やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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冬の日に

「ヒッキーってさ。ゆきのんのこと、好きだよね」

 

水族館からの帰り道。俺の少し後ろを歩く由比ヶ浜が唐突に口にした。

場所は夏に二人で花火を見に行った帰り、由比ヶ浜が何かを言いかけたあの場所。

雪ノ下と駅で別れた後、俺は由比ヶ浜に請われて彼女をここまで送ったのだ。

 

「は?」

 

いきなりなにをいうのかと、振り向いて聞き返す。

振り向いた先にある由比ヶ浜の顔はあの日と同じように、街灯の明かりによって

薄く照らしだされていた。

その表情も声も普段の彼女のとは違い真摯な重みがあり、それで俺は言葉が詰まる。

そんな俺を見て由比ヶ浜は困ったように微笑むと、まっすぐに俺を見据えた。

 

「なんかね、わかちゃうんだ。好きな人の好きな人って」

 

投げられた言葉の意味を咀嚼し理解すると、驚いた俺は由比ヶ浜の顔をまじまじと見てしまう。

けれど見た瞬間後悔する。由比ヶ浜の泣き出しそうな顔を目にしてしまったから。

痛ましさから見ていられなくなり、それで俺は彼女から顔を背けてしまう。

 

「ヒッキーはさ、気付いてた? 私の気持ち」

 

逸らした俺の横顔に由比ヶ浜が問いかける。

うっすらとぼんやりと、そうかもしれないそうだったらいいなと思っていた事を

当人から告げられているというのに、俺の顔は強張ったままだった。

 

「……ああ」

 

曖昧に答えるべきではないと感じ、ほとんど声にならない声で返事をした。

そして、こんな形で想いを告げる由比ヶ浜の心境をおもうと胸が苦しくなる。

だから俺は俺が大切に思う彼女の為に、俺の嫌いな欺瞞を口にする。

 

「あのなあ、由比ヶ浜。お前また勘違いしてるぞ。俺は雪ノ下に、そういう気持ちねーから。

普段の俺たち見てたらありえないだろ」

 

俺が出来るだけ軽く答えると、由比ヶ浜は静かに首を振った。

 

「ヒッキー。普段の二人を見てるから、わかるんだよ。

それでね。ゆきのんも多分、ヒッキーの事を好きだと思う。

だから私は、私の大好きな二人が二人とも幸せになってくれるなら、その、いいかなって……」

 

それの一体何がいいんだと問い返そうとする俺を止めるように、由比ヶ浜は更に言葉を紡ぐ。

 

「ほら、私の名前って結衣でしょ? 昔ね、お母さんに聞いたんだ。どういう意味なのって。

そしたらね。人と人が手と手を取り合うその仲立ちが出来る子でありますようにって、

そういう意味だよって教えてくれたの」

 

ああ、確かに由比ヶ浜にぴったりだ。

人と人を繋いで結ぶ。そんな素敵な事を出来る人は、世の中、そう多くない。

そして彼女がいたからこそ、奉仕部は奉仕部足りえたのだと思う。

 

「だからね。私はいいの……」

 

由比ヶ浜が言い終えるとその口元からはぁっと白い息が立ち上がり、闇に溶けていく。

それを目で追いながら口を開く。

 

「そういう自己犠牲みたいなのは、感心しねーな」

 

「ヒッキーがそれを言うの?」

 

咎めるような由比ヶ浜の声。それに合わせて俺の声も刺々しいものへと変わる。

 

「俺のは自己犠牲とか、そんな綺麗なもんじゃない」

 

吐き捨てるようにいうと、熱い吐息が漏れる。

自分は誰にも理解されることはないとその事は充分に分かっていたのに、

それでも心のどこかで由比ヶ浜ならと期待していた。

身勝手すぎる苛立ちと怒り、そしてほんのわずかな悲哀が混じった綯い交ぜな気持ちでいると

由比ヶ浜はひどく悲しそうな目で俺を見た。

 

「知ってるよ。ヒッキーのそれは、自分の為だよね」

 

