やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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教育の敗北を感じる

暗がりの中、薄明かりに照らされた男の子の顔は、どうしてこうも魅力的にみえるんだろう?

映画の上映中、スクリーンと先輩の横顔を交互に見ながら、私はそんな事を考えていた。

自分もそういう風にみえるといいなーと思い、こっちを見ないかなーと先輩を窺ってみる。

でも先輩は真剣な表情でスクリーンを見つめるばかり。

それを少し残念に思いながらもこうやって二人並んで映画を観れる事を、私は嬉しく思う。

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

が、映画も終わり喉も渇いたからと近くのカフェに向かう途中で、そんな気持ちも冷めてしまう。

なぜなら先輩が映画館を出てからこっち、ずっとヒロインの三葉ちゃんを褒めまくるからだ。

やれ、あの可愛さは国宝級だとか、お前も少しは三葉を見習えだのと言ってくる。

うんざりしつつ「はあ」とか「まあ」とか適当に返事を返していると、カフェに到着。

注文を済ませ席に着くが、先輩はここでもまた三葉ちゃんを褒めまくる。

 

「いやー、でもほんと可愛かったなあ……。絵に描いたような美少女っていうのか、あーいうの」

 

「絵ですよ」

 

私が言うと、先輩は嫌な顔をした。

 

「いやまあ、絵だけどさあ……。お前そんな、悲しいこと言うなよ……」

 

悲しいのはこっちですよ。私のトキメキ、返して欲しい。

 

むっとした顔の私を見て、先輩はさらにあれこれ言ってくる。

 

「おお、怖い。なんだよ、怖い顔して……。なんか怒ってんのか?」

 

「別に怒ってませんよ」

 

「ええ、その顔で? 嘘だろ……。そんな怒った猫みたいな顔してるのに?」

 

そうさせてるのはあなたでしょうに。なんだろう。すごーく、憎たらしい~

 

「してませんよ、そんな顔!」

 

「そうかなあ? してると思うけど……。

あっ、もしかしてあれか? 俺が三葉ばっか褒めてるからか?

でもな、一色。お前にもいいとこはあるぞ? どこ?って聞かれると困るが、一応ある」

 

こ、この人は……。アンタに怒ってんのよ!! と、がるるっと唸って威嚇していると、

私たちのやり取りを微笑んで眺めていた葉山先輩が興味深げに尋ねてきた。

 

「そういや比企谷といろはって勉強会やってるよな? どんな感じなんだ」

 

葉山先輩の問いに、私より先に先輩が応える。

 

「一色は教えるのが上手いぞ。すごくわかり易くて助かってる」

 

あら、割と高評価? と思ったら、余計な一言を足してくる。

 

「まあかなり意地の悪い問題とか、出してくるけどな。困ったもんだ」

 

先輩は言うとやれやれとばかりに、これみよがしなため息をつく。

ほほーん。言ってくれますね、この人。

些かカチンときた私はお返しとばかりに、先輩と似たような事を口にする。

 

「先輩すごーく丁寧に教えてくれてますよ~。でもですね、これって受験の役に立つのかなーって

思ったりもします」

 

言って、ちろっと先輩を見る。先輩は軽い調子で返してきた。

 

「まあ俺が教えてるのは、受験とあんま関係ねーしな」

 

へ? そうなの? じゃ、じゃあ、今までやってたのって一体……。

 

驚いた顔の私を見て、先輩は話を続ける。

 

「あのなあ、一色。そもそも一ヶ月そこいらで、学力なんて上がらねーんだよ。

それに受験で使えるテクニックなんて、大してないんだよな」

 

「基礎の文法覚えたら後はひたすら読む。わからない単語があったら調べる。

洋画を字幕で見まくって発音に慣れる。それをえんえん繰り返す。

これはまあ英語だが、国語も似たようなもんだしな」

 

「じゃあ八幡は、一色さんにどんな事を教えているの?」

 

それまで黙って聞いていた戸塚先輩が、不思議そうに尋ねる。

 

「俺が一色に教えてるのは、読み書き算盤だな。まあ正確には、読みと書きだけだが」

 

「読み書き算盤……」

 

