扉がノックもなく開かれたので平塚先生と思いきや、入って来たのは雪ノ下の姉の陽乃さん。
「ひゃっはろ〜」と軽い感じで俺たちに挨拶をすると、いつものように雪ノ下に絡み出す。
ある意味様式美のそれを見やりながら来訪の理由を問うてみる。
するとどうやら、俺の誕生日と知って祝いに来てくれたらしい。
「比企谷くんも冷たいよね、私も呼んでくれれば良いのに」
陽乃さんはブーたれて言うと、雪ノ下の椅子に無理くり一緒に座ろうとする。
「ちょ、姉さんやめて。今椅子を出すから、無理に座ろうとしないで」
迷惑顔で睨む雪ノ下。に反して陽乃さんは楽しそうな笑顔を見せる。
睨まれて喜ぶとか、陽乃さんって変態さんですね…。
「いいじゃん、別に~。仲良し姉妹なんだし! ねっ?比企谷くん」
「いや、俺に聞かれても」
苦笑混じりに答えながら、椅子を用意する。
「どうぞ」
雪ノ下の隣に椅子を置いて言うと、陽乃さんはニコっと笑う。
「比企谷くん、ありがと。そういえば誕生日プレゼント買う暇なくってさ~、手ぶらでゴメンネ」
「やっ、いいですよ、別に。お気遣いなく」
ホント、全然。この人に借りなんか作ったら、後が怖いし。
「そうだ!じゃあこれをプレゼント替わりに受け取って」
陽乃さんは言うと、俺の前に手のひらを差し出す。
なんだろうと視線が誘われ下を向くと、下がった頭を抱えるよう陽乃さんが俺に抱きついてきた。
英語でいうところのハグ。おいおい、あんたアメリカ人かよ。
て、ちょと待て、これは堪らん。柔らかいし良い匂いするし、こうなに?クラクラしちゃう。
つーか陽乃さんわがままボディすぎて、健康診断で説教くらいそうな体型してんな。
理性を吹き飛ばす、そんな彼女はダイナマイト!などと文字通り悩殺されていると、
そこへ驚いたような声が飛んできた。
「ちょっと、はるさん!」
抱きつかれたまま声がした扉の方へ視線を向けると、えらく綺麗な浴衣姿の女性が
所在無げに佇んでいるのが見えた。て、今の声……。
「あっ、めぐり~、あんたも早く入りなよ~」
めぐりってあの人やっぱり、めぐり先輩なの? えっ、マジで!?
「早くこないと比企谷くんに、もっとスゴイことしちゃうぞ~」
陽乃さんはころころと笑いながら言うと、俺にさらに身体を押し付けてくる。
スゴイこと?それってなんですか?詳しく!!と、思春期男子らしく煩悩の狭間で漂う俺を見て
めぐり先輩は怒ったように頬をぷくっと膨らませる。
そして、火の玉ストレートの如くこちらに突進してきた。
「はるさん、八幡くんにくっついちゃダメです!」
めぐり先輩は叫ぶと俺の腕をぐいっと引き陽乃さんから引き離すが、陽乃さんは止めるどころか
楽しそうにニヤニヤしながら、また俺に抱きつこうとしてくる。
それでめぐり先輩は俺たちの間に強引に割って入ると、俺をガードするよう身体を寄せてくるので、その華奢な肢体の柔らかさを胸元に感じどうにもこうにも堪らない気持ちになってしまう。
助けてくれる上にご褒美もくれる、聖人かな?と、間近にあるその顔に目を落とす。
普段化粧っけのないめぐり先輩には珍しく、今日はバッチシと化粧を決めている。
といっても化粧がきつい訳では決してなく、良いところがさらに良くなっている感じ。
おでこはいつもよりつるりと輝き、普段は眠たげな目元も今日は涼やかさが増している。
な、なんだこの、今にも物語が始まりそうな美少女具合は。
これが噂に聞く女子力開放ってやつか……。
そんなBLEACHで云うところの卍解をしためぐり先輩の姿に、俺はぼーっと見蕩れてしまう。
とそんな俺を、めぐり先輩がむっとした顔で睨んできた。
「八幡くん、君今、はるさんに抱きつかれて、デレデレしてたでしょ?」
「えっ、やっ、そんなことは…」
あります。とは言えず言葉を濁す俺を、めぐり先輩は顔を顰めうーっと唸りながら威嚇してくる。
綺麗なお姉さんに睨まれるというシチュエーションに、俺の背中には歓びの電流が迸る。
