やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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涕落抄(ていらくしょう)と読みます。涕は涙を表します。
後書きに詳細書いてあるので、良かったら読んでみてください。


涕落抄

石段をてってこ登っていると唐突に思い出した事があったので、

二段前を歩くめぐり先輩の背中に声をかける。

 

「めぐりさん。ちょっと聞いてもいいですか?」

 

「なーに?」

 

めぐり先輩は歩調を緩め隣に並んできたので、先輩が歩きやすいよう横にずれながら口を開く。

 

「この前ここで、二人でお月見したじゃないですか」

 

いうと、先輩は嬉しそうな笑顔で「うんうん」といって頷いてくれる。

嬉しそうにしてもらえて俺も嬉しいのだが、これからいう事を口にしずらくなってしまう。

でも大事な事なので無理して声を出す。

 

「その後ここに、夜中に来たりしましたか?」

 

尋ねると、先輩は記憶を探るよう頬に手を添える。

 

「んとね、来てないよ。朝とか夕方に社のお掃除に来てるけど。でも、どうして?」

 

その答えにほっとしつつ、先輩の問いに応える。

 

「その……。夜はもう、来ちゃダメですよ」

 

いうと、めぐり先輩は人差し指を顎に当てながら「なんで?」といった感じで首を傾げた。

うーん動作がいちいち可愛らしい。

 

「昼間はともかく夜だと、女の子なんだし危ないじゃないですか?」

 

気持ちを込めていったのだが、それを聞いためぐり先輩はぷくっと頬を膨らませる。

そして口をすぼめると、拗ねたような声を出す。

 

「平気だもん」

 

先輩はいうと、ぷいっとそっぽを向いてしまう。

そんな仕草も可愛いいので困ってしまうが、こればかりはさすがに見過ごせない。

なので心苦しいが、敢えて厳しいことを口にする。

 

「今までは平気だったかもですけど、これから先はわからないじゃないですか?

世の中には頭が変な人もいますし、ほんと危ないですよ?」

 

いうと、めぐり先輩は足をぴたっと止め俺を見る。俺も先輩に合わせて足を止める。

頭変なのはお前だし危ないのもお前だろ? って言われたらどうしようとドキドキしていると、

先輩が俺の目をじっと見つめてくる。なんとなく気圧され、俺はたじっと一歩引いた。

 

「心配?」

 

「当たり前じゃないですか。その、すごく心配です」

 

答えると、めぐり先輩はあはっと笑う。

なぜ笑う……と俺は軽く抗議を込めて、先輩をちろっと見る。

すると、先輩は微笑みで返してきた。

 

「八幡くん。心配してくれて、ありがとね」

 

「いえ、そんな」

 

「それでその……。夜は来ないようにするね。心配かけて、ごめんなさい」

 

めぐり先輩はいうと、ぺこっと頭を下げる。

う、うーん。こうも素直に謝られると、これはこれで困るなあ……。

お月見するの楽しんでたみたいだし、それを奪ってしまうみたいで悪い気がしてくる。

そこで、この話になったとき言ってみようと考えていた事を口にしてみることにした。

 

「めぐりさん。その、良かったらなんですけど、お月見したい時には連絡くれませんか?

こうガードマンというか、危なくないよう付き添いますんで」

 

「いいの?」

 

「はい。それなら安心ですし、そうして欲しいです」

 

「でも、八幡くん受験生でしょ? 勉強とか……」

 

ああ、心配してくれてるんだ。そう思うと嬉しくなる。それで声が弾んでしまう。

 

「大丈夫ですよ、ちゃんと勉強してますし。だからいつでも気兼ねなく、呼んでください」

 

答えると、めぐり先輩は俺に向かって一歩踏み出し、距離を詰める。

 

「八幡くん」

 

近い距離で名前を呼ばれ、思わず俺の足が一歩引く。

それを追いかけるようさらに一歩踏み出した先輩が、俺の顔を見上げるよう覗き込む。

 

「そんな事言われたら、毎晩呼んじゃうかもよ?」

 

めぐり先輩は悪戯っぽくいうと、ほわっとした笑顔を浮かべる。

今更だが、先輩の可愛さがヤバい。何かに目覚めそう。

いや待てよ。これは今ここで目覚めよ、という天の声なのかも知れん。神社だけに。

抗ってはいけない。逆らってもいけない。なので素直に自分の気持ちを声にする。

 

「好きなだけ呼んでください。俺は毎日会いたいです」

 

