東方風云録 ~ブーンが天狗少女と出会うようです~   作:蒼狐

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参の符(前編)

 

――夢幻例大祭。

 

それは夢幻の名を冠する大祭。

 

人妖。妖怪。霊魂。超人。神。魔物。――それら幻想《まぼろし》となった者達

 

男。女。少年。成年。老人。――これら未だ夢《ねがい》持つ者達。

 

双方が互いを必要とし、力と成る事で始めて可能となる人知れぬ闘い。

 

夢想器を持て。

幻想と契約せよ。

その先に夢想は叶う。

 

――闘いは未だ、宵の口。

 

 

 

 

 

 

 

人間と妖怪。異なる種族が出会った事で起きた一つの戦いがようやく終わった。

 

宵闇の妖怪ルーミアをパートナーとするモナー。

"倒した"とまでは行かないが、少なくとも思いっ切り痛い目を見てもらったのだから、ほぼ倒したと言っても良いだろう。

そして囚われていたツンも助けだせた。

こちらも無事とは言いがたいが、射命丸曰く命に別状もなく生命力も一時的に減衰しているだけだと言う。

数日、風邪のような症状になるかもしれないがそれで治るらしい。

 

全部が元通りにはならないが、少なくとも身の回りには平和が取り戻せた。

 

――そう、思っていた。

 

 

 

('A`;)「……ブーン……?」

 

(;゜ω゜)「……ドク……オ?」

 

逃げ場の無い室内で、立ちすくんだまま互いに互いの名を呼ぶ。

そうしたのは、それしか出来なかったからだ。

驚愕と疑念の視線のみが、宙を交わる。

 

ほんの数日前まで、この部屋に足を踏み入れる者は多くなかった。

この部屋を与えられている内藤ホライゾン本人。

同室となるドクオ。

朝わざわざ起こしに足を運ぶ友人ツン。

たまに遊びに来るもう一人の友人ショボン。

 

所が今、この場にはそれ以外の存在が居た。

 

射命丸「――まさかこんなに早くだなんて……」

 

この世界ではない幻想郷と呼ばれる場所から来た"妖怪"。鴉天狗が射命丸文。

今は使用した妖力の分、省妖力形態とも言うべき小さな姿で内藤の肩近くに浮かんでいる。

 

そして、もう一人――。

 

射命丸「ルナサ――。ルナサ・プリズムリバー……」

 

ルナサ「……新聞屋さん? ……随分縮んだね」

 

ルナサと呼ばれた見知らぬ誰かが、ドクオの隣に佇んでいた。

黒衣を身に纏い、金色の儚い月光のような髪色をしたその姿は、まるでルーミアと同じ配色をしてはいるが、よくよく見ることもなく違う雰囲気を纏っていた。

気品と悠然さを併せ持つ……そう、まるで芸術家。

静かに自己主張をするような、落ち着いた印象と意思を持ち合わせる品性と顔つきが、享楽主義的なルーミアとは全く違っている。

 

しかし、問題はそこでは無い。

 

('A`;)

 

(;^ω^)

 

こちらが、ドクオの隣に居る少女を見据えているように、ドクオもまた"射命丸"を見ていた。

それはつまり――

 

(;^ω^)「……ドクオも、"契約"を……?」

 

('A`;)「……」

 

"夢想器を持っていなければ、彼女達の姿を見ることは出来ない"。

 

それが夢幻例大祭という盤上において何を意味するのか。分からないほど平和ボケしてはいない。

ドクオからは、否定の言葉は出なかった。

 

互いに動けぬまま、空気だけがその密度を重く高めていく。

 

射命丸「――ドクオさん、でしたね」

 

膠着状態の中、発せられた射命丸の声にドクオの肩がはねた。

 

射命丸「今はもう私の声が聞こえますね? まずは話を――」

 

( A ;)「……さい」

 

(;^ω^)「ドクオ?」

 

それは小さく、震えた声だった。あまりにも弱々しく聞き取れない。

何とか彼の言葉を受け取ろうと、一歩近づいたその時だった。

 

('A`;)「――うるさいって言ってんだよ!」

 

(;^ω^)「……おお?」

 

射命丸「ドクオさん……」

 

次の瞬間、着の身着のままドクオは近寄る者全てを振り払うように押しのけると、そのままドアを大きく開け放って出て行ってしまった。

後には重苦しい空気に包まれた、射命丸と内藤のペアと――

 

ルナサ「……」

 

開かれたままのドアを、何も言わず静かに見つめるルナサ・プリズムリバーの姿が残された。

 

(;^ω^)「ドクオ……」

 

たった一つ胸に渦巻くシンプルな淀み。

それは、ドクオが契約してしまったからではなく、ドクオが強く反発したからでもなく、去り際に見えた彼の表情が原因だった。

 

――ドクオが、苦しんでいる。

 

何よりもそれが見えてしまったから、理解ってしまったから。

しかし、だからと言って彼の後を追う事は出来なかった。

何故なら

 

射命丸「ブーンさん! 気持ちはお察しします。だからこそ、ここは――!」

 

(;^ω^)「射命丸」

 

視線の先で、射命丸が両の腕を広げていたから。

本来の姿から随分と小さく縮んでしまった体で、精一杯行く手を遮らんとして。

 

(; ω )(……ボロボロじゃないかお)

 

実体の無い彼女の外見上は大きな変化は無い。怪我は勿論、衣服が乱れもしない。

しかしまとう存在感が、揺らぐ瞳の輝きが、いつもの彼女のそれとは違い弱々しく感じさせた。

 

(; ω )(――ああ、それは僕もか)

 

たまたま目に入ったスタンドタイプの安鏡。そこに映った自分の姿は酷い物だった。

服は木の葉や枝で引っ掛けた傷や汚れだらけ。自分では分からないが、きっと顔もいつもより疲労で老けて見えているのだろう。

 

射命丸「ドクオさんの事やルナサさんの事は、私に任せてください。何とかする方法をきっと……いえ、必ず考えますから……!」

 

( ^ω^)「……」

 

出来る訳がない。射命丸にこうまでされて、その思いを押しのける事なんて。

返事の代わりに、そっと彼女の頭へと手を乗せる。そのまま触れられぬ頭を感触の代わりに感覚で、優しく撫でた。

 

射命丸「……ブーンさん」

 

( ^ω^)「分かった……いや、分かってるお射命丸。もう無茶して追いかけるなんて言わないお」

 

最早、運命共同体。

射命丸の思い等すべてお見通しだ。まだ短い期間しか共に過ごしていないが、少しは射命丸の気持ちも察せる良い男になれたかもしれない。

 

射命丸「ご理解有難う御座います。――ところで、私はこれでもブーンさんよりも遥かに年上なのですが……?」

 

――なんて思ったのも束の間。射命丸は瞬時にこちらの首にかかったままのカメラ紐に手をかけると、交差するように締め上げて来ていた。

 

(;゜ω゜)「ぐ、ぐぇぇぇ!? 首がっ首がぁぁ!」

 

射命丸が弱ってるだなんてガセ情報を流したのは誰だと、血と二酸化炭素が滞りがちな頭で考える。

勿論、それは他でもない自分です。ついでに言えば選択肢を誤ったのも。

こんな事ならドクオのやってるギャルゲーを少し貸してもらって、女心を理解しておけば良かったと、今更ながらに後悔する。

 

ルナサ「――ふふっ」

 

射命丸「あややっ……?」

 

(;^ω^)「……げほげほッ……お?」

 

不意に聞こえてきた笑い声。いや、失笑?

兎も角、振り向いた先でルナサは笑っていた。

 

ルナサ「賑やかな人なのね」

 

硬そうだった表情とは一変した優しげな笑みに、思わずこちらの頬が紅く染まる。

 

(*^ω^)(何だか最初は無愛想で怖かったけれども、案外優しそうな人だお! 射命丸)

 

成る程、これがギャップ萌えと言うやつか。未知の領域にあるトキメキに、ついつい感想を小声で自らのパートナーに告げてしまう。

射命丸「……すみませんねぇ、私はあんまり優しそうではなくて」

 

(;^ω^)「えっ、いやっ……すみませんでしたお!?」

 

ついうっかり口が滑りました第二弾。

射命丸から発せられている雰囲気に棘棘しさが増したのを敏感に感じ取った次の瞬間には、無意識に額を床の木材に擦りつけていた。

これぞ奥義・マッハ土下座。成功率は五割程である。

 

ルナサ「ふふ」

 

再び聞こえてくる笑い声。

どうやらこの場は既に、漫才コンビ"ブーン&射命丸"の会場と化しているようだ。

楽しんでもらえて何より。つられるまま、こちらも笑みが溢れる。

ルーミアとモナーの二人と戦っていた時には思いもしなかった事だ。こんな風にまた笑えるなんて。

 

ルナサ「……何だか、妹達を見ている気分になるよ」

 

その折、ルナサはここには居ない誰かを見る遠い目をしながら、唐突に呟いた。

 

( ^ω^)「妹?」

 

射命丸「ルナサさんには、妹さんがいらっしゃるんです。二人」

 

( ^ω^)「おー……そりゃ賑やかそうだお」

 

射命丸「それはもう賑やか通り越して姦しい……いえ、それすらも通り越して音の暴風とでも冠しましょうか。なんせ"騒霊三姉妹"ですから」

 

( ^ω^)「そうれい?」

 

ああ、あの夏に良く食べる白くて細い麺ーってそれはそうめんだろ、と心の中でセルフ突っ込みまで済ませてから、質問の答えを待つ。

 

ルナサ「……そう言えば自己紹介をしていなかった」

 

(;^ω^)「おッ!?」

 

彼女が緩やかに指揮者の如く手を振り上げた次の瞬間。ケースの上に乱雑に置かれていたヴァイオリンが、カタカタと自己主張をするかの如く揺れ動めき始めた。

無論、誰も手を触れていない。夢想器の持ち主であるルナサでさえも。

ピアノ線のような仕掛けを施すスペースは部屋には無い。

磁石や見えない所で支えているなんて事も無い。

目の前にあるのは紛れも無いオカルトの世界。

 

(;^ω^)「ヴァイオリンが宙に浮いてる!?」

 

最早驚き慣れたと思った"彼女達の世界"。

しかしながら、ヴァイオリンがひとりでに宙に浮かぶ光景を目の当たりにして、驚かないというのは難しい話だった。

そして怪奇現象はまだまだこれからが本番だった事も間もなく解らされる。

 

ルナサ「――私は騒霊《ポルターガイスト》。騒霊三姉妹が一人、騒霊ヴァイオリニストのルナサ・プリズムリバー」

 

ルナサの手振りに呼応するかのようにヴァイオリンは宙を舞い、音を奏でる。

それはまるで楽器自身が己の持つ唯一の声を発しているかのように。

最早、録音がどうこう仕掛けがどうこう等と考える事自体がすでに無意味だろう。

今、耳に届くこの感動は一流のヴァイオリンの音色。心へと直接響く、紛れも無い本物の音色なのだから。

 

( ^ω^)「なんだおこれ! これが本物のポルターガイスト! なんかこう……すごい? ……うん。すごい感動だお……」

 

――そう、すごい。素晴らしい。凄まじい。その筈だ。

なんせ胡散臭い動画やテレビでしか見た事の無いポルターガイストの本職が目の前に"居る"し"在る"。オマケにプロ級の腕前の音楽を、贅沢に最前列の特等席で聞けるという素敵シチュエーションなのだ。

陳腐な褒め言葉しか浮かばないが、心底感動している。感動している筈なのに――

 

( ^ω^)「……なんか、テンション落ち着いてきたお?」

 

奇妙だと自分でも分かっているのに、心は勝手に静まっていく。あからさまにおかしな状況だった。

再度思うが、想像を超えた経験はまだまだ人生の中にあるらしい。

 

ルナサ「私の奏でる音は、魂を鎮静させる。音が気に入ってくれたなら……嬉しい」

 

( ^ω^)「うん。僕は好きだお。……でもヴァイオリンが飛び回る意味は?」

 

ルナサ「それは騒霊だから」

 

( ^ω^)「……騒霊だから?」

 

ルナサ「……騒霊だから」

 

( ^ω^)「……」

 

ルナサ「……」

 

何故だか分からないけれども、もうこれ以上詳しく聞こうとする事自体どうでも良くなってきた。

ついさっきまで戦いの中ですり減り、摩擦によって熱を保っていた心が、今や静けさを取り戻した水面のようだ。

 

射命丸「あややや……人間のブーンさんにはダイレクトに効果出ちゃってるみたいですね。……所でこう言う能力でしたっけ?」

 

ルナサ「そう、鬱の音を演奏する程度の能力。そして、騒霊だから触れずに楽器を演奏する事も出来る。……知らなかったっけ?」

 

射命丸「……いえ、これには事情がありましてですね……。……兎も角、ちょっとそろそろ音を止めていただけますか? このままだとブーンさんが……」

 

( ーωー)Zzz...

 

射命丸「――遅かったか」

 

ルナサ「……遅かったね」

 

クラシックは眠るのに丁度いい。

披露したくてもしちゃいけないが、今回得られた豆知識である。

呆れ顔と仏頂面に見つめられながら、時間は勝手に流れていく。

 

 

 

 

 

( ^ω^)「……はぁ」

 

射命丸「あやや? やはり寝たりませんでした?」

 

( ^ω^)「いや、そういう訳ではないお……」

 

内藤ホライゾンは、あれから数時間の熟睡の後、気怠い体を引きずるようにして学校へと路を歩んでいた。

ちなみに、しっかりと通学カバンにカメラも仕舞ってある。

ただ、ルナサの夢想器であるヴァイオリンは持ち歩くには目立ちすぎるので、お留守番してもらっている。

 

空は快晴。風も順風。地には人。

いつも通りの景色。

いつも通りの通学路。

 

戦いも終わり、いつも通りの日常がそこに――

 

――いや、いつも通りでは無い。

 

ツンが居ない。

 

今回、セットし忘れた目覚まし時計の代わりに起こしてくれたのは射命丸。

それ自体は新鮮で良かったし、起こしてもらえた事には感謝しているのだが、どうにも何かが物足りなく感じた。

ルーミアに襲われたけど、問題無く翌日には回復しました――。なんて事にはやはりならなかったようだ。

射命丸の見立てでは妖力に満ちたスペルを生身で食らったとは言え命に関わるレベルでは無いらしく、疲労による衰弱で済んでいるだろうとの事だったが、やはり心配は心配だ。

 

そして、心が重いのはそれだけじゃない。

ドクオの事もだ。

今は射命丸の言う通り、時間の解決に任せようとは思っても、気になって仕方が無い。

 

たった二つ。しかしその二つが欠けただけで世界を彩る輝きが、まるで鈍って見える。

 

( ^ω^)「……はぁ」

 

射命丸「あーもー……駄目ですよ? 若い身空でそのようなため息ばかり。……ああ、そうです。朝ごはん食べてなかったでしょう? 学び舎への道中、軽く茶屋とか寄りません?」

 

( ^ω^)「茶屋?」

 

一瞬喫茶店が思い浮かんだが、あんなお洒落空間に単身乗り込む勇気が無い事を思い出す。

代案として浮かんだのはコンビニだった。

 

( ^ω^)「コンビニ……」

 

コンビニと言えば、おにぎり。弁当。惣菜パン。そうそう、ホットスナック系も捨てがたい。

新発売なおにぎりや惣菜パンを片手に、もう一方で熱々なフライドチキンの類を貪り付く。

考えただけで、香ばしいスパイスと肉の喜ばしい脂の香りが頭の中で立ち上った。

 

( ^ω^)「なんだか、腹が減ってきたお」

 

同意するように腹の虫が精一杯可愛らしく鳴き声をあげた。

 

射命丸「あやや、ブーンさんは腹の虫まで単純明快ですねぇ。ですが、それでこそです! "こんびに"とやらに早速行きましょう!」

 

(*^ω^)「……そうするかお!」

 

考えても解決しないのならば、解決するその時までせめて元気でいよう。

胸の内のモヤモヤを振り払うように、学校への通学ルートから外れると、未だ見ぬ新発売の美味な朝食達へと気持ちを精一杯切り替えていった。

 

 

 

 

 

('A`;)「……ヤッベ……」

 

人生最大のピンチと言うのはいつ何処で来るか分からない。

そしてそれは、大概準備不足や想像の不足によって起きるものだ。

 

貧相系男子高校生・宇津田独男は通算74回めの人生最大のピンチの最中、そんな言葉を思い浮かべていた。

要約すると、コンビニレジでの精算フェイズでようやく己が財布を持ちあわせていなかった事に気が付いた。

 

「如何なさいました?」

 

('A`;)「あっ……いやっ……ダイジョブっす」

 

小綺麗な接客スマイルに怖気づいてつい口走ったが、勿論大丈夫じゃない。

ていうかそんな笑顔こっちに向けないでくれ、光の中に消え去ってしまう。

 

('A`;)(キャンセル……? いやそれは出来ない!)

 

本来ならすんなりキャンセルすれば良いのだろうが、今回はホットスナックを注文してしまっている。揚げ物を専用の袋に入れてもらうという手間をかけさせた手前、キャンセルは言い難い。

と、そうこう考えている内にコンビニ備え付けの電子レンジが軽快な電子音を鳴らして、温め任務完了を嬉しそうに告げてきた。勿論、中にあるのは自分の購入予定(だった)おにぎりだ。

時間と共に自分が自分に仕掛けた伏線がどんどん回収されていく。

このままではBADEND直行だ。

 

('A`;)(ヤベー! ヤベー! どうしようヤベー!)

 

その内脳裏に浮かんでくるクラスメイト(多分)の矢部君の顔。違うお前じゃない座ってろ。

今、この状況を打破出来るのは、夏目さんか諭吉さんだけだ。おっと樋口さんも忘れてはならない。

 

「……あの、キャンセルなさいますか?」

 

あまりにも狼狽しまくるこちらの様子を察してしまったのか、店員さんが自らリスクを冒して提案して来てくれた。

これこそ天の助け。その気遣いに甘えさせていただこう。

 

('A`;)「……や、ダイジョウブ……っす……」

 

ああああ! だから何がダイジョウブっすだ! 何を口走っているんだ! 状況を考えろ! 何でちょっとクールぶってるんだ!

 

そうは思いつつも、時既に遅し。

店員さんはもう話しかけて来ないし、背後には他の人の気配までする。

もう駄目だ。出来ることと言えば、財布を意味もなく開閉し続ける事位。財布を開閉し続けるバイトとか無いかなとか現実逃避しながら。

 

「――少々、良いかね?」

 

('A`;)「……?」

 

二隻目の助け舟が出たのはその時だった。

 

「これで彼の分も頼むよ」

 

コンビニ備え付けのレジ籠と共に目の前に現れたのは、クレジットチャージ式のコンビニカード。

会計がスムーズになるかなと導入を検討した物の、そもそも登録時点のコミュニケーションに耐えられなくて延期したヤツだ。

 

「よろしいのですか?」

 

「ああ、問題無い。彼は知り合いでね」

 

('A`;)「……」

 

勿論、知り合いなんかじゃない。

こんな外国製の高そうなスーツを優雅に着こなす社会人男性(しかもイケメンボイス)の知り合いなんて居てたまるものか。

しかもなんだその白手袋。オシャレか。オシャレなのか。

 

「ありがとうございましたー」

 

('A`;)「……」

 

「さ、出ようか」

 

とまぁ、そうこうしている間に会計は無事に二人分済まされてしまった。

手渡される複数の袋を持つ権利すらも奪われ、トボトボとその後をただ付いて行く。

 

('A`;)「あの、ありがとうございマス……?」

 

しめやかに開く自動ドア。

ずっと流されるままだったが、閉塞感と人口密度の高い店内から開放された勢いついでに、やっとお礼を告げる事に成功した。ちょっと声が裏返ったが。

 

「何、構わないよ。それよりも出すぎた真似をして、こちらこそすまなかった」

 

驚いた事に謎のサラリーマン風の男は、逆に謝ってきた。

何という大人力。これが熟成されたイケメンだけが成せるというイケメンカウンターか等と分析しながら、手渡されたコンビニ袋を受け取る。

 

「それに、助かったのはこちらだ。何分、こういった所での食料品は口にした事が無くてね……。思わず買い過ぎてしまった。一人で精算するには少々気恥ずかしかったのだよ」

 

そう言って軽く掲げられる袋・フクロ・HUKURO――。

追加注文のホットスナック系と、おにぎり・サンドイッチ・弁当・パン・etc……まるで何処かで宴会でもするのかという量だ。

あまりの量に、袋詰にかかった店員さんの眼に妙な使命感の炎が灯っていた程に。

 

('A`;)「……あの、後で……払う。ます。財布……家……」

 

くそ、駄目だ。人としての器の違いを見せつけられて、すでに言語が原始人だ。原始人は日本語話さないけど。

 

「はっは。気にしなくていい。どうしても借りを返したいのであれば、私ではなく社会に……いや、"世界"に返してやってくれ給えよ」

 

('A`;)「う、ウィッス……」

 

颯爽と去っていく見知らぬエリートサラリーマンさん。

やがて、名前すらも知ること無く、サラリーマンさんは姿を街中の人混みへと消して行く。

そして戻る現実感。とりあえず、もう見えなくなったサラリーマンさんへ向けて、精一杯の言葉を紡ぐ。

 

('A`#)「ケッ! 格好つけやがって! ありがとう! 爆発しろ! 本当助かった!」

 

悪態と感謝をチャーハンのように混ぜて炒めたような小さな言葉は、往来を行く人々の耳に止まること無く日光に浄化されて行った。

そうして――

 

('A`)「……」

 

後に残ったのは虚無感。

冷静になった頭で思い浮かべたのは素朴な疑問だった。

 

('A`)「……何で、俺ここに居るんだろう」

 

場所の事ではない。何故自分がここに存在しているのか。

それは、誰もがいつか抱く自問自答。

しかしドクオの場合、事ある度に思い浮かべてしまう自責と自傷の質問だった。

 

ただ立ち止まっているだけでも目立つので、いつも通りに裏路地の人の少ない場所へと足を進める。

そして、思考は巡る。

 

('A`)「――ブーン」

 

思わず呟いたのは、友の名。

いや、"友だと思っていた奴の名"。

アイツの顔を思い浮かべただけで、胸の奥がどす黒く沈んでいくのが分かる。

それは自分でも理解不能な闇。

 

――あの時。ヴァイオリンの音を"まだ自分の意思で"かき鳴らせていた時。

 

('A`;)『な、なんだ!? ――何が起きてるんだ!?』

 

――突如、"体が誰かに乗っ取られた"。

そうとしか表現出来ない。

ヴァイオリンを持つ腕と肩から自然に無駄な力が抜け、弓引く手は精度を増し、弦を抑える指はまるで別の生き物のように蠢き始める。――これを、他にどう言い表わせば良いのだろう?

 

('A`;)『どうなっちまった!? 俺の体ッ!?』

 

言葉とは裏腹に、洗練されていく音の奔流。

一つ一つ形と艶の違う響きが集い、並び、そして大きな何かを形成していくような時間。

 

('A`;)『くっそ……誰か! オイ! 誰か!』

 

耳が決壊しそうな程の音の流れ。しかし、他の誰もこの異変には"気がつかない"。

まるでこの部屋だけが別の空間のように切り離されているかのように。

叫び声をいくら上乗せしても、無駄だった。

 

('A`;)『何だってんだ……何だってんだよ!?』

 

やがて、部屋の家具や道具までもが、その身に意思が宿ったかのように騒ぎ立て始めた。

台風だって、大地震の時でさえこうはならない。

 

そう、これは生まれて初めて眼にする真のオカルト。パニックに陥りながらもこの現象の名ぐらいは思い浮かんだ。

 

('A`;)『――"ポルターガイスト"?』

 

騒霊現象《ポルターガイスト》。

騒がしい霊という名の通り、幽霊が道具や楽器、果ては大きなベッドでさえをも動かす現象。

昔テレビではポルターガイストは家主ぐるみのヤラセで全て説明がつくと言っていた。

しかし、体験して初めて分かった。これでは他の科学的な説明が介入する余地が無い。

そしてそれは、解決法が無い事をも意味する。

 

('A`;)『うあ……や、やめろ! やめてくれ!』

 

最早、自分の力ではどうにも出来ない。

己の知識と経験・そして常識を超越した目の前の何かに、為されるがまま身を任せる他無かった。

 

――しかし、そんな時間もやがて収束を見せる。

 

('A`;)『……え?』

 

全ての音が突然止んだ。

部屋の何もかもも、あれだけ騒いでた事実を疑ってしまう程に元通りになっている。

ヴァイオリンを勝手に奏でていた自身の体も、脳からのコントロールに再び従順な態度を示していた。

 

――終わったのか?

 

戻ってきた現実の世界。

しかし、それこそ単なる思い込みに過ぎなかった。

 

『……君が、契約者?』

 

('A`;)『……誰だ?』

 

――そこに居たのは少女。

何処から入ってきた? 何て疑問は今更浮かばない。

黒の巻きスカートとベストを身に纏う金髪のショートボブヘア。月のアクセサリーを拵えた黒い円錐状の帽子がその頭にちょこんと乗っかっている。

格好は少し目立つが、その佇まいは至って普通の少女だ。

 

しかし、何故だか分かる。こいつは人間ではないと。

纏う気配が、現実味の無い輪郭が、金色の瞳が、――その全てが物語っているのだ。

 

本当なら逃げ出したい。

だが、足は素直にそれに従ってはくれなかった。

 

ルナサ『――私は、ルナサ・プリズムリバー。……安心して。敵じゃない』

 

('A`;)『……』

 

普段ならばその言葉を聞いた瞬間には、既に逃げ出していただろう。

だが今回は馬鹿正直に、その言葉を信じてしまっている自分が頭の何処かで居たのだ。

あまりにも甘美な言葉。

悲しみに沈む己の精神は、その言葉を打ち払う事を拒む。

 

――ブーン達が帰ってきたのは、丁度その時だった。

 

 

 

( A )「……」

 

あの時、何故逃げ出してしまったのかは分からない。

ただ、一分一秒でもあそこには居られないと、……居場所は無いとそう思ったのだ。

しかし、こうしてずっと放浪している訳にも行かない。

いつかは着けねばならない決着。出さねばならない答え。

 

( A )「……どうしろってんだよ」

 

それらからも逃げ出すように、太陽に背を向けて歩みを進めていく。

暗闇《にげば》の無い日中の世界は、あまりにも眩しすぎた。

 

 

 

 

 

(*^ω^)「ふん、ふふーん♪」

 

ご機嫌な内藤ホライゾンを迎えたのは、これまたご機嫌なコンビニの入店音だった。

自動ドアの先に待っていたのは、揚げ物特有の香ばしい匂い。

期待感は既に最高潮だった。

 

射命丸「ほうほう……! これが"こんびに"ですか!」

 

射命丸はと言えば、鞄の中から僅かに開かれたチャック越しに覗く光景に興味津々と言った様子だ。

確かに、物量こそ大型店舗に負けるが、多種多様な品揃えと新商品の数々には何時来てもワクワクする。

一応そんなに気になるなら外に出れば? とは進言してみたのだが、『念の為です!』との事らしい。

 

射命丸「あっ! 新聞! 珍しい外の新聞ですよ!? ねぇブーンさん!」

 

( ^ω^)「いやいや、こっちからすればありふれた新聞だおー」

 

念の為、と言ったのは何だったのか。既に鞄から身を乗り出して新聞に近づく射命丸を手で制しつつ、お求めの新聞紙を適当に一部手にとってあげた。

 

【激震!! ご当地ゆるキャラようかんマンの中の人はUMA!?】

 

( ^ω^)(何だこれ……)

 

新聞なんて録に読んだことが無いので覚えていないが、一面の記事はこんな感じだっただろうか。

まぁ一応は新聞に違い無い。射命丸も嬉しそうに眼を輝かせているし、問題無いだろう。

 

( ^ω^)「さて、と……!」

 

気を取り直して、ここからが自分のターン。そして食欲との戦いである。

 

( ーωー)

 

そっと視覚を閉じ、精神を集中させる。

我が心、明鏡止水――。

 

脳内でイメージする事で生まれる世界。

そこは、一面の平原。

背後にそびえ立つは我が居城《サイフ》。

 

( ーωー)(……予算は五百円内。……いや、豪勢に千円!)

 

食欲《ターゲット》確認、予算《ウェポン》設定――OK。

想像の中の自分は、既に戦士。――そう、武器を手にして食欲と戦う一人の戦士。

 

( ーωー)(――やはり、お前から来るかお)

 

来るのは分かっていた。

いや、"そうなるように仕向けた"のだから当然だ。

瞳を閉じたのもその為。

 

最も大きく、最も素早くやってくる敵部隊。

 

――"揚げ物の香り"《ザ・ホットスナック》。

 

まず現時点で、というよりも一番食欲を刺激しているのはこの揚げ物臭だ。

店内のフライヤーでつい先程揚げられ、油と脂が高温で混じり合う事で初めて立ち上る香ばしい香り。

 

そう、これが彼らの武器。

アルファベットを当てるのならば、I。――I《いいにおい》のアルファベットIだ。

想像上の彼らは、槍を携え一心不乱に城へと突撃をしていく。

 

耐え難い油の誘惑。

 

――しかし、させない。

 

( ーωー)(ふっ……その手は通じないお)

 

これを最初に購入するのは素人さんのすることだ。

油物はレジで会計する際に手渡される。そしてそれに続くのは店員さんの暖かな『ありがとうございました。またお越しくださいませ』。

――そう、他に欲しい物があったとしても、最初に購入してしまった時点で何だか帰らなきゃならない感じになってしまう。

それでは本末転倒なのだ。

 

だが、彼らの突進力のある誘惑は、否が応でも鼻腔を刺激し、脳を痺れさせる。

城門突破も時間の問題だろう。

 

ならば――

 

( ゜ω゜)「スゥー……ハァ!」

 

起こした行動は、深呼吸。

そう、敢えて城門を開放し、どんどん場内へと敵を招き入れたのだ。

無論、こんな事をすれば食欲はますます刺激され、いずれ財布の紐の全面開放を起こす事だろう。

つまり城砦陥落。

アルファベットIを携える敵部隊長が、ほくそ笑んだ。

 

――だが、すぐにその表情は引きつった笑みへと変わる。

 

城門に向かった部隊が、それ以降進軍出来ずに居たのだ。

 

油物とスパイスの香りは実に濃厚で刺激が強い。

……故に、飽きやすい。

深呼吸することで過剰に鼻腔に取り入れた刺激は、過剰な信号となって逆に食欲を減退させる。

所謂、胸焼け状態。

突撃部隊等、冷静に対応してしまえば脅威では無い。

 

( ^ω^)「……安心しろ。お前らは後で相手してやるお」

 

しかし胸焼け状態と言っても、実際にはそう錯覚させているだけだ。

長持ちはしない。

この隙に、他の誘惑へと取り掛かる。

 

――いや、既にそこまで敵は迫っていた。

 

(;^ω^)「……くっ! これは……新発売のアイス!?」

 

店内の隅にあるクーラーボックス内。

本来なら目もくれずに次に行く所だが、今回はそうは行かなかった。

想像を掻き立てる色鮮やかな新発売アイスのPOP。それも、好物の柑橘系だ。

まるで待ち構えていたかのような鉄壁の構え。

アルファベットO《オレンジ》。大型の盾を構えた敵部隊は、こちらが次に進む事を封じてきた。

 

(;^ω^)「これは、さっきよりも厄介だお」

 

クーラーボックスに近づいただけで感じる爽快感。

僅かに漏れ出る冷気は、食欲へと直接作用する事はない。

――だがしかし、だからこそ、対峙する者に想像させるのだ。

口に入れた際に発揮される儚げな口どけと、爽やかな後味を!

