やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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夏の夜空を見上げて

夏休み二日目、木曜日の夕方。

お邪魔した先輩の家のそのキッチンで、私は小町ちゃんと二人、晩ご飯の支度をする。

勉強会の日に先輩に食べてもらっているお弁当は常温でも持ちが良いものが

どうしてもメインになってしまう。

なので今日はちらし寿司とミニ巻き寿司、そしてお吸い物を作ることにした。

料理には二人とも慣れているせいか作業はてきぱきと進み、後は巻き寿司を残すのみ。

洗い物をしてくれている小町ちゃんの隣で、私は海苔をくるくる巻いていく。

 

「いろは先輩。すごく手際が良いですね~」

 

「料理はね~、それなりに得意なんだ! でも小町ちゃんだってすごいよ。

私は気が向いたときしかやらないけど、小町ちゃんは毎日やってるんでしょ?」

 

「いえいえ~。小町は小町ができること、やっているだけですし」

 

「それで充分だよ」

 

そう答え作業を進めていると、小町ちゃんは洗った台所用品を水切りしながら

困ったような声をだす。

 

「そのう、いろは先輩」

 

「なーに? 小町ちゃん」

 

「呼んどいてあれなんですけど、顔合わせるの嫌じゃないですか? えっと、兄と」

 

ああ、まあそう思うよね。

 

「んー、別に嫌じゃないよ?」

 

「そうなんですか? だって兄は今日、その……」

 

「城廻先輩とデート中なんでしょ?」

 

「はい……」

 

申し訳なさそうに俯く小町ちゃん。

別に小町ちゃんが悪いわけでもないのにな、と思いつつ

自分の考えを口にする。

 

「お兄さんが誰を好きでも、それでわたしのお兄さんが好きって気持ちは変わらないしね。

そんなんで変わるようなら、それって好きじゃないでしょ?」

 

私の言葉に小町ちゃんは、ほーと感心したような声を出す。

 

「なんか恋愛の達人とか恋の百戦錬磨って感じがしますね!」

 

「そうかな? ふふふん」

 

得意げな笑みを返し、ふと思う。

これって遠回しに、ビッチっていわれてるのかな?

横目でちらりと小町ちゃんを窺うと、ほっとした表情を浮かべていた。

その表情にそういう意味が含まれてないとわかり、私もほっとする。

そしてまた、二人して作業へと戻る。

暫くすると小町ちゃんがぽつりと呟いた。

 

「でもその……。辛くないです?」

 

いわれて考え、思ったことを口にする。

 

「まあ両想いに越したことはないけど、そういうのって仕方ないよね」

 

そう仕方がない。

私だって今まで散々、自分に好意を寄せてくれる男の子たちを振ってきた。

いざ自分がその立場になったら、それは嫌は通らないだろう。

それに……。なんというかいまいち実感が湧かないのもある。

別に小町ちゃんの話を信じてないわけでも信じられないわけでもない。

ただなんとなく、先輩が誰かと恋人同士になるというのが上手く想像できないのだ。

 

「でもさ、小町ちゃん。

さっき話したけど、わたしこれからもお兄さんにちょっかいかけるの

別にやめなくってもいいんだよね?」

 

「それは……。はい、そうですね。そういうのを止める権利って誰にもないですし。

まあ結婚とかしてたらあれですけど」

 

「それはね」

 

「それとちょっと言い方が酷いかもですけど、それで気持ちが揺らぐようなら

その程度の仲だった、そう思いますし。あとはまあ、早いほうが偉い訳でも」

 

「あー、うん。わかる! あれだよね?