俺の言葉に、めぐり先輩は嬉しそうに目を細め「ありがとう」と言ってくれた。

そうして、楽しげな鼻歌混じりの先輩とまたとことこと石段を登っていると

額から頬へと汗が流れたのでそれを手で拭う。

雨の後風がないと、なんだかサウナのように蒸し暑くなる。

めぐり先輩、暑くないのかなあと目を向けると、その顔は少し赤い。

そりゃこの暑さだしなと思いながら、その姿をしげしげと見つめる。

先輩、肩細いなあ……。白い首に汗が伝って……。あ――――、触りてえ………

うん、やっぱり、俺が一番危ないかもしれねえな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

露出が少ないのにえろく見えるって、夏ってほんとありがたい。

汗だくってそれだけでなんかこう……。これに日焼けが重なるんだろう? まいったな、夏。

などと夏に感謝しながら到着した御宮は石段を登ってきたせいもあり

ぬるま湯に浸かったようなそんな蒸し暑さに包まれていた。

涼みに来たのにごらんの有様だよ! と俺が心中嘆いていると、

めぐり先輩はこんな状況でも元気な声を出す。

 

「八幡くん、これはアレだね。アレしかないよ。そう思わない?」

 

「へっ? えーと……」

 

よくわからんアレを勧められ戸惑っていると、先輩は俺の袖を掴みずんどこと歩き出す。

なにがなんだかわからんまま連れて行かれたのは、本堂の左側にある蔵のような建物。

その扉の前で先輩は白衣の袖に手を入れると、ごそごそし一本の鍵を取り出す。

そして古い真鍮製のそれを扉の鍵穴に差し込むと、くるっと捻り鍵を外した。

 

「八幡くん。ここで待っててね!」

 

先輩はいうと薄暗い室内に足を踏み入れ、奥の方へ行ってしまう。

手持ち無沙汰を感じ中を窺うと、どうやらここは細々としたものをしまっておく倉庫のようだ。

天井もかなり高いようで採光用の窓から入る陽の光も、室内を照らすには心許無い。

そんな暗い中、奥の方からゴロゴロとなにかが転がる音がしてくる。

目を凝らすと、先輩がなにやら運んでくるのが薄がりのなか見えた。

 

「おまたせー」

 

扉の前まで戻ってきためぐり先輩はいうと、ひと仕事終えた感じで額の汗を拭う。

先輩が転がしてきたそれは、かなり大きな木製のタライだった。

アレってもしや、これを一色の頭に落とすとか? と考えていると

先輩が景気よくタライをぱんっと叩く。

 

「八幡くん。これにお水張って、ちゃぷちゃぷしよう!」

 

あー、なるほど。即席プールか。

そーかそーか納得っと先輩を見やると、先輩はタライを強く叩きすぎたのか

涙目で自分の手をさすっていた。アホだこの人。

苦笑を抑えながら周囲をぐるっと見回す。

すると水場が見えたので、それに目をやったまま口を開く。

 

「めぐりさん。俺が水を汲んで運びますから、めぐりさんはおやつの用意をお願いします」

 

いって、西瓜と水筒が入った手提げ袋をめぐり先輩に手渡す。

名誉の負傷(笑)をした先輩に重いものは持たせられない。

袋を受け取った先輩は気合を入れてぐっと拳を握ると「任せて!」の声を残し

とてててっと縁側へ走っていく。

おやつを食うのにあんな一生懸命な人、初めて見た。

そんな感想を抱きつつ、その背中に声をかける。

 

「めぐりさーん。あんま走ると、転びますよー」

 

「大丈夫ー!」

 

こちらに振り返り、ぶんぶんと手を振るめぐり先輩。

それに手を振り返しこぼれでた笑みを抑え、俺は水場へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

水場でぱしゃっと顔を洗う。うひょー、冷たくって気持ちいいな! 

っと、いかんいかん。めぐり先輩も暑いだろうし、早く水を運ばねば。

濡れた顔を手で拭うと、蛇口をひねりタライに水を注ぐ。

半分ほど水がたまったので蛇口を閉めタライを掴んで持ち上げると

えっちらおっちらいいながら先輩の待つ縁側へと向かう。

向かった先の縁側では腰を下ろした先輩が足をプラプラさせており、

俺に気づくと「八幡くん早くー!」と急かしてくる。

いや、めぐりん。あなたそういうけどね? これ、すげぇ重いんだよ?