 

刃を交える事無く強大さを主張する。まさに盾。

 

(;^ω^)

 

気が付けばクーラーボックスの上部の蓋をスライドさせたまま、身動きが取れなくなっていた。

ただただ時間だけが過ぎゆく。

盾もまた、自らは仕掛けない。存在を主張し、鉄壁の陣営を組み上げ続けるのみ。

 

だが、やがて膠着状態も終わりを告げる。

 

( ^ω^)「……フッ」

 

武器を構えること無く、盾部隊の渦中へと足を進める。

勝負を諦めたのか――。誰もがそう思う事だろう。

しかし、それは少し違う。

 

――そう、勝負は既に決していたのだから。

 

道を塞ぐように構えられた大盾。それにそっと触れた瞬間。――それらは全て打ち砕けた。

盾部隊長は何が起きたのか分かっていない様子だったが、これは必然だ。

 

( ^ω^)「氷菓子の類がその真価を発揮するのは、体の熱を相殺する時。――ぶっちゃけ少し寒くなってきたらあんまり食べる気しなくなるお」

 

そう、その為にわざと蓋を開けておいたのだ。

業務用クーラーボックスから漏れ出る冷気を少しづつ浴びて、体温を下げていく為に。

冷気が元で想像させられる誘惑は、同じく冷気によってほぼ無効化出来る。

あえて茨の道を突き進んだ事で得られた勝利だった。

 

( ^ω^)「さて、これで半分と言った所かお。来るなら来い。どれだけ誘惑されようとも僕は衝動買いには決して屈したりなんか――」

 

射命丸「――あの、先ほどからブツブツと何をおっしゃっているので? 買いたい物をさっさと決めて学び舎へと急ぎませんと、遅刻してしまいますよ? 最速を自負する私のパートナーが遅刻だなんて、許しませんからね?」

 

(;^ω^)

 

――と、言う事でさっさと買い物を済ますべく次に進みましたとさ。

 

とりあえず、惣菜パンや菓子パンの類は今回はパスだ。学校で買えるパンのが安い。

次に目に留まるのはやはりオーソドックスに弁当だが、通学中に食べてしまいたいのでこれも除外。

すると、残るのは――

 

( ^ω^)「……よし。新発売のおにぎりとチキン! スタンダードだけどやっぱりこれだお!」

 

勿論飲み物も忘れてはいけない。

今回は数ある飲み物から特定保健用食品に指定されてるらしい飲み物を選択した。

決して脂肪燃焼がどうとか言う文句に惑わされたからではない。

 

( ^ω^)「さーって。おにぎりおにぎり」

 

程なくして新発売のPOPが目に入った。

回転率の早い商品入れ替えもコンビニの魅力かもしれない。

期待を込めて、対象のおにぎりを探す。

 

( ^ω^)「……あれ?」

 

今度は見逃さないように棚をもう一巡。

そう大きな棚では無いので、あっという間に在庫状況は把握してしまった。

 

(;^ω^)「それっぽい値札タグはあれども、新商品っぽいおにぎりが……無い?」

 

ここに来て発動したのはコンビニトラップが一つ。

やたら早い在庫切れ。

 

コンビニはその店舗サイズの都合上、在庫を多く抱えることは出来ない。

その弱点をカバーする為に商品輸送のトラックは一日に数度やってくるのだが、それでも間の時間はコンビニの手札が尽きる事がままある。――新発売等と銘打つ商品は特に。

 

(;^ω^)「こ、このくらい……予想範囲内だお?」

 

射命丸「?」

 

突然脈絡無く話しかけられた射命丸が小首をかしげた。

新商品との初顔合わせを逃した悲しみは、きっと幻想郷では分からないのだろう。

気を取り直して、手頃なおにぎりを手に取る。

 

"こんがりバター&チーズのマヨネーズおにぎり(マーガリン風味)"か。チキンと合わせると口と胃袋が盛大に油まみれだが、問題無い。過剰なカロリーを相殺出来るようにダイエット飲料を既に選んである。

では、レジで華麗にフィニッシュを決めに行こう。

 

( ^ω^)「おにぎり温めお願いしますお。あ、それとフライドチキンも下さい。支払いは現金で」

 

つっかえること無くスラスラと注文をこなす。

しかもここに立った時点でもう既に、会計分のお金は大まかに出している。

完璧だ。あまりにも完璧過ぎてコンビニマスター(自称)としてのオーラが、店員さんまでをもたじろがせてしまっている。

今度はもう少し謙虚に会計をして差し上げよう。

 

「……あの、お客様。すみません。チキンはただ今売り切れでして――」

 

( ^ω^)「……?」

 

(;^ω^)「……うぇ!?」

 

一瞬、何を言われたのか分からなかった。いや、認めたくなかったのだろう。

しかし現実であると証明するように、保温ケース内に求めて止まないチキンさんの肉々しい肉体は横たわって居ない。

いや、それどころか――

 

(;^ω^)「ホットスナック系列――全滅!?」

 

「申し訳ございません。先ほど大量に買って行かれたお客様が居らっしゃいまして……」

 

(;^ω^)「なんて……ことだお……」

 

朝からどれだけ油物食べてるんだ太るぞ。と悪態をついてやりたい所だったが、ガラス表面に他ならぬその対象が映って居たので、言葉にせずそのまま飲み込む。

 

「あの、十分程お時間頂ければまたご用意出来ますが――」

 

余程カロリーを欲しているように見えたのか、店員さんから差し出された提案。

非常に魅力的な案だ。ここは甘えさせていただこう。

 

("やめておきます。これからダイエットなので"。ハイ、復唱)

 

( ^ω^)「あ、やめておきますお。これからダイエットなのでー」

 

(;゜ω゜)(ってあれえええええ!?)

 

「はい、かしこまりました。それではこちらお会計させていただきますね」

 

耳打ちされた言葉に思いっ切り引きずられて、言うつもりでは無かった言葉が口をついて出てきた。

勿論、この声は他の誰でもない。既に、鞄の中で素知らぬ顔をしている射命丸に違いなかった。

 

(;^ω^)(ちょ、ちょっと何言わせてるんだお!? これじゃ僕の必須カロリーに足りないお!?)

 

射命丸(はてさて、何の事でしょうか? 清く正しい射命丸文は、こうして大人しくしておりましたので分かりません)

 

(;^ω^)(嘘つけお!? 思いっ切り射命丸の声だったじゃないかお!?)

 

射命丸(……だって長いんですもの。ブーンさんの買い物。それにそろそろ学校へ向かわねば本当に遅刻ですよ?)

 

(;^ω^)(だ、大丈夫だお! いざとなったら鴉天狗の身体能力を発揮して――)

 

射命丸(そんな事に使わせる訳無いでしょう。それにそんなポンポン常時妖力の譲渡なんかしてられませんて)

 

(;^ω^)(えええー……)

 

わかってはいたが、やはり言い負けた。

仕方なく顔をあげると、ちょうどお釣りを差し出した店員さんと眼が合う。

 

「ありがとうございましたー。……またお越し下さいませー」

 

仕方なく観念して、おにぎりと飲み物だけが入った予定より軽いビニール袋を手に、自動ドアをくぐった。

店員さんがちょっと不審者を警戒する眼だった上、またお越し下さいの定例文句を躊躇していたようにも感じたが、きっと気のせいだろう。と言うか気のせいであって欲しい。

 

(  ω )「――ふっ……」

 

華麗なるコンビニマスターの買い物。

そのフィニッシュは、悲哀にむせび鳴く腹の虫の音で締めくくられた。

 

 

 

 

 

 

 

( ^ω^)「……はぁ」

 

美布高等学校2-Aクラス。

丁度一限目の授業が終わり、二限目までの僅かな休息時間の中に内藤は居た。

 

頬杖をつき、遠方の空を眺めながら、物思いによって生成された胸の苦しみをため息として排出する。

空腹故の苦しみもあるが、それだけでは無いだろう。静寂が映す苦悩はより複雑で厄介。

普段から脳天気に過ごす内藤の珍しい姿に、クラスメイト達はそっとしておく事を選んでいた。

いつもなら、それでもここでお節介焼きな友人たちが語りかけてくるのだが――。

 

( ^ω^)「……ツン、ドクオ……」

 

ルーミアに襲われ、療養しているツン。

そして、ドクオは出て行ったっきり、何の連絡も無い。

 

――そう本当に着の身着のままで、ドクオは色々と置き去りにしていってくれたものだ。

 

 

 

射命丸『――ルナサさん。やはり、貴方がドクオさんのパートナーに?』

 

ルナサ『そう』

 

射命丸『ええと、夢想器はどちらに? やはりそこのヴァイオリンですか?』

 

ルナサ『そう』

 

射命丸『……うーんと、ドクオさんと契約したのはそんなに以前からでは有りませんよね。つい先程、くらいでしょうか?』

 

ルナサ『そう』

 

射命丸『…………ルナサさんは相変わらず陰鬱としてますが、真ん中の妹さんの性格も相変わらず?』

 

ルナサ『……?』

 

射命丸『………………いやそこは"躁"って……ああもう、やりにくいです!』

 

(;^ω^)

 

登校前。射命丸はこちらを他所にルナサと何やら語り合っていた。

その様子を見てて最初に思ったのは、ルナサはドクオよりも更に輪をかけてテンションが低い人だと言う事だ。

良く言えば真面目。悪く言えば射命丸の言うとおり陰鬱。

何処か覇気の無い彼女の視線にじっと見つめられると、射命丸とは違った意味で圧倒されそうになる。ちょっと気持ちいい。

まぁそれはそれとして、他に分かった事も多い。

 

彼女はやはり、こちらの世界のオカルトにもある騒霊《ポルターガイスト》のようだ。最も、レベルだの姿だのは予想とは全然違うが。

本来こちらの世界でのポルターガイストとは、物を散らかして騒ぐレベルが精々で、こんなに綺麗な音楽を奏でられるようなのは噂レベルでしか無い(勝手に鳴るピアノとか)。まぁ彼女曰く、騒霊は基本的に騒がしく音を鳴り立てる幽霊の演奏家のような物らしい。皿が割れる音とかが音楽だったとは初めて知った。

ちなみに、やはり夢想器はドクオがいつの間にか持ち帰って来ていたあのヴァイオリンらしい。てっきり音ゲーのコントローラーだと思っていた。

とりあえずこの闘いについてどう思うか聞いてみたが、落ち着いた性格の通り闘う事に興味も必要性も感じていないとの事だった。

射命丸と違って言葉数の少ない彼女からこれだけ聞き出すのは(主に射命丸が)大変だったけれども、少なくとも今すぐ敵になる訳では無いと理解って、とりあえず胸を撫で下ろす事が出来た。

 

ルナサ『……あれ?』

 

( ^ω^)『お?』

 

ポフン、という気の抜ける音と共に、ルナサの姿が縮んだのはそれから間もなくの事だった。

射命丸と同じサイズの姿に変わった自身の姿に、彼女は少しだけ戸惑った様子を見せたけれども、どうやら肝が座っているらしく数秒後にはまたボウっと周囲を眺め始めていた。

 

射命丸『あやや? ドクオさんが結構離れたみたいですね』

 

( ^ω^)『離れた?』

 

射命丸『幻想郷側の存在は、夢想器を通して妖力を維持しているようです。そして、夢想器は契約というシステムを円滑に維持する為に、契約者の存在を必要とする……。要は、夢想器の認識する範囲に契約者が居ないと、妖力の充分な供給が出来なくなるのでしょうね。少ない情報から立てた、私の仮説ですが』

 

( ^ω^)『おー……、そんな事まで分かる物なのかお』

 

無意識に出た言葉だったが、射命丸は体ごとこちらに向き直る。何やら言いたそうな顔をして。

 

射命丸『――そりゃ身を持って体験しましたからねぇ?』

 

(;^ω^)『……その節は大変申し訳ございませんでしたお』

 

どうやら結構根に持つタイプらしい。向けられた笑顔は怖かった。

 

射命丸『兎にも角にも、ルナサさん。貴方はこれからどうなされるんです?』

 

ルナサ『ドクオ君とまず合流して、話をしようと思う。……まだこちらの世界の事も良く分からないし』

 

射命丸『……その後は?』

 

ルナサ『ん……。やっぱり妹達を探したいかな。メルランもリリカも放っておいたら心配だし……』

 

( ^ω^)『優しいお姉さんだお』

 

姉や兄を欲しいと思った事は何度もある。

その際思い描いていたのはこういう感じの優しい姉だ。

 

ルナサ『――放っておいたら何をするか分からない。誰かに迷惑かける前に見つけなきゃ』

 

( ^ω^)『……あれ?』

 

前言撤回。ちょっと思ったのと違った。

まぁうん。ある意味兄弟思い……なのは間違い無いか。

 

射命丸『あまり女性に幻想を抱き過ぎていると、足元掬われて財布の底が抜けて家財一切無くなって露頭に迷いますよブーンさん』

 

(;^ω^)『なにそれ怖い!?』

 

ルナサ『……もしそのまま死んでも、ポルターガイストとしてやっていけるように指導してあげる』

 

(;^ω^)『なにそれもっと怖い!?』

 

 

 

( ^ω^)(とりあえず悪い人では無……い?)

 

人生初のポルターガイストさんは、思った以上に人と変わりなかったように思える。

射命丸もそうだが、うっかりすると人外である事を忘れてしまうまでに。

思ったより警戒の必要の無いポルターガイストさんだったお陰か、休息も取る事が出来た。

ついでにもう一つ彼女のお陰か分からないが、頭の奥底に焼け付いたような闘いの熱気もいつの間にか何処かへと消え去っている。

あのヴァイオリンの音色を聞いた頃ぐらいからだろうか?

 

( ^ω^)(今思い出しても、なんか不思議な感じだったお。あれが本物のオカルトの実力……)

 

ふと現実の空を見上げる。

そこにあったのは相変わらずの良い天気。眺めているだけでも心地が良い深い蒼色。

昨日までと同じ色だが、今はその空の色の下に隠蔽されていた未知の世界が、今はもう手の届く所にある。

足を踏み入れている領域はすでに非常識の世界。見えなかっただけで存在していた不可視の常識。

窓の外にある世界には、それだけの未知がまだまだ潜んでいたのだ。

しかし教室内の生徒達はそちらに気をやる事は無く、ノートや持ち込みの許されたタブレットPCに板書するか、もしくは教壇に立つ男へとボンヤリ視線を向け続けている。

(´・_ゝ・`)「えーと……それで。このそれぞれの数式を組み合わせることによって、こっちの腹筋スレのIDは大体予想出来てだなー」

 

2-Aクラス担任教師。盛岡デミタス。

別に太陽の光より彼が魅力的だからではない。

実際はむしろその逆。とても"嫌な奴"だったからだ。

 

(´・_ゝ・`)「はい、じゃーこの辺も含めて次のテスト範囲だから覚えろよ?」

 

そうは言っているが、どうせアテにならない事を生徒は既に知っている。

彼の言うテスト範囲はいつも大雑把な上、思考一辺倒の公式当てはめ問題をあざ笑うかのような引っ掛け問題ばかりを作成するのだ。

担当科目は数学。元々専門的な選択授業として枠があった情報処理関係の教師だったとの事だが、授業方針の改定によって"あぶれた"らしい。

今はまるでその鬱憤晴らしのように授業を執り行う姿に、尊敬の念を抱く生徒はまず居ない。

ただただ海に沈む貝の如く、皆一様に口を閉ざして、一分一秒でも授業が終わる事を願っている。

 

( ^ω^)「……」

 

内藤もまたその輪の中に居る。

皆と同じように、そして目立たぬように席に付き、口をつむぎながら。

皆が知らない闘いの時を過ごしたとしても、この時間もまた変わらないのだ。

これが現実。どれだけ心配な事があったとしても学校を卒業する目標は忘れてはならない。

そうして、今日もやや理解の難しい授業内容をなんとか頭に詰め込み始める。

流れ作業の静寂が薄く広く耳を埋め尽くしていった。

 

「――ぐぅ」

 

突然、静寂の中に響く音。

生徒たちは音の発生源をさり気なく探す。

 

「……ぐぅ……ぐぅ……」

 

やがてその音の正体を理解すると、皆の眼には哀れみと好奇の色が宿る。

無論、音に気がついたのはクラスメイトだけではない。

 

(´・_ゝ・`)「誰だ? 堂々と怪音鳴らしているのは?」

 

「……ぐぅぐぅ……ぐぅぐぅ……」

 

皆の予想通り、やはり盛岡デミタスも反応を示してきた。こういう事を見逃すような教師ではない。

しかし、睨めつける視線が教師より差し向けられて尚、その音は止まない。

 

(;^ω^)「……ぐぅぐぅ……ぐるるるる……」

 

何せ、止まない快音に一番困惑しているのは他ならぬ張本人だったのだから。

 

(#´・_ゝ・`)「お前か! 内藤!!」

 

(;^ω^)「……げっ? は、はいですお!?」

 

見敵必殺デストローイ。――ああ、今日も長くなるんだろうな。

クラスメイトの誰もが、そして内藤自身も瞬時にそう思った。

標的を定められた獲物は最早逃げることは叶わないだろう。運が悪かったの一言に尽きる。

 

(;^ω^)「いえその、これはわざとやってい『ぐろろろろぎゃるるるる』」

 

(#´・_ゝ・`)「わざとだろうとなんだろうとさっさと黙らせろ!」

 

もはや怪音というよりは怪獣の咆哮。

腹の虫が収まらないとは言うが、ある意味で同音異義の収まらなさっぷりである。

これには当人も苦笑い。

 

(;^ω^)「ええと……その何か食べたら大丈夫だと思うので、早弁しても良いですかお?」

 

(#´・_ゝ・`)「良い訳あるか馬鹿野郎!」

 

そりゃそうだろと、クラスメイトの数人が心の中でツッコミを入れ、同時に吹き出しそうになるのを必死に取り繕ったと後程語る。

しかしながら、内藤にとっては窮地に違い無い。立場が上の者が自分に正当な理由で怒りの矛先を向けているのだ。

しかもよりによって陰湿に後々まで引きずり回すデミタスがお叱り元。飛び火してはたまらないと、クラスメイトからの助け舟は出港さえしないだろう。

やがてストッパー不在のまま始まる昼ドラの姑が如きネチネチとした小言地獄。

 

(#´・_ゝ・`)「大体お前はいつも気が緩んでいるから――」

 

(;^ω^)「あうあう……すみま『ぎゅら? ぐらるるぎゅらーん!?』」

 

そして空気を読まない腹の虫怪獣。

恐縮して小さくなった声よりも大きく教室内に響く。文字通り腹の底から出ているお陰で、妙に激しい主張をしている。

内藤の視界の端で、何人かの肩が細かく震えていた。

 

(#´・_ゝ・`)「……ないとぉ……俺をナメてるだろ?」

 

(;^ω^)「いえいえいえいえいえ!」

 

「ぐぅぐぅぐぅぐぅ!」

 

(#´・_ゝ・`)(ぷちっ)

 

そうこうしている内に担任盛岡デミタスの非常に耐久度の低い袋の紐が切れた。俗に言う堪忍袋というやつだ。

指が汚れるからと、以前はあまり触れないようにしていたチョークを引っ掴むと、サイドスローの構えを持って内藤へと狙いを定める。

しかし、一瞬彼の脳内に過ぎった"体罰"の言葉が最後のストッパーとして彼の腕を引き止める。

 

(;^ω^)(うわぁ、この状況どうしよう……)

 

さり気無く鞄から覗く隙間へと眼を向ける。

ミニサイズに縮んだ射命丸はその中で、顔を上げる事も無くぶっきらぼうに

 

射命丸「あー、テキトーにやり過ごせば良いんですよテキトーに。物理的に生命狙われている訳じゃ無いんですから」

 

そう告げたっきり何かに没頭し続けていた。

 

(;^ω^)「うーん……確かにあんなチョークくらい、今なら簡単に避けられそうな気もするけど……って、あっ――」

 

(#´・_ゝ・`)(ブチンッ!)

 

脳から発せられた電気信号は頚椎・脊椎を通り右腕部へ。

白い石灰チョークの弾を、内藤ホライゾン狙いの自機狙い弾としてスムーズに投擲した。

人並みの野球経験しかデミタスには無かったが、不意をついた的確な投擲弾は、奇跡的にも正確なコースを辿り宙を突き進む。

そうして一秒とかからずに標的へと衝突し、白い欠片として不躾な生徒の顔面を白く染めるのだ。

 

――相手が今までの内藤ホライゾンだったならば。

 

( ^ω^)(――アレ?)

 

――思ったより"見える"な。

不格好な回転をしながら迫り来る白チョークを目の当たりにして尚、彼の頭にあったのはそんな些細な感想だった。

そうしてその些細な感想は、些細なやる気を引き起こさせる。

 

( ^ω^)(もしかして、避けられる――?)

 

頭を後ろに引いてみる。

思ったより遅かったが、首の筋肉は動いてくれた。

それが感覚的に避ける事が不可能ではないと内藤を後押しした。

ならばと更に上体を思い切り後ろへ――

 

(;^ω^)「あいたぁ……っ!?」

 

『ぷっ……アハハハハハハ!!』

 

結果的に言うなら、少なくともチョークを避ける事は出来た。

反らしすぎた上半身のせいで椅子ごと無様に倒れるというオマケ付きで。

横目で見ていたオーディエンス達は、拍手の代わりに溢れだした笑い声で以て内藤の健闘を湛えたのである。

 

(;´・_ゝ・`)「……このっ……!」

 

ただ一人笑っていない、いや笑えないのは担任のデミタス。

彼が燃え上がらせたのはその場限りの主張の薄い怒り。一瞬でシラフに戻った彼は、この喜劇の中狼狽えていた。

当たらなかったのだから、結果的に体罰にならずには済んだ。しかし面子の方は立たない。

彼の中での自身の評価は、厳しくも威厳のある教師である。それが揺らいだ今、生徒の笑い声は嘲笑の如く聞こえていたのだ。

 

やがて、スピーカーより流れだす授業終了を告げる大音量のベルチャイム。

デミタスが我に返ったのもこの時だ。

 

(;´・_ゝ・`)「……じゅ、授業はこれで終わり。お前らしっかり復習しておけ!」

 

それを切っ掛けにデミタスはそそくさとテキストを抱えると、足早に教室を去って行く。

その去り際、チャイムの音に混ぜ込むように生徒の半数がざまぁみろと小さな歓声を上げた。

 

「うわー口答えしちゃって俺しーらね。でもグッジョブ!」

 

「やるじゃんブーン。やっぱただの太っちょじゃないと思ってたよ。今日からお前はすごい太っちょだ!」

 

(;^ω^)「お……お? いや別に口答えした訳じゃ……ていうかそれじゃただのすごい太ったヤツだお!?」

 

口々に賞賛の言葉を告げていくクラスメイト達。

それとは裏腹に、賞賛される程の偉業をいつ果たしたのかと、当の本人は椅子と体を引き起こしながら全く実感を感じずに居た。

言葉にするならば、"やってやった"ではなく"やっちゃった"である。

 

(;^ω^)「あは、あははは……」

 

笑い声は乾いている。

予期せぬささやかな衝動。出来てしまった回避。

困惑を隠すように無理に笑う。

 

クラスメイト達はそれに気が付くことは無く、やがて昼食を摂りに散り始めていった。

 

射命丸「……」

 

机の脇に掛けられた鞄の中。

射命丸はただ一人、その要因に心当たりを感じていた。

 

射命丸(やはり、日常を変えてしまうのは避けられないのかもしれませんね……)

 

成長、と言えば聞こえは良い。だが、実のところ平穏に生きるのを望むのならば、突飛過ぎる経験は集団の中では異様でしかない。

そして、いずれは戦い自体が日常生活その物へ消えぬ疵痕を残してしまうだろう。

まだ打ち明けていない重要な"懸念"が、悪夢として実現する未来はあり得ない話では無いのだ。

 

射命丸「――出来れば日常も闘いも、望むように両立させてあげたいですがね……」

 

( ^ω^)「お? 何か言ったかお? 射命丸」

 

射命丸「いえ、何でもありません。……っとご友人がまた近づいて来てますよー」

 

( ^ω^)「おお?」

 

(´・ω・`)「やー」

 

ノート類をまとめる手をその言葉で止めて、ようやく近づいて来る足音に気が付く。

振り向いた先にあったのはショボンの姿だった。

 

( ^ω^)「なんだ、ショボンかお」

 

思えば今日は、ショボンと顔を合わせるのは初めてだ。

隣のクラスから事ある毎にしょっちゅう雑談しに来ていたと言うのに珍しい。

 

( ^ω^)「今日はどうかしたのかお?」

 

(´・ω・`)「……むしろ君こそどうかしたのかい?」

 

( ^ω^)「え?」

 

(´・ω・`)「朝の通学ルートに居なかったし、それに休み時間ずっと物思いに耽ってたからさ」

 

(;^ω^)「あ……」

 

朝。そういえばドクオの事(と、コンビニの食料購入)に頭がいっぱいで、いつも大体合流するショボンに連絡一つしていなかった事実に今更ながら気が付いた。

学校に着いたら着いたで、今日はなんだか朝から憂鬱《センチメンタル》モード。

知らない内にショボンに気を使わせてしまっていたらしい。

 

(;^ω^)「ご、ごめんだお。えと……ごめんだお!」

 

とりあえず謝る。

友人との登校よりも揚げたてのチキンを選んでしまった事をではない。余計な心配をかけてしまった事を。

しょんぼりとした彼の眉を見ながら簡素な謝罪を告げ続ける。

 

(´・ω・`)

 

(;^ω^)

 

ショボンは垂れた眉毛に感情を込める事無くただじっとこちらを見つめていた。

しかし、その眼に宿っているのは懐疑や憤慨の色では無い。

 

(´・ω・`)「……いつでも、悩み事相談してくれて良いからね」

 

そっと告げられる気遣いの心。

優しく、暖かな友人の心遣い。

 

悩んでいることは沢山ある。

友人に黙っている事自体が辛くもある。

いっそ話してしまっても良いのではないかと、ふと思った。

しかし、そんな考えをそっと胸の内に仕舞いこむ。

 

( ^ω^)「ありがとう、だお。でも、まだ大丈夫だお」

 

ショボンは少し悩んだ後――"分かった"とだけ返した。

そしてそれ以上追求すること無く、彼はそっと微笑みを向ける。

 

(´・ω・`)「さて、それはそれとしてお昼休みだよ。今日はどこでご飯食べる?」

 

( ^ω^)「おお? もうそんな時間かお?」

 

教室にかかった時計に目をやると、彼の言うような時間。

最早空腹に空腹が掛け算されすぎて、お腹が空いているのかどうかもよく分からなくなってきていた。

……思えば昨晩から食事抜きだった気がする。

 

( ^ω^)「お腹空きすぎて危うくうっかり餓死する所だったおー」

 

射命丸「……餓死?」

 

鞄からひょっこり頭を出した射命丸が、何やら言いたげな眼で腹部を見つめて来たが、華麗にスルー。

太っていない。ちょっとだけぽっちゃり系なだけだ。

 

(´・ω・`)「餓死だなんて大げさだなぁ」

 

( ^ω^)「じゃ、また屋上で食べようかお。場所取り頼んだお?」

 

(´・ω・`)「はいはい」

 

( ^ω^)「……さて、と」

 

"昼食の時間"と改めて耳にしたせいか、既に胃袋は条件反射で食事を期待し始めている。

幸か不幸か、強制的な節約のお陰で財布の中身はやや余裕がある。

今度こそ買い逃すまいと、戦いに挑む戦士の気持ちで購買へと早速足を向ける事にした。

 

 

 

美布高等学校購買エリア。

学業に必須の筆記用具から、多種多様な日用消耗品まで取り扱う"ちょっとした"購買エリアである。

コンビニというより小さなスーパーと呼ぶべきこのエリアの半分は、この時間のみとある商品カテゴリの専門コーナーとして真価を解き放つ。

その際には大勢のスタッフによる誘導・列整理・規制・罰則取り締まり・救護活動等々さながらお祭り騒ぎである。

そうまでして取引されている物とは何か――。勿論コムギコみたいな白いナニカでは無い。

そこで取引されるのは、"食料"。

パン・弁当・各種ドリンク。特別高級でも希少でもないただの食料品だ。

 

『ちょっと忙しいから大変だけど、大丈夫?』

 

ここのバイトの面接を受けたとあるフリーターは、事前にそう告げられていた。

しかしながら体力には自信があるし、多忙なスーパーのレジバイトをした経験もある。

どうにかなるだろうと、適当に空返事を返した記憶があった。

 

しかし、今アルバイトの眼に映っていたのは――

 

「日替わり弁当二つと野菜ジュース四つ!」

 

「メロンパーン! ……売り切れ!? じゃあハムカツサンド頂戴ッ! 早く早く早くぅ!」

 

「ああクソっ! 俺の五百円玉が尽きた! こんな所で玉切れかよ!?」

 

「コッペパンだ! コッペパンを寄越せ! コッペパンを要求する!」

 

「へっ……俺の事は置いて……お前だけでも先に行けっ! 第二波が来る前に!」

 

「ヒャッハー!! 水と食料! 買えるだけ寄越せぇ! ありったけだぁ!」

 

――あそこは戦場だ。慈悲は無い。後にアルバイターは語ったと言う。

 

 

(  ω )「……ふ、ふふ……ふ……」

 

そんな戦場の喧騒に背を向け、内藤ホライゾンは不敵な笑みをこぼしながら歩いていた。

混雑した購買で狙った品を得るのは中々に難しい。

一番安く人気の無いコッペパン一つ入手出来ない事も、ある。

運と速さが物を言う、食料を求める戦い。まさに弱肉強食の焼肉定食な状況。

そして、その中を潜り抜けた今。自分の手にあるのは――

 

(*^ω^)「――大盛りつゆだくサンドイッチ! 今日はツイてたお!」

 

つまる所牛肉を挟んだビックサイズのサンドイッチなのだが、大盛りの甘辛牛肉は兎も角、汁気を含ませたビッチャビチャのパン生地が珍品と呼ばれる主な原因である。

しかし、その奇特さとは裏腹にしっかりとした味わいと、まるでスープに浸したパンを食しているかのような上品で優しげな食感がひそかな人気を呼んでいる品だ。

一日限定20個――。

その価値を知る物がどんどん増えて来ている今、その数は決して多くはない。

当初はただの牛肉サンドだったのだが、ある日フザケて"大盛りつゆだく"でくれと頼んだ馬鹿――もとい英雄的先輩が居たらしく、ネタ枠ながら作られた料理である。

ちなみに裏メニューにねぎだくverもあるらしいが、素人にはお勧めできない。ド素人は牛鮭サンドでも頼んでいるがいい。

 

総括するとそれだけ希少でハイレベルな品なのである。

だが今。その20枠の中に入り込めたという事実が、確かな重みとなって現実に存在しているのだ。

鼻歌の一つも出てきて当然。むしろこのサンドイッチ一個の為に賛美歌でも歌えそうだ。

 

(*^ω^)「フンフンフフーン♪……よーしパパ特盛頼んじゃうぞー♪」

 

射命丸「ブーンさん、早く新聞読みましょう新聞っ!」

 

しかし、その一方で肩にかけたままのバッグの住人は、全くその感動と運の良さを賞賛してくれるつもりはないらしい。

夢想器と一緒に仕舞われたままの新聞に、完全に熱意が向いている。

 

(;^ω^)「ちょ、食事の後じゃ駄目かお?」

 

射命丸「では、新聞を開き進める合間にならば食事を許可してあげます。さぁずっと待っていたんですから早くっ!」

 

(;^ω^)「……どれだけ新聞が気になるんだお……」

 

ちょっと理解の度合いを越した新聞への欲求はともあれ、何度か過ごした業間休み中大人しくしていてくれた辺り、射命丸も気を使ってくれていたのだろう。

詫びと言う訳ではないが、出来るだけ彼女の期待を満たしてあげたいと思った。それにサンドイッチを頬張りながら新聞を広げる程度、早弁と比べればさして苦では無い。

双方の利害が一致している事を確認して、早速屋上へと足を向ける。と、その一段目の階段に脚をかけた時

 

( ^ω^)「あ、その前に寄り道良いかお?」

 

ふと思い立って口にする。

次の言葉を少し考慮した後、告げようとするが

 

射命丸「――ドクオさんの所ですか?」

 

( ^ω^)「……」

 

確信を突かれた一言。返す言葉は思いつかない。結果的に沈黙という肯定を射命丸に返す。

 

射命丸「行ってどうなさるので?」

 

( ^ω^)「どうって――」

 

――どうするのだろう?