『私のほうが先に好きになったのに、あとからしゃしゃり出てこないでよ!』って

やつだよね? 小町ちゃんも言われた経験あるの?」

 

「あるんですよ~。小町は告白されて断っただけなんですけどね。

そしたらその男の子を好きだった子にいわれて……

なんでこんなこといわれなきゃならないんだろうって、怒る前に呆れました」

 

ほんとあれ、なんなんだろう。

先に好きになったから、それが一体なんなの? って思っちゃう。

 

「でもいろは先輩。兄にはなにをしてもいいですけど、城廻さんにはダメですよ?」

 

先輩にはいいんだ、と思いつつ聞いてみる。

 

「ダメっていうと、例えばなにがダメなの?」

 

「そうですね……。城廻さんの家にいたずら電話をかけたり、ピンポンダッシュしたり、

生卵を投げつけたり、怪文書ばら撒いたり、そういうのはダメです」

 

それ、ダメなんだ。

じゃあ他にはーと頭を捻っていると、小町ちゃんは短いため息をついてピッと指を立てる。

 

「なにもしちゃダメです!」

 

先輩もこんな風に小町ちゃんに叱られてるのかな? 

そう思うとなんだか少しおかしくなる。

 

「了解です! 小町先生」

 

ふざけていった後、二人でくすくす笑い合う。

そして笑いをおさめた小町ちゃんが、遠慮がちな声でいう。

 

「いろは先輩。どんな形になっても、その……、小町と友達でいてくれますか?」

 

もちろん、わたしの答えは決まってる。

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、帰ってきた先輩を巻き込んで、急遽開催された勉強会。

「今夜は徹夜で頑張ります!」といっていた小町ちゃんは早々と脱落。

もしかして気を遣ってくれたのかも知れない。

そして残された私たちはリビングで勉強を続け、時計の針が夜の二時を回る頃、

先輩がふいーっとため息をつく。

 

「一色。そろそろやめねーか?」

 

「そうですね。もういい時間ですし」

 

答えると、二人で片付けをする。

片し終えると先輩は、伸びをしながらふわっと欠伸を漏らした。

 

「んじゃ、そろそろ寝るか」

 

うーん。そういう意味でいったんじゃないのはわかるけど、なにやら照れますね。

それにわたしも眠いけど、もう少し二人の時間を楽しみたい。

なので駄々を捏ねることにした。

 

「せんぱい~。甘いものがほしいです」

 

先輩は少し面倒そうな顔をしたが、しゃーねーなーと言いつつ、キッチンへ足を運ぶ。

そして冷蔵庫をゴソゴソすると、なにかを持ってくる。

 

「ほれ。飲め」

 

うん。やっぱりこれが来たか。

黄色と黒のツートンカラーでお馴染みのマックスコーヒー。

先輩が普段、美味しそうに飲んでいるので、それを見たわたしも試しにと飲んだことがある。

初めはあまりの甘さに目を白黒させたが、回を重ねるごとに

これはこれで美味しいかも? と思えるようになってきた。

なので飲めないわけではないしありがたいけど、それでは目的が果たせない。

 

「せんぱい。わたし、ケーキが食べたいです」

 

「ケーキ? そんな洒落たもん、うちにはねーよ」

 

「そこでせんぱい。コンビニですよ!」

 

「こんな夜中に、女の子が外にでるもんじゃありません」

 

「だからせんぱいもいくんですよ?」

 

「えっ、俺もいくの?」

 

「当たり前じゃないですか」

 

さも当然。そんな風にいうと、わたしはさっさと廊下へ出る。

先輩はため息をつきつつも、ついてきてくれる。

そういうところがポイント高いですよ? せんぱいっ。

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

そんなやり取りを思い出しながら、わたしは先輩と二人きり、夜道を歩く。

寝静まった街。その誰もいない夜道を、好きな人と歩く。

わたしが幼い頃から憧れていたシチュエーションのひとつ。

他に、札束で溢れたお風呂に入るとかあるけど、それは将来のお楽しみ。

 

少し先を歩く先輩のその背中を追いかけるよう、わたしもてこてこ歩く。

先輩はときたま振り返り、わたしがついてきてるのか確認してくれる。

そんな先輩に微笑みを送ると、先輩は照れくさそうに前を向いてしまう。

そういうところがまた、ポイント高いですね? とさらに加点してあげる。

夜空を見上げてみると、空近く星々が瞬いていた。

いい夜だな、と思い、見上げたまま先輩に声をかける。

 

「わたし、こんな夜中に男の人と歩くの初めてです」

 

「すまんな、俺で。葉山なら良かったんだけどな」

 

「いえいえ。せんぱいで充分ですよ?」

 

