「はぁ……美少女に抱き着きたい」
「いかがわしい発言はやめてください」
休み明け。頼りになる仲間達を巻き込んだ例の騒動で三度も死にかけた俺は、晴天で勉強がダルイこともあり、いつも通り机に突っ伏していた。
なんか最近、少しとはいえこの世界に馴染んできているような気がしてならない。向こうですら居心地が最悪だったのに。
学校は今も嫌いだ。アイちゃんや委員長のような美少女がいなければ通いたくもないし、これが義務教育でなければとっくに退学している。
でもまあ、姉さんやスミ姉のように道を踏み外して犯罪の片棒を担ぐのはごめんである。だから嫌でもまっとうに生きるしかないのだ。
「はぁ……美少女とイチャイチャしたい」
「私はお断りです」
さっきから隣の席に座っているアイちゃんが冷たいでござる。しかも自分のことだと思っていたらしく、バッサリと断りやがった。
それにしても授業ってこんなに長かったか? 体感的にはもう三時間は経っているはずなのに、実際は始まってから三十分も経っていない。
「はぁ……美少女と寝た――あだっ!?」
「それ以上はいけません」
欲望のままに願望を言おうとした俺の頭を、教科書の角で叩くアイちゃん。まあ、分厚い六法全書で叩かれるよりはマシだが。
「アイちゃん。今なんの授業してるんだっけ?」
「…………数学です。それくらい覚えてください」
「そっか。んじゃ頑張って寝る――」
「頑張る方向が違いますよ」
そんなことは気にしたら負けだ。ではさっそく寝るとしましょうか。
………………ダメだ。眠れない。目が冴えてるせいか全然眠れないぞこんちくしょう。
これは反省すべき点だ。居眠りなしで授業を切り抜ける方法も考える必要があるな。
「なぜだ……なぜ眠ることができないんだ……」
「午前の授業全てで居眠りしていたせいですよ。真面目に授業を受けてください」
その後もアイちゃんとこんな感じのやり取りを先生にバレない程度で繰り返した後、俺は最後の五分だけ真面目に授業を受けた。
「イツキさん、この前の続きをやりましょう」
「待ってアイちゃん。いくらなんでも唐突過ぎるんだけど」
放課後。早く帰って美少女のイラストでも描こうと意気込んでいた俺は、まっすぐな瞳でこちらを見つめるアイちゃんに決闘を申し込まれた。
この前の続きというのは、諸事情で行った練習試合のことだ。あの時は共倒れしたから引き分けに終わったんだが……まだ根に持ってたのか。
俺達のいる場所がまだ教室ということもあり、周囲からは何事だと言わんばかりの視線を向けられている。見せもんじゃねえぞ。
「誰も今日やるとは言ってません」
「じゃあいつやるんだよ」
「大会が終わった後です。今はコーチが許してくれませんから」
当然である。
「……断ってもいい?」
「構いませんが、私は諦めませんよ」
お願い諦めて。俺のためにも。てかどうして彼女はここまで俺に目をつけるようになったのだろうか。そこが気になって仕方がない。
……もしや、これは好意の裏返しというやつか? だとすればこの場合、ツンとボコが妥当だな。アイちゃんのこれまでの行いを見る限りは。
とはいえ残念ながら、どちらも好みではない。俺の好みは前向きで裏表のない奴なんで。
「……何を考えているんですか」
「ツンとボコについて」
「??」
何を言っているんだこの人は、的な顔で首を傾げるアイちゃん。嘘は言ってないぞ、嘘は。
もしここで『その態度は好意の裏返しだね!?』とかストレートに言ったら今の五千倍は冷たい視線を向けられるに違いない。
だから要点だけ言ってそれ以外をはぐらかしたのだ。やだ俺ってば天才。
「じゃ、そゆことで」
「?? よくわかりませんが、勉強もせずに帰れると思っているのですか?」
しまった。決闘の申し入れを断るのに夢中でアイちゃんとの全然ありがたくないマンツーマン指導を忘れていた。この際だ、逃げよう。
「あばよっ!」
「また逃げるつもりですか!?」
一言告げて教室から逃げ出すも、アイちゃんは今度こそと言わんばかりのいつも以上にキリッとした表情で追いかけてきた。
この逃亡劇、これで何回目だろうか。勝敗で言うと結構負けてる。しかも俺が勝ったときは大体スカートの短所が利用されている。
身体能力と魔法なら俺の方が上だ。だが、無駄のない動きと優れた頭脳という点ではアイちゃんが有利だ。俺が地球出身ということもあり、向こうは学校の構造を俺以上に把握しているからな。
「チッ! そろそろ逃げ場がなくなってきたな……!」
ゴミ箱の中、木のモノマネ、他の生徒や教員の背後、跳び箱の中、木の上、机の下。
今日に至るまでアイちゃんを振り切ろうとあらゆる場所へ隠れていたが、同じ場所はさすがに無理だと二日前に判明している。
「窓から――」
「させませんっ!」
「うおっ!?」
さっそくスカートの短所を有効活用できる逃げ道を使おうとした途端、伸びていた右足をアイちゃんに掴まれ、廊下に投げ出される形で引き戻されてしまう。
すぐに受け身を取ってダメージを抑えたのはいいが、問題は前方のアイちゃんだ。無情にも逃げ道の窓を閉めやがった。
とりあえず彼女から距離を取るべく、生徒を避けながら廊下を全力疾走する。先生にバレるのは確実だが、捕まらなければ大丈夫だ。
もちろん、俺の逃亡をよしとしないアイちゃんは優等生らしからぬ顔で追いかけてくる。足、この前よりちょっと速くなった?
