やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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先輩との再会

自宅には今親父がいる。それは俺にとって「入るな危険!」の看板と同じ意味を持ち、

下手すると「混ぜるな危険!」と同じ事になる。

なので安全に勉強出来る場所を思案した俺は図書館が良いと判断し、駐輪所から自転車を

引っ張り出すと、取り出した自転車に跨って図書館へと向かうことにした。

 

梅雨時の暑くて湿っぽい空気の中を、えっちらおっちらと自転車のペダルを漕いでいると

身体中から汗が噴き出すのを感じる。額から流れ落ちた汗を手で拭きながら

お昼どきテニスの練習で同じように汗を拭っていた戸塚の事を考える。

 

今日のお昼は本当に危なかった……。俺のバージョンアップしたマイ・ロケットを

もしも万が一、戸塚に見られ「僕を見てそうなったの……?」と尋ねられたら

俺は否定することが出来なかったかも知れない。

 

そしてそんな俺を見て、戸塚が「八幡の変態ー!」と罵倒してくるならそれは俺にとって

ご褒美であり、これまた万が一にも、戸塚に照れた表情で嬉しそうにされようものなら

俺の理性という名のダムは決壊し、戸塚に荒ぶるマイ・ロケットを発射していたことだろう。

 

危ない危ないギリギリセーフ……。

そんな完全にアウトな事を考えていると目的地の図書館に到着する。

俺は駐輪所に自転車を止めると、戸塚との甘い妄想に身を浸しつつ

広い駐車場を横切って図書館の建物へと歩き始める。

 

館内に入ると程よく冷えたクーラの風が、自転車を漕いで来たため汗だらけだった

俺の身体を優しく撫でて心地よく冷やしてくれる。

クーラの風はさらに俺の汗だらけの身体だけではなく、戸塚との完全アウトな妄想で

また大型ロケットに変形仕掛けていたマイ・ロケットも鎮めてくれた。

 

お陰で図書館の入口の隅に座り込み靴紐を結ぶフリをする必要が無くなり、

そのことに安堵しつつ、中学や高校の問題集が置いてある棚へと足を運ぶ。

 

棚の名札をチェックしながら歩き目的の棚を見つけると、求めている問題集を探して

見ることしばし。

「なんで高校生が中学の問題集が入った棚を見てるの?」みたいな、同じように棚を見ていた

女子中学生たちのつき刺さるような視線に怯えながら、何とか目的の問題集を探し出す。

それを手に取ると空いてる席を探し館内を彷徨く俺を、ほんわかした声が呼び止める。

 

「あれ? 比企谷くんじゃない!」

 

その声に振り向いた俺の目に映ったのは、お下げ髪に前髪をピンで留め

つるりとしたおでこが可愛らしい美少女の姿。

 

「……めぐり先輩じゃないですか。お久しぶりです」

 

そう俺の視線の先に立っていた美少女は、総武高の元生徒会長であるめぐり先輩だった。

先輩が今年の春に卒業し会わなくなってから、大体四ヶ月くらい経つだろう。

 

久しぶりにみた先輩は少し髪が伸びており、無地の白いノースリーブに

薄青色のプリーツスカートを合わせ、スカートの色に合わせたのか

同じ色の品の良い形をした髪留めを前髪にさしている。

 

見慣れていた制服姿はなくお淑やかな私服姿のめぐり先輩は妙に大人びて見えて

ついつい見惚れてしまう。いや、綺麗な人だと思っていたけど、これは……

そんな俺のぼっとし呆けた表情を見て、先輩はにぱっと微笑むと首を傾げ

悪戯っぽい声でいう。

 

「どう、大人っぽく見える?」

 

「えっとその、すごく綺麗になりましたね」

 

思わず思ったままを何も考える事もしないままに口にするが

俺の答えは先輩のお気に召さなかったようだ。

 

「なんかその言い方だと、前は綺麗じゃなかったみたいじゃない!」

 