自分はドクオに何と言葉をかけるつもりだったのだろうか。

ドクオは自らの足で、あの時立ち去ったのだ。

その理由も語らぬまま、言葉を交わす事さえ拒絶して。

 

射命丸「私があの時ブーンさんを止めたのは、何も貴方が満身創痍だったからというだけではありません。……直接どうにも出来ないからです」

 

( ^ω^)「チャンスを待てって事かお……?」

 

射命丸「……そう捉えて頂いて構いません」

 

確かに、今顔を合わせた所で何をしようだとか具体的な計画は無い。有効な手段も思いつかないし、そもそもドクオを追いかける事自体が迷惑になるかもしれない。

それらを射命丸は理解してくれた上で接触を禁じたのだろう。

でも、そうだとしても頭の何処かで"ただ時間の過ぎるのを待つ"のがどうにも我慢出来ない自分が居た。

理屈で動けないその自分は、射命丸の言葉を理解して尚、保健室にドクオの様子を見に行く事を実行しようとしているのだ。

遠くの喧騒も蚊帳の外。沈黙の中に潜む割り切れない感情が、どうしたいのかと自らに問いかける。

やがてそんな様子を悟られたのか、溜息が聞こえて来た。

 

射命丸「はぁ……。分かりましたよう。とりあえず私が単身ドクオさんの様子を伺ってきますから。ブーンさんは屋上で待っててくださいな」

 

( ^ω^)「お? 大丈夫なのかお?」

 

射命丸「失礼な。これでも記者ですよ? 対象に気付かれること無く超密着し、プライベート情報をかっさらうくらい日常茶飯事、息するが如くです」

 

(;^ω^)「いや、そうじゃなくて……うん、何でもないお。頼んだお」

 

さらりとこちらの世界では犯罪行為として列挙される発言が零れた事には関わらないで置くとして、ここはとりあえず頼んで見ることにした。

私が何とかすると射命丸は確かに告げていたが、あれはその場しのぎの嘘ではなく本当に尽力してくれるらしい。

 

( ^ω^)(やっぱり、射命丸は良い人? いや……良い妖怪だおー)

 

恐ろしい妖怪が――敵が居る事は確か。だがしかし、こうして同じ様に親身になってくれる妖怪もまた、居る。

誰にも話せぬ秘密を抱えてみてようやく分かった。秘密を共有出来ないという事が、如何に辛く苦しい事なのかを。

射命丸の存在は闘いだけではなく、思った以上に重要な心の支えになっているらしい。

 

( ^ω^)(ドクオとも仲良くなって欲しいお)

 

それは自分の為だけではなく、ドクオの為にも。

その結果がどうあれ、そうした方がきっとお互いにずっとずっと楽だと思うのだ。

 

射命丸「それじゃちょっと様子見てきますねー」

 

( ^ω^)「……よろしくお願いするお」

 

ドクオが仲間になってくれる未来を信じながら、独り改めて階段を登る。

願わくば、何一つこの先失う物が無いように。

 

 

 

 

 

('A`)「まだ、帰ってきてねーよな……?」

 

誰に言うわけでも無く、また応答を望む訳でも無い。

今、ドクオは自室の扉を前に二の足を踏んでいた。

時刻は昼頃。寮に人の気配は無い。空き部屋も多い上、サボり気質の不真面目人間は自分くらいしか居ないような場所だ。寮母兼管理人さんも多忙で基本的には不在。

誰も居ないのは分かっているが、念の為にそっと扉に手をかけた。

 

('A`)「……いるか? ブーン」

 

揺らぐ木製のドアが、小さな悲鳴のように軋む。

無機物があげた些細な声だが、誰かがこの音に気が付くのではと少し不安になった。

しかし、開かれた部屋の中にも今居る廊下にも誰かの気配が現れる事は無い。

お陰で安心とまではいかないが、少し落ち着いて部屋に踏み入る事が出来た。

いつもの誰の気配も無い平穏な自室。やはり独りは心が休まる――

 

――と、思った矢先。扉の影に居る誰かと目が合った。

 

('A`;)「ちょっ……!?」

 

ルナサ「……?」

 

死角から現れた彼女に驚く余り、壁に頭を打つ程に後ずさる。

しかしながらこちらの動揺とは裏腹に、当の本人はどうしたのかな? と言わんばかりに僅かに小首をかしげていた。

 

('A`;)「くっそ! 何なんだよお前……!」

 

ルナサ「……私? 私はルナサ・プリズムリバー」

 

('A`;)「それは最初に聞いてるよ! 何でまだここに居るんだって方を……ああちきしょう!」

 

思わず会話してしまっている事に気が付き、強引に言葉を打ち切る。

これは幻覚で、幻影。そう理屈で自己解決した筈の現象だが、こうもハッキリ"目の前に居るみたいに"見えているとうっかり会話してしまうようだ。

ここからはなるべく無視して行こうと、改めて心に決める。

要件はこんな幻覚少女ではなく、現実的な財布の方にあるのだから。

 

ルナサ「貴方の名前も聞いたよ。ええっと……ドクオ君?」

 

なのに、手がその言葉で一瞬止まってしまう。

 

( A )(俺の名前……ブーン達から聞いたのか)

 

駄目だ違う。考えちゃいけない。

一々気にかける必要は無い。自分はおかしくなったのだ。そうに決まっている。そうじゃないとならない。

こいつら幻覚共が、人間様と言葉を交している筈がない。

しかしそう考えれば考える程、脳裏に浮かぶ。親友が信頼仕切ったような顔でこいつらと話をしている様子が。

 

('A`)「あーっチキショウ!!」

 

我ながらどうにも頭が回らない事に苛立つ。

理屈は分かっているのに、理解しているのに、その通りに感情がついてきてくれない。

 

('A`)「……ちょっと寝る」

 

適当に自分のベッドに入り込んで眼を閉じる。

こういう時、とりあえず寝てしまうのが自己流の解決法だった。

寝てしまえば、とりあえず起きるまでの間は辛い事を忘れていられるから。

夢の中でなら、自分に都合の良い事も起きるから。

――しかし何故わざわざそれを宣言をしたのかは、我ながら分からない。

 

ルナサ「……寝るの? 疲れてるんだね」

 

そのせいか伺うようなアクセントで、問いかけが飛んできてしまう。

だが勿論スルーだ。

きっとぼっち生活が長すぎたから、優しくされたい願望のせいでこんなセリフが聞こえてきているような気がするだけなのだ。

 

ルナサ「おやすみ。ドクオ君。……ゆっくり休んで」

 

( A )「……おやすみ」

 

それでも思わず呟いてしまった、更なる独り言。

それは聞こえない筈、存在しない筈の幻への対抗策か、それとも気遣いか。

 

――分かってる、これは幻覚だ。全部俺の悪い夢だ。

 

答えは出ないまま、意識はやがて自身の内側へと流れ行く。

 

 

 

 

 

 

射命丸「あやややや……。我ながら甘ーくなったものです」

 

保健室までの道すがら、ふよふよと鈍行で飛びながら、聞かれる事の無い独り言を吐き出す。

こんな弱音とも取れる愚痴が、参加者以外には聞こえないという法則は、こんな時有り難い。

 

射命丸「最初は取材協力者程度の付き合いで済ませるつもりが、ついつい馴染み過ぎてしまいましたかねぇ?」

 

人里に最も近い天狗と呼ばれた事もあるが、人間とパートナー契約を結ぶまで行ったのは過去に覚えている限りは一度きり。それも特別な役割を持つ特別な人間とだ。

内藤ホライゾンのように平凡な少年と契約してしまった今回は特例中の特例のような物。個人的には別に問題無いが、天狗としては少し問題があるかもしれない。

 

射命丸「まぁ遥か昔には人間に技術教えるブームとか来てたりしましたし、今回もそんな感じって事にしておきましょう」

 

急ごしらえらしい出来の言い訳だが、まぁOKだろう。

組織である天狗社会では言い訳を用意しておけるかどうかも重要なのだ。

 

射命丸「全く世知辛い世の中になったものだと――おっと」

 

曲がり角を曲がる折、唐突に生徒らしき人影が行手から姿を表した。

お互いに干渉される事の無い故に、避ける必要も動じる必要も無かったのだが、ついつい大きく旋回して道を譲ってしまう。

道を譲りたがらない強者の多い幻想郷暮らしの影響がこんな所で出たようだ。なんせ幻想郷では道を開けないと、問答無用の弾幕で撃ち落とそうとしてくる人妖が居る。

射命丸「なんだか格下扱いされているようで、ちょっと腹たちますね……」

 

じっとりとした視線を通り過ぎていく背に送るが、生徒の視線は手元の携帯端末に固定されたまま揺らぐ事は無い。

あれで歩く先は見えているのかと問いかけたく成る物だが、こちらの世界に来てから度々見る光景である辺りあれが普通なのかもしれない。

なんだか同僚の鴉天狗の事を思い起こさせた。彼女もこちら側に居るのだろうか。

 

射命丸「ま、見かけたら味方に引き入れてあげなくもなくなく無いですね。それまであの子が無事だったらですけど」

 

言いつつ再び進行方向へと向き直る。が、そこにはまたしてもすれ違う生徒の姿。

仲睦まじく談笑しながら、当然の如くこちらに意識を向けること無く通り過ぎていく。

 

射命丸「……」

 

――なんとなく多いかな。

 

ふとそんな感想が湧き出てきた。

多い、とはすれ違う生徒の数が、ではない。

異国の面影を宿す人間の数が、である。

 

一応断っておくが、国どころか種族の雑穀炊き込みご飯の如き幻想郷の一妖として、人種程度は個人の区別程度の些細な違いでしか認識してはいない。

ただ古より幻想郷を、ひいては日ノ本という国を飛び回った経験のある鴉天狗として、この街に住まう人種の混ざり方は興味深くあった。

混沌した整然さ。それはある種、幻想郷という日ノ本を基礎として多国籍の幻想を詰め込んだ大箱と同じ様に。

 

射命丸「昨今の外界の話は人伝にしか耳にしておりませんでしたが、やはり幻想郷とは住んでいる人間一人からして既に何かが異なっているでしょうか……?」

 

こちらに来てからはっきりと意識が目覚めたのはつい先日。

しかしそれからと言うもの、目につく物耳にする物の全てが斬新で前衛的で革新的で、そしてどこか心寂しい"こちら側"に興味が湧かない日はなかった。

しがらみさえなければ今すぐにでも好奇心の羽根を大きく羽ばたかせて飛び立ちたい所存であるが――

 

射命丸「……やっぱりブーンさんを放置は出来ませんよねぇ」

 

へっ。と自虐のように諦めの溜息を吐き捨てる。

自分をなんと真面目な鴉天狗だろうかと思ったのはこれで何度目か。

こんなに清く正しいのだから、大天狗様も好待遇くらい考えて欲しいのだが。

 

射命丸「っと、そんな事考えている内にささっと到着。……えーっとこの部屋でしたよね?」

 

掲げてある扉上のプレートには、黒字で保健室と刻まれている。

確か先日あの幸薄そうな青年が居たのはこの部屋だった筈だ。

しかしながら曇りガラスのハメ込まれた白い扉には、養護教諭不在と書かれた札がぶら下がっている。

何の事かと思ったが、恐らく保健の責務を負う者の在席状態を意味しているのかもしれない。

そうなると中には誰も居ない事になる。

 

射命丸「あやややや……。まぁ一応見てみますか。おじゃまし始めまーす」

 

ノックは出来ないので一言挨拶しつつ扉をすり抜ける。開ける手間要らず、鍵開け無用。

取材の時もこれが出来たら良いのにと思う。

そんな一瞬の間に抵抗無く抜けきった扉の向こう側は、少し薄暗かった。

 

射命丸「ふぅむ。やはり、誰も居ないようですね」

 

厚手のカーテンは閉められ、治療される者の姿も寝台で休む者の気配も無い。

ただただ様々な医療器具らしい瓶やケースが整然としているだけ。

まるで切り取られた世界の様に、しん、とした空気が篭っていた。

――さて、となると危惧していた問題に突き当たってしまったという訳だ。

 

射命丸「……さて、どうしましょーか……」

 

今更だが、あのドクオと言う青年の行き先はここと自宅くらいしか知らない。

ここに居ないのなら自宅の方へ――と行きたい所だが、そうするとパートナーを放置してしまう上に、そもそも夢想器との距離問題で姿を保っていられなくなる。

とは言え、任せとけ! 的な宣言の手前すごすごと戻るのも、沽券に関わる気がする。

 

射命丸「新聞記者としては何か手がかりらしい手がかりの一つでも持ち帰ってみせたい所ですが――」

 

その時突然、背後の保健室の扉が開かれる物音が聞こえてきた。

 

「――あれ? 誰か室内に居るの?」

射命丸「――えっ?」

 

咄嗟に振り返った先。突如現れた誰かは既に保健室に入ってきていた。その事自体になんら問題は無い。

しかし、薄暗い室内に差し込む逆光の中、突然現れた何者かは確かにこちらを、"不可視の筈の幻想郷住人"を見据えていたのだ。

偶然や気のせい等ではない。明らかに予想外の事態が今、ここで起きている。

言葉とは裏腹に、頭脳だけは速度を早めていく。

この場を凌ぎきる手段を講じる為に。

 

「……ん? 君は……?」

 

射命丸「――あやややや。これは、ちょっとだけしくじりましたね」

 

現れた何者かは不敵な笑みを浮かべると、腕を射命丸へと伸ばす。

内藤ホライゾンはまだ、それを知らない。

 

 

 

 

 

( ^ω^)「ちょっと遅くなっちゃったかお?」

 

屋上へと上がる階段の途中、携帯に表示された時間は、予想より後の物だった。

購買に寄っていたとは言え、のんびりしすぎたのかもしれない。

この分ではドクオの様子を見に寄り道していたとしたら、きっと今時分ショボンは風邪を引いて居ただろう。

手をかけた重い扉の隙間から吹き込む冷たい風は、その事を心配させるに充分だった。

 

(;^ω^)「うーん。そろそろ屋上で食事取るのは止めた方がいいかお?」

 

何となくいつもは立ち入れないという制約のお陰で、えらく希少価値のついた食事場所に思っていたが、良く良く考えなくともあまり食事向きの場所では無いかもしれない。

皆もそろそろそう思い始めているようで、開けた扉の向こうでは先日よりも生徒の姿は大幅に減っていた。

少し寂しくなった屋上で、やはり風が吹き抜けている。

 

( ^ω^)「……」

 

晴れやかな空と風。少ないながらも賑やかな人の気配がとてつもなく心地が良い。

 

( ^ω^)「……おっと、ぼーっとしてたら時間無くなるおー」

 

大分回復してきたとは言え未だ残る体の倦怠感のせいか、どうも呆けてしまいがちになったようだ。

今は自宅で療養してるだろうツンが見たら、きっと叱りつけてくる事だろう。

 

「遅い! ちんたら何やってんのよ! さっさとこっちに来なさいよバカー!」

 

そうそう、大体こんな感じで――

 

(;^ω^)「――え!?」

 

声のしてきた視界の外へと首を振る。

聞き違えや見間違えなんかでは無い。する筈も無い。そしてここに居る筈も無い――

 

ξ゚⊿゚)ξ「ほら! 私が風邪ひいても良いって言うの? さっさとご飯食べちゃうわよー!」

 

――ツンの姿だった。

 

(;^ω^)「ツン……? ツン!? ナンデ!?」

 

ξ゚⊿゚)ξ「五月蝿い。ちょっと体調悪かったから午前中病院行ってただけよ。もう平気」

 

それよりも――と、ツンはつかつかと歩み寄ってくると、疑わしげな眼を至近距離で向けてきた。

無論、心の準備をする時間は無い。

 

ξ゚⊿゚)ξ「なんでか知らないけれど昨日部活行った後の記憶があやふやなのよね。それで今朝、気が付いたら制服のまま部屋で寝ていたんだけれど……。何か知らない?」

 

声色と音量を落とした囁きが耳をくすぐる。

 

(;^ω^)「さ、さぁ? 疲れて帰ったんじゃないか……お? 知る訳無いお?」

 

勿論嘘である。

しかし、どう説明したら納得してもらえると言うのか。

一人暮らしを良い事に、堂々と家どころか部屋の中にまで入り込み、気を失い無防備な彼女をベッドに突っ込んで来た等と説明すれば果たして納得して貰えるのだろうか?

うん、無い。男だけど同じ事されたら引く。盛大に引く。

確実に説明すればする程誤解が増す事だろう。

というか、気を失ったツンを運び~の説明段階で、今度はこちらの意識が刈り取られる。

 

ξ゚⊿゚)ξ「……本当でしょうね?」

 

(;^ω^)「ほ、ホントウダヨ?」

 

しまった声が裏返った。

当然の如くツンは細めた眼をより険しく歪める。

一部生徒の中で"ツンに叱られ隊"なる怪しい集まりがあるらしいが、なるほどちょっとこれはこれで何か癖になりそうだ。

 

ξ ⊿ )ξ「嘘吐いてたの後で分かったら、どうなると思う……?」

 

更に下がるトーン。深くなる影。

 

(;^ω^)「部活疲れで寝落ちなされましたツン様をこの卑しき豚畜生めがご自宅までお送りさせて頂きました!」

 

ξ;゚⊿゚)ξ「うわっ……」

 

思わず口から出てしまった良い訳。

半分くらいは嘘だが、もう半分は一応親切の事実である。

でも予想通りとは言え"うわっ……"は無いだろう。せめて"うわぁ……"とか。

しかし覚悟は出来ている。言ってしまったからにはこのラインの嘘をこのまま突き通すつもりだ。

さぁ罵倒するなら罵倒してくれと、心と体を身構える。

だが、ツンの次の行動は少し予想外だった。

 

ξ;゚⊿゚)ξ「……汗臭く無かった?」

 

( ^ω^)「ん? 何て?」

 

しおらしく何か小さく問いかけてきたらしいが、よく聞こえなかった。

条件反射で聞き返すも、次の瞬間には"何でも無いわよ!"と言い捨てて元の場所へと戻って行ってしまった。

その時ついでに発せられた"馬鹿"の部分は、いつものツンのそれと変わり無かった事に、何よりも安心した。

 

( ^ω^)(射命丸も大げさだお。ツンも案外元気そうじゃないかお)

 

この分だと思っていたよりツンに危害は加えられていなかったのか、それともツンの誇る身体能力が凄まじいのか。

良く分からないが、ツンの元気な顔を見て少し腹の虫も大人しくなった。勿論食欲じゃない方の。

と言っても、またモナーのあの顔を見たら全力疾走からの一発ぶん殴るくらいの事をしそうではあるが。

 

(´・ω・`)「ねぇ、食べる時間なくなっちゃうよー」

 

( ^ω^)「お、今行くおー」

 

ξ゚⊿゚)ξ「あんたトロいんだから、二倍速で動くくらいが丁度人並みよ」

 

馴染んで精神に染み付いたこのメンバー特有の雰囲気。

顔が綻ぶのを自覚しながら、二人の側に適当に座り込む。

 

ξ゚⊿゚)ξ「あら? その鞄何?」

 

( ^ω^)「お? あー……ちょっと貴重品が入ってるんだお」

 

肩にかけたままの鞄を静かに床に下ろすと、中からカメラを取り出して見せる。

年季の入った立派なカメラを前に、ショボンは静かに感嘆の声を漏らす。一方ツンは1秒足らずで興味を無くした声を流した。

 

(´・ω・`)「これは良い物だね。新しく趣味にでもするのかい?」

 

ξ゚⊿゚)ξ「はいはい、どーせ誰かの影響受けて形から入ってるだけでしょ。三日後には部屋のインテリアになるわね」

 

(;^ω^)「おーん……趣味にする訳じゃないけど、飽きるとか飽きないとかのレベルの話じゃないんだお。訳あって肌身離さず大事に持ってなきゃ行けないんだお」

 

ξ゚⊿゚)ξ「何よそれ。もしかして胡散臭い占い師とかに10万円くらいで売りつけられてるんじゃないでしょうね?」

 

売りつけられては居ないが、胡散臭いおにーさんから貰ったのは当たっている。

当然ながらその辺りをボカして話せる程弁が立つ訳では無いので、"お守り代わりの骨董品だ"とだけ答えておいた。

ツンとしては対して興味がそそられないのか、気の無い返事と共に既に菓子パンをかじり始めている。

 

(´・ω・`)「よく分かんないけれど、流石に用途不明のカメラ持ち歩いてたらまずいんじゃない? ウチにそう言う部活動は無いし……」

 

(;^ω^)「あ、確かにそこまで考えてなかったお……」

 

鞄の中に隠し持っているのも限界があるだろう。早々にどうにか良い方法を考えておくべきなのは確かだ。

こういう時こそ上手い言い包め術が欲しいのだが――

 

( ^ω^)(そう言えば射命丸まだ戻ってこないお)

 

あれだけ新聞読むのを楽しみにしてたと言うのに一体どうしたのだろうか。

鞄の中の新聞も、読み手の到着が待ち遠しいのか風でバタついている。

余計なお世話かもしれないが、迎えに行って来るべきだろうか。

 

(*^ω^)(……とりあえず先に食べちゃうかお)

 

自己アピールをしていたのは新聞だけではない。本日奇跡的に購買エリアにての購入戦争をくぐり抜け、勝ち取った牛(以下略)サンドもだ。

そしてそれは空腹の限界であるこの身にとって、新聞よりも遥かに眼を奪う存在なのだ。

止める人も止まる理由も無い。誘惑されるがまま、ビニールで丁寧に包装されているそれを手にとる。

カメラはとりあえず首から下げて横にずらして置く事にした。

 

(*^ω^)「むふっ……」

 

圧倒的重厚感。ビニール越しでも伝わる密度の高い質感。

思わず発した歓喜の声だったが、ツンとショボンはそれぞれの反応でスルーしたようだ。

まぁ大丈夫だ問題ない。むしろ一口くれと言われないだけ良いって事にしよう。

気を取り直していよいよ包装に手をかけ、その薄衣を一枚……そしてまた一枚と剥ぎとっていく。

途端にビニール越しに感じていた甘美な香りがより一層、実体を以て強くなった。

既に覚悟は出来ている。至福の時間に溺れる覚悟が。

 

(*^ω^)「いっただきま~すお!」

 

欲望のまま、大きな口を開けていざ――

 

射命丸「ブーンさんブーンさんブーンさぁん!!」

 

(;゜ω゜)「――どむっふぅ!?」

 

突然横っ腹に受けた衝撃。

カメラが爆発でもしたのかと錯覚してしまうような鈍く重い感覚に、一瞬意識がバラけかける。

何事かと考えるまでもなく、とりあえず衝撃の数瞬前に聞こえてきた声の主の姿を探す。

 

射命丸「たいへんたいへんたいへんです!」

 

変態? 変態がどうかしたのかと、脇腹に未だ感じるカメラ越しのクリティカルヒットダメージをさすりながら、射命丸の慌てる表情を眺める。

そして、"それ"に気がついてしまった。

 

(;゜ω゜)「……!? な、なん……だと!?」

 

射命丸「申し訳ありません……。ですがまずは今はこの状況を何とかしませんと!」

 

目に映るそれは、この世の無常を表していた。

頭で認識するよりも、絶望と失望の二文字が感情を震わせる。

何故こうなってしまったのか。どうにかならなかったのかと後悔の念が尽きない。

そして最終的に己の力不足を悔やまずには居られなかった。

 

( ;ω;)「お……おお! もうだめだぁ……おしまいだぁ……」

 

射命丸「諦めないで下さい! まだこの後の行動次第でどうにか出来るかも……いや、しなくちゃいけません!」

 

( ;ω;)「でも……でもぉ……」

 

そう、もう手遅れだ。

守りたかった物は既にこの手を離れてしまっている。

無残な屍を悪戯に晒しているのだ。

 

( ;ω;)「……何でだお!? 僕の……僕の牛(中略)サンドぉっ!」

 

射命丸「酷ですが今は嘆いても始まりません。貴方がまずは無事で居ることが、そのサンドイッチの為でも――って、え? 何です? サンドイッチ?」

 

( ;ω;)「僕のお昼ごはんんんん!!」

 

射命丸「……」

 

再度感じるカメラ越しの鈍痛。

そしてツンからの"五月蝿い"という一言付きの打撃。

強制的にリセットをかけられて、やっと冷静さを取り戻す。

ひとまずお騒がせしましたの一言を告げた後、改めて仲間達に聞こえぬよう小声で話を促す。

 

( ^ω^)「どうしたんだお? ドクオは?」

 

射命丸「ええ、結論から言えばドクオさんは居なかったんですが……それどころじゃなくなったと申しますか……」

 

( ^ω^)「……?」

 

いやに歯切れの悪い射命丸の様子に頭の上に疑問符が浮かぶ。

やがて決断を固めた射命丸は、耳元で簡潔に用件を述べ始める。

 

(;^ω^)「……え!?」

 

言葉の綴りを意味として理解した時、今度こそ射命丸が抱えていた緊張感が体を動かした。

それは、確かに射命丸を慌てさせるだけの事態だったのだ。

次の瞬間には意識するまでもなく、カメラを手にしたままその場に立ち上がっていた。

 

ξ゚⊿゚)ξ「あーあ。ドン臭いわねアンタ」

 

ツンはその様子を見て、やれやれとばかりにわざとらしく溜息を吐いた。

こういう時、心底何かしてあげたくなる性分なのだろう。

早速ポケットから、クッキーの小袋を何枚分か取り出すと内藤の方へそれを突き出す。

 

ξ*゚⊿゚)ξ「ほらっ。これでも食べて元気出し――」

 

(;^ω^)「ゴメンッ! ちょっと急用が出来たお! ご飯食べててくれお!」

 

ξ゚⊿゚)ξ

 

しかし、一瞥すら無く内藤は慌ただしく駆け出して行く。恐らく気遣いされた事にすら気がついていないのだろう。

何だか忙しないなぁと、床の上の残骸を片付けるショボン。その耳に何かが粉砕される音が聞こえてきたのは間も無くの事だった。

 

 

 

 

(;^ω^)「何の用だお……モナー!」

 

( ´∀`)「ここは学校だよ? 学生が学校に来て何の用だーは無いでしょー」

 

場所を移した先は、一階下の空き教室の一つ。

生徒が自由に使えるように開放してある教室だが、今日は都合の良い事に他に人の気配は無い。

こんな場所に呼び出した本人は教卓に腰掛け、だらけた様子でくつろいでいる。

 

対して射命丸は張り詰めた感覚を周囲に張り巡らせ、既に戦略を幾つか立て始めているのだろう。

この場はまるで火薬庫の中だ。

ほんの少しでいい。誰かが火種を持ち込めば、簡単に炎は燃え上がる。

 

射命丸が言い淀んでいたのは、この状況をなるべく避けたかったからなのだろう。

その気遣いだけで充分だ。

例え疲労や傷が残っているとしても、射命丸とならば負ける気がしない。

 

握った拳を再度、握りしめる。いざと為ればその拳を振るう覚悟と共に。

その様子が目に留まったのか、モナーはヘラヘラと口角を緩ませた。

 

( ´∀`)「何々どうしたの? まるで戦ってる時みたいに怖い顔しちゃって。ちゃんとそっちの人にも言ったじゃない。会いたいだけだーって」

 

射命丸「先日あんな手段で罠を張った人の言い分ですよ? 素直に鵜呑みにすると思いますか」

 

信用無いなぁとモナーは穏やかに笑う。

臨戦態勢を取る二人を前にして、尚。

 

( ´∀`)「まぁまぁ。本当に戦うつもりはもう無いモナ。まだ体中痛いしだるいしやる意味も無いし。ね?」

 

(;^ω^)「お……おお?」

 

これに関しては恐らく事実だろう。最後の最後、大技で競り勝ったこちらでさえ未だそれらの反動が残っているのだから。

だがしかし、その上で安心出来る相手ではない事も知っている。

彼のパートナーは"ルーミア"。闇を操り人を襲う妖怪。

日中のさなか、何処まで出来るのかは分からないが、無差別に襲う力も意欲も彼らにはある。

 

(;^ω^)(……? そう言えばルーミアは?)

 

灯りを灯していない教室とは言え、今は日中。薄い影はそこらにあるが、ルーミアが潜んでいる様子は見当たらない。

射命丸も彼女の行方を気にしているのか、運ぶ視線が鋭く光る。

 

( ´∀`)「あー、じゃあさ、じゃあさ。これなら落ち着く?」

 

おもむろに制服の懐へと手を入れるモナー。

武器でも出てくるのかと、咄嗟にカメラを握る手に力が入る。

だが、何のフェイントも無く彼が取り出したのは一枚のカードだった。

 

(;^ω^)「あれ……それどっかで見たような?」

 

複雑な文様の刻まれた、不思議な質感のする黒寄りのカード。

勿論、初見の筈だが不思議と既視感を感じさせる。

そして、射命丸はそれを知っているようだった。

 

射命丸「幻想片……? それはルーミアさんの?」

 

(;^ω^)「幻想片……」

 

覚えがあるような無いような。

"なんだっけそれ"と言いかけた言葉を慌てて飲み込む。

そんな中途半端な認識度を悟られたのか、射命丸は軽く溜息を吐いた。

 

射命丸「……私達幻想郷側の存在の結晶その物です。詳しい事は私にも分かりませんから、その程度だけちゃんと覚えていてくださいな」

 

( ^ω^)(――あの時の!)

