やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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欲しかった言葉

めぐり先輩がくすぐったく囁いた言葉に、俺は手遅れを絵に書いたような

足元が覚束ないふらふら状態になってしまう。

なんとか気を取り直すと、先輩と二人で小説や漫画の置いてある棚を見て回ることにした。

 

そうして今、探し出した棚を二人で眺めているのだが、先輩はここにくる時も

ここに来てからも、俺の手を離そうとせず掴んだままなのだ。

その小さな手から伝わる温かな感触と先ほどの楽しいやり取りの相乗効果で、俺は今、下手に

空を見上げたら死兆星が見えても可笑しくないくらい、ほんわかした気分になってしまう。

 

そうやって二人で棚を見ていくと、先輩が小声で「懐かしいー……」と呟くので

調べていた棚から先輩がその手に持っている単行本へと視線を向ける。

先輩の手に収まっているのは、同じ小学館から生まれた「ガガガ文庫」と同じ、青と白の

イカしたカラーリングを持つ猫型ロボットでお馴染みのドラえもんの単行本のようだ。

 

先輩の慈しむような表情を見て「好きなんですか? ドラえもん」と尋ねてみる。

俺の問いかけに先輩は明るく弾んだ声で答えてくれた。

 

「うんうん。小さい頃に読んでて大好きだったの!

うちにもドラちゃんが来てくれないかなーって思ってたんだよ!」

 

先輩はいうと、単行本のページをパラパラと捲りながら小声でドラえもんのうた

(山野さと子Ver)を可愛い声で口ずさむ。

 

その先輩の横顔を見ながら俺はふと、自分が先輩に向かってドラえもんのうた

(山野さと子Ver)を歌ったらどうなるかを考える。

俺は決して体格の良い方ではないが、それでも小柄で華奢な先輩よりは

充分に大柄な方だと思う。そんな自分が先輩に

 

「こんなこといいな できたらいいな あんな夢 こんな夢 いっぱいあるけど♪」

 

などと歌いながら腐った目で近づいたら、それは単なる犯罪宣言となり

先輩を恐怖のどん底に叩き落としてしまうかも知れない。

 

思いつつ、もしそうした場合の事も考える。ぼっちはあらゆる可能性を考慮するのだ。

思考を加速させバーストリンク寸前まで自分の妄想力を掻き立てる。

すると、先輩の悲鳴で集まった館内の人たちに自分がボコボコにされとっ捕まり、

パトカーに乗せられていくシーンが思い浮かび、その妄想に俺が悶絶していると

 

「ドラちゃんってさ、色んな未来の道具持ってて、それを使ってみんなでトラブルを

解決していくじゃない? そういうのいいなーって思ってたんだよね」

 

先輩はキラキラした瞳で告げてくる。その清らかな穢れのない瞳にくらっとしながらも

「先輩なら、どんな道具が欲しいですか?」と尋ねてみる。

 

俺の言葉に、先輩はうんむーと気難しげな表情を浮かべる。

いや、そんな真剣に考えられても……。あげれないよ? 俺ドラえもんじゃないし

などと思っていると、先輩は真面目な面持ちで図書館の天井を見つめながら

「んー、まずタケコプター? あとは……」と、あれこれお悩みのご様子。

 

その言葉を聞いた瞬間、俺は先輩が万が一にも危険な目に合わないよう、この事はきちんと

伝えなくてはと思い、表情を引き締め口調も真剣なものにする。

 

「いいですか、めぐり先輩。タケコプターとか正気の沙汰とは思えない道具ですよ。

あんなので空に浮いたら自分自身の身体の重さが首吊りと同じ頚椎に掛かって

何処かに飛んで行く前に、あの世へ飛んでいってしまいます」

 

俺の真剣な表情と口調、そして話している内容に、先輩はびっくりしたような表情を

浮かべているが、まだまだ話は序の口なのでさらに話を続ける。

 

「他にもあります。それ以前にですよ?

タケコプターが一体全体どういう仕組みで頭に設置されているのか気になりませんか?