やべえ、すげーゾクゾクする。おいこれ半分サービスだろ。
「まーまー、めぐり。比企谷くんもお年頃なんだし許してあげなって」
笑いながら陽乃さんが言うと、めぐり先輩は不承不承といった感じで頷く。
なんか諭すような事を陽乃さんは言ってるが、そもそもの原因はあなたでしょうに…。
ほんと、陽乃さんって力の入れ所がおかしい点に於いて終始全くぶれないよな。
悪い意味で想定を超えてくるから困る。
疲れた吐息を吐きうんざりしていると、いつもの笑顔に戻っためぐり先輩が俺の袖を引いてきた。
「八幡くん。用意もあるからそろそろウチいける?」
「あっ、はい。もうお開きにしようって言ってたんで」
返事を返しつつ雪ノ下らに目をやると、雪ノ下も由比ヶ浜も目を丸くしてこちらを見ていた。
まあ、驚いて当然だろう。ひと月前の俺が今の状況みたら、俺も驚くし。
今この場であれこれ説明するのは得策でないと感じ、口早に誕生会を開いてくれた事に感謝を告げ
後片付けを頼むと、俺はめぐり先輩に手を引かれ部室を出た。
× × ×
辛そうな悲しそうな一色さんの顔を見て、私は、私が、喜んでいた。
これだけ見せつければ諦めてくれるかな? なんて考えていた。
私はきっと最初から一色さんに譲る気なんて無くて、只々八幡くんを私だけのものにしたかった。
だから八幡くんと接する一色さんの表情を見た時、私は一色さんが本気なんだと知って焦った。
一色さんは私が欲しいものを私より先に手に入れる子だったから、一色さんより先に八幡くんに
気持ちを伝えなければ絶対に取られてしまうと思い、彼を御宮に呼び出した。
そうやって八幡くんを彼女から奪ったのだから、ホントなら「ごめんね」と思うべきとこを、
今私「勝った」って思ってる。
八幡くんには絶対に見せられない見せたくない身勝手な自分の心の内を、
綺麗に整えてもらった外側の奥に押しやる。
見えない心にほっとしながら、嘘ついた声と取り繕った笑顔を八幡くんに向け、
その手を取って部室を出た。
× × ×
二人が出て行った後、何とも言えない気まずい空気が部室を満たす。
そんな重苦しい空気の中、はるさん先輩の歌うような声が静かに響く。
「他人とぶつかることを恐れ、自分たちの世界にひきこもる」
「そんなぬるま湯の中ですら衝突を厭い、適当に甘やかしあいながら好みの理想を垂れ流す。
理想を押し付け、理解してと囀り、理解されないと嘆く。まるで餌を求めて喚く、雛鳥のように。
そして自分からは、一歩たりとも踏みだそうとしなかった」
「その結果が、今だよね」
はるさん先輩は雪ノ下先輩の肩に手を置いて言うと、雪ノ下先輩は悔しげに唇を噛む。
「そ、そんなことないです。ゆきのんは、わたしは、わたしたちは……」
それを見た結衣先輩がたどたどしく反論すると、はるさん先輩はじっと結衣先輩を見つめ
「わたしたちは、なに?」と尋ねる。
「わたしたちはちゃんと、その……」
「ちゃんとって、告白でもしたのかな?」
はるさん先輩の言葉に、結衣先輩ははっとした表情を浮かべる。えっ、マジでしたの?告白。
「え、えっと、わたしはその、告白というか、みんながこの先も一緒でいられるように……」
皆に視線を向けられ、結衣先輩は途切れ途切れな言葉を口にする。
首を傾げながらそれを聞いていたはるさん先輩は、ふいに乾いた笑い声をあげた。
「ガ浜ちゃん、あなたまさか、雪乃ちゃんに譲ろうとしたの?」
驚いたように目を丸くする結衣先輩。
それを見て、はるさん先輩は酷く冷え切った目で結衣先輩を睨めつけた。
「気になって近づく癖に、傷つくのも傷つけるのも怖いから安全な場所に逃げ込む。
そんなガ浜ちゃんがちゃんとなんていうんだ?」
「………」
黙ってしまった結衣先輩をはるさん先輩は小馬鹿にするよう鼻で笑うと、
「じゃあ帰るね」と言って、部室から出て行った。
沈黙が落ちる。誰も何も言わぬ中、時計だけがその針を進めた。