに出会えるかもしれない期待と、見てはいけない者を見てしまうかもしれない恐ろしさで頭の中がゴチャゴチャになる。

 

「いや……いやいやいや! 幽霊なんて全部思い込みの幻覚だから」

 

 ここでビビッてしまって助かるものも助からない! 俺は情けない独り言で勇気を振り絞り、鼻歌の聞こえる方へ歩を進める。鼻歌の出所はすぐ見つかった。ガラクタの山をごそごそ漁っていたからだ。

 

「ふんふふーん……よっこいせっ、と」

 

 顔は……見えない。フリルの付いた白黒の大きな帽子だけがガラクタの山の中で動いている。傍らには箒が置いてあるしきっと墓掃除をしているのだろう。

 いやそれとも……いわゆる墓荒らしというやつか……? 後者の場合、幽霊よりリアリティがあって恐ろしい。墓荒らしなんてピラミッドの中でミイラになってるものだと思っていたが、まさか日本で出会ってしまうとは思ってもみなかった。

 墓を綺麗にしている心優しい人であってほしかったのだが、ガラクタを一つ一つ確かめては傍らの風呂敷の上に乗せたり後ろに放り投げているのを見て、俺は諦めた。

 

「どうしようか……話掛けるか? 話しかけていいのか!?」

 

 俺は過去に類を見ない恐ろしい選択を迫られ、うんうん唸ってしまう。その声が聞こえたのか、突然ガラクタの山から白黒帽子が立ち上がる。

 

「誰だ!?」

 

 辛気臭い場所に似つかわしくない、可愛らしい声が墓地に響く。墓荒らしをしていたのはエプロンドレスを着た、まだあどけなさの残る小柄で金髪の女の子だった。片側だけお下げを結っているのもませた印象を受ける。訝しげに見つめる瞳も金色だ。外人さんか、はたまたハーフだろうか?

 

「……あー、えっと、こんにちは」

 

 言葉に詰まった俺は結局能天気なことに挨拶をしてしまう。自分の発言ながら拍子抜けしてしまう。しかし、少女も案外暢気に返してくれる。

 

「こんにちわ。騒がしくして悪いけど、あとで成仏させてやるから待っててくれ」

「じょ、成仏させるって……俺は幽霊じゃないぞ」

 

 あらぬ誤解を受けて俺は慌てて訂正しようとするが、白黒帽子の女の子は完全無視で、ガラクタの山の中に座り込み物色し続けていた。

 

「幽霊はみんなそういうんだ。そもそも普通の人間が無縁塚で無事でいられる訳がない」

「まるで自分は普通の人間じゃないみたいだな。それじゃあどうして君はそんな危ない場所で墓荒らしをしてるんだ?」

「墓荒らしなんて失礼だな。ここは外の世界から面白いものが色々迷い込んでくるから、有効活用してやっているだけだ。あと……」

 

 少女は飛び上がるように再び立ち上がると、スカートの土汚れをパタパタと叩いてから、ニカッと泥で汚れた笑顔を向ける。

 

「私は普通の魔法使いだから普通の人間じゃないぜ」

「は、はぁ……え、何だって?」

 

 突然ファンタジーな単語が出てきて、思わず聞き返してしまう。魔法使いって……俺の聞き間違えだと思いたかったが、白黒帽子の少女は俺の問いかけを聞き流し風呂敷を広げ始めていた。

 

「あ、あの……」

「そんなことよりお前、ちょっと手伝ってくれよ。私だけだと手が足りないんだ」

 

 少女は選り分けていたガラクタを風呂敷に手早く纏めると、俺に投げて寄越す。反射的に受け取ったはいいものの、どうすればいいかわからず呆気にとられれてしまう。

 そんな俺を気にかけた様子もなく、女の子に同じような風呂敷包みを二つ三つと次々投げられ、瞬く間に両手が塞がってしまった。

 

「重ッ……何で俺がこんなことを……」

「いいから! どうせお前も外の世界から迷い込んだクチだろ? 元の世界に帰れるよう手配してやるから手伝えって」

 

 少女は屈託のない笑みでバンバンと肩を叩いてくる。実にフランクな性格だ。ブロンドの髪だしやっぱり海外の人だろうか?