ドラえもんならある意味スキンヘッドだから良いですけど、他のメンバーはあれで

抜け毛とかが酷くなったらどうするのだろうと思うんです」

 

「そういう視点でドラえもん一味を見ると、奴らは本当は未来からの使者などでは無く

アデランスの回し者なのかも知れない……。俺はそう考えるんですよ」

 

小さい頃の小町に良くやったように、幼い子供に危ないことを伝える気持ちで

噛んで含めるよう言ったのだが、先輩は顔を両手で覆ってしゃがみこんでしまい

肩をプルプルと震わせ始める。

 

その姿に俺が余りにも厳しい真実を語ってしまったから先輩がショックを受けているのかと

心配していると

 

「ひ…、ひき…、比企谷くん、さすがそれはないよー!」

 

そんな弾けた笑顔を見せられたら俺の心が弾けてしまいます! と言いたくなるくらい

素敵な笑顔を見せてくれた。

その先輩の微笑みに、自分の心が暖かく満たされていくのを感じたからか

普段の俺なら絶対しないような事をしてしまう。

先輩が立ち上がりやすいように思わず手を差し出してしまい

はっと気付いてその手をポケットにしまおうとする。

だがしまうより早く、先輩は俺の手を両手でぎゅっと掴み立ち上がると、ふわっとした声でいう。

 

「もっと早く比企谷くんと、こんな風にお話したかったなー!」

 

俺が誰かに、ずっといって欲しかった言葉を、生まれて初めて伝えてくれたので

目が涙で滲みそうになる。

それをなんとか誤魔化しながら、上擦った声で応える。

 

「文化祭も体育祭もトラブルばかりで、忙しいばっかりでしたもんね」

 

「でもそれで比企谷くんと知りあえたんだもん。私は嬉しいよ?」

 

ほんと勘弁して欲しい。そんなこと言われたら、嬉しくって泣いちゃうぞ、俺。

ああ、もう手遅れですね。ほんとまいったわ。

 

自分で自分を茶化しても、誤魔化せないほど目が滲む。

そんな滲んだ瞳を見られないよう、棚に目をやる

すると棚の上の方に、一巻だけだが秒速の単行本を見つける事ができた。

 

それを手に取ってめぐり先輩に手渡すと笑顔でお礼をいわれ

その笑顔に俺の心はひどく掻き乱されてしまう。

そんな感情に全く慣れていない俺は先輩にさよならの挨拶を掠れた声ですると

先輩の言葉を待たずにその場を離れた。

 

そうして俺は空いている席を見つけると、椅子を引いて腰を降ろす。

ため息に似た吐息をつき鞄から筆記用具を取り出しながら、先輩に失礼な態度を

とってしまった事に悔やみむ気持ちで胸が痛くなるのを感じてしまう。

 

でもあの場にあのままいたら、もっと後で悔やむような事をしてしまいそうだった、

そう思っていると

 

「も~、比企谷くーん? なんで先にいちゃうの!」

 

ぷくっと頬を膨らませて拗ねた口調の、それでもほんわかした空気は忘れない。

めぐり先輩が俺のすぐ後ろに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

めぐり先輩が普段オートで発動している彼女の周囲三十メートルへの範囲攻撃である

「ほんわかめぐりんフィールド」ではなく、ぷくっと頬を膨らませて拗ねた口調での

指向性を高め単体攻撃力を極限まで上昇させた「めぐりん砲」の直撃をうけた俺。

 

その「めぐりん砲」の破壊力にタジタジになりながらも俺的にはすでにさよならした

気分でいたのにすぐさま再び現れた先輩に驚いてしまう。

それで、へどもどしながら「ど、どうしたんですか? 先輩」と尋ねてみる。

俺の言葉に、先輩はさらにぷくっ頬を膨らます。

 

「どうしたもこうしたも、ボソボソなんか言って、

急に走って何処かいちゃったのは比企谷くんじゃんー!」

 

先輩は言うと、隣の空いている席に腰を降ろし、唇を尖らせると俺をジト目で見つめてくる。

でもほんわか、不思議!