呟いた戸塚先輩に頷きを返し、先輩はさらに話を続ける。

 

「実際、読み書きそろばんとは良く言ったもんだと思う。

漢字をきちんと読める。字が綺麗に書ける。ある程度の四則計算がスラスラ解ける。

この3つがクリア出来ていれば何やってもそれなりの所まではいける。

逆にこれが出来なければ、何も出来ないし何処へもいけないという事になる」

 

「んで一色の場合、字は綺麗だし計算なんかは俺よりもずっと得意な訳だ。

ただ本を読まないのもあって、言葉を知らなかったり誤用が多いように思う。

でなって、そういや一色。お前俺が教えたこと、全部書いてたよな?」

 

「えっと、はい。ちょっと待ってくださいね。全部ノートにとってあります」

 

答えつつ、鞄からノートを取り出す。先輩から教わった事は全部、ノートに書き込んでいるのだ。

えーっと、と言いながらページをめくる。目当てのものを見つけると、それを読み上げる。

 

「小学生向けでも中学生向けでもいいから、辞書を買ってきて読めばいい。

覚えるんじゃないぞ。読むの。

世の中にはどういう言葉があって、どういう意味でっていうのを、読むだけでいい。

覚えるのはそのうち必要になったら覚えるからあんまり意識しなくていい。

一度でも頭の中に言葉が入ったかどうかがたぶん重要で、必要になったら

割と出てくるから、心配しなくていい」

 

読み終えると先輩を見る。先輩はうむっと頷く。

こうやってメモを取ることは、私が先輩に褒められた数少ないことのひとつ。

先輩がお父さんから聞いた話では、最近の新入社員はメモをスマホで書いたり

写メで済ますらしい。

手軽でいいですよね?と私が言うと、手軽だから気軽に忘れる、とのこと。

 

「人間の脳はそれほど優秀じゃないからな。俺もパソコン使って書いてばかりいるからか、

漢字書けなくなってきてるし。だからまあ手書きが一番かもしれん」

 

とも言っていた。

 

「なるほど」

 

葉山先輩は呟くと、他にはどんな事を教えてるんだ?と尋ねる。

それに応えて先輩は、さらに話を続ける。

 

「一色は字は綺麗なんだがそれを使って文章を作るのが苦手っぽい。なんで、それをだな」

 

「つっても、何を書いていいかわからねーだろ?

だからとにかく日々考えてること感じてることを文字に起こしてみろって言ってる」

 

「そうやって書く事に慣れてきたら、今度は綺麗な文章を書けるようにする」

 

「具体的に言うと、誰にも見せないけど誰かに伝える事を想定して慎重に言葉を選んで

文を完成させるようにすること。そうすると咄嗟の時にそれが出てくるようになるしな」

 

「それってなんか意味あるん?」

 

これは戸部先輩の言葉。

 

「そりゃ社会に出れば今みたいに、同じ年、似たような感性の人間とばかり

付き合うことができなくなるからだろ? 言葉づかいはすごく重要になる。

会社に入れば目上の人間と書面でやり取りすることもあるし。

そういう中でやっていくのに必要な事を、比企谷はいろはに教えてるんだと思う」

 

「まあそんなとこだ」

 

フォローに入る葉山先輩。先輩も苦笑しながらそれに応える。

 

「実際ものを知らない奴は知ってる人間から、侮られるし、馬鹿にもされる。

軽く見られ、上手く使われ、どうでもいい扱いを受けると思う」

 

「マジかー!」

 

先輩の言葉に、戸部先輩はわかってるんだかわかってないんだか

よくわからないことを口にする。

この人を見ていると、教育の敗北を感じる。

 

「なんていうか、ちゃんと教えてるんだな」

 

感心したように葉山先輩が言うと、先輩は照れくさそうに頭をガシガシする。

 

「一色はきちんと真面目に俺の話を聞いてくれるしな。頑張ってるし努力もしてる。

なら俺もそうしてやるのが、筋ってもんだろ」

 

そんな風に言われると困ってしまう。恥ずかしくて顔も見れなくなってしまう。

どこを見ればいいのか迷い窓の外に目をやれば、外はもう大分、暗くなってきていた。

 

 


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