 

ようやく思い出せた。

射命丸と契約時に僅かに見たカード。今思えばあれが射命丸の幻想片だったのか。

 

( ´∀`)「せつめーありがとうモナ。要はそういう事モナ」

 

射命丸「むー……まだ安心は出来ませんが、ひとまずは戦うつもりでは無いというのは理解しました。ブーンさんも大丈夫ですか?」

 

( ^ω^)「……(良く分からないけれど)大丈夫だお!」

 

( ´∀`)「……」

 

射命丸「……」

 

(;^ω^)「……!?」

 

集まったのはまるで信用されていない眼。

モナーに至っては"どうせ分かってないんだろ"と言いたげに小馬鹿にした顔だ。

一つ反論してやりたいが、大人しく射命丸に視線で助けを乞う。

 

射命丸「ええとですね……。"夢想器"つまり我々に関連したアイテムを仮の器として、"幻想片"、つまりあのカードを封入される事で、我々は初めてこちらの世界にきちんと姿を現せるのです。ブーンさんが私の力を借りられるのも、そうして夢想器が契約状態にあるからです」

 

( ^ω^)「えっと……じゃあ、ルーミアがカードになっちゃってるって事は……?」

 

( ´∀`)「その契約状態とやらじゃないって事モナ。君、頭も鈍い?」

 

(#^ω^)

 

"穏便に"と、傍らからフォローが入る。

そうでなかったならば、もう一度ここで倒そうとしていたかもしれない。

冷静な射命丸に任せて大人しく聞き手に回る。

 

射命丸「それで何用です? わざわざ危険を冒してまで話したい事とは?」

 

( ´∀`)「んー用件っていうか、ちょっと話をしてみたくなっただけ」

 

射命丸「ただの話……ですか?」

 

( ´∀`)「うん。……ええとそっちの……肉まん君だっけ?」

 

(#^ω^)「な、い、と、う、ホライゾン!」

 

( ´∀`)「なっとう?」

 

(#^ω^)「誰がねばねば発酵大豆食品だ!」

 

冗談冗談、とモナーはフザけた態度を崩さない。

まだ数度しか会っていないが、やはりモナーのこの何も考えずに発言しているような態度がどうにも好きになれなかった。

故に、次のモナーの発言の意図も分からない。

 

( ´∀`)「――ねぇ、何で昨晩は僕と戦ったの?」

 

(#^ω^)「……? そんなのツンに危害を加えようとしていたからに決まってるお!」

 

それは昨日も言った筈だ。

こちらの行動は全てツンを助けたいが為。それ以外に何があると言うのか。

 

だがしかし、モナーはそれでもまだ納得が行っていないようだった。いや、むしろ困惑が深まったような素振りさえ見せている。

 

( ´∀`)「本当に? 本当にそれだけで良かったモナ?」

 

(#^ω^)「あったりまえだお!」

 

まだ馬鹿にするつもりなのかと、更に声を荒げそうになった所を止めたのは射命丸だった。

そして、射命丸までもが良く分からない質問をし始める。

 

射命丸「逆にお聞きしたいのですが、何故ツンさんを襲ったのですか?」

 

(;^ω^)「……?」

 

そんなの、襲いたかったからじゃないのだろうか。何も考えずに、ただ目の前に居たからとかその程度の――

 

( ´∀`)「勿論、そこのないとーに先手打って置く為モナ。まだ負けたくなかったし」

 

射命丸「やはり、ですか……」

 

何か、歯車の噛み合わなさのような、違和感を初めて感じた。

思えば、昨晩も良く分からない事を言っていた気がする。

 

(;゜ω゜)「……どういう事だお?」

 

先に無差別に人を襲っていたのはモナーだ。

そして、あの日モナーがこっちを先に襲ってきた。

だから、ハインと協力して追い払って……そして、次はツンが襲われたから止む無く倒しただけ。

実力差もあるモナーの事は気になっては居たが、好きで接触したりあまつさえ倒そうとだなんて考えた事すら無い。

 

( ´∀`)「君が"ルーミア"の力を奪おうとしていると教えてくれた人が居たんだモナ」

 

(;^ω^)「そんなつもり全然無いお!? だって現に――」

 

( ´∀`)「あー、うん。何となく誤解だったのは分かったモナ。昨日も持って行こうとしなかったし、今も馬鹿正直に話してるし」

 

悪意の無い無自覚な罵倒は兎も角、モナーは恐らく真実を口にしているのだろう。

自分勝手で好きにはなれないが、少なくともここは信じても良い気がした。

 

射命丸「それはモナーさんの協力者、ですか?」

 

( ´∀`)「そんなに仲良くないモナ。勝手に連絡してきて、勝手に色々アドバイスしてったモナ。昨日の作戦だってその通りにしてみただけモナ」

 

(#^ω^)「それだけでツンに危ない目合わせたのかお!?」

 

( ´∀`)「だって、負けたくないし」

 

――我慢の限界だった。

考えるより先に、モナーの胸ぐらを掴んで壁へと押しやっていた。

 

(#^ω^)「さっきから勝つとか負けるとか……! そんなんで無関係な誰かを傷つけるのかお! お前には友達が苦しむ辛さが分からないのかお!?」

 

教卓や机が薙ぎ倒れる音よりも大きく、激しく。胸の内に押さえていた言葉をぶちまける。

不思議とモナーは、何も言い返さずに黙って聞いていた。

自分自身の荒い息遣いだけが教室に染みていく。

 

射命丸「ブーンさん……」

 

(  ω )「……思わずカッとなってすまんかったお」

 

抑えていた腕の力を抜き、モナーの服を軽く正してやる。

じっと射命丸はそれを見守っていた、

 

( ´∀`)「……とりあえず、そいつに関しては良く分からないし何も知らないモナ。履歴も指示通り消しちゃったし。他に接点も無いし」

 

沈黙の後、特に謝罪の言葉は無く淡々と続けるモナー。

合間に入るように射命丸が応答をする。

 

射命丸「そうですか。それでも情報提供ありがとうございました。……それにしても意外です」

 

( ´∀`)「何が?」

 

射命丸「もっとやりたい放題な方かと」

 

( ´∀`)「……大体合ってるモナー。後悔なんてしないもの」

 

ケラケラと自分の発言を肯定するような笑い声。しかし、何処かぎこちないのは気のせいだろうか。

 

"さて"。その一言でモナーは話を一方的に切り上げると、そそくさと踵を返し始める。

 

( ´∀`)「質問タイムはこれで終わり。そろそろ帰らせて貰うモナー」

 

( ^ω^)「……待てお」

 

学校で話せる機会はもう最後かもしれない。

廊下に踏み出しかけたモナーをつい引き止めたのは、そう思ったからだ。

だから二の句は考えていなかったのだが、不思議と言葉は感情に追いついて出た。

 

( ^ω^)「お前が戦いで勝つか負けるかはどうでも良いお」

 

( ´∀`)「……」

 

( ^ω^)「でももし、今後も誰か無関係な人を傷つけるつもりなら、僕はお前を――」

 

( ´∀`)「――どうにか出来るとでも?」

 

(;^ω^)「……ッ!」

 

ぞわり、と背筋を撫でられるような嫌悪感に、跳ね飛ばされるようにしてモナーから身を引いてしまった。

だが、それは正解だと知る。

 

モナーの足元、日当たりの悪い廊下に満ちている影。薄いながらもそれは"闇"。それは、ルーミアの媒介たる夢想器。

そして、今まさに沈み飲み込まれていって居るのは、モナーが手にしていたルーミアの幻想片。

 

( ´∀`)「起きるモナ。ルーミア。もう用事は済んだ」

 

ルーミア「んー……? もう休憩終わりー?」

 

代わりにより深く、より黒に染まった暗闇が、モナーと光を断絶するかのように溢れ出る。

 

(;^ω^)「……しゃめい――!」

 

咄嗟に射命丸の名を呼ぼうとカメラを握った。

だがしかし、名前を呼び切る前に――

 

( ´∀`)「――」

 

モナーが何か、告げている。

微かに聞こえる声と口の動きに気を取られ、ほんの少しだけ動き出しに迷いが生まれた。

そうして、次の瞬間にはそのモナーの顔さえ見えない程に、廊下と空き教室に黒い隔たりが巻き起こる。

――だが、それもやはり一瞬の事。

瞬き一回、呼吸一回の時を以てモナーとルーミアの姿は、日の差す暗がり同様に消え去ってしまっていた。

 

(;^ω^)「逃げた?」

 

射命丸「ポジティブに言えば……そうですね」

 

一足遅れて廊下に出てみるも、やはりモナーは見当たらない。

あの闇は最初から目眩まし目的だったのか。

そして何時でもああ出来たと。

そう、これは"見逃してもらえた"のだ。

 

(;^ω^)「……自惚れてたかも知れんお」

 

一度勝利はしたが、モナーを屈服させた訳でも改心させた訳でも無かったのだ。

"君と戦うのは後回し"。昨晩のモナーの心が動いたのはその位。

いつか、ちゃんと決着を着けなくてはならない日が必ず来るのだと、覚悟せざるを得ない。

――だけどたった一つ。

 

射命丸「危ない所でしたね。ブーンさん……しかし、最後何か言っていたようですが?」

 

――去り際、モナーは言っていた。

 

『友達が傷つく痛み位、分かるよ』

 

( ^ω^)「……いや、よく聞き取れなかったお」

 

少なくともきっと、無闇に誰かを襲う事は無くなってくれるかもしれない。

彼の少し寂しそうな表情を見て、そう思ったのは都合の良すぎる願望なのだろうか。

 

結局、射命丸はそれ以上モナーの話をしてこなかった。

代わりに暗く漂っていた空気を追い払うかのように、とびきり明るく振る舞い始める。

 

射命丸「さて! それじゃあ屋上へと戻りましょうか? 少々時間が経ってしまいましたが、まだ新聞開く時間くらいあるかもしれません!」

 

(;^ω^)「食事もさせてくれおー……って、そう言えば僕のサンドイッチをよくも!?」

 

射命丸「え? ああ、あれは不幸な事故でしたねー」

 

∑(;^ω^)「他人事っ!?」

 

食事の恨み晴らさずおられるか。こうなったら猛抗議である。

思いつく限りの正当な理由を武器に射命丸に立ち向かうが、やはりと言うか予想通りと言うか全て撃沈。射命丸の心に届くこと無く口先三寸の話術によってあしらわれたのみであった。

悔しさに人目をはばからず啜り泣く。

 

しかしながら、不幸はまだこれから近づいて来ていた。

 

「――おい! そこのちょっと待て!」

 

( ^ω^)「……?」

 

呼び止めに従い素直に足を止める。

正直穏やかではないその声に嫌な予感はした。けれどもその場から逃げるまでに至らなかったのは、先ほどに比べて危機を感じなかっただろうか。

お陰で面倒な相手が目の前に現れてしまう事になる。

 

(#´・_ゝ・`)「んん? 内藤か。まぁどうでも良い。それよりもそれは何だ?」

 

(;^ω^)「え?」

 

よりにもよって嫌な担任の代表格。盛岡デミタスだ。

現れるなり早速何か小言が始まったが、"何だ"とは何だろう。逆に聞きたい。

チラリと射命丸の位置を確認するが、彼女の事を見えている訳では無いらしい。

そんな様子が言い逃れでも企んでいるようにでも見えたのか、デミタスが更に怒気荒く詰め寄る。

 

(#´・_ゝ・`)「その"カメラ"は何だと聞いている!」

 

(;^ω^)「あ、あー……」

 

ようやく合点がいった。

若干忘れていたが、カメラを首からかけたままだったのだ。

まぁこういう場合、"部活で使うから手入れしてた"とか借りてきた所だ。とかで済むのだろうが――

 

(#´・_ゝ・`)「部活も入ってないお前が学校にカメラ持ち込んで何するつもりだったんだ? え?」

 

(;^ω^)「えーと……」

 

新聞部・写真部その他カメラを主に用いる部活動関係。それらはここ美布校に今現在、存在し得ないのは事実だ。

活動記録等の為にカメラを所持している部活はあるにはあるが、じゃあ何に使うつもりで借りたのかと問われれば言い訳でしか返せない。

 

射命丸「とりあえず、趣味としておくのは如何ですか?」

 

O・M・A。お前、まじ、頭いいね。

そんな一言が頭に浮かぶ程の名案だ。

早速使わせていただこう。

 

(;^ω^)「しゅ、趣味ですお! シャッターチャンス逃さないように持ち歩いてるんですお……?」

 

(#´・_ゝ・`)「趣味?」

 

その通りです、と階段踊り場の開放的な窓の外を指さしながら風景写真をアピールしてみる。

我ながら良いアドリブも出来てこれで信用して貰えるだろうと思った。が、ふと目に入った射命丸の表情は何故か固い。

 

(;^ω^)「……?」

 

どちらかと言えばゴミを見るような冷ややかな眼にゾクゾク感じながら、自らが指差した方向を確認してみる。

――成る程。超絶ミニの改造スカートを履いた女子生徒が、ちょうど階段を上がっていく所だった。

逆光で見えにくいが、下アングルからの撮影ポイントとしては正に絶好の位置とタイミングだろう。

 

(#´・_ゝ・`)「……普段からそんな事してたのかお前!」

 

(;^ω^)「ち、違うんですお! 誤解なんですお!」

 

(#´・_ゝ・`)「五回目だと!? 常習犯だな!」

 

そして深まるすれ違いによる誤解。

説明しようとすればする程言葉が混雑し、やがて言い訳を完遂する前にカメラはとうとう盛岡デミタスの手に渡ってしまった。

 

(#´・_ゝ・`)「放課後まで預かっておくから、後で俺の所へ来い! 良いな?」

 

(;^ω^)「あう……」

 

半ば強引だったが、それに文句をつけられる程威勢は良くなかった。

どうする事も出来ず、情け容赦なく没収されてしまったカメラをただただ見送る。

持ち去られていくカメラの上に座って不満気に溜息をつく射命丸と目が合った。

 

(;^ω^)「ど、どうしよう」

 

一人残された今となっては、それもただの独り言。

答えが帰ってくる事もなく、そうこうしている内にカメラを持った担任は、姿も足音も感覚の届かない場所へと行ってしまう。

どうにかしなければという焦燥感に追い立てられながらも、何か行動出来る事も無いこの状況。

昼休み終了を告げるチャイムの音色が遠く、そして残酷に聞こえた。

 

 

 

('A`;)「だっりぃ……」

 

舗装されたアスファルトを、安価なスニーカーのゴム底が踏みにじる。

体重をかける度に鳴く微かな摩擦音は、まるで虐げられた道路からの非難のようだった。

耳を貸す事無く置き去りにして、前へ前へと進んでいく。

それでもわざわざ着いて来る物好きは頭上の太陽と――

 

ルナサ「……?」

 

傍らを浮かぶ手乗りサイズの幽霊くらい。……いや幽霊ではなく日頃の鬱屈したストレスが産んだ幻覚か。しかもわざわざ女の子の姿をしてる若干妄想ベースな幻覚。

落ち着いた彼女の様子とは裏腹に、こっちはずっと精神的に不安定だ。

笑顔なんて向けられた日にはこれが幻覚だという現実に悲観してしまうかもしれない。

まぁ、悲しいかな。幸いにも目が合うタイミングではまだ一度も笑いかけられて居ないが。

補足すると、実在の女の子を含んでも同じ答えだ。

 

('A`;)「……くっそ、どうせ非リア充組だっつーの」

 

ルナサ「何の話?」

 

('A`;)「何でもねーよ……。あっ」

 

ついつい話しかけられると話返してしまう事これで10度目。いや、もっと多かっただろうか。兎も角、こうして自然に会話してしまう事自体、自分でも不思議に思っていた。

基本的に会話下手。気の利いたセリフどころか、"今日はいい天気ですね"と言うセリフに返答出来なかった事さえある。

そんな自分が、付き合いの長い友人と言葉を交わすかのように極々自然体で居られてしまうこの状況が、未だ理解出来無いままだった。

恐らく自分の創りだした幻覚だからこそなんだろう。

 

('A`)(流されるな……俺!)

 

決意を忘れぬように、肩にかけたヴァイオリンケースの紐を固く握り直す。

 

――返品を思いついたのは、仮眠から覚めて間もなくだった。

寝ても覚めても不変のまま目の前に佇む幻覚を前に、ようやくミニマムサイズの不完全なやる気スイッチが入ったのだ。

自分の世界に篭っていたいのに、そこに見知らぬ誰かが存在し続けている。そんな不安感がエネルギー源になったのだと思う。

 

――実際こいつらが来てからだ。何かがおかしくなったのは。

 

('A`)「きっちり返そう……。返品して全部元通りにしちまおう。そうしたらきっと落ち着ける」

 

声として出てしまっていたと、言葉の途中から気がついたがあえてそのまま言い切る。

しかし、それに対して幻覚から反応は返らない。

付き添うように浮遊しつつ、道の果てを見つめたまま口を一の字に噤んでいる。

 

('A`)「……」

 

静かでいい。自分はそう思っている筈だ。

だが、その半面何故か心の何処かが締め付けられるように傷んだ。

結果的に心のモヤが濃度を増し、肩が押し下がる。

 

('A`)「失う位ならそのままで良い。……そのままが良い」

 

今度こそ独り言だった。

小さな器から零れた小さな小さな、一滴。

そのまま誰にも届かず風に掻き消されてしまう筈の一言。

 

ルナサ「――きっとまた、安らげる時は来るよ」

 

風に攫われた筈の本心に、返事が聞こえてきたような気がした。

その内容がどこまでも自分に都合の良い言葉だった事に、少し自重気味に笑う。

逃げ足のように、進む足が早まった。

 

先日訪れた場所付近へとたどり着くのは、大した苦でも無かった。

狭い街では無いが、それでも長年済んでいる街だ。大体の道筋は記憶している。

一度きりしか行ったことの無い店だとしても、再び見つける事くらい造作も無い。

 

('A`;)「――と、思っていた時期が俺にもありました」

 

五回目だった。この小道を通るのは。

家と家と塀と塀の織りなすちょっとした閉鎖空間。

スライドパズルみたいに家動かせたら面白くね? と思ったこともあったが、まさかリアルに店一件がスライドされてどっかに移動してしまったのだろうか。

 

('A`;)「いやいやいや、ねーよ……ねーよな?」

 

地図は無いが、間違いなくこの周辺の筈だ。自由度の高い箱庭系ゲームで鍛えた脳内マップを頼りに、もう一度周辺を探しまわる。

 

('A`;)「……ねーな」

 

六度目に同じ小道にたどり着いた時、ようやく見失った事実を認める。

在るはずの分岐点が無い。分岐点が無いと言う事はそこから続くあの店もここに無いと言う事でもある。

道を間違えただけだとずっと思っていたが、どうもやはり"道は"合っているらしい。

家々より高く見える庭木。落書きの上に落書きがされた塀の現代アート。水たまりが出来そうな道のくぼみの形までそのままだ。

 

('A`;)(これはどういう事だ?)

 

小道が塀の拡張で掻き消えた? いやいや、塀はどこも新調された様子はない。

似た場所に来てしまっただけ? いやいや、ここまでそっくりの場所があったら奇跡だ。

実は隠し通路とか隠しエリア? いやいや、ゲーム脳過ぎる。

 

理屈で考えれば考える程、説明はつかない。

それだけの非現実的な現実が今目の前にあった。

 

いや、一つだけ――。すべての説明がつく理屈がある。

 

('A`)「――お前、そこに居るのか?」

 

全ては夢か幻では無い"何か"なのか――?

 

酷く抽象的な問を、不変の幻覚少女へと投げかける。

どちらの答えが返って来たとしても、きっと今までの何かは変わってしまうかもしれない。

今まで横這いに停滞する日々が好きだった。いつかは終わる日々だとしても、出来るだけ長い平穏が続くのならばそれが良いと思っていた。そして、それは今も尚変わらない筈の本心。

 

ルナサ「――居るよ。君が私を呼んだんだもの」

 

( A )「……そうか」

 

しかし期待や予想とは裏腹のその答えは、何故か大したショックでは無かった。

それは彼女が微かに微笑んでくれた所為か、それとも――。

 

('A`)「じゃ、どうすっかなぁー……」

 

――これが自分の望んでいた現実だった。

そんな笑える冗談にほくそ笑みながら、空に集まりつつある積乱雲をぼんやりと眺め上げる。

 

 

 

 

ξ゚⊿゚)ξ(全くあの馬鹿!)

 

昼食直後の気だるげな授業が終わり、教師が教室を出て行くのとほぼ同時。

ツンは気の強そうな目元をより不機嫌そうに吊り上げながら、隣のクラスへと向かった。

用件は一つ。昼食さえも録に取らずに慌ただしく何処かへ行っていた友人に文句を言ってやる為だ。

鞄すら忘れたまま戻って来なかったので、その際も隣の教室に一度立ち寄っていたのだが、予鈴の段階になっても本人は姿を消したままだった。

 

ξ゚⊿゚)ξ(……何かあったとかじゃ無ければ良いんだけど)

 

昔から首を突っ込まなくて良い事に首を突っ込んでは自滅しかけている奴だ。

最近はそんな気配も無く大人しくなったと思っていたが、何だか久しぶりに嫌な胸騒ぎもする。

昨晩の件についても、言い分は信じたが内容に納得はしていない。

何か隠してる事よりも、隠し切れてると思われてるのが何よりも腹が立つ。

そんなイライラのお陰でうっかり扉を勢い良く開けすぎてしまったらしい。

中に居た隣のクラスの何人かが景気の良い音に肩を跳ねさせるのが見えて、ようやくそれに気がついた。

 

ξ゚⊿゚)ξ「あ、いた!」

 

何故か集まる視線を意にも止めず、我が物顔で隣のクラス内を突き進んでいく。

短い休み時間を歓談して過ごす幾つかの塊の奥、目的の人物はそこに居た。

 

(;^ω^)「うーん……?」

 

何やら柄にもなく悩んでいるようだ。腕を組んで眉間に刻み慣れていない皺を作って、何やら唸っている。

早速、人の間を最短ルートで歩み寄ると、当人の座する机を音を立てて叩いた。

 

(;^ω^)「おおっ!?」

 

ξ゚⊿゚)ξ「なーに悩んでんのよ。馬鹿の癖に。お昼休みくらいから様子変じゃないの」

 

やはりというか間が抜けていると言うか、こうして目の前に来るまで気がついて無かったらしい。

ならば――と、付け入る隙など与えるつもりも無く単刀直入かつ強引に会話を始める。

 

(;^ω^)「ツ、ツン……。病み上がりなんだからあんまり無茶しちゃダメだお?」

 

ξ゚⊿゚)ξ「お生憎様。ちょっと疲れが溜まってただけで、もう何ともないわよ」

 

それは半分嘘だ。

医者曰く過労に近い状態だとかで、数日自宅で安静にしているように進められている。現に今もまだ調子が悪いままだ。しかしそれを認めてしまうのはプライドが許さない。

 

ξ゚⊿゚)ξ「大体、今質問しているのは私の方。悩みがあるなら話して見たら良いじゃない。っていうか話しなさいよ」

 

心配してくれたのは嬉しかったが、それを口実に言い逃れされるのも気に入らない。

再度威圧するように質問を繰り返す。が、何とも生意気な事に、うーんだの、えーとだのとまだ言葉と共に悩みを隠し続けるつもりらしい。こうなったら強引にでも話させてあげようかと思い始めた。

 

(´・ω・`)「まぁまぁ、何だか今日ずっとこの調子で悩んでるくらいだから、よっぽどなんだと思うよ?」

 

一本の横槍が尋問に静止をかける。

いつの間にやらショボンが側に来ていた。

 

(;^ω^)「あー……うん。ちょっとまぁ色々あってだお……」

 

ξ゚⊿゚)ξ「ふーん?」

 

嫌いな物がある。

具体的に言うと、うじうじとカビみたく湿った悩みを抱え続ける奴とかだ。

尚更見逃せる訳も無く、未だ唸り続ける歯切れの悪い脳みそに軽くチョップを入れてやる。

 

(;^ω^)「ツ、ツン?」

 

ξ゚⊿゚)ξ「だったら尚更でしょ。放っとけるわけ無いじゃない。放っとかれたいんだったらロッカーの中にでも自分ごと悩みぶち込んどきなさいよ」

 

人に寄っては強引だと言うだろう。女の子の癖に優しさが無いと揚げ足を取るかもしれない。

しかしながら、今それを告げられた当人はその言葉をキッカケに、少し頬を緩ませながら「ありがとうだお」と零したのだった。

つまりは結果オーライ。

 

( ^ω^)「……実は、盛岡先生にカメラ没収されちゃって困ってるんだお」

 

少々悩んだ後、語り始めたのは悩みの内の一つ。

抱えてる悩みに序列なんて付けようがないが、秘密を守ったまま悩みとして共有出来るレベルの話。

しかし、ツンやショボンにとってはそれが唯一の悩みのように映った事だろう。

 

ξ゚⊿゚)ξ「あーさっきのカメラ? どうせ鼻の下伸ばしてるから盗撮目的だと思われでもしたんでしょ」

 

大体当たっているので反論も出来ず、思わず内藤の視線が泳ぐ。

 

ξ゚⊿゚)ξ「ま、でも一応返してもらえるんでしょ? 何が困るの?」

 

(;^ω^)「それはそうなんだけれども、次は持って来るのが難しくなっちゃう事が困るんだお」

 

持ってこなけりゃ良いじゃない、とツンは思ったがショボンの宥めるようなジェスチャーでその言葉を喉奥にしまったままにしておいた。

とは言え、持って来るなとされた物を持って来るにはどうしたら良いか、なんて解決法はそう多く思いつかない。

手っ取り早いのは盛岡デミタスを倒してしまう事だが、それは最終手段にすべきだろう。

やがてショボンが、一旦根本的な部分を提示し始める。

 

(´・ω・`)「没収されたのは動機が不確かだったからでしょ? という事はさ、持ってくるだけの正当な理由があれば、見逃して貰えるんじゃないかな? 」

 

( ^ω^)「正当な理由? 正当な……」

 

ξ゚⊿゚)ξ「部活とかで使いますーとか? でもウチの学校そういう事までする部活無いし、撮影用の備品じゃないカメラ持ってきたら言い逃れ出来ないわよ?」

 

やはりと言うか行き着くのは同じ答え、そして同じ壁。

 

(´・ω・`)「なるべく身に着けていたいって事情通すのはやっぱり難しいかもしれないね。詳しくは聞かないけれど、ロッカーにこっそり閉まっておく位じゃ駄目かな?」

 

(;^ω^)「うーん……」

 

駄目じゃない気もするけど、やっぱ駄目な感じがする。

考えあぐねているとツンが別の提案を持ちかけてきた。

 

ξ゚⊿゚)ξ「こういう誤魔化したりとか言い訳するのはドクオのが得意じゃない。どーせ家でゲームしてるんでしょ? 今聞いてみたら?」

 

(;^ω^)「……」

 

確かにドクオはああ見えて思慮深い。連絡する手段も無い訳じゃない。

だが"今は"無理なのだ。

何故ならドクオは――

 

ドクオは――?

 

( ^ω^)(――ドクオは、今どんな気持ちで、何処に居るんだお?)

 

悲しんでいる?

怒っている?

 

負の感情に押しつぶされそうなのか、それとも狂喜しているのか。

今始めて気がついた。

ドクオが今どんな心境の中、過ごしているのかを解っていなかった事に。

 

喧嘩した訳ではない。でもきっと……何か傷つけてしまうような何かをしてしまったのだろう。

複雑な状況と、複雑な人物関係。悲しいかな、こう言う時に全てを相談出来る唯一の相手は、カメラと一緒に手元から居なくなってしまっている。

 

ξ゚⊿゚)ξ「……ブーン? 聞いてる?」

 

( ^ω^)「……」

 

考えれば考える程、分からない。

人生で初めて対面したのだ。気が付かない内に友人を傷つけてしまったという状況に。

 

何が出来るのか。何をすれば良いのか。……成る程、時間が必要だったのはドクオだけでは無かったらしい。

 

( ^ω^)(射命丸はこの事を分かってて、任せろって――?)

 

やんわりと射命丸の真意らしき何かが掴めそうになった時だった。

右耳を強烈に引き伸ばされるような苦痛――いや、拷問によって意識が外側へと引き出される。

 

ξ#゚⊿゚)ξ「あーもう、聞いてるの!? そんなグダグダ悩んでもうまどろっこしい! 理由が無けりゃ作ればいいじゃない!」

 

(;^ω^)「えっ? えっ!? 作……る?」

 

耳と意識が強制的にツンの手によって牽引されたが、思考だけがそれに追いつかない。

つい先程まで話していた内容がどうも頭の何処かで迷子になっていたようだ。

ようやく思い出した頃には、もう遅い。ツンは苛つき具合を隠すこと無く表情と態度に出し始めていた。

 

ξ#゚⊿゚)ξ「部活よぶ・か・つ! 視姦部でも盗撮部でも申請して堂々とカメラ持って来なさいよ。行動起こさなきゃアンタただの変態で終わりなのよ?」

 

(;^ω^)「ちょっ! 声、声! 大きな声で変な事言わないでお!?」

 

当然の如く、クラスメイトの大半は唐突に聞こえてきた不穏な言葉に反応して、視線と話題を向けつつある。

とりあえず、今「いつかやると思った」って言った奴は後で覚えていろ。

 

(´・ω・`)「ふむふむ、それは良い考えだよね」

 

(;^ω^)「ショボンまで!?」

 

まさかの不意打ちに多大なショックを受けたが、すぐさまショボンは訂正の言葉を続ける。

 

(´・ω・`)「違うよ違う。部活を作ってーって方さ。無ければ作る。それは一番難しいようで、一番手っ取り早いかもしれないよ」

 

( ^ω^)「……成る程」

 

盲点だった。と言うか作るという発想は無かった。カメラをどうにかして持ち歩いて守る方法ばかり考えていて、逆にカメラを使ってカモフラージュするという所まで至らなかった。

壁を迂回出来ないのならば、ぶち抜けばいい。実にツンらしい発想法だったが、お陰で打開出来そうだ。

だがしかし、それで行こうかと決意を固めた次の瞬間、新たな問題に気がついた。

 

( ^ω^)「……で、どうやって部活って作るんだお?」

 

壁をぶち抜こうと決めただけで、ぶち抜き方は知らなかったのだ。

ショボンは小さく「やっぱりそう来るよね」と微笑みながら小さく呟いた。

 

(´・ω・`)「確か生徒手帳に部活動申請について記述された項目があったけど――ああ、あったあった。ここだね」

 

生徒手帳の細かく文字の詰まったページの中から、索引を頼りに素早く目的の項目を探しだすショボン。有り難い事に部活設立関連の項目はたっぷり10ページ近くに渡ってビッシリと説明文が記載されているようだった。

 

( ^ω^)「わぁい……読み応えありそー……」

 

三行目辺りまでの社交辞令的な前文句の時点で気力が潰えた。生憎と昔から説明書を読むのは苦手で、理解は不得手。記憶するのは最困難と言う具合だ。

 

(´・ω・`)「要するに、部活設立には顧問教員最低一名と部員三名以上が必要で、まともな活動内容なら申請出来るって事だね。部費は最低保障額一万円が支給されるみたいだよ」

 

( ^ω^)「おお! それだけなら何とか出来そうだお! カメラ使う部活、ちょっと考えてみるお!」

 

ξ゚⊿゚)ξ「"まともな活動内容なら"よ?」

 

(;^ω^)「いや、そこ強調しなくても大丈夫だお?」

 

忘れてしまう前に生徒手帳のメモ帳欄を活用している所で、丁度予鈴が鳴り始めた。

まだまだ相談し足りないが仕方ない。また後で、と戻りゆく友の背を静かに見送る。

 

( ^ω^)「さて……と」

 

次の時間は何だっただろうか。

時間割の中から次の課目を読み取り、意識を切り替える。出来ればゆっくり考え事が出来るような課目だと良いのだけれど――。

 

( ^ω^)「――お。これなら余裕ありそうだお」

 

ささやかだが、少しツイてる気がする。

早速最低限の荷物を準備すると、クラスメイトの流れに合わせるように次の授業場所へと移動を始めた。

 

 

 

 

射命丸「さーて、どうしたもんですかねー」

 

カメラを背に、小さな体をくつろがせながら周囲の音をぼんやりと聞き流す。

教師と思わしき男に没収処分という形で誘拐されて、何刻程経ったのだろうか。

チラリと壁にかかっている時計を見ると、どうやら予想よりも遥かに進んでは居なかったようだ。時間の経過がやたら遅く感じるのは退屈が原因だろう。

暇ならば、ぼーっとしていないで見回りでもしていれば少しはマシじゃ無いのか、と言う意見が出るかもしれない。大いに同意である。

だがしかし、そうは行かない事情という物があるのだ。

 

射命丸「まったく、あの男と来たら……!」

 

カメラに取り憑いたまま為す術も無いので大人しく運ばれていった職員室。

男が真っ先に歩み寄ったのは大きな金庫の前だった。

ああ、このまま封印されて仕舞うのかと思った反面、金属の塊から感じる頑強さはある意味頼もしくもあった。

本気で奪いに来る契約者相手ではそれでも不安だが、一応これならばつまらない盗難には合わないだろうし、多少は妥協してやろうと思案していると――。

 

射命丸「――やっぱり上に放置て、そりゃ無いでしょう!?」

 

宝箱、中に入れなきゃタダの箱。

 

――そう今現在金庫の中ではなく、金庫の上のまっ平らなスペースにカメラは無造作に置かれているのだ。安心安全重厚剛強もこれでは何の意味があるのか。

無論、何の保護効果も無いのは説明するまでも無い。

元々この金庫は別用途なのか、それとも男が無頓着の無神経なのかは分からないが、少なくともお陰でカメラの側から片刻も離れる事は出来なくなったのは事実である。

これならばいっそずっと持ち運んでいてくれた方が暇は潰せただろうか。

 

射命丸「……いや、やっぱそれも無いですね。あんな教養の低そうでいかにもモテなさそうな男性に無理やり連れ回されまくるだなんて、安っぽいエロ方面は御免被りたいです」

 

と、噂をすればなんとやら。

没収処分をした盛岡デミタス本人が悠々と姿を表した。

 

(´・_ゝ・`)「ふーむ」

 

戻ってきて早々、睨めつけるような粘り気のある視線が、こちらへと注がれる。

まるで品定めをするかのように。己の絶対的有利を誇示するかのように。

 

射命丸「……あやや……やぁ……」

 

そう、これは最早視姦されていると言っても過言ではない。

隠れる場所も無いまま、男の欲にまみれた視界の中で耐え続ける。

座した状態で精一杯顔を逸らしたのは、今出来る精一杯の抵抗だ。

 

(´・_ゝ・`)「ちょっとだけ……ちょっとだけ……」

 

だがしかし、男はそれだけで満足する事は無かった。

視姦だけでは我慢出来なくなったのか、とうとう男の嫌らしい魔の手が、こちらへと迫ってくる。

下卑た愛欲渦巻く笑みが、これから成される事を暗示しているかのようだった。

 

射命丸「あっ! ちょっとそんな……ああっ!」

 

抗議の声は当然のごとく黙殺され、男の意思が何よりも優先されてしまう。

故に盛岡デミタスの手が躊躇する事はあり得なかった。

 

射命丸「や、やめて下さい! 私は……私には既にパートナーが……やぁんっ――」

 

(*´・_ゝ・`)「うふふ……なんて良い手触り。実に手に馴染む。匂いも、見た目も、纏う雰囲気も実に好みだ……」

 

制止される事のない彼の手は、未だ多くの人に扱われた事のない――だがしかし、一方で経験を詰んだ独特の質感を欲望のままに味わい始める。

その手が艶やかな面を一撫でする度に、堪え切れない呻きが射命丸の口から漏れでてしまい始めた。

やがて舌なめずりをするデミタスの前で、耐え続ける事が出来なかった射命丸は、意思に反して本能的な本心までが言葉に表してしまう。

 

射命丸「――ええい……この! いい加減、私のに汚い手で触るなって言ってんですよこの【ピー】な【ピー】野郎!」

 

――勿論カメラの話である。

カメラ好きのようだが、カメラ自体を扱った経験は薄いのか、とても無骨に無遠慮な手つきでいじくり回されているのだ。

そんな状況にあるのだから、我慢が出来なくなって思わず汚い罵り言葉が出てしまうのも仕方ないという物である。

とは言え、これでは天狗が野蛮に思われてしまうかもしれない。

 