めぐり先輩はぷくっと頬を膨らませ拗ねたようにいうと、じとっと睨んでくる。

そんな仕草も先輩がすると、堪らなく愛らしく感じる。

どうやらめぐり先輩のめぐりん効果は更に強化されているらしい。

 

その主な効用のヒーリングとリラクゼーションによって、もし俺が今、

仮に死んでたとしても、多分余裕で蘇生されることだろう。

むしろ生きていたら天国に召されるくらいの心地よさである。

そんな、なんというか気持ちがほんわかしてくる空気に包まれながら

「い、いや、そういう意味じゃ……」とへどもどしながら答えると、

めぐり先輩は「冗談だよー!」と笑ってぱたぱたと手を振る。

そして両手を後ろに組み、「褒めてくれてありがとう。えへへ」と

破壊力抜群の笑顔を投げてきた。

 

その仕草にくらっとしていると、先輩が俺の持っている問題集をチラチラ見ながら

「比企谷くんは、お勉強?」と尋ねてくる。

勉強は勉強なのだが、高三にもなってまさか中三の数学を勉強をするとも言えない。

 

「その、ちょっと調べ物をしに来ました」

 

誤魔化すと、先輩は「どれどれ~私が教えられそうなものかな?」と言いつつ体を伸ばし

俺が手する問題集を覗き込んでくる。

 

慌てて問題集を自分の背中に隠すと、そんな怪しさ満点の俺の姿を見て

先輩はむむっとした表情を浮かべる。

 

「なんか怪しいな……」

 

先輩は呟くと、身体を右に左にぴょこぴょこ動かし覗き込もうとしてくる。

俺はその滅茶苦茶可愛いらしいアタックを左に右に躱しながら

ここは更に話題を変え誤魔化そうと、先輩の隙をついて口を開く。

 

「先輩は、今日は何用で図書館に?」

 

俺の問いかけに、先輩は残念そうに口をすぼめた。

 

「今日はね、午後の講義が休講したから、暇になって本読みにきたの。

でもね、なかなか読みたいなって思うものが見つからないんだよね」

 

「どういう本を探してるんですか?」

 

尋ねると、先輩はにぱっと笑って応えてくれる。

 

「んー恋愛ものが読みたいかな~、気分的に!」

 

そして首を傾げながら、俺を少々侮っている言葉を口にした。

 

「比企谷くんって、本を結構読む方なの?」

 

ぼっちを舐めてもらっては困るのだ。

ぼっちは自分の周囲にいる人間と会話しない分の補給として自分との対話

そう脳内トークをする事は周知の事実だと思う。

無論、脳内トークだけだと思われるのも心外。

 

例えば、千葉テレビのお天気コーナーを見てお天気お姉さんが

「台風が近づいていますので、外出の際にはご注意ください」と告げれば、

「はい、気を付けます!」と元気よく答えるのは序の口。

 

他にも漫画や小説を読めば感情移入しまくって、俺はその世界ならば伝説の勇者だったり

犯罪組織のドンだったりするのだ。

まあそんなことは言えませんね。なので無難に答えておく。

 

「や、まあ、それなりに読んでる方だと思いますけど……」

 

いうと、先輩はほーと感心混じりの声を出す。

そして、ぽんっと手を叩くと、一歩こちらに踏み込んできた。

 

「じゃあさ、今から比企谷くんのお薦め読むから、付き合ってもらってよい?」

 

下から眺める、見上げるような視線を向けてくるので、俺は思わず頷いてしまう。

これ回避無理。これ断れる人いたら人間じゃないと思う。

 

「じゃあ、二人で一緒に探しに行こー!」

 

俺の答えに、めぐり先輩はぱぁーと花咲くような笑顔でいうと、右手をえいっと挙げ

文化祭や体育祭で見せたお馴染みのテンション高いコールをしてくる。

なので俺も苦笑しつつ、右手をあげ先輩のコールに応える。

そんなことをしていると当時の事を思い出し、なにやら懐かしい気持ちになってしまう。

 