 

どうやら俺のさよならの言葉は上手く伝わっていなかったようだ。

これはあれだな。録音した自分の声を聞くと思っていたよりもずっと声が低く

聞き取りづらくてびっくりしたのと同じなのかもしれない。

 

思いつつ、慌てた俺は「すいません、こう、なんかちょと」とよくわからん謝罪する。

それでも気持ちは伝わったようだ。

先輩はいつものほんわかした笑顔を浮かべてくれ「も~ダメだよ。メッ!」というと

ぴっと指を伸ばし俺のおでこを軽くつんっとつついてきた。

俺は脳波をかなり怪しくさせつつも、先輩が謝罪を受け入れてくれたことに

ほっと安堵の吐息をついてしまう。

そんなふらふらしている俺を見て先輩はふふふんっと得意げな笑みを見せると

秒速の単行本を手に取り表紙をこちらへ向ける。

 

「じゃあ読みますね!」

 

先輩の声に俺も「はいどうぞ!」と元気に返事を返してしまい、それににっこりと

微笑んだ先輩の笑顔はとても眩しく、思わず顔を逸らしてしまう。

 

そうして先輩は「では……」の一声の後、漫画版「秒速五センチメートル」を

小さな鼻歌混じりで読み始める。

隣に座る俺は先輩がページを捲る音に耳を傾けながら、問題集の問題を次から次へと

解き始めるのだった。

 

しかし、俺は自分が勧めたモノを先輩が読んでどんな反応をするのかどうしても気になってしまい

初めて彼氏に手料理を食べてもらう乙女のような気持ちでソワソワしてしまう。

それで先輩の様子を横目でちらちら伺っていると、先輩は目次をすっと確認し

ゆっくりページを捲っていく。

 

貴樹と明里の図書館での初めての会話から、少しずつ距離を詰めていく二人の描写が続き

やがて映画の冒頭のシーンを描いたページをひらく。

そのページを見た先輩は視線は本の誌面に向けたまま、俺の袖口を軽く引っ張り気を引くと

周囲に迷惑にならないように気を使っているのか、内緒話をするよう呟く。

 

「明里ちゃん。貴樹くんに告白して恥ずかしくなって、走って逃げちゃったのかな?」

 

「俺も多分、そうだろうなと思って読んでましたよ。可愛らしいですよね」

 

俺も先輩の声に合わせて小声で返す。

 

「だよね! だよね!」

 

俺の返しにめぐり先輩は弾んだ声での可愛いお返事をしてくれる。

出だしは好調のようだ。安心した俺は自分のやるべき事に集中しだす。

 

だがその後も先輩は、ページを捲り語が進むたびに「あぁ……雪が」とか「うぅ……電車が」とか

「くぅ……手紙が」など、俺の袖を摘んでグイグイと引っ張り呟く

なので俺はそのたびに「積もりそうですね」とか「止まちゃいましたね」とか

「飛んでちゃいましたね」など律儀に返事を返していた。

 

そうして映画だと、オリジナルサウンド「雪の駅」の旋律が静かに流れるシーンを描いた

ページを目にした先輩は、ぽわっとした笑顔を浮かべる。

 

うむ、そのシーンいいよね! 胸がきゅんきゅんしちゃいます。などと思っていると

先輩は先ほどまでの遠慮がちな力とは違って急にもの凄い力で袖を引っ張るので

俺は椅子の上から転げ落ちそうになる。

 

慌てて姿勢を立て直し、俺を椅子から転落死させようと企てためぐり先輩を見ると

先輩は「明里ちゃん待っててくれたよ!比企谷くん」と瞳をウルウルさせながら

感極まれりな表情でいってくる。

 

「良かったですよね、待っててくれて」

 

そんな大変お気に召した様子の先輩の姿を見て、俺は嬉しくなってしまう。

俺は今までただの一度も、家族以外の他の誰ともこんな風に

目にした物語を一緒に共感したりする事が出来なかったのだ。

なので先輩に答える声は、自分でも驚くくらい優しかった。

 

そうして先輩はさらに物語を読み進め、次の日の朝、駅のホームでのお別れシーンも

読み終わると満足気な吐息を漏らす。

 

先輩はしばらく電車が走り去るシーンを感慨深げに眺めていたが、物語にまだ続きが

ある事に気づいたようだ。

それは漫画版にしかない、another side。

一巻の最後にそっと三ページ挿入されている高校生になった明里の話。

 

離れ離れになった二人はその後も暫く手紙のやり取りをしていたが、いつしかそのやり取りも

途絶えてしまっていた頃、明里はとある男子に告白される。

「返事、待ってくれないかな」と答える明里は貴樹に手紙を書こうとする。

だが、書ききれない。

 

「貴樹くん。ここには貴樹くんがいません」

 

そう記された文章を先輩は切なそうな瞳で見つめる。

 

「貴樹くん、好きな人はいますか?  私の知らない場所で何を思っていますか?