射命丸「……コホン。失礼、言い直しますね。――恐れながら申し上げますが、欠片程のなけなしの品性をご紛失なされたご様子の教師さん? 老婆心からご忠告致しますが、その写真機にお手を触れる際は、どうか清潔なお手を次世への再誕の後ご用意なされますようお気をつけ願いますでしょうか?」

 

咳払い一つの後、出来るだけ丁寧に罵り直す。

 

(*´・_ゝ・`)「うーん……いいねぇ。いいねぇ。こういうの欲しかったんだよなぁ……」

 

だがしかし、盛岡デミタスがその言葉に耳を傾ける所か、耳を傾ける様子さえも無い。

 

――当然だ。あちらには聞こえていないし、見えても居ないのだから。

 

射命丸「……はぁ。幻想郷側《わたしたち》を知覚する人が居ないのは確かに平和的ですが、これはこれで寂しいです……」

 

盛岡デミタスを相手にした"茶番"を止め、ため息混じりに手足を投げ出す。

さり気なく職員室内を見渡すと、目の前の盛岡デミタス以外にも幾人かの教員らしき人物が視界の中を闊歩しているのが見えた。

だが、その誰もが同じように視線さえも寄越さぬまま自らの作業に打ち込み続けている。

 

――奇異な存在を視認した生物の行動とは分かりやすい物だ。

"より多くの情報を得ようと行動してしまう"。費やす時間は大きく違うが、それに尽きる。

野生生物だろうと文化生物だろうと基本的には同じだ。それが危険だと、もしくは安全だと理解して居るのならばまだしも、見たことのない未知の存在を前にした時、まずはそれが何なのかを経験から照らしあわせてしまうのだ。

意識して隠したとしても、隠しきれる性《さが》では無い。

それは"好奇心"とも呼ばれ、知性ある者を容易く死の縁へと追いやれる。

好奇の衝動欲求は、人より遥かに永く好奇心と付き合ってきた天狗の前では、隠そうとした所で隠しきれる筈もない。

そう、好奇心を先導し、扇動するはいつも天狗なのだから。

 

「その割には新聞が中々売れませんでしたけどねっ!」

 

誰に聞かれる事も無い愚痴をぽろりと一粒。

好奇心を見出すのと好奇心を満たさせるのは別の苦労なのだと、とりあえず言い訳を繋げてみる。

兎も角、この人間達は全員夢幻例大祭や妖とは一切関わりを持たずに生きてきたのだ。

 

夢想器を狙う敵ではない。敵では無いのだが――

 

(´・_ゝ・`)「このカメラ。絶対高くて良いカメラだよな。……内藤には勿体無いし貰っちゃおうかなぁ……」

 

――敵よりもある意味厄介な奴に目をつけられてしまっている。

 

一応こうして見張ってはいるが直接的に何か出来る訳では無いし、それにそもそも一般人相手に何か仕掛ける訳には行かない。そうで無かったのなら、もう既にこの男は何処からともなく吹き込んできた"謎の風"で吹き飛ばされ、壁を飾る妙なオブジェとして構築されている筈なのに。

結局は、見るからに危なっかしい持ち方で愛でられるカメラを見守るしか為す術が無いというのが何とも歯がゆかった。

 

想像してみて欲しい。

大事に、だいーじに共に過ごしてきた可愛い一人娘に、どこの馬の骨とも知れぬ見るからに品格に欠けた男がいきなり現れて、慣れ慣れしく抱き寄せているのを見せつけられているかのような複雑で不快にまみれた心情を。

 

射命丸「ちょっとでも傷付けてご覧なさいな……。明日から――いえ、即その時点より一生顔面に鳥の糞が自機狙い弾の如く飛んで来ますからね?」

 

前フリなんかではなく、本心100%からの"落とすなよ? 絶対落とすなよ?"である。

ちなみに提示した代償が適用されるのは目に見えない傷レベルの話で、目視出来る傷一ミリ毎にランクを上げていく予定だ。

それほど敵意たっぷりの視線が無頓着なデミタスの眉間を貫き続ける。

 

(´・_ゝ・`)「――ん? ああ、はい何です?」

 

――と、ようやくここで盛岡デミタスの手がカメラから離れた。

残念ながら念が通じたのでは無く、ただ単に他の教員に話しかけられたからの様だったが、結果的に良しとしよう。

金庫の上へと再び舞い戻ってきた愛娘の無事を今は喜ぶ。

 

射命丸「ふぅ、まったくヒヤヒヤさせますよ本当。戦いと関係ない所でカメラ壊されましたーじゃ記事にもなりゃしません」

 

やはり人口密度の高い学校敷地内は、ただ過ごすだけでもリスクがあるようだ。

パートナーと少々会議するのだってリスクが生じる。スペルを習得させるのだってそれなりの場所を確保したい。

早々に何処か都合のいい隠れ場所か拠点を設ける事を視野に入れねばならないだろう。

日常に秘匿される形で起きる戦いは苦手ではないが、やはり色々と気苦労は多い。

 

(´・_ゝ・`)「へぇーそういう感じだったんですかぁー。へー」

 

射命丸「はふぅ……」

 

しかしながら、やはりやる事が無い。

勿論やりたい事なら沢山ある。

新聞を読んでこちらの情報と技法を得たいとか、この場所周辺の地理情報を頭に入れておきたいだとか。

 

……そうそう、やらねばならぬ事も沢山ある。

ドクオ&ルナサペアの動向について、どう対処対応するかを考えておかねばならないし、今後の身の振り方等も幾つかパターンを構築して置いたほうが良いだろう。それに培ってきた戦法戦術を人間の範疇で行えるように組み直す必要もあるかもしれない。

 

だが集中を乱す要因が未だ目の前に居続けている今、いかんせん"やれる事"はほぼ無いに等しい。

眼を話した隙にまた玩具にされては敵わないので、半ばぼんやりしながら監視していると、当然直ぐ側の井戸端会議まで耳に入ってきた。

 

(´・_ゝ・`)「へぇーそういう感じだったんですかぁー。へー」

 

まぁ考え方次第では、これも情報収集には違いないだろう。

もしかしたら何か有用な情報でも得られるかもと、素直に耳を傾ける。

 

(;´・_ゝ・`)「え!? 学年主任が懲戒解雇!? 知りませんでしたよその話!」

 

「声が大きいですよ盛岡先生! いや、私も耳にしたのが今朝でして……まだ正式な辞令前らしいんですがね? ほぼ確定だとか……」

 

射命丸「あやややや……。なんだか随分生々しいお話ですねぇ」

 

話の内容は思った以上に混沌としている様だった。

解雇という言葉は天狗の身でも恐ろしい。はぐれ天狗で長生き出来るのは余程の大物ぐらいだ。

当事者とは顔を合わせた事も会わせる事も無いだろうが心中だけはお察しする。

 

「……しかもですね? その理由が上の……ほら、経営管理陣の誰かが汚職告発されたとかが発端らしくてですね。その人とどうも親しい間柄だったとかで。二人共まとめて別々に処罰を……」

 

(;´・_ゝ・`)「う、ううう……。そう、なんですか」

 

盛岡デミタスが"親しい間柄"の言葉を耳にした時、特に暗く表情を落としていたのを見逃さなかった。

きっとそれなりに懇意な仲だったのか、それともただ想いを寄せていただけだったのか。どちらにせよこれ以上の進展は望めないだろう。

少しだけこの男が可哀想に思えて来た。

 

(;´・_ゝ・`)「結婚して昇任の後押ししてもらう計画が……うぅぅ……」

 

「何か? 盛岡先生?」

 

(;´・_ゝ・`)「ああいえ何でもありませんよ?」

 

射命丸「……」

 

前言撤回。精々、己の見通しの甘さと不運を呪えば良い。

ただ、強い物に取り入って己の地位を確約させる手法については何も言うまい。生き残るのに必死なのは肯定出来る。

それだけこの男も敵や障害が多いのだろう。

 

射命丸「――敵や障害、か」

 

"生き残るのに必死"。それはこの戦いに参加している自分達にも他人事ではない。

何時、どんな状況で戦いが始まるのか。そして一体何人の参加者が存在するのか。

未だ分からない情報も多く、手に入れる宛も無し。

だからこそ、夢幻例大祭という大きなネタをより正確に掴むには、長く――兎も角永く大会の渦中に居続ける必要がある。その為には更に強力なスペルと、緻密で大胆な作戦は欠かせないだろう。

まぁ、妖怪としての格だけで言えば鴉天狗にとって脅威になる存在はそう多くはない。しかしながら力の行使に人という協力者が必要になるこの戦いでは、それでもさして強大ではない妖怪にさえ敗北する可能性がある。

力だけでは勝てない。知識や経験、運までもが重要な要素として必要となるそれは、ある意味最も平等で残酷な戦いの法則。

 

これは"命名決闘法案"――つまり"スペルカードルール"の利点が違う形で同じ意味を発揮している事を示している。

もう既に、今後が一筋縄ではいかないのは十二分に解らされていた。

 

射命丸「ブーンさんには、より一層強くなっていただかなければなりませんね」

 

――それが彼の日常を壊してしまうかもしれないとしても。

 

その言葉が頭の中で反芻された頃、自分が如何に残酷な事を考えていたかに気がついた。

ワシャワシャと頭を掻いて暗く冷たくなりがちな思考を一旦リセット。手足を放り投げて天井で輝いている灯りを見つめる。

 

「そうそう、欠員と言えば歴史担当教員も今年一人定年退職するじゃないですか? 穴埋め出来る教員って誰かいらっしゃいましたっけ?」

 

(;´・_ゝ・`)「え? ああ、ちょっと思いつきませんね……。というかどうでもいい……。あっいえ何でもないです」

 

「でも、上層部から推進させられているあの……筋トレ部? が、それで顧問が足りなくなると言う事で、盛岡先生が次の候補にあげられてるみたいですし……」

 

(;´・_ゝ・`)「え!? なんで? 筋トレ部なんて名前ばかりで、実際はウチの学校の不良のたまり場でしょう? とっくに無くなったんじゃ無かったんですか?」

 

「形だけでも存続させておきたいとか言う噂ですよ。一箇所に集まってくれれば逆に都合が良いというのもあるんじゃないでしょうか」

 

(;´・_ゝ・`)「……顧問要請を断り続けてたのが仇になったかな」

 

射命丸「……つまんない位、地味で平和な内輪話です」

 

内輪話が面白いのは内輪に入っているからこそだ。これ以上聞いていても興味の惹かれる話題はもう出ないだろう。

いつもならば早々に見切りを付けて次の取材対象に行っている頃合いなのだが、今回は立ち去るに立ち去れないのが余計辛い。

 

射命丸「あー、もう誰でも良いから迎えに来てくれませんかねー!」

 

職員室内をゆるやかに行き交う人々を横目で見ながら、ヤケ気味に盛大な独り言をぶつけてみる。

状況がその程度で良くなるとは思っていないが、それだけ今の時間は不快だったのだ。

いっそ誰も見ていない内にカメラごと逃げ出してしまうと言う大胆な作戦さえ想像し始めた、丁度その時だった。

 

「先生」

 

死角から男子生徒の声が聞こえてきた。

 

( ´・_ゝ・`)「ん?」

 

盛岡は一旦談笑を止めると、背後から聞こえてきた声の主に向き直す。

開かれた視界の中、礼儀正しくその場に立っていたのはショボンだ。

濃い顔ではないが、しょぼくれたような垂れ下げ眉は他に無い。

 

(´・ω・`)「先生。お仕事中失礼致します。少々お時間よろしいでしょうか?」

 

相手に不快感を与えない丁寧な発声、発言。

誇示欲の強い盛岡は、気分良く彼の発言を促す。

 

(´・ω・`)「ありがとうございます。丁度別件でこちらに用件があったのですが、そちらの――その奥のカメラが目に止まりまして……」

 

( ´・_ゝ・`)「これか?」

 

射命丸「わわっ」

 

再び許可も無く持ち上げられるカメラ。

何のつもりかは分からないが、わざわざカメラに何の用件があるのだろうか。

まさか彼もカメラフェチなのだろうか?

盛岡も当然その先が気になって言葉の先を待っている。

 

(´・ω・`)「実はそのカメラ、僕がブーン――いえ、内藤君に貸し与えていた物なんです……」

 

( ´・_ゝ・`)「え?」

 

射命丸「え?」

 

不本意ながら同じ反応だったという不快感に、射命丸は眉間に皺を寄せる。が、それも一瞬の事。

今はそれよりも彼の発言の真意の方が大事だと、すぐさまショボンに意識を向け直した。

勿論説明するまでもなく、カメラはショボンの物であった事実は無いし、内藤ホライゾンが彼から借りているなんてシチュエーションもあり得ない。

戯れでこんな嘘を吐くような性格には思えないので、真意はきっと別の所にあるのだろう。

 

( ´・_ゝ・`)「確かに、内藤が持つには良すぎるカメラだと思っていたんだよ。ショボン君の趣味か?」

 

信頼されているのか、全く疑われること無くショボンの言い分が通ったようだ。

むしろその方が自然とさえ思っているらしい。

 

(´・ω・`)「ええ、風景写真を少々……」

 

( ´・_ゝ・`)「ほほーそれは結構。君が優秀なのはセンスもなんだね」

 

(´・ω・`)「ありがとうございます。ですが僕なんてまだまだです。……ええと、それでそのぉ……申し上げにくい事なのですが……」

 

( ´・_ゝ・`)「ん? 何?」

 

ショボンが一瞬躊躇するかのように、視線を僅かに逸らす。

盛岡はそれが畏れ多さ故に言い淀んでいるのだと考えたが、射命丸は秘めた別の意味を捉えていた。

これは、演技だ。盛岡デミタスの虚栄心を満たす為に見せた――その実、強かな"弱み"という餌だと。

 

すっかり盛岡の気を引けた所で、緩やかにショボンは言葉の続きを紡ぐ。

 

(´・ω・`)「――そのカメラを、どうか僕にお返し願えませんでしょうか? ……大事なカメラなんです」

 

語尾につれ声量と覇気を下げていく。

それは対峙するものに覚えのない罪悪感さえ錯覚させた。

 

(;´・_ゝ・`)「う、うーん……。君の事情は分かったが、内藤は学校内でカメラを手にして不審な行為をしていたからな……」

 

射命丸「……そこんところ誤解は誤解なんですが、確かに言い逃れしにくいですね」

 

没収の理由は"盗撮疑惑"。

カメラの真の持ち主が別に居たとしてもその事実がある限り、教員としておいそれと折れる訳にはいかないのだろう。

実際、直ぐ側で一件を眼にしていた射命丸でさえも、ハッキリと否定はし辛い。

しかし、ショボンはその点もきちんと予想していたのか、引き下がる様子は見せなかった。

 

(´・ω・`)「先生。実はその事なんですが――」

 

おもむろに懐から取り出したのは半透明のフィルムケース。中には何か黒い物が閉まってある。

 

(´・ω・`)「この通りフィルムはまだこちらにありましたので、盗撮どころか撮影も出来なかったと思うんです」

 

(;´・_ゝ・`)「むぅ……」

 

ショボンの話を反芻しながら、カメラを眺める。

もし今の話が本当ならば、内藤ホライゾンの罪はかなり小さい物となる。

"怪しい行動をしていた"というのが強気で処罰出来る理由なのだ。

もしそれがこちらのただの勘違いだと証明されてしまうと、逆に"没収処分は行き過ぎた指導だった"と、こちらが処罰される可能性すら出て来るだろう。

真偽の程を確かめる方法は簡単。今手にしているカメラの蓋を開け、内蔵されたフィルムの有無を確認してしまえばいい。

しかし――

 

(;´・_ゝ・`)(――どこから開けんだこれ)

 

デジタルカメラなら多少分かる自信がある。何故ならあっちはフィルム交換なんて面倒な作業は必要が無いからだ。適当にシャッターを押せば適当に撮れるし、現像は分かる人に任せれば良い。

盛岡デミタスにとって、面倒なフィルム交換が必要なアンティークカメラはあくまで観賞用かコレクターズアイテムの類。

『わーデミタス先生ってカメラ理解るんですかすごーい』と、言ってもらう為だけに詳しそうなオーラを出してきた故に、今更良く分かりませんとは口が裂けても言えない。

 

(;´・_ゝ・`)(おのれ、内藤!)

 

本人の知らない所でいつのまにかこうして恨みが一つ増える。勿論みっともない八つ当たりなのだが、生憎それを指摘してくれるような人物に盛岡は恵まれていなかった。

 

(´・ω・`)「勿論、学校内でカメラを持ち歩いていた内藤君や、彼に貸し与えた僕の責任を有耶無耶にするつもりはありません。僕も何かしらの処罰は受ける所存です。……でもそのカメラはとても大切な物なんです。どうか寛大な処置をお願いします」

 

( ´・_ゝ・`)「……」

 

己の保身と見栄を天秤にかけ、連鎖する可能性のある問題を吟味した結果――

 

( ´・_ゝ・`)「良し、事情は分かった。今回は寛大な特例措置として没収処分は取り消しにしておいてやる。内藤には後で注意はするが、こいつはお前に返しておこう」

 

盛岡はカメラを差し出す事に決めた。

ショボンはそれを、まるで宝石でも受け取るかの様に優しく丁寧に受け取る。

 

(´・ω・`)「ありがとうございます。流石盛岡先生なら分かっていただけると思っておりました。今後はこの様な事が無い様、きちんと内藤君と規律について話し合っておきます」

 

射命丸「ほほう、ショボくれた眉に似合わず、中々に弁が立つじゃないですか」

 

丁寧な言葉遣いに態度に至るまで見事だと、射命丸は関心していた。何よりも評価したいのは、それが上辺からなのでは無く本心から来ている礼節だと言う所だ。

いくら表面上を飾っていたとしても、内心突き出す舌は意識の端々で中々に目立ってしまう。勿論それらを隠すのが上手い者も居るが、それでも何処かで看破する者は出て来る。

しかし、彼にはその些細な兆候さえ見られ無い。

 

幼少より丁稚にでも出ていたのか、もしくは教育熱心な家庭なのか――そこまでは判断が着かないが、善意の嘘を扱える所を見るに苦労に恵まれたらしい。

カメラをこの場で奪取したのも、わざわざ横暴なこの男の手から早々に取り戻そうとしてくれたという純粋な気遣いなのかもしれない。

 

射命丸「何はともあれ、お陰で早めに戻れそうですね」

 

そう、安心したその時だった。

 

( ´・_ゝ・`)「あ、ちょっと待て」

 

(´・ω・`)「……はい」

 

丁度、踵を返し始めた所だったが、緩やかに足を止める。

流石にここで呼び止められるのは予想していなかったのか、彼の表情は少し不安に曇っていた。

 

( ´・_ゝ・`)「所で何でお前のカメラを内藤は借りてたんだ?」

 

(´・ω・`)「えっと、それは……」

 

流石に言葉が詰まった。善意で嘘を吐く事はあるが、別段嘘が得意でも好きという訳でもない。

用意してきた嘘は並べたが、それは誰にも迷惑がかからない程度の嘘であったからだ。

下手な事を言えば、何処にどんな飛び火するか理解らない。だが説得力に欠けた嘘を吐けばもっと状況は悪化する。

ゆっくり考える時間も無い中、場を収められそうな言い訳を記憶の中から探す――。

 

『――カメラ使う部活、ちょっと考えてみるお!』

 

(´・ω・`)「……内藤君、実はカメラの練習を兼ねた新しい部活動を設立しようとしておりまして、僕はそのサポートを……と」

 

悩んだ結果、限りなく真実に近い言葉を選んだ。それならば説得力に欠けたとしても、虚偽による状況悪化は避けられると判断したからだ。

 

( ´・_ゝ・`)「部活? それも新しく設立するだと?」

 

(´・ω・`)「ええと……はい」

 

僅かに眉をひそめた盛岡の様子に、何かまずい事を口走ってしまったかと、ショボンは気が気でなかった。居心地の悪い沈黙が続く。そして――

 

( ´・_ゝ・`)「そうか、分かった。もう行って良いぞ」

 

意外にもそれ以上何も追求される事はなく、ショボンはすんなりと退室を促された。

内心胸を撫で下ろしながらも、最後まで失礼の無いよう気を保つ。

一礼し、職員室の扉を緩やかに閉めたところでようやくショボンは胸の中に溜まった息を吐き出した。

 

(;´・ω・`)「ふー……、緊張したぁ……」

 

射命丸「あややや、ここに来てゴネるのかと思いましたが、やっとこれでおさらば出来ますね!」

 

大事に抱えられたカメラに腰掛けながら、射命丸も気張っていた緊張感を吐息として置いていく。

 

これで一件落着――。

 

(;´・_ゝ・`)「うーむむむむ……」

 

――とはならないのだが、それはまだ射命丸ですら知らない。

 

 

 

 

 

('A`)「……」

 

ルナサ「……」

 

会話は無かった。

ドクオが前を歩き、ルナサがその傍らに付き添う――ただそれだけの時間。

人通りの無い場所を選んで歩いている為、後にも先にも人影はこの二つだけだった。

 

('A`)「なぁ」

 

やがて、靴音と呼吸以外の音が発せられた。

ドクオの声に、ルナサは言葉では無く態度で反応を返す。

 

('A`)「さっきの話――本当なのか?」

 

ルナサ「嘘は吐いてない」

 

ルナサの存在を認めたドクオを待ち受けていた真実は、予想よりも深く信じがたい物だった。

 

"妖怪"。

"幻想郷"。

"夢幻例大祭"。

 

そのどれもが現実的には想像すらしてこなかった馬鹿らしい話。

しかし、ルナサ自身その全ての証明をするように今、ここに居る。

 

('A`)「……」

 

ならば、どうすれば良いのだろう。どうするべきなのだろう。

ルナサの話が本当だとして、それに付き合う義務は無い。

勝ち残った末に褒美があるとしても、そこに至るまでにどれだけ苦しい思いをしなきゃいけないか分からないのなら、現状維持が最も賢い選択肢では無いだろうか。

 

('A`)「ルナサ」

 

ルナサ「何?」

 

――何故、自分はあの時逃げてしまったのだろう。

そう尋ねようとして、止めた。少し怖かったからだ。心の中を知られてしまうのが。

 

('A`)「友達、居るのか?」

 

代わりにした質問に特に意図は無かった。ただ、言った後で何と無く嫌味のようになってしまったのを後悔した。

 

ルナサ「友達……。知り合いやファンは居るけど、友達は良く分からない」

 

('A`)「そうかよ」

 

本当に失敗した。

他人との間に流れる沈黙が不快じゃないなんて、滅多に無い事だったのに。

今はもう気まずさに逃げ出したくなる位だ。

 

ルナサ「それでも寂しくはない。姉妹もいるもの」

 

('A`)「家族……か」

 

ルナサの返答は、ほんの少しだけ羨ましい答えだった。

 

――家族なんてあって無いような存在だ。

幼い頃には既に父親も母親も共に育児より仕事に熱を上げていて、地球の何処かを転々と飛び回っていた。録に顔を覚えてすら居ない。

家に居ても、扉を潜ってくるのは宅配業者と仕事関係の見知らぬ人。

あまりにも帰ってこなさすぎてとうとう養護施設預かりになった時は、むしろ安心さえしていた。これで期待なんてしなくて済むようになると。

 

(*^ω^)『はじめまして、だお!』

 

しかし、そこでも人生は願い通りには行かなかった。

初めて見るお人好し馬鹿という種類の人間と、友達になってしまったのだから。

 

('A`)「俺には友達しか居ない。でもブーンはその中でも、俺にとってもう兄弟みたいなもんだ」

 

そうだ。あいつとはもう長い付き合いで、家族よりも永く一緒に過ごして来た。

遊ぶ時はいつも一緒だった。学校だってずっと一緒だ。学校に行きたくなく成り始めた時だって、側にいてくれていたのはあいつだった。

喧嘩もしたし、趣味趣向にドン引きしたりもしたけれども、それでも一緒に過ごして来た掛け替えのない家族。

 

だから――

 

('A`)「――だから、協力してくれルナサ。俺は……、俺はブーンの夢想器を……奪う!」

 

やがて辿り着いた美布高等学校を前に、あらためて決意を固める。

友人だからこそ、兄弟だからこそ、こんな馬鹿げた戦いに参加させたくない。

この胸の内の靄はきっとそういう事なのだ。

 

ルナサ「……分かった」

 

突然の申し出に、少しだけルナサの表情は困惑したように見えたが、そんな筈はない。

これはルナサにとっても利のある話なのだから。

 

('A`)「行くぞ。もう決めたんだ」

 

それは自分と、パートナーの双方に向けた言葉。揺らぎそうになる意思を定めておく為の戒め。

やがて、止まっていた足に言いようの無い重さを感じながら、決意は実行へと移された。

 

 

 

 

 

 

 

爪'ー`)「うーん。今日も長閑だ」

 

本鈴は少し前に鳴り終わり、ようやく騒々しさ達は教室の中へ。

風の音だけが耳に入り、視界の中には浮雲が漂う。

そこに権利や主張や責任は無い。何処までも際限なく開放されていく感覚を、そのままに委ねて行く。

フォックスは今日も今日とて、ペントハウス上にて長閑な一時に身を委ねていた。

 

爪'ー`)「――ん?」

 

ふと、物音が気配を連れてきた。

耳を済ませてみると、どうも誰かが階下から上がってきているらしい。授業はすでに始まっていると言うのに一体何処の馬鹿だろうか。

昼食時くらいはベストプレイスのおすそ分けをしてやっても良いが、それ以外を許すにはやかましいのが多すぎる。

排除されると分かっていてわざわざここへ邪魔しに来る連中の気が知れない――。

そうは思いつつも義務としている"掃除"の為に致し方なく体を引き起こす。

やがて屋上へと足を踏み入れた侵入者。男子生徒のようだ。屋上にサボりに来るような風体には見えないが、まぁどうでも良い。

 

何処と無く既視感の靄がかかりつつも、やはり躊躇する程の理由にはならない。

対応出来る間合いまで一気に飛び降り寄ると、相手が振り向くよりも疾く声をかける。

 

爪'ー`)「おい。騒がしくなる前に戻れ。俺も散らかしたくは無い」

 

威圧するように最低限簡潔に。

相手のレベルに合わせてやるつもりは無いが、馬鹿でもとりあえず"警告"には聞こえている筈だ。

もし察するぐらい出来る凡愚ならば、これで充分。理解らない愚図ならば更に"分かりやすい"方法で伝えてやるまで。

 

爪'ー`)(さぁてどっちだ?)

 

大体相手の反応はきっちり別れる物だ。焦りに引き返すか、もしくは敵意で返すか。

上辺でどれだけ取り繕ろうが、表情と声色に本心は漏れ出る。

――しかし、今回の侵入者は珍しくそれらの類では無いようだ。

 

( ^ω^)「――お? やっぱり今日も居たのかお」

 

好意。こちらの声を聞いて、嬉しそうに身を翻して来た侵入者の反応タイプだ。

そしてこの変わり者の事をフォックスは見知っていた。

 

爪'ー`)「なんだ、内藤じゃないか」

 

排除すべき邪魔者で無いと分かると、フォックスは表情を一気に緩ませた。

とは言え、ルールはルール。一応きちんと警告はしておくべきかと思い直す。

 

爪'ー`)「わざわざここに来てサボりかい? あんまりやり過ぎると、爪弾きにされてしまうぜ?」

 

( ^ω^)「一応は授業のつもりで来てるお、ほら」

 

手に持っていた板を水平にする内藤。

どうやら画板らしいそれの上に、大きめの画用紙が一枚だけ乗っかっている。

 

( ^ω^)「美術なんだお。各自で自由に何か創作しろっていう」

 

成る程。屋上からの眺めでも描きに来たのか。確かにここならば、四方の何処を見ても描きがいがあるだろう。

 

爪'ー`)「風景目的なのは分かったが……一応ここ立ち入り禁止なの忘れてないか?」

 

言われて思い出したのか、内藤は口を半開きに妙な唸り声を上げ始める。

何処までも抜けたやつだ。と、釣られてフォックスからも笑い声が漏れた。

 

途端、内藤は何かに気がついた様子で、気まずそうな表情を浮かべる。

 

爪'ー`)「ああ、カメラ没収されたんだろ? ありゃ運が無かったな」

 

(;^ω^)「う、知ってたのかお」

 

大事にしろと忠告してくれた手前どう説明した物かと悩んでいたのだが、既に知られていたのか。これは恥ずかしい。

何処からか見ていたのかと問うと、フォックスは素知らぬ顔で笑みを浮かべた。

 

爪'ー`)「さっさと取り返しておいたほうが良いんじゃないか?」

 

( ^ω^)「……? どうしてだお?」

 

爪'ー`)「価値を理解し、信用できるのは自分だけだ。他人じゃ大事な物を持つ資格は無いだろ?」

 

(;^ω^)「うーん……」

 

確かに信用出来ない相手ではある。そんな相手に大事な物を持って行かれて内心不安ではないと言えば嘘だ。

だがそれ以前に相手は教師で非はこちらにあるのだから、強引な手段なんて取れる筈も無い。

迷っているとフォックスが言った。

 

爪'ー`)「お前は真面目だな」

 

そうして内藤の表情は見ないまま、おもむろに懐からタバコを一本取り出し咥える。

手でライターの火を風から守りながらタバコの先に熱を灯すと、やがてたち登り始める紫煙。

ゆらゆらと燻る紫煙の香りをフィルター越しに肺に満たし、透明な風に吐き溶かす。

そうしてフォックスは、屋上の鉄柵に体重を預けながら自らの隣へ内藤を呼び寄せた。

 

爪'ー`)「内藤。それでも良いと思うぜ。だがな――」

 

咥えているタバコを持ち直し、携帯灰皿の中に灰を一塊振り落とし、――再びくゆらせる。

 

爪'ー`)「規則の中で生きていくには建前ってのが必要になる。そいつはとんでもなく面倒で、自由に飛ぶには随分邪魔な重りなのさ。……だったらいっそ規則から外れて生きれば楽になれるとは思わないか――?」

 

胸元に光るネックレスに、日光が反射して金色に輝いている。

おおよそ学校の規律正しさからはかけ離れたこのネックレスの輝きのように、フォックスは規則から外れる道を選んだのだろう。

 

( ^ω^)「……分かんないお」

 

それから互いに言葉は無かった。方や火を焦がし、方や鉛筆の黒鉛を紙に撫で付けているだけの共有時間が続く。

そんな時間が長く続く事も無く、やがてフォックスは口元の熱が主張を強めてきた頃に、火を携帯灰皿に擦り潰した。

肺に満ちていた煙を空へと追い出し、呟くように言葉に変える。

 

爪'ー`)「その内分かるさ。内藤ならな」

 

小さな銀色の小箱のような形をした携帯灰皿を懐に仕舞う。と、何かに気がついた様子で差し込んだ手を引き抜いた。

 

爪'ー`)「これ、やるよ」

 

引きぬいた先に握られていたのは、一枚の硬質で薄いカードのような何か。

 

( ^ω^)「お? 何だお?」

 

渡されるまま受け取っては見たものの、表面に印字されている文字は英語で読めなかった。

英語の成績が中位あれば読めたのかもしれないが、生憎と下の中クラスだったのが災いして、アルファベットである事くらいしか理解が及ばない。

 

(;^ω^)(ま、ますてー……?)