心中ぶつくさいいながら先輩の前に着くと、タライをよっと下ろし一息つく。

 

「八幡くん。お疲れ様」

 

にっこり笑顔で先輩はいうと、紙コップに入れた麦茶を差し出してくれる。

ああ、癒されるなぁ……。この笑顔、そして優しい言葉。

なるほどなあ。前生徒会の連中があんなに頑張っていた気持ち、今ならわかる気がする。

もうね、ほんとあれだよね。

この人といると銀の匙を読んだ後のように、なんか頑張らなきゃって気になるもの。

まあ読んで一時間くらいすると、そんな気持ちも失せちゃうんだけど。

揺るぎない自分の信念に乾杯! などとアホな事をぼんやり考えていると

先輩は草履を脱ぎ緋袴の裾をめくりあげ、ちゃぽんとタライに足を浸す。

 

「ひゃー、冷た~い!」

 

先輩はいうと、あははと笑う。

ああ……、めぐり先輩がちゃぷちゃぷしておられる。

かわいい……かわいい……おっぱい……違った。あのタライの水を飲み干したい……

いや違う。俺は変態じゃない。それはきっと医学的根拠に基づいて行う行為なんだ。

あの水には凄い栄養があるんだ。俺にはわかる。

それにしても、お姉さん属性のめぐりんはモモチラがよく似合う。

考えてみれば手で裾を持ち上げているから何かエロイのかもしれない。

ちょこんとした爪先からくるぶし、形のいいふくらはぎから続く柔らかそうな太もも。

きめ細かな肌は透き通るほど白く、まるで上質な絹織物のように見える。

 

「八幡くん。どうしたの?」

 

じろじろと見つめる無遠慮な俺の視線に気づいた先輩が、きょとんと首を傾げながらこちらを見ていた。

 

「あっ、えっと……。そろそろ西瓜、食べませんか?」

 

煩悩に満ち溢れた邪な内心を、一年近く葉山を見ていて身につけたうさんくさ笑顔で誤魔化すと

それに応えて先輩は足の水気を払ってから縁側へと上がってくる。

そして二人並んで縁側に腰をおろし西瓜をしゃくしゃく頬張っていると

最近の奉仕部の様子を聞かれたので思い出しながら口にする。

 

「そかあ~、由比ヶ浜さん、勉強頑張ってるんだね! 大変だあ」

 

「まあ大変なのは、由比ヶ浜に勉強教えてる雪ノ下なような気もしますけどね」

 

「そうなの?」

 

「素直に話は聞くんですけどね。ただ物覚えがあまりよくないみたいで」

 

そう、サービスピンクは一芸に秀でているが、難しいことは苦手なのだ。

まああいつの良さはそこじゃないってだけの話。

頭が良いとか運動が出来るとかそんなものよりずっと素敵なモノを、由比ヶ浜は持っている。

だから俺は……と自らの思いに耽っていると、水の跳ねる音が耳に届く。

 

「ありゃ。お水温くなちゃったね」

 

目を向けると、めぐり先輩が足でタライの水を弾きながら残念そうな表情を見せる。

それは大変、俺がどうにかせねば!

 

「たらいの水が温くなってきたですと!? 安心してください! 俺が責任をもって替えてきますんで!」

 

急いでサンダルに足を通し立ち上がると、驚いた様子で目を丸くしている先輩に微笑んでから

タライを抱え水場へと走る。

水場に着くと周囲を見回す。そして誰も見てないことを確認すると、タライに手を入れ水を掬う。

そうして一口、口に含んでみる。な、なんだこのフルーティで弾けるような味は……!?

巷を騒がすアルカリイオン水など比べ物にならないほどの薬効が期待できそうな

そんなめぐりん水の蕩けるような味わいに俺はうっとりしてしまう。

出来れば家へ持ち帰りたいところだが容器がないため渋々ながら諦める。

そして水を入れ替えると、またえっちらおっちら言いながら縁側へと運ぶ。

運んだそれを先輩の前によっと下ろすと、先輩が「ありがとー!」といって喜んでくれた。

その朗らかな笑顔を見ていると、隙あらば「たらいの水替えてきましたー おおっと!!」とか

言いながら、先輩に水かけようと企んでいた自分が恥ずかしくなってしまう。

それを誤魔化すよう頭をがしがし掻いていると、先輩がこちらを見てはにかみ笑いを見せてくれ、

それでその右頬にえくぼがあることに気づく。

 

「めぐりさん。えくぼ、あるんですね」

 

「うん。右側だけなんだけどね」

 

先輩はいうと、なにか思い出したように「あっ」と小さく声をあげた。

 

「ねーねー、八幡くん。えくぼの言い伝えって、聞いたことある?」

 