ほんとうに。心から。

 

「ありがとよ」

 

先輩はいうとちらりとこちらを見て、頭をガシガシ掻きながら口を開く。

 

「まあなんだ。葉山とは最近どうだ?」

 

気にしてくれてるんだな、と思い、そんな風に気にしてくれる先輩に嘘をついていたことに

胸がちくりと痛む。

 

「それなりに上手くやってますよ」

 

「そうか」

 

「はい」

 

返事を返しながら、私は思う。

私が嘘をつかず自分の気持ちを素直に打ち明けていたら、今頃どうなっていたかを。

 

「せんぱいのことが好きみたいなんですけど、自分でもよくわからないんです。

なので一緒に確認してください」

 

そういって誘えば、冬の千葉でのデートもまた違ったものだったかもしれない。

そしてその後の、私たちの関係も。

 

そんな事を考えながらそれからまた黙って歩く。

そしてコンビニに着くと、二人でデザートを物色する。

わたしはシュークリームを選び、先輩はエクレアを選ぶ。

会計を済ませ外に出る。

来た道をゆっくりと戻りながら、前を歩く先輩に目をやる。

そしてどうしても気になる事を、尋ねてしまう。

 

「せんぱい。今日はどこへお出かけだったんですか?」

 

先輩の背中がぴくりと跳ねる。

 

「あー、うん。本屋だ」

 

「本屋さんですか」

 

「ああ」

 

「お一人で?」

 

先輩の背中がまたぴくりとする。

 

「俺はいつも一人だぞ」

 

ふむ。

 

「なにか良い本は見つかりましたか?」

 

「残念ながらなかったな」

 

「それは残念ですね」

 

「ああ」

 

少し間を置いてから、また話かける。

 

「それで先輩」

 

「なんだ?」

 

「城廻先輩とのデートは、楽しかったですか?」

 

先輩はすごく驚いた顔で振り返る。

そして暫く固まっていたが、目元に手をやると、はあっと深くため息をつく。

 

「小町か……」

 

「今日のことはそうですけど、先輩方がそういう関係なの、ひいろから聞いてましたよ?」

 

「ひいろ? え……、なんで?」

 

事情が飲み込めていない様子の先輩に説明すること暫し、

先輩はまた深くため息をつく。

 

「一色。それは違う。そんときはまだ、俺とめぐり先輩は付き合ってなかったぞ」

 

「先輩。そこのとこ詳しく」

 

「やだよ。お前絶対、それをネタに脅してくるし」

 

「奉仕部のお二人に言いつけますよ?」

 

「OK、わかった。聞いてくれ」

 

そうして私は、先輩が城廻先輩に連絡を取ろうとしたその切っ掛けが、

自分が先輩に伝えた言葉だった事を知ることになる。

 

ちょっと待ってよ、なんでそうなるの? そんな意味で、口にしたわけじゃないのに……

 

剥がれ落ちそうになる笑顔を必死に繕い、先輩の顔を窺ってみる。

恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうで楽しそうな、そんな笑顔を先輩は浮かべていた。

その笑顔を見て足元が崩れたような錯覚を覚え、私は倒れそうになる。

 

「おっと、あぶねえ……。だいじょぶか? 一色」

 

「す、すいません」

 

先輩に支えてもらい慌てて体勢を立て直し、顔を上げる。

先輩は心配そうに私を見ていた。

それを見て今更ながら私は気づく。

 

その優しい眼差しも、少しかすれた低い声も、そしてこの温もりも

どれほどそれを求めても、自分のものにはならないのだと。

 

「だいじょぶです。すいません……」

 

「そうか? 無理すんなよ?」

 

「だいじょうぶです…。帰りましょう、先輩」

 

「……じゃあ帰るか」

 

「はい……」

 

歩き出す先輩の背中を立ち止まったまま見つめていると、それはどんどん遠くなっていく。

視界が滲み涙がこぼれないよう、空を見上げる。

見上げた夜空は先ほどと変わらず星々が瞬いていたが

滲んだ目ではよく見えなくなっていた。

 

 




次回少しですが救いはあります。

それでは次回で。

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