 

ちなみにアルファベットとして認識出来るというだけで、草書体気味に書き流された文字がどのアルファベットなのかも勿論理解らない。

実は、適当にくるくると丸を繋げてるだけで文字ですら無いのかもしれない。

 

爪'ー`)「屋上のカードキーさ。ここの扉もそろそろ交換修理されて、そいつが無いと入れなくなる」

 

( ^ω^)「良いのかお?」

 

爪'ー`)「ここが、――ここの風が、好きなんだろう? だったら君は俺の友人で、そいつを持つだけの権利があるさ」

 

それだけ言うとフォックスは改めて踵を返し、屋上を後にしていく。

去りゆく背中に向けて"ありがとう"と告げると、フォックスは返事の代わりに片手をひらひらとかざしてみせた。

 

――やがて、屋上に一人。

 

( ^ω^)「……ブーンって呼んでくれていいのに」

 

しばし受け取ったカードを眺める。

何故こうも良くしてくれるのかは分からないが"友人"と呼んでくれた事、それは陽溜まりのように暖かく、そして純粋に喜ばしかった。

しかし同時に、自身に取っての別の友人の事を気がかりとして呼び起こさせる。

 

( ^ω^)「ドクオ……お前は今、何処に居るんだお……?」

 

ドクオの名を思い出す度に、何も出来ない自分の不甲斐なさが凍傷の如く胸の奥で痛んだ。

あんな悲痛な顔して出て行ったドクオを、放ってなんかおける訳がない。

何が出来たのか、何をしてやれたのか。何も語らず立ち去ったドクオに、どう声をかければ良いのか。

しかし、出来の悪い頭は射命丸のように軽やかに名案を中々浮かべてはくれそうにない。

それでも時間だけはいつもの様に流れていく。

 

(;^ω^)「おっと、落ち込んでても仕方ないお! デッサンデッサン!」

 

考え事をする為にここへ来たのは確かだが、課題をサボるために来た訳ではない。

少しでも美術の評価点を維持出来るように、ずっと止まっていたデッサン用鉛筆を紙に擦り付ける。

 

( ^ω^)「……ふむむぅ」

 

しかし悩みとは悩もうとして悩むのではなく、勝手に湧き出て頭を占領していくからこそ悩み。

結局頭の何処かでぼんやりと考え事をしていたせいか、気が付けば下描きの線が渋滞を起こした帰省ラッシュの如く混雑と混乱の形相を表現していた。

今描いて居たのが公園なのか、それとも遠くのビル看板の新製品広告にあるカロリーたっぷりのお菓子パッケージだったのか……。それすら自身でも判断出来ないようでは現代アートの名を借りても誤魔化しきれないだろう。

……いやでもこの線の狂いっぷりは、なんだか草書体の英語みたいで格好いいかも。

 

(;^ω^)「いやいや、風景画だからどっちにしろアウトだお。おー……もういっそカメラで写真撮って完成とかでも良いと思わないかお? しゃめいま――」

 

言葉にした後、そのカメラとパートナーが自らの不注意で手元に居ない事実を思い出し、軽く落ち込む。

不幸はパズルゲームの如く連鎖するらしい。

これでは埒が明かないと、一旦俯いていた視線を上げる。すると、周囲の光景が改めて眼に映った。

遠くの景色なんかでは無く、最も身近な学校の屋上の景色だ。

 

( ^ω^)「……静かだお」

 

――ここで戦ったのだ。昨晩、闇の支配する夜に。

 

広い敷地の中で校舎は増設され続けてきたお陰で、屋上は柵と空間を隔てて複数存在している。それこそ敷地内の建物の数だけ。

眼下に見える物と言えば整備された広いグラウンドと、日光を浴びて複雑に風に靡く沢山の樹木達。

自然に囲まれた敷地は周辺の一般住居との物理的な接触を遠ざけ、まるで樹海の中に孤立したエリアのようにも見せている。

……今いる本校舎が街で最も高い場所という訳ではないが、そもそもここより高い建物は敷地内でも数える程しか無く、敷地外でも遠くの建造中のビルを含めて数件という所。故にここからだと街をそれなりに見渡す事が出来、そこに住む人々の生活の息遣いさえも触れてしまえそうな錯覚を感じさせた。

勿論この屋上も、そんな街の風景の一部として在る。――在る筈だが、ここで独りで居ると、周囲の喧騒から切り離されてしまっているようで、今感じるのはむしろ寂しさの方だ。

 

( ^ω^)「……」

 

気がつけば鉄柵のすぐ前まで来ていた。理由と言えば、何と無く、だ。

 

そこから見る隣り合う校舎の屋上との間には大きな隙間が開き、見下げた視界奥深くにやっと地面が存在している。

入れない事が前提だったこの屋上。最後の防壁である一メートル程の高さの鉄柵を超えてしまえば、後は人一人しゃがめる程度のスペースを残して屋上という場所は終わりを迎える。

 

そんな落下ギリギリの所にツンが拘束されていて、そしてその前にモナーとルーミアが立ちふさがって――

 

( ^ω^)「――胸糞悪いお」

 

それでもなんとかツンを助けられた。だがそれは"結果的に"という話に過ぎない。

友達を危険に晒した事実は変わらないし、奥歯を噛み砕いてしまいそうな程の怒りも忘れていない。

あんな奴が他にも居るかもしれないのなら、それこそ今すぐに飛んでいって殴り飛ばしに行っても構わないとさえ思う。

 

そんな怒りに呼応したのか、風が頬を優しく撫でた。そういえばあの時も――ルーミアの闇に負けてしまいそうになったあの時も、こんな風が吹いていたような気がする。

 

記憶を追って、視線が遠くに向く。木々の青さが生い茂る、モナーごと吹き飛んだ林の一角辺りへと。

 

( ^ω^)「……あっちまでどれくらいあるんだお?」

 

あの場所は校舎を大きく超えて、はるか向こう側。距離で言えば――いや、止めておこう。正確な数字はこの際重要では無い。大事なのは普段の"突風「猿田彦の先導」"では到底届かない筈の距離だと言う事だ。

10回連続でも届くかどうか分からない。そしてあの時どうやってそこまでの馬鹿力を出せたのかも。

もし、あれが本当の"突風「猿田彦の先導」"なのだとしたら、まだまだ自分はスペルカードを使いこなせてはいないのだろう。

 

( ^ω^)「よっ……と」

 

画材を投げ出し両手を床に。足を前後に開き腰を高く持ち上げる。クラウチングスタイルはスペルを使う構えとして一番都合が良い。

目標は――流石に森までは無理だ。さしずめ、丁度良いのは隣の校舎屋上。

目算で10~20m程はあるだろうか。スペル無しでは到底不可能だが、スペルが在れば可能性は充分。風向きも邪魔にはならない。

 

――後は跳ぶだけだ。

 

(;^ω^)「……」

 

しかし、足は進まない。よく見える視界が想像させてしまうのだ。

壁に激突して出来る赤い染みを。

落下して地面に飛び散る肉を。

それが未来の自分の姿だと考えてしまう。スペルの成功をがむしゃらに信じられなくなる。

普段、安全策の全く無い高所を走り回れるのは、自分の限界を熟知している経験と正確なイメージに依る所が大きい。

……体は結論を出しているのだろう。まだこのスペルに命を無条件で賭けられる程の自信は無いと。

しかし、この恐怖を乗り越えねば"出来る筈の領域"には一生手が届かないかもしれない。

 

恐怖と焦燥感。

自らに課してしまった二重苦に縛られたまま、答えを出す決意さえも先延ばしにし続ける。

 

「――寂しさのあまり自殺志願ですか?」

 

辞め時は風ではなく、言葉と共にやってきた。

 

射命丸「それは大変勿体無いです。自由に死ぬなら自由に生きた方が断然楽しいってもんですから。しかも勝手に死んだら地獄で閻魔様から長いながぁーいお説教と罰を受け続ける事になるらしいですしねぇ」

 

(;^ω^)「……射命丸……?」

 

足に籠めていた力が思わず抜け、ヘナヘナと腰が床につく。

射命丸の何時も通りな口調を聞いて、変な安心感を覚えたのだろう。あの緊張感は何処かへ行ってしまっていた。

 

射命丸「それで? 何をなさっておいでで? ――あ、もしかして何処かしらの更衣室でも覗いてる所でした?」

 

(;^ω^)「そんなんじゃないお。何でどいつもこいつも人を性犯罪者にしたがるんだお。……ちょっと見たいけど」

 

改めて考えてみると、果たして自分は何をしたかったのだろうか。

不自然に入っていた力みが抜けた今、その時の心境さえよく覚えていない。

ただ確実なのは、射命丸が声をかけてくれて良かったという事だけだ。

 

( ^ω^)「それよりも、射命丸の方こそ何でここに居るんだお? カメラは?」

 

射命丸「何だかブーンさんにカメラの安否聞かれると変な感じがしますね。……実はご友人のショボンさんがですね――」

 

そうして射命丸の口から掻い摘んだ事情が語られる。と言っても、余程没収された先が不快だったのか逐一愚痴で飾られているが。

まぁ確かに盛岡先生の元に置かれるとなると、想像するだけで苦痛だなとは思った。

 

射命丸「と、まぁそう言う感じでして。今はショボンさんの鍵付きロッカーに仕舞われていますよ」

 

( ^ω^)「そうだったのかお」

 

ショボンは人当たりと面倒見の良さを買われ、教員の手伝いをしている光景を時たま見る。

職員室に寄ったのもきっと何かしらの用件があったからなのだろう。

ロッカールームは生徒それぞれが個人的に使用出来るように割り当てられていて、確か鍵は電子ロック式だった。

それが普通に使われていると言う事は部分的にセキュリティが復興してきているのかもしれない。

それならば多分誰かに盗難される心配も無い。

 

射命丸「……別にブーンさんの不注意で没収された恨みはチャラになりませんからね?」

 

(;^ω^)「うっ……本当にごめんだお」

 

それ以上射命丸からは追求の手は無かったが、何かで名誉の回復を図っておいた方が良いかもしれない。罰として古新聞数十年分とか読み付き合わされていたら、それこそ時間と体力がいくらあっても足りなくなる。

――と、そこで丁度良く名誉挽回する提案の存在を思い出せた。

 

( ^ω^)「そうだお! 射命丸! 部活作ればもうこんな事に困らないよう済むかもしれないお!」

 

射命丸「……はぁ?」

 

功を焦りすぎたせいで折角の名案がほぼ伝わらなかったのか、射命丸の顔は"また馬鹿が馬鹿な事を馬鹿っぽい事を言い出し始めたんですか?"とでも言いたげだった。

 

射命丸「また馬鹿が馬鹿な事を馬鹿っぽい――」

 

(;^ω^)「ちょええーい! ちゃんと説明するお! だからまずは聞いて欲しいお!?」

 

予想が現実になる前に全力で制止。

射命丸が聞く体勢になってくれた所で、"名案"の説明を拙いながらも整理しつつ説明していく。

 

( ^ω^)「まずは部活動の説明からするお。部活動は授業とは別に、スポーツだとか文化活動? を生徒達が集まって行う活動なんだお。テニス部とか、剣道部とか……色々。細かい決まりは学校に拠って違うのだけれども、大体大会優勝やら地域貢献やらを目的に顧問となる先生と一緒に頑張るんだお。多分!」

 

射命丸「多分て」

 

(;^ω^)「……実のところ、中学時代はボーッとしすぎて早々に陸上部退部させられてるんだお……。今は今で現在帰宅部だし……経験値は低いんだお」

 

射命丸「それは仕方ないですね。所でその帰宅部という部活は一体何を目標に?」

 

( ^ω^)「……如何に楽しく早く家に帰るかを競う、孤独で逞しい部活動だお。個人個人のスタイルに関わるから詳しくは聞かないで置いてくれお」

 

当然の如く射命丸の視線が冷ややかに突き刺さってきたが、今は気にしない。主題は新部活の方だ。

 

( ^ω^)「話を戻すけど、その部活動は自分達で新しく作る事も出来る……らしいお。部活動の為の部屋も貰えるし、活動費も支給されるし、理由があれば学校の事も気にせずに遠征? ってのも出来るかもしれないお!」

 

大雑把な説明だったが、それでも概要は充分伝わった筈だろう。

しばし射命丸は無言で何やら考えていたが、やがて――

 

射命丸「うん。成る程、充分隠れ蓑の条件を満たしているようですね。ただ、目的別に部活動に冠する名が決まるようですが、一体何部をなさるおつもりなんです? 写真機を持つ正当性を保持出来る部活動には何があるんですか?」

 

( ^ω^)「……」

 

見つめ合って5秒。

とりあえずニコっと笑いかけてみた。

返って来たのは人を小馬鹿にしたような笑みだった。

 

射命丸「……はいはい。まだ決めていないんですね。では他の質問をしますが、その部活動とやらはお一人でも結成出来るのですか? それとも既に誰かをお誘いに?」

 

(;^ω^)「えと、三人居れば大丈夫らしいお? それで、ツンとショボンとか……これから誘おうかと」

 

説明すればする程、計画の甘さが露見していくようだった。

そうしていく内に最終的には説明を続けられなくなり、締めくくりの言葉となったのは"ごめんなさい"の一言。

 

射命丸「あややや……まぁそんな事だろうと思いましたよ。ええ、思いましたとも。ですが! 発想自体は間違いじゃないです。ブーンさんにしては上出来上出来」

 

(*^ω^)「おっおっ! それ程でも無いお!」

 

射命丸「喜んでないで詰めの甘さを反省して下さい。……さて、ではまず実現に当たって部活動の内容ですね。制限等はございますか?」

 

( ^ω^)「えっと……」

 

ズボンのポケットに仕舞っていたメモを取り出し、一通り目を通す。

 

( ^ω^)「……なんか、変な事で無ければとりあえず大丈夫らしいお? まともな活動理由なら」

 

射命丸「つまり、盗撮は駄目だけれども取材目的ならば問題ないと?」

 

(;^ω^)「え? 僕がおかしいのかお? それとも幻想郷の常識がおかしいのかお?」

 

射命丸は静かに"冗談ですよ"と言って取り消したが、眼がちょっと本気だったような気がした。

これ以上ツッコミも追求もしてはいけない気がしたので、話を進める方に身を委ねる。

 

射命丸「さて、前提条件としてカメラを持ち歩いていてもおかしくない部活動――ですか。……でしたらやはり、新聞に携わる部活動は如何でしょうか?」

 

( ^ω^)「うーん……それはちょっと考えたけれども、新聞なんて作った事無いから分かんないお?」

 

射命丸「いやいや、私の役職をお忘れですか?」

 

( ^ω^)「……なんかカメラ使う人?」

 

射命丸「首絞めますよ」

 

半眼で睨みを効かせながら即答した射命丸は少し怖かった。

 

射命丸「良いでしょう! 幻想郷で最も速くトレンドを掴み、最も人気がある(ようになる)新聞、その名も"文々。新聞"! ――を発行している最速最高美人新聞記者であるこの射命丸文が! 仕方ないので新聞制作の何たるかを手取り足取り教えて差し上げますとも!」

 

(;^ω^)「え、新聞制作とかのノウハウは別に……。どうせやるならオカルト研究部とかそういう――」

 

射命丸「自分からお願いしたく成るような交渉《はなしあい》からされたいですか?」

 

(;^ω^)「――うわぁい! 新聞部大好き!」

 

何だか戻ってきた射命丸は虫の居所が悪いようだ。やはり、余程没収されてしまった事を怒っていたのだろう。

言い訳する余地も無い居心地の悪さが、自然と両足を正座の形へと整えてしまう。

しかしそれにしたって射命丸は何やら難しい表情をしている気がする。

 

(;^ω^)「な、何か他に悩み事ですかお……?」

 

射命丸「……」

 

緊張してつい敬語になってしまったが、そこにツッコミは来ない。

触れちゃいけないのかもしれないが、やはり誰かが困っていると心配になる。

 

射命丸「なーに心配そうな顔してるんですか。……ブーンさんは頭脳労働向きでは無いんですから、気にしなくて良いんですよ?」

 

(;^ω^)「お、おお……」

 

射命丸「つい先程のも、スペルを勝手に練習しようとでもしていたのでしょう?」

 

(;^ω^)「げ、見てたのかお?」

 

射命丸は自分の頭を軽く突付くと、"ただの勘ですよ"と答えた。

そのままふわりと射命丸は音も無く鉄柵に近づくと、そのまま腰掛ける。

触れないのだから浮いているのと変わりは無い筈だが、そこは気分の問題なのだろう。

 

射命丸「努力しようとする精神は評価しますが、方法も理屈もあやふやにやったって無駄に怪我するだけですよ? ……いいえ、怪我より酷い事にもなりかねません。今は戦力強化よりも後顧の憂いを断ち切る準備が必要なのです」

 

でも、と言いかけて後の言葉は飲み込む。

さっきだって、ただじっとしていられなかったから何と無くスペルを試そうとしていたのは事実だったのだから。

使い方を間違えれば怪我じゃ済まない力だと、昨晩良く分かった筈なのに。

 

射命丸「……ふむ。そうですね。さしずめ次はドクオさんの問題にとりかかりましょうか」

 

射命丸はそう言うと鉄柵からさらに上空へと浮かんでいく。

残念ながら姿形の縮んでいる射命丸のスカートの中身は、逆光で黒塗りになっていた。

 

( ^ω^)「一体何が始まるんだおー?」

 

射命丸「まぁ、黙って見てて下さいよー」

 

見たいのは山々なのだけれども、空が明るすぎて見えな――もとい、何をしているのか良く分からない。

――と、思っていた次の瞬間。

 

射命丸「ヴァ゛――――」

 

( ^ω^)「カラスの声?」

 

遠くに呼びかけるような、よく響き、そしてよく溶け込んでいく音。

決して小さな声ではなく、かと言って五月蝿いとは微塵も感じない不思議な迫力の篭った音だった。

それが他ならぬ射命丸の声だったと気がついた時には――

 

(;^ω^)「おお!? なんか鳴き声が沢山!?」

 

それに呼応するが如く、四方からカラスの鳴き声がどんどん近づいて来ていた。

目標は間違い無くここだろう。その証拠に声が次々と姿を伴い初めている。

一羽目が、その黒塗りの羽根を鉄柵の上で休めた後は早かった。

二羽目三羽目と連なって、次々と白い屋上を黒く飾っていく。

 

射命丸「……よっと、一丁上がりです。この姿《省エネモード時》でも一応呼べるもんですね」

 

気がつけば辺りは、圧勝で決着がついたオセロの如く、黒・黒・黒。見渡す限り黒いカラスだらけになっていた。

 

射命丸「ひぃふぅみぃ……。思ったよりは少ないですねぇ、完全スルーされるよりはマシですが」

 

(;^ω^)「……これで少ないのかお」

 

皆が射命丸の側に整列しようとする為、鉄柵の上は既に大渋滞。見境なくこちらの肩や頭の上にも止まるカラスまで現れる始末だ。これが結構痛いし重いし怖い。何でもいいからとりあえず、早くどうにかして欲しいと思った。

それにしても圧巻だ。これだけの数が、射命丸の一声で集まるとは。本人は集まりに不満があるようだが、本調子なら何処まで集められると言うのだろう。

 

「――クルッポー」

 

( ^ω^)「……」

 

ハトが混じっているのも、きっと本調子では無いからなのだろう。黒に白が入り込んでますますオセロっぽいと思ったが、見なかった事にした。

 

射命丸「さて、では貴方達に命じます。"ドクオ"を探して来なさい。……いえ、人ですよ。食べ物じゃありません。え? いやいや生け捕りしてこなくて大丈夫です。位置の報告だけしなさい。糞でマーキングも禁止です! もっと気品を持ちなさい! ――ああもう! ブーンさん!」

 

(;^ω^)「お? ……お!?」

 

カラスの鳴き声の束に負けず劣らず指示を出し続ける射命丸。

改めて声をかけられるまで、すっかりその気迫に圧倒されてぼーっとしていた。と、言うか大人しくカラスの止まり木に専念していた。

 

射命丸「この子達が"ドクオ"って何だか良く分からないと言うんです。写真か何か持ちあわせていませんか?」

 

( ^ω^)「あ、ああそれならこの中に――」

 

言われるがまま携帯端末の中の、数少ないドクオの写真画像をピックアップする。

そうして、画面いっぱいにまでドクオの気持ちの悪い顔が広がった瞬間――

 

(;^ω^)「ちょっ……やめっ……アッーーー!」

 

カラス達は一斉に画面を覗きにやってきた。好き勝手にあちこちよじ登られ、捕まれ、騒がれまくる。

射命丸が"さっさと行け"と命じるまでそれは続いた。

 

( ゜ω゜)

 

ちょっとだけ放心状態の中、ハトがやたらと眉間を突いて来た事が妙に印象深く残った。

平和の象徴らしいが、つまり平和には嫌われているという事を意味しているのだろうか。

ふと、そんな哲学が頭に過ぎる。

 

射命丸「あの、ブーンさん? 生きてますー?」

 

( ゜ω゜)「あ、ハイ……何とか生きてるお」

 

カラスの猛威の恐ろしさを知ったが、不思議と体には問題無いようだ。……大量の羽根や塵にまみれた事を除けば。

 

射命丸「これで、ドクオさんが何処に居るか見つかると思いますよ。――これで少しは安心出来そうですか?」

 

射命丸のその言葉で、ようやく頭が再起動する。

そうか、ドクオを探すためにわざわざ呼んでくれたのか。

 

射命丸「……私は嘘は付きますし、約束も日和見で破りますが、一応期待には応え続けているつもりです。ですから、どうか無茶はなさらないで下さい。自暴自棄になんてならないで下さい」

 

( ^ω^)「……ありがとうだお」

 

素直に出たのはそんな言葉だった。

計算高く、賢い射命丸は何か打算の元に優しい言葉をかけてくれているのかもしれない。でも、それでも良いと思った。お陰で少し気持ちが楽になったのだから。

 

( ^ω^)「さて、と! 新聞部設立の申し込みとか色々考えるのは置いといて……授業の課題に戻るお!」

 

服や床に散らばったカラスの羽根等を適当かつ丁寧に屋上の隅に寄せて、それから当初の目的の一つだった美術課題へと再び取り掛かり始める。

 

射命丸「頑張ってくださいね。これから忙しくなりますから」

 

( ^ω^)「任せてくれお! 課題終わらなくて居残りとかそんなベタな――」

 

――瞬間。無情にも鳴り始めるチャイム音。もしかしなくても授業終了を告げる鐘が鳴る。

 

( ^ω^)「……」

 

射命丸「……」

 

――やはり、平和という物に嫌われているのかもしれない。涙でボヤケる風景を見ながらそう思った。

 

 

 

 

 

 

(;'A`)「やべぇやべぇやべぇやべぇ……やっべぇ!」

 

校舎三階廊下――。ここに至るまでに既に幾つかピンチをくぐり抜けて来た。

まず遭遇したのは学校正門のセキュリティ。生徒手帳を持たずに潜れば即座に検知されてしまう仕組みになっており、また生徒手帳を持っていれば、登下校の時間記録として記録に残ってしまう。

だが知る人ぞ知る"抜け道"を用いる事で、あっさりとそれらの問題は突破出来た。

 

次のピンチは、学校内部を移動するルートだ。

平日真っ昼間の授業真っ最中に、堂々と教室前を横切ったりなんてした暁には、確実に不審感を持たれてしまう。

だが、これも知る人ぞ知るルート取り――用事でちょっと廊下に出ていると見せかけられる通路を選択していけば、無理ゲーもあっという間にヌルゲーに。

 

これらの知恵は保健室登校で寝たふりをし続けた結果、サボりに来ていた不良共の会話を盗み聞きして得た知識だ。

あの時は"良いから早くどっか行け"とかずっと思っていたが、こうして役に立つ日が来て今はちょっと感謝している。ちょっとだけね。

 

そして、残るは最後の問題。夢想器をどうやって奪うか――。だがこれには考えがあった。しかしそれを説明するのは後々の楽しみにしよう。というか――

 

(;'A`)「良い加減追いかけてくんなよヒマ人教師ィィィィ!」

 

ぶっちゃけた話、追いかけられ続けてどんな計画だったかイマイチ思い出せないくらい忙しい。

……追いかけられる理由にはきちんと心当たりがある。言っておくが更衣室覗いたとかでは無い。何故なら二次元派だからだ。三次元の癖して見て欲しければ逆に金払――いややっぱり何でも無いです。

 

ルナサ「……もしかして走るの好き?」

 

(;'A`)「好きで走ってんじゃねぇよぉぉぉ……!」

 

何故こんなわざわざ疲れるようなイベントをこなす羽目に会っているのか。その理由はきちんと自覚している。

――それは服装。制服では無く私服で学校に踏み込んでしまっていたからだ。しかもちょっと暗色系迷彩柄という如何にも怪しい系。

もちろんこの学校でも常識に違わず、私服での登校は許可されていない。私服で校内を彷徨く若者は、不審者か不良か不細工なマヌケのどれかだろう。

一応恵まれていない体格のお陰で、不良生徒かどうかの判断を躊躇してくれて貰えているようだが、それは解決にはなっていない。どの道捕まればアウトだ。

人通りの少ないルートを選んでいるお陰で追跡者の数は増えずに居てくれているものの、可及的速やかにこの状況から脱出出来ねば時間の問題だ。

と、思っていた矢先、生存ルートへの道が目に飛び込んできた。曲がり角の先にあった僅かに開いている扉。室内の電灯が点いていない辺り、恐らくは現在未使用――!

 

(;'A`)「一旦ここに隠れるぞルナサ!」

 

ルナサ「私に言わなくても大丈夫」

 

僅かな隙間に先にバイオリンケースをねじ込むようにして、それから体を挟み入れる。ちなみにこの瞬間に理解ったことだが、バイオリンケースと体の厚みは、ほぼ同じ位だったらしい。女子達が聞けば嫉妬の眼で見てきそうなどうでも良い新事実だ。

体が入りきった所で扉を閉めようと手を伸ばす。が、向こう側から聞こえてきた荒々しい追跡者の足音がその手を止めさせた。

 

「あの黒尽くめ、何処行った?」

 

幸いにも隠れ先にはまだ気付かれていない。

息を潜めて10秒。立ち去るのを期待するが、荒い息遣いは中々その場から動こうとしなかった。

所でハァハァ言ってる追跡者から隠れてる構図とか、どっちが不審者か分からなくなりそうね。

 

(;'A`)「……ヤッベー」

 

何度小声で口にしたか分からない"やばい"という言葉。もうやばいくらい言ってるのは確かだ。

焦ると語彙が極端に少なくなるのが昔からの癖だった。まぁ普段から語彙少ないからあんまり気付かれないのだけれど。

――とか思っていた瞬間、手元で何かが蠢いた気配を感じ、思わず息が詰まる。

 

(;'A`)「……ってなんだ。ただのポルターガイストか……」

 

何事かと思えば、ただヴァイオリンケースが動いているだけだった。

それにしても、その発言は良く良く考えなくとも幽霊の怖いレベルが異様に下がっている事を示しているのだろうけれども、元々怖いのは幽霊では無く幽霊を信じちゃってるアイツこえーの方だったのでさしたる問題無し。

ポルターガイスト(ルナサ)を信じた結果に依る、ただの副産物だ。

 

ルナサ「……私にアイディアがあるんだけれど」

 

(;'A`)「……」

 

返答は無視。

嫌がらせ目的ではない。返事をする余裕はもう無くなっていたのだ。

背後の扉越しに聞こえている吐息の音質と音量が上がり続けていたのが、その要因。

この状況でどうにかなるのならしてみろ――と、言葉にする代わりに一度だけ大きく頷いて見せる。

幸いにもきちんと了承として伝わったのか、ルナサは手早くケースを開けるとヴァイオリンを取り出し始めた。

 

ルナサ「弾いて。今すぐ」

 

はぁお前こんな状況で何言ってんだよ今から幸薄そうな超一流ヴァイオリニストに扮して乗り切れってのか――と、思った。こんな状況なので勿論口にはしない。この状況じゃなくても口にはしないが。

 

ルナサ「……」

 

(;'A`)「……うぃ」

 

だがしかし、尚も続く無言&見詰める精神攻撃に、とうとうルナサのアイディアを拒否し続けられなくなって来た。

"私に良い考えがある"は司令官でさえ失敗フラグになると言うのに。……いや、司令官だったから失敗フラグだったのだろうか。

それで無くともこの作戦の決定的な不備は既に解っている。

 

(;'A`)(どうなっても知らねぇぞ)

 

流されるまま、息を整え楽器を構える。

構えが正しいのか最早思い出せない。イケメンの耳にかかる囁きが先に記憶からピックアップされるせいだ。

ルナサの力強い無言の頷きを数少ない根拠として、そのまま音さえ出ていればいいや精神で演奏を始める。

 

――やはり酷い音だった。

 

某ガキ大将のリサイタルも音波テロまがいの酷さだが、同じ音波テロ仲間としてドクオリサイタルがウィキペディアとかに載るのも遠くないかもしれない。

 

(;'A`)(ほら! やっぱり俺には弾けねぇって!)

 

一音を精一杯絞り出した所で作戦の失敗を眼で訴える。

しかも今のでここに隠れていた事も追跡者に気が付かれた筈だ。絶体絶命が動き出している。

だがしかし、ルナサは"続けて"と一方的に繰り返すばかり。この鬼教官ならぬ幽霊教官め。滅茶苦茶サボりまくってる教官みたいな愛称の癖に。こうなったら自棄糞でも言われた通り弾き続けようじゃないか。

とは言う物の生まれてこの方、音符はオタマジャクシの象形文字以上に見えた事無いし、音階聞かれても『楽器の音です』としか答えられない。

そんな状態で練習時間30分未満の古めかしいヴァイオリンを不相応にも演奏しようとしているのだから、出て来る音の並びは音楽とは到底呼べもしない楽器の悲鳴みたいな物ばかりだった。

 

(;'A`)「こうですか先生! 分かりません!」

 

('A`;)「いいえ、それじゃ駄目ザマス! もっとエレガントに! おフランスとイタァルィアの風景を感じなさい!」

 

(;'A`)「先生! フランスとイタリア行ったこと無いから分かりません!」

 

ついでに頑張って楽器練習中の先生と生徒を裏声を使って表現してみた。こちらも酷い演技だが、もしかしたら追跡者をごまかせるかもと淡い期待を託したのだ。

――が、ルナサに『寸劇はいらない』と一蹴されたので泣く泣く演奏に集中する事にする。

 

(;'A`)(くそ! やっぱり誤魔化しきれねぇか……)

 

そんな数々の奮闘虚しく、迫る気配は尚も強く成り続けている。

 

――やはり駄目だったじゃないか。無駄だったじゃないか。

足音が近付く度に、胸の奥から言い様の無い鬱々とした感情が湧き上がってくる。

 

(; A )

 

もう、見つかったってどうでも良いじゃないか。最初から余計なお世話だったんだ。

大体こうやって頑張る事に何の意味がある? 頑張っても頑張っても報われる訳が無い。勝ち組は最初から決まってて、それらに迷惑かけないように負け組は隅っこで死ぬまでの時間を待ってるしか無いんだから。

――そうだ。そうだよ。そもそも生まれてきちゃったのが間違ってたんだ。だから何も上手く行かないし、何も変わらない。ああ鬱々する。息苦しい。面倒臭い。もう死んじゃえば解決するのか? ……そうだ。なら死のう。死んで死んで死んだら死ねば――

 

ルナサ「――ドクオ君、ドクオ君! ……眼をちゃんと開いて、こっちを見て」

 

('A`)「……あ?」

 

うっすらと何も見てなかった半開きの眼で、ルナサを見る。

金色の髪。黒い衣装。帽子の月の飾り――。それらで包まれた、意思の篭ったルナサの瞳がこちらを射抜いていた。

 

('A`)「……あ……」

 

何だ? そう言おうとして声は上手く出なかった。

 

ルナサ「戻って来れた? ――ごめんねドクオ君。相性が良すぎた」

 

あいしょう? あいしょうって何だ?

愛称ってのはアレか。さっき付けた幽霊監督の事か? あれ、教官だったか?

 

(;'A`)「あ……えと、あれ?」

 

気が付けば、音はもう鳴っていなかった。いや、強制的に止められていた。

不自然に腕に篭ったままの力が、伝える行き場の無いままヴァイオリンとの接地面で滞っている。

……これは、ルナサか。そういえば確かルナサは手を触れずにヴァイオリンを操って動かせるんだった。

でも、何故こんな風に止められていたんだっけか?