 いや、それよりさっきから言っている外の世界とか元の世界とか云々……一体何を言っているんだろうか? 流行りのゲームか何かか?

 わからないが……現状をどうにかしてくれるのなら何でもいい。この際多少の好き勝手は大目に見るべきだろう。

 恐怖心で常識が麻痺しているのか、俺は存外寛大な気持ちになっていた。

 

「分かったよ……それで何処へ持っていけばいいんだ?」

「香霖堂だぜ。お前、空は……飛べないよな。なら特別に後ろに乗せてやる」

 

 そういうと少女は傍らにあった箒の柄に風呂敷包みを何個か通すと、箒に跨って手招きしてくる。俺は意図がわからず、その場で立ち尽くしてしまう。

 

「……え、何で箒に跨っているんだ?」

「何でって……魔法使いが空を飛ぶ時には箒に跨るものだぜ?」

 

 当然だろ?と言わんばかりの顔に、俺は思わず眉間にシワが寄ってしまう。いや、根本的に空を飛べるという発想がどうにかしているんだが……まあ、ごっこ遊びに付き合う程度で助かるんだったら、いいと思うか。

 半ば思考放棄気味にそう判断した俺は彼女の言う通り、後ろに回り箒に跨った。フワリと石鹸の匂いが漂ってきて、思わず身を逸らしてしまう。側から見られたくない状況だろうな、今の俺。

 

「ちゃんと柄を持ってないと落ちるぞ」

「もう何も言うまい……」

「んじゃ、出発だぜ!」

 

 彼女の為すがままに風呂敷の結びと纏めて箒を握る。

 それを確認した少女は白黒の帽子を深く被り直して、地面を大きく蹴った。すると見る見るうちに足が地面から離れ、視界が上がっていく。

 重力に解放されたような浮遊感、それに気付いた俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

「は……はあっ!?」

 

 自分の目を疑ってしまいそうだ……俺は今、本当に空を飛んでいるのか!?

 あまりの出来事にバランスを崩しそうになるが、不思議と箒は安定している。そもそもこれだけの重量を箒で支えていること自体異様な光景だが。

 

「え、マジで飛んでる!? 嘘だろ、何のドッキリ!?」

「ちょ、ただでさえ重量オーバーなんだから暴れるなって! あとやけに素直に乗ったと思ったら、お前信じてなかったな!?」

「当たり前だ! 今時小学生でも箒で空を飛べるなんて思わないぞ!? てか、怖い! 安全ロープとかないのか!? 無防備過ぎて怖い!」

 

 文句を叫びながら必死に箒に捕まっていると、いつの間にかかなりの上空まで上昇していた。恐る恐る周囲を見回すと、そこには今まで見たこともない景色が広がっていた。

 言うならば、日本の春の原風景というやつだろうか。山桜が満開に咲き乱れている。自然豊かな日本でも、これほど豊かな自然は写真でも見たことがない。今や日本では失われつつある自然に囲まれた美しい土地だ。しかもそれを飛行機も使わずに箒で空を飛びながら見るなんて、二度と出来ない体験かもしれない。

 自分の置かれている状況も忘れ感動していると、少女はやれやれと呆れの籠った笑い声を上げる。

 

「ふふ、やっと落ち着いたか……そういえば、お前の名前、まだ聞いてなかったな。なんて名前だ?」

「え? あぁ、輝星北斗(きぼしほくと)だけど……」

「北斗だな。私は霧雨魔理沙だぜ。んじゃ北斗、振り落とされるなよー!」

「え、ちょ、振り落とされるってどういうことおおおおぉぉぉぉっっ!?」

 

 霧雨魔理沙と名乗った少女に尋ねる暇もなく、俺は突然の超加速に悲鳴をあげることしかなかった。


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