記憶を探るが覚えがなかったので、知らないと答える。

 

「じゃあさ、良かったら聞いてもらえるかな?」

 

その言葉に頷くと、めぐり先輩はゆっくりとした口調で、えくぼにまつわる話を語りだす。

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

人は皆、死んだあと冥界の世界へ行くという。今までの自分とはここでお別れ。

もう二度と戻ることのできない場所へと向かう

吸い込まれるように道を歩いていくと門があらわれ、その門を抜けると

辺り一面彼岸花が咲き誇る黄泉路に着く。

そこを更に進むと『忘川河』という河にでるのだが、その河を渡るには

『奈河橋』という橋を渡らなければならない。

橋には番人がいて、ここを通る者にスープを差し出す。

スープは別名『忘情水』と呼ばれ、これを飲んだ者の前世と今世の全ての記憶を

消し去ってしまうという。

愛する人の声も仕草も、大切な友達も、大好きな家族も、楽しかった思い出も、忘れたくない

出来事も、今まで歩んできた人生の全てを、心から記憶からなにもかもなかった事にしてしまう。

もし、安らかに転生したいのであればこのスープを飲めば良い。

恨み、情、仇、一世の浮沈、得失も同じように消えるのだから。

だが、愛する人との思い出を忘れずまた来世で逢いたいと願う者は、そのスープを飲まない

代わりに、忘川河へ身投げしなければならない。

そして氷のように冷たい水の中で1000年もの月日を過ごす試練を課され

その試練を耐えた者だけが前世の記憶を持ったまま輪廻する事が出来る。

そうして、試練に耐えた印であるえくぼを付けて転生すると、今生にて前世の恋人を探すという。

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

めぐり先輩の声に黙って耳を澄ましていると、語り終えた先輩がふっと短く吐息をつく。

それを見て、感じたことを口にする。

 

「なんかすごく、ロマンチックな話ですね」

 

うんっと先輩は頷くと、照れくさそうに髪をいじりだす。

 

「それでね、八幡くん」

 

名前を呼ばれたので、姿勢を正して先輩をみる。

 

「私のその人が君ならいいなって……。その……、思ってるんだ」

 

先輩はいうと顔を上げる。頬を僅かに染めた、いつもの明るい笑顔。

その笑顔が段々滲みだす。それで自分が、泣いているのだと気づく。

目頭が熱く、視界は霞んでなにも見えなくなっていく。

慌てて顔を隠し涙を抑えようとするが、涙は途切れなくポタポタとこぼれ落ちていく。

本当に勘弁してほしい。この人はいつも不意打ちすぎる。

そんな……そんなふうにいわれたら、なんて返せばいいのかわからなくなる。

心の柔い部分をわしづかみされ、胸が詰まるような気持ちでいると

唇にとても柔らかな感触を感じた。

そっと瞼を開くと、すぐ傍にめぐり先輩の顔が見える。

鼓動が跳ね、それとは逆に心が落ち着く。そうしてまた瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ひとことで「なみだ」といっても、いくつかの漢字で書き分けることが出来ます。
「涙」と「泪」と「涕」の違い。どのように違うのか調べてみました。
同じ意味を表す「涙」と「泪」。
国語の授業で「漢字は、文字本来が持っている意味を組み合わせて、一つの文字となっているものが多くある」と習ったように、それぞれ組み合わせがあります。
「涙」という漢字は「さんずい」と「戻」からできています。この「戻」には「レイ」もしくは「ルイ」という発音を表す記号で、こうした成り立ちをもつ漢字を、形成文字と呼びます。
一方「泪」は「目」から流れる「水=さんずい」を意味する『会意文字』と呼ばれる漢字です。
この二つの漢字は、漢和辞典において同じ意味を違うカタチで書き表す『異体字』と分類され、意味も読み方も同じものです。
では、“テイ”と読む「涕」の意味は?
さて、同じ「なみだ」の意味を持つ「涕」という字は先のふたつと比べて異なる部分があります。
まず読みが「テイ」であること。読みも含めて現在の私たちにはあまりなじみのない漢字です。
中国の詩人・杜甫の一句には「軒に憑(よ)りて涕泗(ていし)流る」というものがあり、
句の意味は「わが身の衰えと世の中の乱れを思って涙している」というようなものなのですが、
ここで使われている「涕」は「なみだ」の中でも「目から出る涙」を表す漢字なのです。
なのでより深い感情が篭った涙といってもいいかも知れません。
ちなみに泗は「鼻から出る涙」で涕泗は鼻水を流しながら泣くという意味になります。




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