やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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予告詐欺すいません。結構長い話になるのと思い付くままに書いていたら
前置きでえらく長くなったのでキリのいいところで投稿します。

次回が「人に道を聞かれるような人」です。


大人になって気付いたこと

月が綺麗な初夏の夜。

その月の明かりにほのかに照らされながら、品の良い浴衣姿で可憐に佇むめぐり先輩を見て

俺はこんなことを考えていた。

 

踏んでもらえないだろうか、と。

 

勘違いしてもらっては困るのだが、俺は断じてマゾヒストではない。

痛いのは嫌だし辛いことは勘弁してもらいたいタイプである。

だが先輩には、この人ならば……と思わせるなにかがあるのだ。

 

おそらくそんなものあってどうするの? という意見もあるだろう。

確かにかくいう俺もつい今しがたまでそう思っていた。

しかし愛らしい浴衣姿でほにゃとした柔らかな笑顔を浮かべている先輩をみていると

踏まれてもいい、むしろ踏まれたいという、どうにもこうにも堪らない気持ちになってしまう。

そしてこの気持ちの赴くままに、先輩に踏んでもらうべきだと俺は思うのだ。

今まではどんなに綺麗で可愛い女性を見てもそんな風には思わなかった。

きっとこれは、俺が一歩、大人に近づいた証なのだろう。

 

だがしかし、そんな開けてはいけない扉を開けた俺でも、

まさか先輩に向かって踏んで欲しいと口にする訳にはいかない。

正直さや素直さというのは確かに美徳ではあるがものによりけりである。

 

ふむ。どうやって叱って、もとい踏んでもらうか……

これまでの人生最大の難問に俺の頭脳がキュイイーンっと音を立ててフル回転を始める。

そしてその優秀過ぎる頭脳は持ち主である俺の要望に答えてスパークする。

 

『思い……出した!』

 

先輩と再会してからこっち、俺がおイタをすると先輩はデコつんやらチョップやらで

優しく窘めてくれた甘い記憶が蘇る。

そして今までは手を使って俺を叱っていたが、そろそろ足が出ても可笑しくないと思われる。

だからといって怒らせ過ぎて帰られては目的を達成できず困ってしまう。

なので怒らせない程度のほどよい悪さをして先輩に叱ってもらわねばなるまい。

そうして俺は誰も見たことがない次のステージへ……

 

と思いつつも、いや待てよ。と考える。ただ踏まれるだけでは芸がない。

ここはやはり叱られながら、もしくは罵られながら蹴り飛ばしてもらうというのも

ありといえばありかもしれない。

 

それにしても困ったな。あれもして欲しいこれもされたいで考えがまとまらない。

そこで具体的にどう罵られたいか思案することにした。そして熟考した結果。

「さあ、尻尾を振ってみせなさい!」と、俺を踏みながら叱りつける先輩を想像し

その夢想にうっとりしていると、自分の目の前で小さな手が右に左に振られていることに気づく。

 

はっとして意識を桃源郷から現実世界へ戻すと、ご主人様、違った、先輩が、ちょっと背伸びして

可愛らしく俺を見上げながら、「お~い~、比企谷くん~!」と呼んでいるではないか。

めぐり姫を待たせるなど臣下としてもとい下僕としてあるまじき行為。

江戸時代なら無礼千万で切腹ものである。

俺は慌てつつ気を抜くとついうっかり跪きそうになる足をなんとか宥めて声を出す。

 

「す、すいません。ちょっと、ぼーっとしちゃって」

 

ぼーっとどころか俺の頭脳はフル回転していたわけだが、回転の内容が内容なので

目を合わせづらい。答える声も少し上ずっていた。

 

そんな俺の言葉にも、先輩は心配そうなしゅんとした表情を浮かべてくれる。

そして両の手を胸の前でこねこねしながら申し訳なさそうに尋ねてきた。

 

「ううん、ごめんね比企谷くん。その、急に呼び出しちゃって。

えっと、もしかして、眠かったりするのかな?」

 

『なにをおっしゃる、姫様! 姫のためなら某、例え火の中水の中。いついかなる時にでも』

 

とはもちろん口には出せない。今は平成の世なのだ。時代にあった言い回しをしなければ。

 

「や、全然眠くはないんですけど……

先輩がその、浴衣姿だったんでちょっと驚いたというかなんというか」

 

へどもどしつつ答えると、先輩は浴衣の袖口をその白く細い指先でちまっと軽く摘み

摘んだまま両の手を広げるように持ち上げる。

そして気恥ずかしげに俺を上目遣いでちらちらと見ながら、

「変かな……?」と口をすぼめて聞いてきた。

その可憐な仕草に、むしろ俺の頭が変になりかける。これはやばい

 

「いや、すごく綺麗で……艶っぽいというかあでやかというか……」

 

危うく口から出かけた、だから踏んでください。というセリフをギリギリで飲み込む。

全然だからになっていないし、変態さんだと思われちゃう。

 

俺の言葉に、先輩は嬉しそうに表情を緩めると「ありがと、えへへ」といって

照れくさそうに頬を掻く。

どうやら先輩には人の心を読むエスパー能力はないようだ。

俺の内心を知っていれば、とてもじゃないがそんなセリフはでてこないだろう。

 

そして俺は考えてしまう。

もし、もしも二年のあの時、平塚先生が俺を奉仕部にではなく生徒会室へと連れて行き

生徒会の手伝いをするよう言ったのなら、どうなっていたのだろうと。

 

奉仕部や文実の活動としてではなく、生徒会メンバーとしてめぐり先輩の下で働く。

たぶん当時の俺でも、そこにある種の満足感を覚えて

案外一生懸命働いていたかも知れないな、と思う。

そして俺は先輩のために、その忠誠心すごいよぉ! と引かれるレベルで

朝から晩まで頑張っていたに違いない。

社畜? 奴隷根性? 違うな愚民ども、これはご奉仕というのだよ! とか言いながら。

 

だが当時の俺では、先輩のその優しい人柄に触れても色々と勘ぐってしまい

今のようには話せなかったかも知れないな、とも思う。

 

そう思えば、今のように先輩と普通に、とは俺がどう見ても普通じゃないから言えないが、

それなりに話せるようになったのは奉仕部で過ごした日々の影響が大きいのだろう。

そして奉仕部でした選択の一つ一つで、そのときどきは間違えたこともあったが

後になってみれば上手く間違えることができたのかも知れない。そんな風に思えた。

終わりよければ全てよしではないが、間違えて、失敗したからこそ

気付けたこと身に付いたものもある。例えば、踏んでもらえる喜びとかね。

 

そうして思い出す。そういえば、俺は先輩に謝罪と感謝を伝えに来たんだったと。

なぜか途中から、先輩を叱ること。そしてつい今しがたにはいかに叱られるかに

意識が持っていかれていたが。思考が流されまくって困ってしまう。

多分絶対確実に、先輩の「ふんわりめぐりんフィールド しっとり成分配合」に

俺の脳がジャックされてしまっていたのだろう。

 

そんな事を約十二秒で考えながら、おのれ、めぐりん! と思いつつ一つ深呼吸をする。

そして、『落ち着け……。色香に惑わされるな』などと自分に言い聞かせていると、

先輩が俺の袖をちまっと引いて話しかけてきた。

 

「比企谷くん。立ち話もなんだし、向こうで座って話そ」

 

その嬉しい誘いに、俺は頬を緩めてそうですねと返事をした。

 

 

 

 




それでは次回で。

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