私たちはもう思い出なんでしょうか」

 

それを読み終え、読了した先輩は小さくため息をつく。

分かります。モヤモヤしますよね。

 

そして先輩は横目でチラチラ伺っていた俺の視線に気が付くと、

少し疲れた感じの微笑みを浮かべる。

 

「比企谷くん、少し休憩しない?」

 

俺も疲れていたので渡りに船とばかりに頷くと、二人で椅子を引いて立ち上がり

図書館の休憩所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

休憩所に入った俺たちは設置されている自動販売機で飲み物を購入しようと

先に並んでいた親子連れの後ろに並ぶ。

買い終えた親子にお待たせしましたと会釈され、お返しに頭を下げた俺は

自動販売機に硬貨を入れ、マックスコーヒーを購入する。

 

缶を取り出しながら、俺の勧めた物語を思ってた以上に楽しげに読んでくれた先輩へ

何かしらのお礼をしたいなと思い付く。

それで、後ろでお財布を持って自分の番を待っていた先輩に声をかける。

 

「おごりますよ、めぐり先輩」

 

「いやいや悪いよ。自分の分は自分で払うよ!」

 

俺の言葉にめぐり先輩は慌てたように遠慮するので、頭をがしがし掻きながら

「いや……、なんか俺のためにも、おごらせてください」と口にする。

 

俺の言葉に、先輩は不思議そうに口をぽかーんと開けていた。

まあ何いってるかわからないだろうな……そう思っていると

「ありがとう比企谷くん。じゃあ紅茶貰おうかな」と、

先輩は戸惑ったような表情で遠慮がちに言ってくれた。

 

その言葉に笑顔を返し、自動販売機に硬貨を入れ、俺が指差し先輩が頷いた紅茶のボタンを押す。

 

そして販売機の取り出し口に落ちてきた紅茶の缶を拾ってその手に手渡すと

先輩は嬉しそうに微笑んでくれた。

百円ちょっとでこの笑顔を見れるなら、安いもんである。

 

そんなこんなで休憩所のソファーに二人で腰を降ろすと、飲み物で喉を潤しながら

先輩が語ってくれる桜花抄の感想に耳を傾ける。

自分の感想を話し終えた先輩に、俺が読んだときどう感じたのかと問われ

先輩が読んだのはまだ物語の半分だと断りを入れてから感想を口にする。

 

「多分ですけど、大恋愛のトラウマをいかに乗り越えるかが主題なのかなと思いました。

今を生きるってことが大事。これがテーマかなと」

 

初めて「秒速」を読んだときの記憶を思い起こしながら先輩に伝える。

そして先輩に自分の感想を伝えながらも、自分自身が過去の恋愛とも呼べない

只の一方通行の片想いのトラウマを今でも全然乗り越えていない事に気付く。

 

去年の冬、葉山や折本たち四人で千葉に出掛けたとき、始まってもいなかったものを

きちんと終わらせることが出来たと思っていたのに、今でもやっぱりそれに縛られている。

それで少し自嘲的な気分になっていると先輩の声が耳に届いた。

 

「まだお話の続きがあるんだよね?」

 

「さっきので大体ですけど物語の半分くらいです。

それでこの後は、種子島に転校した貴樹の高校時代の話になりますよ」

 

そう俺が口にしたとき、やけに明るい声が耳に聞こえた。

 

「あれー、せーんぱいっ 奇遇じゃないですかー!」

 

聞き覚えのあるその声の方へ視線を向けると、きゃるんとした可愛らしい笑顔を浮かべた

一色の姿が見えた。

 

 


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