そうして見た目は俺の知ってるめぐり先輩よりずっと大人びているのに、中身は俺の知っている

めぐり先輩のままなその姿に、自然と笑みがこぼれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

四ヶ月ぶりに再会しためぐり先輩は、持ち前のお姉さん属性とほんわか効果を更に

パワーアップさせており、そろそろ人間国宝に指定されても可笑しくないレベル。

それにくらっとしながらも久しぶりに会えた嬉しさで、つい口元が綻んでしまう。

そんな緩んだ顔を誤魔化すよう咳払いをし表情を整えると、小説や漫画の棚は

どこだったかと周囲を見渡す。

 

「比企谷くん、こっちだよ」

 

めぐり先輩はいうと、俺の手首をその小さな手で掴む。

俺は慌てて自分の手を引っ込めようとしたのだが、めぐり先輩はそのまま歩き出してしまう。

その手を無理に振りほどくのも気が引け、大人しくついていく事にした。

 

だが、年上のほんわかお姉さんに手を引かれるという並の男子ならご飯三杯は余裕でいける

夢のようなシチュエーションに、俺は動揺を隠しきれずにいた。

そして声が上擦るのをなんとか抑え、先輩に尋ねてみる。

 

「恋愛ものって色んなのがありますけど、どういうのが良いんですかね?」

 

俺の問いに、めぐり先輩は前を向いていた顔をこちらへ向けると

人差し指をぴこぴこしながら口を開く。

 

「んー、ちょっと悲しくなるような話が良いかなー。悲恋っていうのかな?」

 

ふむ。悲恋か……。その言葉に、俺は自分の過去の恋愛話でもしようかと口を開きかけるが

少し考え、話を聞いためぐり先輩が悲しくなる前に話をしている俺のほうが悲しくなりそうなので辞める事した。

そして先輩の希望に合ったものをあれこれ思案していると、ほわっとした声が耳に届く。

 

「そうだな~。例えばだけど、親の転勤とかで仲良く付き合っていた二人のうち

片方の子が転校しちゃって遠距離恋愛とか!」

 

「他にはね、私と比企谷くんみたいに先輩後輩の間柄で、それまでは同じ学校で会おうと

思えばいつでも会えていたのに、もう今までのように会えなくなちゃって悲しい、

みたいなのも良いかも!」

 

ぴこぴこしてた指をピンと立て、にこやかな笑顔で先輩はいってくる。

その言葉に、俺はなんか自分とめぐり先輩が付き合っていて、

「前みたいに会えなくって寂しいの……」と言われた気分になってしまう。

そんな気持ちで頬に熱を感じていると、先輩は少し声の色を暗く落とす。

 

「でも、片方が死んじゃうみたいなお話は、あんまり好きじゃないんだけどね」

 

先輩はぽしょと呟くと、しょぼんとした表情を浮かべる。

その言葉に俺も少なからず同意するところがあったので思ったことを口にする。

 

「まあ片方死んじゃったら、もしかして最後にはまた会えて、みたいな展開も

期待できないですしね」

 

「そうそう。今は色々な理由で駄目でも、もう少し先にいけば上手くいくかも!

そう思わせてくれるような、そういうお話が好きなんだよね」

 

先輩は落とした声を明るい声に戻すと、そういってにぱっと微笑む。

先輩の言葉に相槌を打ちつつ記憶をざっと探ると、それに近い物語があった事を思い出す。

まあ半分なんだけど。

 

「先輩のそれに途中までなら合ってるのが、一つあるんですけど」

 

中途半端な俺の言葉に、先輩は不思議そうな表情で首を傾げる。

 

「えっと……、途中までなの?」

 

頷きながら、まあ変な勧め方だしなと思いつつ口を開く。

 

「秒速五センチメートルって八年くらい前に映画であったの、先輩知ってますか?」

 

先輩は知らないといった感じで首を振るので、俺は話しを続ける。

 

「えっと、三部構成の話なんですけど、第一章の桜花抄っていうのが

多分、先輩の要望に合ってるかなって思うんです」

 

「桜花抄っていうと、桜の花の小さなお話って意味だよね?」

 

頷くと、先輩はどんなお話なの? と興味深げに尋ねてきてくれた。

自分の好きなものを誰かに話すことに嬉しさを感じつつ、さらに話しを続ける。

 