 

ルナサ「大丈夫、ドクオ君。もう音楽は止んでる。追跡してた人も何処かへ行った。……ゆっくり深呼吸して」

 

言われるがまま深呼吸。

吸って、吐いて。吸って、吐いて――。

酸素が血液に溶け込んで行く程に、頭にかかっていた靄がうっすらと晴れていくのを自覚した。

 

('A`)「……おーけー。大丈夫だ。何が、どうなった?」

 

まだ少し妙な不安感があるが、これでもいつもと同じ位には落ち着いたと思う。

冷静な領域が増えた脳は、まずルナサからの説明を求めた。

 

ルナサ「今のは私の能力。……そしてもうドクオ君の力でもある"鬱の音を演奏する程度の能力"」

 

('A`)「鬱の音?」

 

ルナサ「契約した時点から、私と君は目に見えない力で繋がっているの。鬱の音は心に安寧をもたらし、そして鎮める暗色の音色。私は楽器を通してその音色を生み出す事が出来る」

 

あまり長い話をするのが苦手なのか、そこで一度ルナサの説明は止まる。

だが、お陰で何が起きたのか理解する時間は出来た。落ち着いて話の続きを促せるくらいに。

 

ルナサ「ええと……君にも私の能力が使える。騒霊の――私の性質を得ているから。その力で追いかけてきた人に諦めて貰おうと思って」

 

('A`)「あー……うん?」

 

やはり今一要領が得られない。ルナサは説明下手なのだろう。上手く説明出来ない辛さは痛い程理解るので、優しく助け舟を出す。

 

('A`)「要は、鬱陶しい追跡者を鬱の音で鬱々させて場所を移させたって事か?」

 

気が付けば何か韻を踏んでいた。気分はラッパー。でもテンションはno upper。

 

ルナサ「鬱になる程じゃない。"もういい"って思うくらいの気持ちにさせようとしたつもり――だった」

 

('A`)「……"だった"?」

 

申し訳無さそうにルナサの表情が曇る。

 

ルナサ「……君の演奏が予想を越えてた」

 

('A`)「ああ、俺でも分かるさ。あれは酷い演奏――」

 

ルナサ「……そうじゃない。騒霊の演奏は技術じゃないの。響かせ、奏でるのはあくまで心」

 

――心。そう聞いて、やっと演奏をしていた時の事を思い出してきた。

何かが奥底から湧き上がってくる、止めようがないあの感覚。流されるまま生死のベクトルを決定付けてしまう程の感情のエラー。

 

ルナサ「ドクオ君の鬱の音が響きすぎた。私の方で何とか周囲への影響を抑えようとしたのだけれども、今度はドクオ君の中に鬱の音が篭ってしまった」

 

ああ、やっと合点が行った。また迷惑をかけてしまったのだ。この陰気で鬱気質な宇津田独男は。

 

('A`)「……その、なんかさ――」

 

ごめん、と言いかけた所でルナサがそれを遮った。

俯いた視線を上げた先、彼女の金色の瞳の中にうっすらと体育座りをした痩せっぽちの男が映り込んでいる。

 

ルナサ「それは違うよ。音に乗った君の感情はとても良い響きをしていた……。洞穴に湧く清水の様に、暗闇の中に静かに湛えて……染みやすい――そんな音色」

 

音楽家はやはり芸術家なのだろう。

褒められてるのかどうかすら、抽象的な上に遠回し過ぎて今一ピンと来ない。でも、とりあえず――

 

('∀`)「……へっ」

 

――照れくさかった。

ドブ川みたいな色の眼だとか、バイオハザードだと解決する側でも首謀者でも無く実験体側だろうとか、泣いた赤子をあやせば泣き止む所か泣き方を忘れるとか色々言われて来たのに、まさか洞窟に湧く清水と表現される日が来るなんて。

つまりどういう事を言われているのかまでは、まだ良く分からないが……まぁボス戦前の回復ポイント扱いされたみたいな感じで受け取っておくことにしよう。

 

('∀`)「ありがとうなルナサ。もし良かったら……何だけどさ。このまま俺の――」

 

――パートナーになってくれないか、と言いかけて慌てて口を閉ざす。

そうだ、当初の目的を忘れてはならないのだ。

あくまで、ルナサと協力体制にあるのは夢想器を奪うまで。戦いにまで参加するつもりは無いのだから。

 

ルナサ「……? どうしたの?」

 

('A`)「……悪い。何でも無いわ」

 

それにどう褒められようが、どう認められようが、明日の今頃の自分には全部もう関係が無くなっている事だ。

今はその為に、やるべき事をしなければならない。

ルナサだって、もっと良いパートナーを見つけた方が今後の為に良いだろう。今更いきなり距離を詰めたところで、ルナサに迷惑なだけだ。

 

('A`)「さっさと済ませようぜ」

 

多くの時間を共有する程、色々な出来事が辛くなる。

だから、ルナサをなるべく視界に入れてしまわないようにドアに手をかけようとした。

だが、隙間からたまたま見えた物に依って、再びその手の動きが止まる。

 

('A`)(あれは……ショボン?)

 

正直言うと後ろ姿で人を見分ける程、他人を直視して来ていないのだが、そこはどうでも良い。

他の何よりも関心を、そして視線を釘付けにした物が他にあった。

 

(;'A`)「……あれは、ブーンのカメラ……!?」

 

ショボンが手にしているのは、見間違えではない。探していたカメラの夢想器。

大事な親友を惑わす諸悪の根源の形だけは、いつの間にか眼に焼き付いている。

 

――ああ、神様とやら。今までやたらイジメてくれたけれども、今日は……いや、この時間だけは切れっ端の幸運を別けてくれ。

 

ショボンの姿がロッカールームに消えたのを見届けてから、ようやく扉を音も無く開く。

今度こそ運命とやらに、折れそうな自分の意思を突き通す為に。

 

 

 

 

 

(;^ω^)「――何とか、課題認めてもらって良かったお……」

 

射命丸「私の咄嗟のアイディアが光りましたね! 流石のセンスです!」

 

(;^ω^)「確かに助かったお……でも元はと言えば射命丸の――いえ何でもありませんですお」

 

美術の授業は時間毎の進展具合を見られる。美術教師は、良し悪しよりもやる気を見るタイプなのだ。

故にまったく仕上がりに近づいていない絵を出せば、それすなわちやる気の無さをアピールする事に他ならない。

……あの時残り時間はとっくに尽きていた。しかし事情を理解した射命丸のアイディアは、流石最速を謳うだけあって即興でもそんな状況を覆せるだけの名案だった。

 

( ^ω^)「カラスの羽根を材料に絵を飾るって発想は独創的で素晴らしいって褒められたお!」

 

羽根を拾い集め直して、ただ風景画に適当にぶっ刺しただけの一品だったが、現代アート信仰の美術教師の心の何かに触れたらしい。

ちなみに題名は"街に舞い降りし暗黒のダークネスソウル"。

切羽詰まった制限時間と判断力の低下は、街だけでなく頭の中にまで中二病《ダークネスソウル》を舞い降ろしたようだ。

ところで今気がついたけれども暗黒とダークネスって多分意味一緒なんじゃないだろうか。

 

( ^ω^)(……絶対モナーとルーミアのせいだお)

 

とりあえず自身の中の封印が解けかけたダークネスソ――中二病を他人の責任としておいて、早々に別件へ意識を切り替える事にした。

脳内議題は他でもない部活動設立の件について。

射命丸に賛同はしてもらったが、問題はまだまだこれから。まずは最も大事な要素について考えねばならないだろう。

――それは人員《メンバー》集め。

出来れば身内で構成するべきらしい。何故ならドクオが言っていたからだ。ええと、あれは確か……

 

( ^ω^)「"ぎるどをつくるときはなるべくみうちからぎるどめんばーをあつめるべし!"」

 

射命丸が"何言ってんだこいつ"と、首を傾げたが聞かないで貰いたい。良く分からないのはこっちもなのだから。

兎にも角にも、そう言った理由からまずは人員の核となる友人達の姿を探しに彷徨っているのである。

授業と授業の間の休憩時間は短い。手早く用事を済ませねば、設立までの所要時間も伸びてしまう。

 

(;^ω^)「しかし誰から声かけるべきかお……」

 

身内から、とは言ったがクラスメイトの殆どとは交流があるし、別クラスでも仲が良いのは居る。

しかしながらこちらは選択肢が多ければ多い程迷うタイプだ。

こういう場合いつもどうしていただろうか――。その答えの先にドクオの名前が浮かびかけて、思考が止まりかける。

 

射命丸「――ブーンさん。ショボンさんにはカメラを預けてありますし、先に済ませてしまいませんか?」

 

( ^ω^)「……お、おお……そうするお」

 

去り際のドクオの言葉が過ぎりそうになった所で、射命丸の声がそれをかき消して行った。

ここは素直に射命丸の提案に乗ることにしよう。

 

( ^ω^)「そういえばツンの事なんだけれども」

 

射命丸「はいはい、何です?」

 

( ^ω^)「今日は普通に……って訳でもないけど、ちゃんと登校してきたみたいで安心したお」

 

射命丸「……おやおや、私の予測が大外れだったとクレームですか?」

 

(;^ω^)「ええ? いやそんな事言いたい訳じゃないお?」

 

言葉のニュアンスとしては、大事にならなくて良かったね! という意味だ。

誤解させるつもりは無かったので、慌てて弁解するが、その途端に射命丸はあっさりと"冗談です"とからかうように笑った。

 

( ^ω^)「まったく……。それでやっぱり、モナーは手加減してたのかお?」

 

射命丸「手加減していたのは確かでしょう。目的は食事では無く、人質でした訳ですし」

 

(;^ω^)「……食事?」

 

聞き慣れないワードだ。そして、その言葉は何故だか日常的に発するそれとは様相が違うように思えた。

 

射命丸「……ああ、説明してませんでしたね。ですが、今は別段知らなくとも良い話ですよ」

 

射命丸があからさまに説明を避けている事が、流石に理解出来た。いや、わざわざそうしたのだろう。"その先は安易に踏み込むな"と意味する為に。

薄ら寒い何かがある――。ならば強引に聞いても良い結果にはならないし、聞かない方が幸せなのだろう。

大人しく話題の方向を移す。

 

( ^ω^)「ツンは昔から体が丈夫だから、その御蔭で早く回復したのかもしれないお」

 

射命丸「あやや、確かに質実剛健を地で行ってそうなお方ですものねぇ」

 

(*^ω^)「そうそう! そうなんだお! 前、学校でインフルエンザが流行った時だってツンだけが――」

 

何とか話題の転換に成功した事にホッとしつつ、そして思ったよりも話している内容が楽しくて、少々盛り上がってきた。

まぁ周囲からは多分、電話でもしているとスルーして貰えるだろう。

 

( ^ω^)「……お?」

 

突然掴まれた肩。しまった、ちょっと声が大きすぎてうるさかったかと、内心反省する。

 

( ^ω^)「騒ぎ過ぎたお。ごめんごめ――」

 

ξ゚⊿゚)ξ

 

(;^ω^)

 

ξ^ー^)ξ「――私が、何?」

 

――ツンの笑顔を見た瞬間、反省が後悔へと変わる。

ちなみに射命丸は助けを求めようとした時にはもう既に、霧風の如く消え去っていた。

相変わらず手回し速いなぁと、ちょっと乾いた笑いが出た。

 

(#)#)ω^)「――って事で、部活設立メンバーとして協力して欲しいんだお」

 

ξ゚⊿゚)ξ「はいはい。来るとは思ってたわよ」

 

多少の行き違いの末に殴打数発を貰う犠牲はあったが、ツンはきちんと話を聞いてくれた。

一番最初に声をかけているという旨の発言を仄めかしたのが幸いしたようだ。ショボンより先に出会ったから声をかけただけなのだが、それはこのまま墓場まで持っていく方が良さそうだ。

 

ξ゚⊿゚)ξ「んー。どうしようかな……」

 

ツンは運動が出来る。――と、言うか武道系が出来る。

スタミナ・反射神経・柔軟性・筋力……ステータス表示項目を上げていくとキリが無いが、武道系部活を中心に運動部全般にゲストとして呼ばれている程の身体スペックを誇っているのだ。

ハッキリした性格と、苛烈な性格を忘れさせるような外見が男女問わず知名度を上げ、身体能力に裏付けされた実力がそれを信頼へと地固めしているのだと、熱い信奉者の一人に聞いてもいないのに説明された事があるので多分間違いない。

マネージャーとして誘われた事も少なくないらしいが、ツンはどの部活から誘われても練習相手以上の関係になろうとはしない。そうして頑なにフリーを貫いてきた結果の称号は"姫騎士"ならぬ"姫傭兵"。

イケメン相手でも先輩相手でも決して手を抜かず、役目をきっちりとこなすからだそうだ。自国に大人しく留まっててくれない系姫様。

 

射命丸「迷ってるようですね。ここはもう一押しして置きましょうブーンさん」

 

(;^ω^)「えーと……無理にとは言わないけれども、ツンが入ってくれたら嬉しいお?」

 

もう一押しはこんな感じで良かっただろうか。

言葉にした途端、顔を赤らめながら不機嫌そうになったツンを見て、少し不安になる。

 

ξ*゚⊿゚)ξ「ひ、人前で何言ってるのよこの馬鹿!」

 

ちなみに付近を歩く人影は無い。

ポカポカと言う音が似合いそうな――その実結構重たい打撃の一撃一撃を笑顔で受けながら、減っていく肩の耐久値を信じる。

 

ξ*゚⊿゚)ξ「仕方ないわね。アンタがそこまで言うならば協力してあげるわよ。……仕方なくだから! 仕方なく!」

 

(;^ω^)「お? 入ってくれるのは嬉しいけれども、別に無理しなくても――」

 

瞬間、肩の打撃音が更に重く鈍い音に変わった。お陰で次の言葉は出る前に殴り潰された。

 

ξ゚⊿゚)ξ「後で届けでも何でも書くわ。所で、結局何部作る気なの?」

 

(;^ω^)「え、ええと……」

 

肩口の痛みが引くのを待ちながら、射命丸に視線で助けを求める。

部活設立の要因の8割は射命丸にあるのだから、最終決定を委ねたかったのだ。

 

射命丸「これからの活動を見越しますと、結局新聞部――が無難でしょうが、新聞一つとっても取り上げるネタの方向性は様々です。急ぎでないのならば、"新聞部をする"とだけ決めておいて、後は皆さんで細かい方向性を話し合っては如何です?」

 

( ^ω^)「だそうだお!」

 

ξ゚⊿゚)ξ「……はァ?」

 

そうだった。ツンに今のやり取りが聞こえている訳がない。

慌てて射命丸の言葉を再現にかかる。

 

(;^ω^)「あ、いや……とりあえず新聞部のつもりだお! でもまずは最低限身内でメンバー集めてから、新聞部の方向性決めようと思ってるお?」

 

ξ゚⊿゚)ξ「ふーん。ま、分かったわ。仲間集め頑張んなさいよね」

 

( ^ω^)「おー。次はショボンに声かけるつもりだおー」

 

次の授業があるから、と去っていくツンを見送った後、携帯端末の時計で残り時間を確認する。カメラを受け取る手間を考えると、早々にショボンを見つけた方が良さそうだ。この時間、ショボンの居そうな場所は何処かな――っと……

 

( ^ω^)「……って電話かけちゃえば早かったお」

 

学校に依っては通話禁止という規則があるらしいが、ここ美布高では関係無い。文明の利器に感謝しながら、耳元で鳴るコール音を聞く。

 

( ^ω^)「おいすー。ショボンかお?」

 

『やぁ、ようこそバーボン――じゃなかった。どうしたのブーン』

 

ショボンは電話をとるのが早い。

それが彼なりの気遣いなのだろう。お陰で話す事がまだまとまってないが。

 

( ^ω^)「えっと、カメラ取り戻してくれてありがとうだお。邪魔になると悪いから今の内に受け取ろうと思って」

 

『情報が早いねブーン。誰から聞いたんだい?』

 

(;^ω^)「あ」

 

流石に言葉に詰まる。

そうか、知っている訳が無いのか。

射命丸が認知している情報は、本当なら未だ周知されていない筈の情報なのだから。

 

『盛岡先生辺りかな? すぐに会うんだったら、余計なお世話だったかな』

 

(;^ω^)「いやいや! すごく助かったお! お陰で盛岡先生の所から脱出出来て良かったって喜んでたし」

 

『あははは。まるでカメラと会話したみたいだね』

 

よし、もう余計な話をするのは止めよう。ボロが出る所かこのままだと連鎖自爆の末の自滅を呼びそうだ。

 

(;^ω^)「と、とりあえずカメラ取りに行っても大丈夫かお?」

 

『そうだね。じゃあロッカーに入れてあるからその前で落ち合おうよ』

 

( ^ω^)「おー。それじゃすぐ行くお」

 

押し心地の無い通話終了ボタンを押す。と、同時に射命丸の何か言いたげなじっとりとした視線が眼に入ってくる。

そうして見つめられる事、五秒後。

 

(; ω )「あの……ほんとごめんなさいですお」

 

――最近謝ってばかりだなぁ、と思った。

口癖にならないようにしようと決意しつつ、待ち合わせ場所へと足早に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

(;'A`)「……」

 

警戒しながらも、ゆっくりと確実にロッカールームへと足を踏み入れる。

人の気配はしない。だが、油断もしていられない。既に授業終了のチャイムは鳴り止んでいるからだ。

 

(;'A`)「ルナサ。周囲警戒頼む」

 

ルナサは無言で頷くと、ドクオの視界から外れた。

一般人にはルナサの姿を見られないのは聞いている。学校内に一般人でない存在が居ないとも断言出来ないが、その時はその時だ。

リスクを減らす為にも、今は目の前の作戦に集中すべきだと、考える。

 

(;'A`)「――あった」

 

整然と並んだ無機質な鋼鉄のロッカー。最深部にほど近い場所に立ち並んでいる、他と何ら外見上違い無いその中の一つの前で、ドクオはあまり迷う事無く足を止めた。

見分ける基準は、それぞれのロッカー正面に貼られた番号札のみ。記憶に間違いが無ければ、これはショボンのロッカーの筈だ。

そしてこのロッカーを選んだ判断材料がもう一つ。

ショボンがロッカールームを出て行った時、もうその手にはカメラは握られて居なかった。

つまり今、このロッカーの中にそれはある筈なのだ。

 

(;'A`)「……」

 

生唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえた。鉄扉を隔てた向こうに目的の物があるのだと思うと、緊張せざるを得ない。

ロッカーの鍵は電子式だ。解錠に必要なのはパスワードと指紋認証。そして監視カメラがロッカールームには隠す形で設置され、解錠の成否に問わず録画が開始される。

 

――しかし、それらは嘘である事は既に知っていた。

 

(;'A`)「……8……4……」

 

セキュリティに躊躇する事無く、ロッカーの取っ手と融合した形の数字パネル――0を抜いた9つある数字を、順序良く押していく。

 

(;'A`)「……2の……6……」

 

8桁の暗証番号。勿論ショボンから直接聞いた訳では無い。

僅かな汚れの有無。すり減り具合。ロッカーのナンバー。ショボンの性格。

――それらを考慮しながら、推察しながら、慎重に押しているのだ。

予想で割り出した数字は上記の四種。大分絞れたが、それでも組み合わせはまだまだ無尽蔵に近い。

 

(;'A`)「……くそ、違うか」

 

引いても微動だにしないロッカーが、パスワードが間違っていると無言で告げている。

本来ならば所有者以外が解錠を試み、そして失敗したのだから、セキュリティによる何かしらが発動しているのだろう。

だが、既に知っている。ここにあるセキュリティ設備は、殆どフェイクに過ぎない事を。

 

('A`)(盗み聞きはしとくもんだな)

 

本当に色々な人が、色々な話をしていく物だ。保健室という場所は。

養護教諭の気を引こうとでもしているのか、寝たふりをしているだけでこんな裏話まで聞けてしまった。

5割程くらいしか信用していなかったが、別段ロッカーにロックが掛かった様子も無いあたり、嘘でも無いだろう。

だがそれでも制限時間の問題は残っている。

長引けば長引く程、ここに誰かが来てしまう確率は上がってしまう。こうして校内に居るだけでもリスクは増し続けているのだ。

 

(;'A`)(9の4乗から、絞れて4の4乗……いや、4×3×2×1パターン――か?)

 

こういう場合、総当りで試していくのが常套手段だろうが、そんな面倒な真似はしたくない。何よりもそれだけの時間は足りていない。

何か手がかりは――

 

(;'A`)「……松脂!」

 

急いでヴァイオリンケースを開き、収納されている松脂の小ケースを取り出す。

演奏前にヴァイオリンの弓に擦り付けるアイテムだが、これが使えるかもしれない。

 

(;'A`)「……すまん、ルナサ」

 

なるべく細かい粉が生じるように、弓に過剰に松脂を擦りつけていく。すると、"ノリ切れなかった"細かい粉末が宙に飛散し始めた。

用があるのはこの粉だ。

ボタン部分に吹き付くように、優しく息を吹く。

 

(;'A`)「こんな所か……?」

 

満遍なく黄色がかった白い粉が数字パネルを飾った所で作業を止める。

ロッカーは空気が篭って暑い。換気扇はあるが、入った時には回っていなかった。つまり、ショボンが触れた部分は多少ながら湿気や油分の違いが生じている筈である。

上手く痕跡が残っている事を願いながら、直接触らないように余分な粉を落としていく。

少しづつ、少しづつ……丁寧に、丁寧に――。

 

(;'A`)「……」

 

結果で言えば、予想以下だ。

思った以上に吸着せず、殆どが落ちてしまった。

だが、それでも良い。別に指紋が取りたい訳ではないのだから。

 

(;'A`)「……これは、擦った跡か?」

 

よく見ないと分からない程度だったが、スイッチパネルに付いた松脂の量だけではなく、それぞれを繋ぐライン上においても差異が生じているらしい。おそらくは、指を滑らすようにして数字を入力しているからだろう。

数字同士をつなげているそのライン跡は、8と6を頭にしている。どちらかを起点にして、円を描くように入力しているのかもしれない。

つまりは"8426"と"6248"のどちらか――。

これで駄目ならば総当りも辞さない覚悟だ。

違えないように入力を試みた後、取っ手に手をかけて慎重に手元へ引き寄せる。

 

(;'A`)「……! 開い――」

 

ルナサ「――誰か近づいて来てる」

 

ルナサが見張りの役目を果たしたのは、その時だった。

しかし、こちらもあと少し――あと少しだけ力を籠めれば、目的の物が手に入る。

 

(; A )「くっ……隠れるぞ。ルナサ」

 

衝動を押し殺して、服の袖口で乱暴にパネルの松脂を拭き取ると、隙間の生じているロッカーをそのまま閉じた。

足元に落ちた粉を片付けている時間まではとても無い。靴で適当にその辺りに馴染ませると、近づいてくる声に見つからないように、この部屋で唯一施錠されていない掃除道具用のロッカー内へと身を隠す。

中にあったのはスマートな掃除機一台と、使い捨ての市販紙雑巾パックのみ。掃除用具入れ内部の容量にはかなり余裕があったが、流石にヴァイオリンケースと一緒だとかなり窮屈だった。

 

やがて息苦しさに耐えていると、気配がロッカールームの中に現れる。

 

「やぁ、来たよ。もう中に居る?」

 

(;'A`)(この声は……!)

 

まずい。ショボンの声だ。

動揺して身じろぎしそうになるのを、既の所で堪える。

何をしに来たのか――考えるまでもない。ロッカーの中のアレに用があるのだろう。

 

(;'A`)(後一歩だったのに!)

 

口惜しさに下唇を噛む。

しかし、今はそんな事よりもバレずに脱出する事が先決。

ショボンはロッカーを開けられた事に気が付くかもしれない。だが、中身が無事ならばショボンは穏便に事を済ます筈だ。

ほんの少しの辛抱すれば、脱出は容易――。

 

「お、もうショボン来てたのかお」

 

(;'A`)(ブーン……!?)

 

今はショボン以上に会いたく無い相手の声まで聞こえてきた。

話しぶりからすると、ショボンの待ち合わせ相手だったらしい。

これはまずい事になった。

 

ルナサ「ドクオ君」

 

ルナサは平然としているように見えるが、何処かこの状況に不安を覚えているのだろう。

何かを待つように、じっとヴァイオリンケースを掴んでいる。

 

そう、問題は彼女達幻想郷側の住人だ。

夢想器のカメラが、あのロッカー内にあるのだとすれば、当然射命丸も付近に居たのかもしれない。

彼女達に物理的な隔たりは意味を成さないのならば、射命丸がロッカーのどれかの中で聞き耳を立てていたとしても、知りようがない。

そうして既に動向の全てが露見していたとすれば、今こうして掃除用具入れに隠れて息を潜めているのは自殺行為だ。

 

(;'A`)(……クソ、焦りすぎた!)

 

思えばショボンがカメラを手にしていた所からフェイクだったのかもしれない。

夢想器が大事な物だと言うのは、聞いた話だけでも充分重要事項として認知出来る。

それをあんなあからさまに他人の手に渡ってしまうような事態に至る馬鹿が、一体何処に居ると言うのだ。冷静に考えてみれば理解る事じゃないか。

 

「じゃあ、はい。一応傷とか確かめてくれるかな?」

 

「おお、信用してるから大丈夫だおー」

 

二人が何やら会話しているが、心臓の音がそれを邪魔して良く聞こえない。

抑えている筈の呼吸音も、ケースの中で揺れる小物の音も、全部が邪魔だ。

 

(;'A`)(どうなる……? どうなっちまうんだ……?)

 

二人共優しい性分だ。酷い事はされないだろう。

――だが、きっと酷い事にはなる。

 

死刑執行を待つ囚人のように、狭く暗い密室の中、"その時"を覚悟する。

速いリズムで刻まれ続ける心音を聞きながら、落ち着かないビートに不安が刺激され続けるだけの時間。精神的な拷問だった。

 

(; A )(早く、早く終わってくれ! 頭の血管がどうにかなっちまいそうだ!)

 

恐ろしいのは、必ず来ると解っている恐怖と絶望だ。

それでも逃げ道がある内は耐えられる。避けられる。

もういっそ自分から執行されに行ってしまった方が楽かと、そう思った瞬間――

 

ルナサ「ドクオ君。……もう大丈夫みたい」

 

ルナサの落ち着いた声が、不快な心音よりも耳の奥に響いてきた。

そして間一髪、告げられた事実とその声色が、簡単に狂いそうになる心を調律してくれたらしい。

 

(;'A`)「……」

 

静かに、物音を立てないように。ロッカーから這い出る。

話し声は確かにもう室外にある。――見逃されたのだろうか?

 

(;'A`)「カ、カメラ! カメラは……!?」

 

ロッカーを再度開けて確認しようかと思ったが、今はそれさえまどろっこしい。

廊下へと至る扉を僅かに開けて、携帯端末の画面だけを廊下に差し込む。

――黒い画面に入った細かい傷に装飾された人影が二つ、写り込んだ。そしてその人影の片方の手には、カメラと思わしきシルエットが確かに握られていた。

 

(;'A`)「……やっぱりカメラ回収に来ただけなのか?」

 

理由は定かではない。だが、これは少なくとも罠では無かったのだ。

それを証明するように、二つの人影の傍らにはルナサ同様、小さな影が浮いている。おそらくこれが射命丸だろう。

端から見張られて等無かったのだ。

 

(;'A`)「はは……はぁ……」

 

耐えられない緊張感の後にやってきた慣れない安心感。そのギャップは腰から下を虚脱させるには充分過ぎた。

――この時、それでもここから立ち去るべきだったのだ。でなければ、耳を塞ぎ、目を閉じ、己の不甲斐なさに苛立っていた方がまだマシだった。

 

('A`)「――あいつら、何の話してんだ?」

 

本当に、ただの興味本位だった。

曲がり角の先、階段へと進んでいく二人は今どんな言葉を交わしているのかと、本当にそれだけだったのだ。

そうして跡を付けてしまった。

気配を殺すのは得意だ。教室に居る時にいつもそうしているように特別な動きをせず、物音を立てず、"そこに居るフリ"をしないだけで良い。

 

('A`)(この距離が限界だな)

 

音が聞こえるギリギリ、そして音を聞かれるギリギリのライン。階段の高低差のお陰で、直線よりも楽に近付く事が出来た。

 

「――と、言う訳でショボンにも部活入って欲しいんだお」

 

「ああ、例の話だね。やっぱりやる事にしたんだ」

 

(;'A`)(部活? 知らない内にそんな事やり始めてたのか)

 

ふと、胸の奥で正体の分からない何かが疼く。しかし、とても馴染みのある感覚。

 

「うーん。アドバイスした身としては、無責任かもしれないけれど……やっぱりちょっと悩むなぁ」

 

「無理強いはしないお。でも、ショボンが入ってくれれば規定人数なんだお」

 

「一人決まったんだね。じゃあ、ドクオには声かけたのかい?」

 

('A`)(俺……?)

