やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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人としてまっとうに扱われる

先輩の家に到着した俺たちは、二人して家の門をくぐる。

すると庭先にて、こちらに背を向け洗濯物を取り込んでいる女性の姿が見えた。

楽しげに鼻歌交じりで家事をこなすその人こそ、めぐり先輩のお母さんなのだろう。

手土産を忘れたことを後悔しつつ、とりあえず身だしなみをと思い、どうやってもはねてしまう

クセっ毛を無理くり折りたたんでいると、めぐり先輩が帰宅の挨拶をする。

 

「お母さん、ただいまー」

 

振り向いたお母さん。ああ、目元がそっくりだ。先輩も将来、こんな感じになるんだろうか。

そんな感想を抱きつつ、出来るだけきちんと頭を下げる。

戸惑った様子のお母さん。それでも俺に合わせ丁寧に頭を下げてくれる。

 

「めぐり、そちらの方は…?」

 

顔を上げたお母さんが問う。めぐり先輩は照れくさそうに頬を掻きながら応えた。

 

「あっ、うん、紹介するね。この子は比企谷八幡くん。私のその…、彼氏」

 

「初めまして、比企谷八幡です」

 

と、俺が口にする前に、お母さんはすたすたと小走りで縁側に駆け寄る。

そして、家の中に向かって大声で叫んだ。

 

「お父さん、大変! めぐりが男の子連れてきた!」

 

室内からどすんっと、何か重いたいものが転がり落ちる音が聞こえ、

 

「お父さん、大丈夫!?」

 

お母さんは言うがいなや、慌てた様子でサンダルを脱ぎ捨て家の中へ飛び込んでいく。

えええ……と呆然としてる俺の隣で、めぐり先輩が恥ずかしげに頬を赤くして言った。

 

「ご、ごめんね、八幡くん」

 

 

 

そうして俺は今、先輩のお宅にお邪魔し、リビングのソファーに座っている。

 

『私はつねづねソファー選びには、その人間の品位がにじみ出るものだと――

またこれはたぶん偏見だと思うが、確信している。

ソファーというものは犯すことのできない確固としたひとつの世界なのだ』

 

と宣ったのは、確か村上春樹だったか。

なるほど確かに、座り心地が良いソファーに座っていると、自分は今、清潔で暖かな場所に

その身を預けているのだと、そういう気分にならなくもない気がしなくもない。

俺も将来一人暮らしをする時が来たら、こういうソファーを部屋に置きたいなと考えながら

まったりと寛いで――とはいかず、俺はかなりそわそわとしていた。

 

何故なら俺の目の前には、先輩のお父さんが眉間に皺を寄せ腕を組んで座っているからで、

こう上手く言えないがなんともいえない居心地悪さを感じてしまう。

大柄でがっちりとした体格、任侠映画で主役を張れそうな程の強面、そして――彼女の父親。

麻雀で例えるなら大三元、役満というほかない。

 

つーっと汗が頬を伝う。うむ、今日は暑いしな、汗のひとつやふたつかいても仕方あるまい。

でもクーラで心地よく冷やされたこの部屋でかくこれは――、多分、アブラ汗。

拭っても拭っても汗が噴き出してくるし、後なんかここ酸素濃度もちょっと薄い気がするし、

早くお外に出たいよーと嘆きながら、ちらっとお父さんに目を向ける。

 

なんかお父さん、さっきより難しい顔してる。

まあ……うん、お父さんの気持ち分からんでもない。

可愛い愛娘の連れてきた男、それがどんな奴であれ歓迎する気になれないのは致し方あるまい。

ましてやそれが俺のような奴だったりしたら、これはもうバールのようなものでぶっ叩かれても

文句はいえない。でも怖い、怖すぎる。

 

などと思っていたのだが、その実、居心地悪い気持ちでいるのはお父さんもなのかもしれない。

何故かといえば時折目が合うと、妙に強ばった笑みを見せてくるからだ。

なので俺もそれに合わせ、ぎこちない愛想笑いを作る。

笑顔の応酬、気まずさMAX、助けてめぐりん!っと、先輩の居るキッチンへと目を向ける。

めぐり先輩はお母さんと二人、お茶の用意をしてくれている。

お茶はいいから取り敢えず、早く戻って来て欲しい。

 