「えっと、転校ばかりしていた小学四年生の男の子と女の子が同じ学校に転入するんです。

そこで二人は出会ってとても仲良しになるんですけど中学校に進学するときに

また離れ離れになってしまうという話ですね」

 

いうと、先輩は身を乗り出しさらに興味深々な様子で、わくわくした子供のような表情を

浮かべてくれる。

先輩のその顔を見やり、俺の声も弾んでしまう。やばい嬉しい。

 

そして、あまりネタバレにならないよう気を付けながらさわりだけ話すと

先輩は楽しげにうんうんと頷きながら口を開く。

 

「ところで何が、秒速五センチメートルなの?」

 

その言葉に、映画を見た後で猛烈に湧いてくるモヤモヤ感に耐え切れず漫画や小説も

読んで知ったその理由を話せる事に、更に声が弾んでしまうのを感じる。

なので深呼吸をし気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりと声を出す。

 

「ヒロインの女の子が物語の冒頭で男の子に伝えた言葉なんです。

えっと、桜の花びらが舞い落ちる速度の事なんですけど」

 

「桜が……」

 

呟いて先輩は窓の外を見るが、季節は夏。

窓の外に見えるのは、桜ではなく紫陽花の花だった。

でも、先輩のその仕草がとても嬉しい。

 

その真意を知った当時の俺は、どうしても誰かに伝えたいと思い、隣の席に座る

クラスメイトにその事を話したら、そいつは携帯いじりながらこっちも見ずに

「へー」としか言わなかったもんな……。

 

嫌な記憶を思い出し、ため息がこぼれそうになる。

そしてそんな風に俺の話を小うるさい雑音のように扱わずいてくれる先輩へ

感謝の気持ちが湧いてくる。

 

「女の子は照れ隠しで遠回しに伝えたんですけど、本当の意味は……」

 

そこまでいうと一旦言葉を切る。本当に良いセリフだと思ったのだ。

なので先輩に少しでもその雰囲気を伝えたいと思い、映画の中で主人公の貴樹くんに

それを告げた明里ちゃんの気持ちになって、素敵だと感じたその言葉を口にする。

 

「今二人で見上げているこの桜の花が舞い落ちる速さのように、

あなたと時間を掛けて、少しずつゆっくりと確実に結びつきたいです」

 

「そんな愛の告白だったみたいで、ちょっと切ない感じのお話なんですけど」

 

すると俺の言葉に、目を瞠って驚いたような表情をしためぐり先輩は、

かーっと頬を染め耳まで赤くしながら俯いてしまう。

 

「なんか、なんかね。私が比企谷くんに告白された気分になちゃったよ……」

 

先輩はごにょごにょした声で言うと、空いている左の手を団扇かわりに

赤く染まった頬を冷ますよう顔の前でパタパタし始める。

 

どうやら俺の乙女パワーがフルバーストしてしまったようだ。

だが俺は先輩チョロインと思うどころか先輩のその言葉と仕草に

先輩と同じよう耳まで赤くなってしまう。

 

それを見られないよう俯くと、視線の先で先輩の小さな手に掴まれている自分の手が見え、

さらに顔が赤くなるのが分かる。

 

顔はそのまま目線だけ上げ先輩を見ると、先輩も同じように自分の手で掴んでいる

俺の手を見ていた。

そして俺もそれを見ている事に気が付いた先輩がはっとした様子で視線を上げると

俺たちは見つめ合う形になり、気恥ずかしさで互いにそっと目を逸らす。

 

多分時間にして三十秒もそうしていなかったと思う。

だが俺にはえらく時間が過ぎたように感じられ酩酊したような、

そんなふわふわした気持ちになってしまう。

 

と、そこへ俺の名前を呼ぶ先輩の声が聞こえた。

 

「比企谷くん。そのお話、私も読んでみたいかも……」

 

先輩は頬を薄く染めたまま俺の耳元にそっと口を寄せると

くすぐったい声でそう囁いてくれた。

 

 


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