 

クラスメイトに名前を出されると、恐ろしくて身がすくむ。しかし、仲間に名を呼ばれるのは何だか嬉しい。

 

「おー……ドクオかお。ドクオは――」

 

だから、期待してしまう。その先に続く言葉はきっと聞いていて恥ずかしくなりそうな喜ばしい言葉なのだと。

最も仲の良い友人だからこそ、面と向かって対峙しにくくなった今でさえ、そう信じられる。

 

――だからこそ

 

「――ドクオは、別に良いんだお。声かけなくても」

 

('A`)「――は?」

 

――だからこそ、信じられなかった。理解らなかった。

何を言われているのか、何を意味しているのか。

 

ルナサ「ドクオ君……?」

 

(; A )「……行こう」

 

ルナサ「……」

 

(; A )「頼む」

 

頭が動き始めてしまう前に、会話の聞こえない範囲へと立ち去った。――いや、逃げ出した。

そのまま足を止める事無く、出口へと急ぐ。

途中何人かの生徒とすれ違ったが、何を言われても、どんな好奇の眼で見られても、知覚する余裕はもう無かった。

 

(; A )「チキショウ――」

 

そうしてようやく敷地外へと脱出した頃だ。不思議な事に、通った道には点々と濡れた跡ができていた。

しかし、何故かボヤケた視界と心では、その理由に気が付く事は出来ない。

 

 

 

 

 

(´・ω・`)「別に良いって……ちょっと冷たいんじゃない?」

 

(;^ω^)「や、そういうんじゃないんだお? ほら、ドクオは部活が出来上がってから呼ぼうと思って」

 

(´・ω・`)「うん? そりゃまたどうして?」

 

(;^ω^)「ええと、ほら……ドクオは人前に出たり、話し合いしたりとかがあんまり得意じゃないお? だから、色々と交渉事とか終わった後の、落ち着いた環境の方が良いかなぁって」

 

理由の半分しか話して居ないが、決して嘘では無い。

今は声がかけ辛い。それだけの理由が残りの半分だ。

 

( ^ω^)「だから、後で声をかけるつもりだお」

 

(´・ω・`)「成る程ね。てっきり喧嘩でもしたのかと心配しちゃったよ」

 

(;^ω^)「おっおっお……そ、そんな事無いお?」

 

図星は図星だ。最も、あれは喧嘩なのかすら良く分からないが。

 

( ^ω^)「えっと、それでどうだお? 考えてくれるかお?」

 

とは言いつつも、既に安心している。

何故なら、ショボンは断らないだろうと思っているからだ。

他人が困っている時、誰よりも自然に手を差し伸べている男。それがショボンなのだ。

だから、最初にショボンから声をかけようと決めたのも、確実な一人目の協力者を得たかったからなのかもしれない。

流石、彼氏・彼女にしたいランキング上位なだけあって、つい頼ってしまいたくなる。

……ちなみに、聞き間違いではない。もう一度述べるが、"彼氏・彼女にしたいランキング"共に上位ランカーである。

 

(´・ω・`)「うーん。実はもう答えは決めてたんだ。……どう言おうか迷っててさ」

 

(*^ω^)「おっおっお! そんな畏まらなくって良いお?」

 

おっと、そんな困ったような微笑を浮かべられると変にドキドキしてくる。まるで告白直前の雰囲気だ。

 

(´・ω・`)「あの……さ」

 

(*^ω^)「うんうん」

 

全く、焦らしてくれるじゃないか、このテクニシャンめ。

さぁ早くイエスと言ってくれ。でないとこっち側も良いかなとか、なっちゃいそうで恐ろしい。

 

(´・ω・`)「ごめんね。参加出来ないんだ」

 

(*^ω^)「おお! ショボンならきっとそう言ってくれると思ってたお! ……じゃあ後で早速――」

 

(;゜ω゜)「――ってうぇえええ!?」

 

びっくりした。心底ビックリした。驚きすぎて多分、二オクターブくらい高い音域が出た気がする。オクターブよく知らないけど。

 

(;´・ω・`)「そ、そんなに驚く?」

 

(;^ω^)「いや、だって……ねぇ?」

 

あのショボンがだよ? と言いたかったが、誰にも事情はあるのだろう。

それに相手の意見を聞かない内に、承諾されていると勝手に思い込んでいたのはこちらの方だ。

だけれども、ショボンだからこそ理由を聞ければ聞いてみたいとも思うのも、きっと仕方無い事だとして欲しい。

 

(´・ω・`)「……あのね。実はアルバイトしてるんだ」

 

( ^ω^)「アルバイト?」

 

校則ではアルバイトは原則禁止とはなっていなかったとうっすら記憶している。ただ、学校に届け出とシフトの移しを提出する義務があるとか無いとか。

しかし、今までショボンからそんな話を聞いた覚えは無い。

確かに不定期に用事があると言って早々に帰宅していたし、ツン同様部活への所属を断っているらしいが――

 

( ^ω^)(うん、心当たりありまくりでしたお)

 

(´・ω・`)「ちょっと学校側には内緒のアルバイトなんだ。身内の店なんだけどね、夜半営業だからさ」

 

なんだかそれっぽい条例だか何かがあると聞いた気がする。青少年は夜遅く働いてはいけないとか何とか、ぼんやりとした話の輪郭くらいしか思い出せないが。

 

( ^ω^)「大体事情分かったお。アルバイトと掛け持ち……ってのも確かに色々面倒事になるだろうし、仕方ないお」

 

(´・ω・`)「本当ごめんね? ……っと、じゃあ次の授業は体育だから、また後で」

 

( ^ω^)「あいおー。カメラありがとうだおー」

 

ショボンの後ろ姿が曲がり角に消えるまで手を振る。

にこやかに笑顔を浮かべていられたのは、そこまでだった。

 

(;^ω^)「どっどどどっどどうしよう射命丸!」

 

射命丸「あややや……急に何取り乱してるんですか。もう今更遅いでしょうに」

 

(;^ω^)「だってほら! だって……ねぇ!?」

 

射命丸「ははぁ、つまりショボンさんありきで立てた計画だったから、予想に反して断られたお陰でもうプランが無いと」

 

(;^ω^)「それ!」

 

射命丸「どんだけ浅慮で出たとこ勝負なプランニングしてるんですか。そんな生き方出来る生き物、幻想郷の妖怪と妖怪地味た人間ぐらいですよ?」

 

(;^ω^)「幻想郷かなり自由!? ……で、でも、もう他に宛なんて思いつかないし、下手にノリの良い人が来たら色々隠し通せないだろうし……お手上げ寸前だお」

 

射命丸「ふむ……。そうですね」

 

顎に手をやり、思案する事数秒。

射命丸の頭は一体どれ程の速度で回転しているのだろうか、たったそれだけで案を思いつけるらしい。

今までの功績から、射命丸への期待が高まっていく。

 

射命丸「――後回しにしましょっか」

 

(;^ω^)「えええ……」

 

……でも、いつも名案が出るとも限らないらしい。

 

(;^ω^)「なんかこう、ズバッとした解決案じゃないのかお?」

 

射命丸「ズバッとした解決案がお望みならば、強硬策でショボンさんにYESって言わせる事になりますが、それはお望みでは無いでしょう? アレは駄目、これは嫌だーって条件付きじゃあ、機運待ちが結局最善ですて」

 

(;^ω^)「むぅ……」

 

射命丸「……勧誘活動で有効な手段あるならこっちが聞きたいくらいですしね」

 

( ^ω^)「え? 今何て言ったんだお?」

 

射命丸「余計な墓穴掘る前にその緩みきっただらしない口をきつく締め直して置いて下さい、と」

 

(;^ω^)「非道い!?」

 

やはり反論は許されない。と言うか、今回は特に勢いで毎度押し込まれているような気がする。

そうして段々と慣れ親しんできた敗北感に浸っていると、今度は射命丸が小さく"げ"と呟いたのが聞こえてきた。

"言い過ぎました"と慰めでもしてくれるのかと足元を見つめていた顔を上げてみると、残念ながら彼女の視線はこちらではなく、背後に続く廊下の方へと向けられているようだった。

 

(´・_ゝ・`)

 

(;^ω^)「げ」

 

振り返った先、やや急ぎ足で近寄ってくる人影を見て、同じ呻きが漏れ出る。

勿論厄介な事になる前に逃げようとしたが、それとほぼ同時に名前まで呼ばれてしまったものだから、最早諦めてその場に棒立ちにならざるを得ない。

そうして気の毒そうな、面倒そうな、そんな様子で射命丸は慰めの言葉を2,3呟くと、盛岡先生が足を止める前に姿を宙にかき消したのだった。

 

(´・_ゝ・`)「おい内藤。カメラ受け取ったみたいだな」

 

(;^ω^)「はい……」

 

(´・_ゝ・`)「きちんと反省はしているのか? あ?」

 

(;^ω^)「はい……」

 

余計な墓穴を掘るなとほんの少し前に釘を刺されている。

最低限の返事はその為の出来る限りの配慮。

それは多少強引かもしれないが、盛岡先生の儀礼的とも言える質疑応答においても貫くつもりだ。

 

(´・_ゝ・`)「……」

 

(;^ω^)「……」

 

しかし流石に黙られると困ってしまう。

複雑な、そして明らかに不機嫌そうに見える表情を見つめ続けるだけと言うのも、精神的に辛い。

一発ギャグでもして場を和ませたほうが話が丸く収まるだろうか。

そして十八番の一発ギャグ"ブーンってするブーン"はこの先生にもウケるのだろうか。

 

(´・_ゝ・`)「内藤」

 

(;^ω^)「あ、ハイ」

 

しまった、タイミングを見失った。

だが、一発ギャグをやらずに済んで内心ちょっとだけホッとしている。

 

(´・_ゝ・`)「部活やるらしいな。もうメンバー集め終わってるのか? 最低三人だぞ?」

 

(;^ω^)「ハイ……あ、いえ! それはまだちょっと……」

 

流れでとりあえず肯定しそうになってしまったが、嘘を吐いても仕方が無い。

それにしてもそんな事、誰から聞いたのだろう。もしかして噂にでもなっているのだろうか。

もしかして悪い噂なのだろうかと勘ぐってしまうのは、盛岡先生の表情が硬く暗いせいだ。

しかし、次に先生が告げた話は"悪い噂"では無く"悪い話"だった。

 

(´・_ゝ・`)「内藤。その部活の勧誘は明日までだ。それまでに集まらなかったら、お前は筋トレ部に入ってもらう」

 

(;^ω^)「筋トレ部!?」

 

何ですかそれ。と言いかけて、記憶の中のデータファイルに検索がHITする。

運動部の中でただひたすらに筋トレだけをする部活が存在しているという謎の部活の噂だ。

表に出る事無く筋トレ。雨の日も筋トレ。筋トレを筋トレの為に筋トレ。誕生する筋トレマン。

 

(;^ω^)「うう、額に"筋"って書かれたくないです……」

 

(´・_ゝ・`)「何の話をしてるんだ。……まぁいい。兎も角良いな? 明日の放課後までは待つが、駄目だったらその時は筋トレ部のイケニ――」

 

唐突に咳払いをする盛岡先生。

今確実に生け贄って言おうとしていた。

 

(´・_ゝ・`)「分かったか? 今回お前の処罰はそれだ。拒否しても良いがその時は卒業に響くと思えよ」

 

あからさまにこちらの事情を知った上での脅しだ。

日本人じゃないとしても、これにNOだなんて言える訳が無い。

 

(; ω )「わかりました……お」

 

(´・_ゝ・`)「良いだろう。じゃあ次の授業に遅れるな。行け」

 

言われるがまま、足を進める。

勿論納得なんかしたくない。でもするしか無いのだ。

沈黙こそが今は正しいのだと、自らに言い聞かせる。

 

射命丸「本当に腹立たしい男ですね――。やってやろうじゃないですかブーンさん。部員集めも部活設立も!」

 

( ^ω^)「……」

 

――勿論。

それが心の中で呟いた言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

(;'A`)「クソ……クソックソッ!」

 

河原の空き缶を蹴り歩きながら、ドクオは不満の声を漏らし続けていた。

既に缶は泥にまみれ、形を大きく歪めている。それでも蹴るのを躊躇はしない。

 

ルナサ「……」

 

そして、傍らのルナサもそんなドクオの様子を傍観するのみ。

ただ彼女の表情はいつもとは違い、何処か悲しそうに影を落としている。

 

(;'A`)「何でだ? 何でだ何でだ何でだッ!!」

 

くしゃくしゃになった空き缶を河に向けて大きく蹴り飛ばそうとして――転んだ。

足元のぬかるみと草のせいで滑ったのだ。

湿った音を立てて、ズボンとシャツの半面が黒茶色の土色に染まり変える。

 

(; A )「くそ……」

 

背中側が盛大に痛む。その上妙に湿り気を帯びていて冷たい。

そうなって初めてドクオは落ち着きを取り戻した。

――否、それも表面上の事。胸中では体さえもがついていけない程の、荒々しく濁った感情が渦巻いている。

 

ルナサ「ドクオ君……。そうしているのは良くない」

 

( A )「お前まで俺をからかってんのか?」

 

ルナサ「違う」

 

('A`#)「じゃあなんだってんだよ!」

 

よろめきながら、怒気を上げて詰め寄るドクオ。しかしルナサは悲しそうな表情を動かさない。

 

('A`#)「皆、見下してるじゃないか! 何をやっても上手く行かない、長続きしない、運も回ってこない! とうとうブーンさえも俺を見限った! ……ああそうだよ、俺がうっとおしいんだろ! コミュも上手くねぇし、容姿も良くないし、何の才能もねぇゴミ虫だから!」

 

遠巻きにドクオの感極まった様子に気がついた者も居たが、関心を引くまでには至らない。

ドクオの精一杯の心の叫びも、世界からすれば結局その程度の話。

誰にも届かない。誰にも理解ってもらえない。

ドクオの中にだけある無限地獄は、ドクオ自身を滅ぼし忘却させるまで最早鎮まることは無い。

 

――いや

 

ルナサ「私は今もここに居るよ」

 

彼女だけはドクオの叫びを、"音"を聞いていた。

傍らで唯一ずっと事の顛末を見てきていたルナサだけが、その感情《おと》の名を知っていたのだ。

 

一つは悲しみ。友人だと思っていた人に裏切られ、見限られ、氷のような雨音が心を溺れさせている。

一つは怒り。絶え間ない痛みが、為す術のない現実に対する不条理さを色濃く見つめさせ、油が燃え上がるように轟々と心を焚き付けている。

 

そして最後の一つは――

 

ルナサ「――後悔、してるんだね」

 

( A )「……」

 

それはドクオの心を包むように儚く響き、そして静寂のように静かな音。

感情のざわめきに伴って音を奏でる騒霊だからこそ、ドクオの奏でる負の感情の調べを感じ取っていた。

 

故に、ルナサは考える。

どうすればこの曲を終わらせてあげられるのか、と。

 

言葉では充分に心を伝えられない。

所作では成せる事が限られすぎる。

 

故に。

ならば。

だからこそ。

 

ルナサ「――騒符「ルナサ・ソロライブ」」

 

ルナサが考え至ったのは直接心に響かせる方法。

耳があれば音が聞こえる。

肌があれば震えを感じる。

心があれば想いが伝わる。

 

騒霊は物体を触れる事無く動かす事が出来る。

それは今、霊力にセーブがかかっているルナサでもヴァイオリン一挺位ならば実現可能範囲の怪異。

そしてその怪異は余りにも――

 

( A;)「……あ?」

 

――美しすぎた。

 

ヴァイオリンが自ら宙に浮き、音を奏でる光景のなんと異質な事か。しかし、ドクオはその光景を見て、感動を覚えていた。

奏でられている曲調は、とても静かな調べ。

ヴァイオリンは自らの音楽に身を委ねるように、弦を震わせる。

そしてそれらを統括する指揮をルナサが行う。

 

"誰かに見られてしまうかもしれない"。なんて野暮な発想は今は出来なかった。

たった一人の観客は、自らの為に開かれた小さなコンサートにただただ涙を流すのみ。

勝手に湧き出していたのは涙だけではない。耳には入っていたが、頭にまで届いていなかったルナサの"言葉"が、より直接的な"想い"として心に反響していたのだ。

 

やがて、一人の――そして独りの為の演奏会は始まりと同じように、静かに何の前触れも無く終わりを告げる。

 

(;A;)「う……ぐ……」

 

ドクオは自分の双眸を手で抑え、尚も溢れでていく涙に両手を濡らしていた。

しかし、この涙に痛みは伴わない。むしろ流す程に心が鎮まっていくのを感じていた。

今はもう草を撫でる風の音が聞こえる。河を揺蕩う水の音が聞こえる。

 

ルナサ「ちょっと落ち着いた?」

 

――そして、ルナサの声が聞こえる。

 

( A )「……すまん」

 

ようやく止まった涙を袖口で拭い払い、仕上げに深呼吸。

相も変わらず暗い顔だが、もう昏さには染まっていない顔だ。

それを見てようやくルナサは安心したように頷いた。

 

('A`)「今のは?」

 

ルナサ「私のとっておき。――の、つもりだったけれども、やっぱり本調子じゃ無いみたい」

 

本当ならば、安らぎの表情を浮かべて眠っている頃だと言われ、ドクオは"勘弁してくれ"と呟いた。

 

('A`)「……ルナサ。本当にすまねぇ。俺、情けないよな」

 

落ち着いたとは言え、心が晴れた訳ではない。むしろ雑音が消えた分、ハッキリと自分の不甲斐なさを自覚する事になったのだ。

しかしルナサは同意する所か、ほほ笑みさえ見せた。

 

ルナサ「そんな事ない。自責の念があるのは、それだけ責任感をもっているって事。……ほら、その証拠に、さ」

 

('A`)「ん?」

 

指し示されたのはヴァイオリンケース。いつの間にか中身も元通りになっているのは流石怪奇現象だ。だが、これがどうしたと言うのだろうか。

 

ルナサ「ずっとだよ。ドクオ君がヴァイオリンケースを気にかけてくれているの。だから、今もヴァイオリンケースに汚れも傷もついていない」

 

('A`)「……そりゃ、これはルナサの夢想器なんだし当然だろ」

 

ルナサ「それが責任感じゃないかな。ドクオ君がそれを成し遂げようとし続けている限り」

 

('A`)「……責任感」

 

そうなのかもしれない。自分では自分の良さなんて分からない。でも――

 

('A`)「それならやっぱり駄目だよ俺。ブーンの事も、ルナサの事も、満足に何も成し遂げられなかった」

 

ルナサ「そうだね。妹達もまだ見つけられて無いし、ブーン君の夢想器も奪えてない」

 

('A`)「……だろ。俺なんかがパートナーじゃルナサに申し訳ない。せめて新しいパートナーを見つけるから……」

 

ルナサ「要らないよ。私はドクオ君で良い。ドクオ君が良い」

 

('A`)「でも……」

 

ルナサ「……私はあんまり口が上手く無いけど、音楽でなら上手く伝えられてたと思う。……どうだった?」

 

そう言われ、あらためて思い起こす。

心に直接誰かの想いが入り込んでくるという、人生で初めての体験を。

 

('A`)(想い……? ルナサの?)

 

それは、言葉では無かったと思う。

暖かく、されど暑くは無く。

涼しく、されど寒くは無く。

言葉よりも原始的で、純粋なコミュニケーション。

故に上手く言葉に昇華も出来ないのだが、ただ一つ答えとしてあげられる言葉が見つかる。

 

('A`)「……嫌じゃないのか? こんな俺で」

 

ルナサ「嫌じゃない。波長が合って落ち着く」

 

(;'A`)「ううう……」

 

そこまで言われると流石に何だか恥ずかしい。

でも拒絶はもうしたくなかった。

だから、次の言葉はこうまで言ってくれたルナサにせめてもの決意を示そう。

 

('A`)「――ルナサ。ブーンの夢想器をもう一度奪いに行きたい。それまで俺のワガママに付き合ってくれるか?」

 

ルナサ「出来ればその後もお願い。妹達と再会出来るまで」

 

('A`)「ありがとう……」

 

ようやく、だった。

宇津田独男。ルナサ・プリズムリバー。

両名の向く道がようやく等しくなったのだ。

 

('A`)「っしゃ! ワルキューレの騎行でも何でも奏でてやるさ!」

 

ルナサ「残念だけどドクオ君には似合わないと思う」

 

――戦いの時は近い。

傾き始めた太陽が、行先を明るく照らす。

空を横切るハトの姿が、今だけは素直に喜べた。

 

 

 

――しかし、そのハトの到来はドクオに取っての吉報では無い。

 

( ・∀・)「――ふむ」

 

ドクオの去った河原。

死角と成っていた場所に、空を回遊していたハトが舞い降りる。

スーツを着こなす男が、止まり木の代わりに差し出した右腕。

ハトは警戒を露わにする事無く、極自然にその腕上へと羽根を落ち着けた。

そうして機嫌の良さそうな鳴き声を喉から鳴らす。

 

( ・∀・)「そうか、ご苦労様。良くやってくれたね」

 

やり手のビジネスマンのような風貌の男は、まるでハトと会話でもしているかのように短くやり取りを交わすと、再びハトを空に放った。

ハトの影が白雲に重なるのを見届けてから、視線は人の歩む道へ。

見通しの良い河原の向こう側に、ドクオの後ろ姿がまだ小さく残っている。

 

( ・∀・)「――良い機運に恵まれたようだ。そろそろ動くとしようか、皆」

 

男は自らの背後に居る複数の人影に言葉だけを向ける。

それは一つの合図であり、解禁の鐘の音でもあった。

 

――夕刻に近付くにつれ、光に照らされた大地は妖しさを増していく。人知れず、そして着実に。

 

 

 

 

 

 

(;^ω^)「あう……そ、そうかお。あ、いや急に無理言ってすまんかったお……」

 

会話を終えて、手を振りながら自転車で去っていくクラスメイトを見送ってから、手元の急造メモに一つバツ印を追加する。

これで部活に所属していないクラスメイトは全滅。

記念すべきパーフェクトを達成した瞬間である。

 

射命丸「あやややや……。順調は順調でしたね。二つ返事で断っていくんですから」

 

(;^ω^)「まぁ……よく考えれば、現時点で部活入ってないって事は帰宅部のが都合良いって事なのかもしれんお」

 

顔見知り度が高いクラスメイトは今のが最後だった。他クラスや学年別の見知らぬ帰宅部生徒達はまだ残っているが、望みは薄いだろう。

何故なら誘って部活に所属してくれるような人物が居たとしても、それらは現時点でそもそも帰宅部で居る筈が無いのだから。

 

「どうっスかー。カバディ部! 一緒にカバディしませんかー?」

 

「時代は今! アルティメェェェット部! さぁ若さを余らせているくらいならアルティメェェェットな青春にしようじゃないか!」

「サバゲーやりませんかー。合法的に人が撃てますよー。今なら改造の裏テク教えちゃいますよー」

 

(;^ω^)「……っていうか、こんなに勧誘ライバル居るとは思ってなかったお?」

 

生徒数と敷地面積の多い美布高等学校は、その分部活にも力が入っている。

時期外れだろうが何だろうが、年がら年中帰宅部連中へと毒牙を向けているマイナー部活勢の姿が、同じ側に立ってみてようやく目に入ったのだ。

だが、生徒のほとんどはその勧誘エリアを意識すらせず通り過ぎていく。

何故なら彼らの思考の殆どは、すでに放課後の自由時間に向けられているからだ。

しかしそれは決して悪では無い。詰まる所、悲しいけどこれ放課後なのよね。という事だ。

 

(;^ω^)「クラスメイトでさえ何とか話聞いてくれる段階止まり……。最後まで興味持って聞いた人はほぼ居ないし……」

 

射命丸「これは思ったよりもまずいですね……。ブーンさんの知名度は兎も角、目を引く勧誘材料としての新聞部所属メリットもありませんし……」

 

勧誘の仕方は確かに悪かった。だが、それ以上に残酷な枷と成っていたのは、"時間"だった。

焦れば焦るほど、不穏な何かを感じて人は去る。

準備に費やす手間が削られる程、魅力を伝える材料は減っていく。

あまりにも時間の壁は高く、そして現実的な問題として立ちはだかる。

やるせなさに手にしていたメモ帳がくしゃりと歪んだ。

 

背後から誰かが近寄ってきたのは、そんな時だった。

 

「こら内藤。まだ帰ってなかったのか!」

 

(;^ω^)「おおおわっ!? はい、ごめんなさいですお!」

 

死角からの大声に、つい反射的に謝ってしまった。

やはり最近どうも謝罪癖がついているような気がしたが――それよりも気がかりは今の声だ。何だか妙に高い声だし教員では無い気がする。

 

(;^ω^)「……って何だ、ツンかお」

 

ξ゚⊿゚)ξ「何よ、何か文句でもあるの?」

 

気の強さを全身から表わすような仁王立ちがこんなに似合うのもツンだけだ。

 

( ^ω^)「いや、文句は無いけれども……今日は何処かの部活の手伝いには行かないのかお?」

 

ξ゚⊿゚)ξ「……行こうと思ったけれど、アンタがここで勧誘してるって聞いて、心配に……」

 

( ^ω^)「……お? 最後の方よく聞こえなかったお?」

 

ξ//⊿/)ξ「ばばばば! ち、違うわよ! ええと……笑いに、そう! アンタの泣き顔でも見に来てあげただけよ!」

 

(;^ω^)「え? あ……ハイ?」

 

良く分からないが、心配して来てくれたのは充分伝わった。

優しい慰めなんて無くとも、それだけで充分嬉しい。

 

ξ゚⊿゚)ξ「で? どうなのよ。調子。とっくに勧誘なんて終わってると思ってたわ」

 

(; ω )

 

……でも、だからこそ何と言えば良いのだろうか。

今現在部員設立人数には足りておらず、勧誘も手応え無しの全滅状態。ツンの折角の心遣いも、明日には無駄になります――なんてそんな事、言える訳が無いじゃないか。

 

(;^ω^)「あ、あの……順調、だお。何人か話を聞いてくれたし、この分ならきっと……」

 

大丈夫だ――。その言葉だけは喉の奥につっかえて出てこなかった。

 

ξ゚⊿゚)ξ「……そう」

 

信じてくれたのか分からないが、ツンはそれ以上追求をしてこなかった。

代わりに彼女の手に持っていたカバンが、腰の当たりを横振りに打ち据えて来た。

 

(;^ω^)「ちょ、痛っ……ってなんか重っ!?」

 

ξ゚⊿゚)ξ「じゃあほら、帰るわよ」

 

(;^ω^)「え?」

 

何が"じゃあ"なのだろうか。

痛みと唐突な提案に、疑問符が頭上に浮かぶ。

しかしツンは悪びれる様子も無く続ける。

 

ξ゚⊿゚)ξ「"今日は"充分頑張ったんでしょう? なら後は明日の自分に任せなさいよ。心配事も、苦労も……ね」

 

( ^ω^)「……ツン」

 

彼女は気がついているのだろうか。勧誘が上手く行かなかった事に。

どう応えるべきか言い淀んでいると、再びツンから喝が入った。

 

ξ゚⊿゚)ξ「ぼーっとしない! 今日は私もだるいから、家まで護衛しなさいって言ってんのよ!」

 

……いや、気がついていようがいまいが、こう言ってのけるのがツンだ。

だからこそ、言葉面の裏に優しさが見え隠れしている。

 

射命丸「――これ以上為す術が無いのは事実です。ここは護衛させていただきましょうか」

 

射命丸もそう言っているのだ。ここは素直に甘えさせてもらおう。

 

( ^ω^)「分かったお。一緒に帰るお」

 

ξ゚ー゚)ξ「よろしい」

 

満足そうな護衛対象に先導されながら帰路を歩む。

そうしている間は何だか気持ちが少し楽になったような気がした。

考えても答えが出ない事は、考えない方が楽なのかもしれない。

射命丸やツンのように意思の強い女の子は、そういう風に生きているから強いのだろうか。そしてその強さは自分にも手に入れられる物なのだろうか。

 

( ^ω^)「ねぇ、ツン?」

 

ξ゚⊿゚)ξ「んー? なあに?」

 

( ^ω^)「カバンの中に何詰めてるんだお? 何かダンベルで殴られたみたいな音したんだけれども……」

 

ξ゚⊿゚)ξ「レディの秘密探るつもり? そんなに知りたきゃ理解るまでカバンぶつけてあげるけれど」

 

( ^ω^)「うわぁ何だかお腹が空いてきて細かい事がどうでも良くなったおー」

 

射命丸「うわぁわざとらしい」

 

時間は、まだある。

明日とは言われたが、明日いっぱいは何とか時間を使える筈だ。

一時的にでも良いから誰か一人でも名前を貸して貰えれば、ツンを……射命丸を落胆させずに済むかもしれない。

そう思えば絶望より希望をまだ信じられた。

 

 

 

 

('A`)「そろそろ来る筈だ」

 

高所に掲げられている機械仕掛けの時計を見ながら、ドクオは呟いた。

場所は公園。夕刻とあって、人影は既に無い。

これならば待ちかねている相手との決着の場としては申し分無いだろう。

ただ一つ問題があるとすれば――

 

ルナサ「それ、さっきから言っているね。ドクオ君」

 

(;'A`)「そ、そろそろはそろそろだ!」

 

そろそろ来る筈だ、と定期的に呟いて既に約6そろそろ。

こんなに連続でそろそろと口にしたのも初めてなので、そろそろそろそろがそろそろとして認識出来なくなってきている。

 

('A`)「……」

 

しかし、黙っていてもやる事が無い。

時計なんてずっと見つめすぎたせいで、秒針が一瞬止まっているように見えてきた。

というかもしや、本当にあの秒針はサボっているのでは無いだろうか。

極度の集中力とやらが一秒を際限なく長く感じさせているから、こんなに長く待っている気がしているだけで、実際は想定の時間からそんなに時間は経過して――

 

(;'A`)「っと……やべぇやべぇ。思考に飲まれる!」

 

考えるのが癖――と言うよりも、昔からそうやって現実から目を背けていた結果の習性。

所謂"心ここにあらず"。

それを任意で発動出来るようになったお陰で、辛い事や長い単純作業を意識下に極力触れさせないで過ごせるようにはなった。が、こうして何でも無い時にまでつい何かに没頭してしまうリスクも背負う事にもなってしまったのだ。

 

だがそれはつまり、今現在そうで無いと耐えられないようなストレス下に居る事を示している。

 

('A`)「……」

 

(;'A`)「…………」

 

(; A )「………………オエッ」

 

まずい。吐きそうになってきた。

このままではシリアスに決着なんて状況じゃ無くなってしまう。

ここは何でも良いから、脳のキャパシティを使い続けなければ。

 

(;'A`)「……よよよよし、もう一回作戦を確認するぞ。ルナサ」

 

ルナサ「……また? リハは重要だけれど、これ以上は疲れちゃわないかな……」

 

(;'A`)「ちょっとだけ……もう一回だけ……」

 

ちなみに、この"もう一回だけ"も先ほどから何度か口にしているのだが、それでもルナサは嫌な表情せずにうなずいてくれた。

 

('A`)「……よし、公園の入口は二箇所。んで、ブーンは帰宅時にこの公園をあっちの北口から向こうの南口へといつも抜けている。そこを、林の中から俺が呼び止めて誘い込む」

 

言葉の順序通りに、視点を向けていき最後に公園の木々が密集した地帯で止める。

そこは管理されている林だが、この夕暮れに近い時間帯となると流石に充分な明るさは無い。

 

('A`)「そして、林の中にある"あの場所"……計算上、そこに先にたどり着けば俺達でも勝機は見える。そこを――」

 

ヴァイオリンケースを持ち上げ、中を確認する。

当然そこに収まっているのはルナサの夢想器《ヴァイオリン》。

 

('A`)「ルナサから教わった……スペルカードで攻撃。カメラを破壊・もしくは一時的にでもブーンの手から離れさせる」

 

ルナサ「……手順はもう大丈夫。スペルも試す?」

 

そう、すでに教わっている。手に入れている。戦う為の技を。力の使い方を。

その名を"弦奏「グァルネリ・デル・ジェス」"と言うらしい。

 

('A`)「いや、スペルはさっき試しに使った一度で充分だと思う……。感覚は解った」

 

ドクオは言ってしまえば"秀才"の部類だ。

汗臭い努力に耐えられないだけで、要領は良い。

たった一度の使用だろうと、未知の力だろうと、要点さえ抑えてしまえるならば問題は無かった。

――だが、この時再使用を拒否したのは、単に疲労等の問題を危惧しての事だけでは無い。

 

(;'A`)「……」

 

チラリ、と遠くに見やった先にあったのは地面に転がった空き缶。

ただし原型そのままの姿では無く、横から強い力を受けたかのように大きくひしゃげてしまっている。

そして、それは先ほどまでもっと近くに、そして風で飛ばぬように少し土に埋めてセットされていた物だった。

 

(;'A`)「大怪我……させちゃわないよな?」

 

使ってみて、初めて解った。戦う力を教わると言う意味を。

 

ルナサ「絶対とは言い切れないけれど、ブーン君が新聞屋さんと……いや射命丸と契約しているのならば大怪我までしないと思う。私のスペルは攻撃向きじゃない」

 

(;'A`)「……」

 

これで攻撃向きでは無いレベル? ならば戦闘向きの相手は一体どれ程の事が出来てしまうと言うのだろうか。

考えただけで足がすくむ。ここから逃げてしまいたくなる。

 

(;'A`)(――駄目だ! そんな奴とブーンを遭遇させない為だろ!? 今は逃げるな!)

 

どんなに頑張れと言われても動かない体だ。"やらねば生きている価値は無い"。そこまで追い詰めて追い詰めて追い詰めて――そうしてようやく、行先を前へと正す事が出来る。

 

そんなドクオの自身を追い詰めていく様子を見て取れてしまったのか、ルナサが心配そうに口を開いた。

 

ルナサ「止めても良いと……思う。他に方法はあるかもしれない」

 

(; A )「止める、だって?」

 

ルナサは善意からその言葉を発した。

しかし、それは却って頑なにドクオの選択肢を固定させてしまう。

 

(;'A`)「駄目だ! 今更止められない! 俺が! 俺だから、やらなきゃなんないんだ! じゃなきゃ俺は――」

 

――どうやって自分の心と決着つけられるって言うんだ。

 

ルナサ「……」

 

強い心の声は、そのまま体に出る。魂に出る。

頭をかきむしり、胸を撫で付け、生唾を飲み、足を動かし、呼吸は荒く。

ドクオが今無意識に発しているそれらの音は、不安定な精神の揺らぎを示していた。

 

ルナサ・プリズムリバーの音は、聞く者の心に鬱の音色を響かせる。それはさじ加減を調整すれば、心休まる鎮静作用を齎す音色。

しかし、その鎮静作用は他人の考え方をまるっきり変えてしまうような事は無い。

出来る事と言えば、鎮める"音"を響き出す事で、聞く者の心に在る過剰な"雑音"を上書きする所まで。

ストレスの元凶問題の直接解決が出来るような便利な能力では決して無いのだ。

 

(;'A`)「し、失敗は出来ねぇ。成功しか無いんだ」

 

――ルナサは思う。

そうまでしないと出来ない事なのか。

そうまでしないと安まれない事なのか。

 

そうまでした先に――幸せはあるのか。

 

(;'A`)「落ち着け俺……落ち着け……!」

 

迷い、戸惑う心が無ければ良い音は生まれない。

鬱の音には、負の感情が不可欠なのだ。傷の無い心には、安らぎの音色は届かない。

しかしこうまで傷を負いやすい心は、逆に自らの不協和音に飲まれてしまう未来もある。

無音の陰口。存在しない罵倒。

それら内より止まない不協和音はどれだけ苦しい想いをもたらすのか。

いっその事、強引にでもより深く鎮めてあげた方が、幸せなのではないか。

 

ルナサ「……」

 

ルナサはドクオの意識外にあるヴァイオリンに手をかけようとして――止めた。

このままでは最悪の未来も有り得ると言うのに、何故手を止めたのか自分でも良く分からない。

ただ、脳裏に浮かんだのだ。

自分達、騒霊三姉妹――"プリズムリバー三姉妹"が生まれた原因と、存在意義を。

"あの子"は自分達を生み出した時に、こんな想いをきっと抱えていたのだ。

 

鬱の音色は、幸せは作れないのかもしれない。

けれど、鬱の音色があるから幸せを望めるのだと思う。

 

ルナサ(――信じよう。ドクオ君を)

 

きっと、今はまだこのままで大丈夫。

沢山悲しんだり憤ったりして疲れ果てたならば、その時は泣き疲れて眠るまで奏でよう。

 

ルナサ「ドクオ君、大丈夫。きっと成功するよ」

 

(; A )「ああ……ありがとう。……ちょっとその辺見回ろう。ブーンが近くに来ているかもしれない」

 

遅かれ早かれ、もう直ぐ何かしらの決着は着くだろう。

彼らの頭上でカラスが一際大きく鳴き喚く。運命の分かれ道を知らせているかのように。

 

 

 

 


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