まいったな、困ったな、胃が穴だらけになりそうだ、と視線をきょどきょど彷徨わせていると、

またまたお父さんと目が合った。

ふむ、何か話しかけてみるべきか。将来、義理のお父さんになる人かもだし、

良い印象を与えておくべきだろう。

そう考えてみても、何を話せばよいのやらと困ってしまう。

実際、今俺がぱっと思いつくウエットに富んだ話題といえば、次のふたつくらいだ。

 

「ご存知ですか?先日、金星人が住民票を持っているのが発見されたこと。コレ、本当です」

 

「NASOのHPで見たんですけど、この世界はスカラー波によって危機に瀕してるらしいんです。

それでその解決にはですね、宇宙人の助力が必要不可欠って書いてありました。大変ですよね」

 

どっちがよいだろう? いや、どっちもダメだろ。頭がおかしい奴だと思われる。

元ネタの人もちょっとアレな人だったし。

まああれだ、ここは変にひねらず当たり障りのない天気の話でいくか。

 

「その…、今日も暑いですね」

 

なんとか声を絞り出し、言ってみる。

お父さんはびっくりした顔で俺を見た後、縁側の向こう側、庭へと目をやる。

 

「そ、そうだね」

 

目が合う。どうしていいか分からず、仕方なく同意を込めて頷くと、お父さんも頷く。

 

「……」

 

「……」

 

まずい、会話が終わってもーた。頑張れ八幡、ここが男の見せ所、勝負どころだ!

 

「明日も暑いんですかね」

 

「ど、どうかなあ……。どうだろう…ね?」

 

「ど、どうなんでしょう…?」

 

はははっと、互いに乾いた笑い。そして――沈黙。

 

おい、おい、あなた大人でしょ? もう少しさ、話を広げる努力しようよ、してくださいよぉ…

と嘆いていると、めぐり先輩がお母さんと一緒に戻ってきた。

戻ってきためぐりん。その姿を見て、俺は心の底からほっとする。

ほんの五メートル移動しただけで、こんなにも嬉しい人が他に居るだろうか。

感動に打ち震えていると、めぐり先輩がグラスをはいっと差し出してきた。

グラスの中身は夏らしくカルピス。しかも葡萄味。よくわかっていらっしゃる。

カルピスもファンタも葡萄味こそが正義。なんかお酒みたいで大人っぽい感じがするよね。

お礼をいって受け取り、いただきますと口にする。

 

味がしねえ……。

 

割と濃い目に作られてるのに、まったくもって味はしない。

どうやら極度の緊張のあまり俺の味覚は旅にでたらしい。

まあめぐり先輩も戻ってきてくれた。そのうち味覚も戻ってくるさ、と思ったのも束の間、

めぐり先輩は「あっ、そうだ!」と言うと、リビングから足早に出て行ってしまう。

何処へ行くめぐりん、帰ってきてめぐりん、と心の内で嘆きと哀願を繰り返していると、

お母さんがにこやかに笑んで話しかけてきた。

 

「比企谷くん」

 

「は、はい」

 

「比企谷くんは、めぐりと同じ大学の人なのかしら?」

 

「いえ、自分まだ高校生です。先輩が卒業された総武高の、今三年です」

 

「あら、もしかして、生徒会の方?」

 

「ああ、いえ、生徒会ではないですね。先輩とは、去年の文化祭で知り合いまして」

 

「めぐりとは、いつからお付き合いしだしたの?」

 

「先月の末からです」

 

お母さんから繰り出される質問の数々。俺はそれに落ち着いた感じを演出しつつ応えていく。

が、正直なところ、内心は冷や汗だらだら状態。

なんか目がチカチカ、こめかみがズキズキ、心臓はバクバクいっているぅー。

早く、早く戻ってきてくれめぐりん。俺もう限界に近い。

このままでは俺の脳が、心臓が、ショートしてスパークしそう。

とそこへ追い打ちを掛けるように、それまでは静かだったお父さんがぐいっと前のめりで

俺に問うてきた。

 

「どちらから、付き合おうっと言ったのかな?」

 

問われて、考えてしまう。

もちろん付き合って欲しいとそう告げたのは俺の方。

が、後になってあの日の事をつらつらと思い返してみると、めぐり先輩の思惑、誘導尋問に

まんまと引っかかったようなそんな気がするのだ。

まあそれで先輩と付き合えたのだから何か問題がある訳では無い。

のだが、こうなんというか上手く嵌められた感が無くもない。

とはいえまさか、あんたの娘にうまいこと嵌められたぜ!などと言える訳がない。

 