「諦めて止まりなさい!」
「はっはっは! 止まれと言われて止まるバカがどこにいるのかね!?」
止まったら勉強漬けという名の地獄へ連れていかれる。なのに俺が素直に止まると思っているお前の姿は相変わらずお笑いだぜ。
階段を下りるなんて真面目なことはせずに全段飛ばしをかまし、真面目に一段ずつ階段を下りてくるアイちゃんとの距離を広げていく。
「くっ……! どうしていつも運はイツキさんの味方なんですか……!」
運以前の問題だと思う。
「ふぅ、ここまで来れば少しは大丈夫だろう」
アイちゃんを撒いた俺はあえて自分の教室へ戻り、疲れを取るため席に着いて机に突っ伏す。
もう誰もいないから静かだな。というか皆、最近帰るの早すぎだろ。今回も放課後になってまだ五分しか経ってないぞ。
まあ、静かなら静かで別にいいけど。しばらくは見つからないはずだからぐっすり眠れるし。
……しまった、午前中にとことん寝まくったから今ここで寝るのは無理だな。とりあえず未完成の美少女イラストでも描くとしよう。
「…………その絵の女の子、私に似てない?」
「何奴ッ!!」
背後から聞き覚えのある声が聞こえたので振り向いてみると、今から帰るつもりだったであろう委員長が立っていた。
ていうかマズイ。これはマズイ。イラストを見られた。よりにもよって委員長に。記憶を消そうにもコイツが相手だと無理だ。
「き、気のせいだろ」
「いやいや似てるよね? ほら、髪の色とかヘアスタイルとか瞳の色とか――」
「すんません絵のモデルにさせていただきましたァ!!」
言い訳上手な俺でもこれはごまかせない。
怒られる前に頭を下げ、素直に謝罪の言葉を述べる。土下座だけは絶対にしません。
そして頭を上げた瞬間、やれやれといった感じで首を振る委員長の姿が目に入った。こうして間近で見てみるとホントに可愛いな。
「はぁ……緒方くんだから良かったけど、もし他の人がやってたら本気でヤバかったよ」
「面目ない――ん?」
今なんと申したこのお嬢さん。
「俺なら描いてもいい、だと……!?」
「う、うん――はい?」
それって俺専用になるってことだよね? 俺専用のモデルになるってことだよね? つまり俺のものになるってことだよね!?
完全に盲点を突かれた。この展開は想定外どころか予想すらしてなかったぞ。
これは嬉しい。嬉しすぎる。今すぐ皆に自慢してやりたいほどには嬉しい。
だ、だがしかし……合意とはいえ自分の好きな女を物扱いするのはさすがに気が引ける。純愛派の身としては罪悪感が半端じゃない。
「…………何か勘違いしてない?」
「してないぞ。えーっと、確かお前が俺のものになるんだよな?」
「わ、私が君のもの…………ちちち違うよっ!! な、なに意味のわからないこと、い、言ってんのさ――じゃなくて、意味はわかるけどそういうことじゃないから!! 今は違うからー!!」
「今は違うの!?」
ジト目から一気に顔を真っ赤にし、動揺しまくる委員長。お前はそれでいいのか? 今じゃなければ俺のものになってくれるというのか!?
ヤバイ。胸の高まりが尋常じゃない。嬉しさのあまりドキドキしちゃってる。思わず彼女に抱き着いてしまわないか心配だ。
……まあ彼女の羞恥心も限界っぽいし、ここらではっちゃけるのは止めておこう。
「ごめん、マジでごめん。今はまだ冗談だから安心しろ」
「そこは今じゃないの!?」
なんかデジャヴだなおい。
「ったく、年齢考えろよ。付き合うにしても早すぎるわ」
「うぅ……でも、この前テレビで『愛があれば年齢は関係ない』って言ってたから特に問題はないよ――でもなくて!! とにかくそれは君の勘違い! 勘違いだから! わかった!?」
「アッハイ」
物凄く強引に結論付けられた。つっても適当にはぐらかされたわけじゃないし、大きな収穫もあったから良しとしますか――
「見つけましたよイツキさん!」
「逃げるぞ委員長!」
「え――はぇ!?」
とりあえず納得したので頷こうとした瞬間、ついさっき振り切った悪魔のアイちゃんが教室へ入ってきた。思ったよりも早かったな。
それと同時に、俺は状況を飲み込めないでいる委員長をお姫様だっこで担ぎ逃走する。当然、委員長の顔はリンゴの如く真っ赤になった。
こうなったら彼女と共に愛の逃避行だ! 俺はこの戦いに勝利する!
「イツキさん! 関係のないユミナさんを下ろして止まりなさい!」
「待ってアインハルトさん! その言い方だと優先順位が逆になってしまうんだけど!?」
「意外と抜けてるよね、アイツ……」
今日はいろいろと幸運だな。俺はそう思いながら、アイちゃんから逃げるため可愛い委員長と共に校舎を駆け巡るのだった。
このあと捕まった挙げ句、関係のなかった委員長も加わってめちゃくちゃ勉強させられた。
《今回のNG》TAKE 80
「はぁ……緒方くんだから良かったけど、もし他の人がやってたら本気でヤバかったよ」
「そんなにヤバイのか?」
「ヤバイに決まってるじゃん! ただでさえ変態の緒方くんがいるというのに、そこへもう一人増えるなんて堪ったものじゃない!」
「どんだけ俺を変態にしたいんだよ!?」
そろそろ泣いてもいいと思う。