核心を突かれて思わず息を呑む。

俺が返す言葉を言いあぐねていると、由比ヶ浜が訥々と言葉を続けた。

 

「ずっとね、不思議だったんだ。なんであそこまで出来るのかって。

それでね。今までのことを思い出してみて、気付いたの。

ヒッキーは人を信じられなくて、人になにかを任せられない。

だから何もかも自分でしようとしちゃう。それでヒッキー自身が傷つくことになっても」

 

歯噛みしたまま答えられずにいる俺を由比ヶ浜は優しく見る。

そしてそっと、俺の手を取った。

 

「ヒッキーは、()()()()()()が怖いんでしょ?」

 

ああ、そうだ。その通りだ。俺は今まで後悔ばかりしてきた。

やってしまった事、やらなかった事。どっちを選んだとしても結局は、何かしら後悔してしまう。

年相応のモノしかもたない俺には、なにが出来る訳でもないというのに。

だからといって、誰かに頼ることは出来ない。

そうし合える人間関係を俺は築く事が出来なかったから。

もしかしたら渋々ながらも引き受けてくれる人がいるかも知れない。

それで上手くいけばいい。問題はいかなかった時だ。

俺の頼みを聞いてくれるそんな優しい人を、お前のせいだと恨むのはあまりに辛くてやるせない。

だから俺は俺一人でも、できるようになりたかった。

その為に、数少ない手札を切り効率化を極め最善を尽くしてきた。

例えそれが、最良ではなかったとしても。

 

自らの思いに耽り黙ってしまった俺を気遣うように、由比ヶ浜の手が優しく俺の手を包む。

その温もりは冷えた指先にひどく暖かく感じられた。

由比ヶ浜は小さな吐息を漏らしてから、またゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「私にはね、できることもやれることも、何もないの」

 

それは違う。と言いかけて、言葉を止める。だけど、と由比ヶ浜が続けたから。

 

「できる人だって、本当にこれでいいのかなって迷うことはあるでしょ?

他にも、なにができるかわからないまま立ち止まってる人もいると思うの。

そういう人に私は、大丈夫だよって言ってあげられる、そんな人になりたいなって」

 

もうなってると思うけどな。そう思いながら、軽く冗談混じりで尋ねてみる。

 

「もしダメだったら、どーすんだ?」

 

「そしたら大丈夫になるまで言い続ける」

 

「それでもダメだったら?」

 

「それでもダメだったら……。う、うーん。今回ダメでも、次は大丈夫っていう」

 

間違ってもやり直せる。それはきっと、素晴らしいことだと思う。

 

「そうか」

 

「うん、そうだ」

 

俺のなんの意味もない相槌に、由比ヶ浜は明るく笑って返す。

そして呆れたような表情で、じっと俺を見た。

 

「ヒッキーはそう言うと思ってたけどさ。まさか本当に言うなんて」

 

こいつホント賢いな。その賢さを他人のために使ってあげるというのが優しい。

俺がそう言うのをわかっていて、それでも前に進むためには必要な問いかけだったのだろう。

 

「俺らしいだろ?」

 

「まったく」

 

由比ヶ浜はいうと、くすくす笑う。

俺はそれを見ながら由比ヶ浜がそうしたように、自分の気持ちを胸の奥にしまい込む。

そして、明日雪ノ下に会ったら伝えようと思う言葉を、先に彼女に口にする。

 

「なあ、由比ヶ浜」

 

「なに?」

 

「俺と、友達になってくれ」

 

彼女の気持ちを知ってなおこんな事をいう俺は、随分と酷い奴だろう。

ただ、互いに損ないながらも共に歩んでいければと、そう思えたから。

長い沈黙が続いた。由比ヶ浜は俯いたまま動かないでいる。

やはり無理かと諦め始めた頃、由比ヶ浜は小さく頭を振り顔を上げた。

そして俺をまっすぐに見つめると、

 

「もう、そうでしょ?」

 

といって、柔らかく微笑んでくれた。

 

そうして俺はこの日、由比ヶ浜と。そして翌日、雪ノ下と。友達になれた。

 

 

 

 


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