「自分の方から、その…告白を」

 

「比企谷くんはめぐりのどこが良くて、付き合いたいと思ったんだい?」

 

去年の文化祭の話なんですが、と前置きしてから、言葉を紡ぐ。

 

「自分が少し空気を読まない行動をしてしまいまして……。

そのせいで周囲から疎まれた時に、めぐり先輩だけが色々とよくしてくれました。

それでその、心根の良い人なんだなって思って、えっと…」

 

照れくささのあまりしどろもどろで答えると、お父さんは嬉しそうな柔和な笑みを見せる。

そしてさらに、あれこれ尋ねてくる。それに応えながら、内心ちょっと呆れてしまう。

あんたさっきと全然違うじゃねーか! 二人の時のぎこちなさはどこへいった。 

まあいるよね、話しの取っ掛りを掴むと妙に饒舌になる人って。俺もそうだ。

同じ感じで、女の子とちょっと仲良くなるとすぐに好きになる人もいるよね。俺です。

 

その後も質問は続き、なるべくそつなくそれに答えてゆく。

俺はまだされたことは無いしされる予定も無いが、警察の取り調べってこんな感じなのかと、

つい考えてしまう。とはいえ、ご両親の気持ちも理解できる。

可愛い一人娘、愛娘が連れてきた男について、少しでも知りたいと思うのは当然のこと。

あまり考えたくはないのだが、小町もいつか男の一人や二人、連れてくるやもしれない。

そしたら俺も同じように根掘り葉掘りとあれこれ質問するだろう。

まああれだね、まず最初に聞くこと、それはもう年収。最低でも一千万。

そして次に聞くのは、俺「も」養えるかどうか。この二つは絶対条件といっていい。

小町には是非、石油王とかネオニートとかその手の資産家を捕まえて来て欲しいところ。

頼むぞ、小町!と他力本願すぎる絵を念入りに描いていると、リビングの扉が開き、

めぐり先輩が戻ってきた。

帰ってきためぐりん。俺は嬉しさの余り目に涙すら浮かべていたやも知れない。

 

めぐり先輩は扉を閉めると、とととっと小鳥のように、こちらに駆け寄ってきた。

そしてその手に持った桐の箱を、はいっと手渡してくる。

なんだろうと思いつつ、先輩の顔と手に持った箱を交互に見ていると、

 

「誕生日プレゼント!」

 

めぐり先輩はハニカミながら言う。

恐縮しつつ受け取り、お礼を伝えていると、お母さんが驚いたような声を出す。

 

「比企谷くん、今日、お誕生日なの?」

 

「えっと、はい、そうです。十八になりました」

 

「母さん、ならお寿司でも」

 

これはお父さんの声。

驚いて、両手を振って遠慮する。

 

「いえいえそんな、申し訳ないです」

 

いやほんと、今何を食べても味がしないと思うし。

そうじゃなくても出会ったばかりの人に、祝ってもらうというのも気が引ける。

とはいえこうも人としてまっとうに扱われることに、嬉しさを感じずにはいられない。

深々と頭を下げ、ありがとうございますと、お気持ちだけでお腹一杯になりましたと伝える。

自分の好きな人のその両親が、こんなにも優しい人というのは、殊のほか俺を嬉しくさせた。

 

 




作中の村上春樹さんの文章は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の
一節になります。



私はつねづねソファー選びにはその人間の品位がにじみ出るものだと–
またこれはたぶん偏見だと思うが – 確信している。
ソファーというものは犯すことのできない確固としたひとつの世界なのだ。
しかしこれは良いソファーに座って育った人間にしかわからない。
良い本を読んで育ったり、良い音楽を聴いて育ったりするのと同じだ。
ひとつの良いソファーはもうひとつの良いソファを生み、悪いソファーは
もうひとつの悪いソファーを生む。そういうものなのだ。
私は高級車を乗りまわしながら家には二級か三級のソファーしか置いていない人間を
何人か知っている。こういう人間を私はあまり信用しない。
高い車にはたしかにそれだけの価値はあるのだろうが、それはただ単に高い車と
いうだけのことである。金さえ払えば誰にだって買える。
しかし良いソファーを買うにはそれなりの見識と経験と哲学が必要なのだ。
金はかかるが、金を出せばいいというものではない。
ソファーとは何かという確固としたイメージなしには優れたソファーを手に入れることは
不可能なのだ。

かなり好きな文章だったので、一部だけいれさせていただきました。

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