やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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ちょっと短めですが切りのいいところで投稿。



小町マニュアル

俺の投げた問いかけに腕を組んでうんうん唸っている一色。

その姿を見て俺はほんの少し嬉しい気持ちになってしまう。

何故ならここ最近、俺の質問にまともに答えてくれた女の子は、

めぐり先輩唯一人だったからだ。

 

さすがめぐねえ。あ、でも、めぐねえだとゾンビになちゃうか。危ない危ない。

やっぱ、めぐ✩りんだな! 

 

それにしても、あの一色が俺の問いに真面目に答えようとしてるとは。

たったそれだけの事で目頭が熱くなってしまう。

日頃の扱いが悪いせいか普通の扱いでも喜びを感じる。

普通って大事なことだなー! と思いつつ、もしかしたらそれを俺に教えるために、

一色は俺の普段の扱いを悪くしているのかも知れない。……違うな。

 

そんな思いに耽っていると、一色は何に勝ったか分からんが

えっへんと勝ち誇った表情で自信ありげに答えた。

 

「わかりましたっー! 先輩、あれですよね? 屋根の部分を帽子みたいに外して

ハーイって言う、お家のマスコットキャラ!」

 

これで決まり! みたいないい笑顔のところ申し訳ないが、それはハズレである。

てか、今までの会話の流れで何で住宅メーカーの名前が出てくるの? この子。

 

「……一色。それはへーベルハウスだ。俺が言ってるのはヘルマン・エビングハウス。

ドイツの心理学者なんだけどな。この人は記憶に関する研究で有名な人だ」

 

俺の言葉に一色は首を傾げる。

どこから訂正したらいいか考えたが、なんか面倒なので話を進めることにした。

 

「忘却曲線っていう研究発表があるんだが。一色は、一生懸命勉強したのに

忘れてしまうのはどうしてなの~? って思った事はないか?」

 

「ありますあります。なんで忘れちゃうんですかね? あと先輩、言い方がキモイです」

 

「うるせーよ、まあ聞け。エビングハウスの実験ではな、人間の脳は興味がない事柄に

関して、20分後には42%、1時間後には56%、1日後には74%、1週間後には

77%、1ヶ月後には79%を忘れるらしい。つまり、忘れることは当たり前のこと。

そして復習は忘れそうなタイミングでやるべき、という話だな」

 

「えっと、先輩。今の話だと忘れそうなタイミングって、二十分後や一時間後とかですよね?

あとは一日後や一週間後とか、一ヶ月後」

 

一色が神妙な表情を浮かべながら口にした言葉に、うむっと頷く。

 

「多くの人は、覚えた直後の復習をしていないだろ? 今やったから大丈夫と思って」

 

「ですねー。私も一杯覚えなくちゃって、次から次えと進んじゃってましたし。

だから覚えられなかったんですかね」

 

「記憶の定着度は反復すればするほど高くなる。何のためにいつまで記憶するのか。

どれくらいの完成度で記憶するのか。それに合わせて反復を繰り返すのが一番だな」

 

「なるほど……」

 

生真面目な顔でこくりと頷く一色に、俺はちょっとした満足感を覚える。いいぞ、これ。

teacher八幡が誕生しちゃうかも知れない。調子にのった俺はさらに話を続ける事にした。

 

「他にも、興味があるものと関連付けすれば忘れ難くなることもある。

一色が興味がある事と結びつれば暗記は楽になると思うぞ」

 

俺の言葉に、「興味のあること……」と呟いて難しい表情を浮かべる一色。

そういやクリスマスイベントの時もケンケン体験記見た時も、

やりたい事とか特にないって言ってたしな、こいつ。まあ俺も別に無いけど。

強いて言うなら専業主夫だが、それはやりたい事じゃなく成るべきものだし。

生き様といっても良いかも知れん。

 

そこで、口にするのは正直かなり気恥ずかしいのだが、俺が知っている一色の興味の

あることを言ってみることにした。

 

「例えば……。そうだな、好きな人との事。

一色の場合、葉山との会話ややり取りなんかは忘れられないとかあるだろ? 

そういった感じでインパクトがある出来事と関連付けるというのかな」

 

言うと、一色は心なしか頬を染めて、俺からふいっと目を逸らした。

そして何故か急にもじもじしだすので、なんだこいつ……と訝しげな視線で

その姿を見ていると、一色は耳まで赤く染めてしどもどした声を出す。

 

「えっと、ですね。その……、キ、キスとかしながら勉強すると良いんですかね」

 

なに言ってるの、この子……。

それじゃインパクトでかすぎて覚えた端から忘れちまうじゃねーか。

それに、ちょっとはしたないわよ、いろはす。と思いつつも

インパクトがでかいという意味では合っている。

確かにそれだと忘れなそうだな、と考え口を開く。

 

「う、うむ。まあ、そういうのもありちゃありだな。

でも、あれだ。なんつーかキスだとさすがに刺激が強すぎるからな。

初めは、なに、その、手を握るとか? そんくらいの方がいいんじゃねーか?」

 

言いつつ、でもそれだと葉山ならまだしも俺がここにいる意味なくねーか? と考えてしまう。

葉山を呼んだ方が良いのか? でも、あいつに頼むのもなあ……

それに何て言って頼むんだ、これ? 握手券配るの? と思案していると

一色がおずおずといった様子で、そっと右手のひらを差し出してきた。

 

「……ど、どうぞ」

 

どうぞって言われても……。どうも、って言って握り返せば良いの? 

そもそも俺の手を握っても意味ないし。

それに、こういうマニュアルにない展開ちょっと困る。

前回、一色のご機嫌を斜めにしてしまった時にはマニュアル通りに事を進めて

なんとか上手くいったが……

 

ちなみにマニュアルとは。

俺が奉仕部の二人と友達なった事を小町に伝えた際、何やら思うところがあったらしい

小町から授けられた年頃の女性との接し方のハウツー本の事である。

通称「小町マニュアル」。訳して「(コマ)ル」

ついでに言えば、年頃の女性専用なので残念ながら平塚先生は圏外だったりする。

 

小町が春休みを利用して書き上げた三百頁に及ぶ長編大作で、書き上がったそれを

「お兄ちゃん。女の子で困った時にはコレを読んでね!」とドヤ顔で手渡されたのだ。

なるほどなーと思える事が多く暇を見て何度も目を通しているのだが、

内容がちょっとリアルすぎるんだよなぁ。

なんだよ。バレンタインのお返しはもらったものの五倍返しが当たり前って。

お兄ちゃんの稼ぎ(小遣い)だと三倍返しが限度額なんだよ……

 

しかしながら今回のような事については書いていなかったように思う。

きっとまだ、小町は異性と手を繋いだりしたことがないのだろう。

良かった良かったと思いつつも、現状の打開には全く役に立たない。

むむ、どうしよう……と考えながら黙っててもアレなので口を開く。

 

「い、いや。俺と繋いでもあれでしょ?」

 

言うと、一色はむすっとした表情を顔に浮かべ、俺をじっと睨んでくる。

 

「あれって、どれですか?」

 

どれですかって、言われてもなぁ。 そう問われたら、こう答えるしかない。

 

「ほら、そこは葉山じゃないと、ね?」

 

俺の言葉に、一色はつまらなそうに頬を膨らませると、不満そうな声を出す。

 

「だって、葉山先輩いないじゃないですか~ この際先輩でもいいです」

 

なんだよ。その、これで我慢しとくかー! みたいな言い方。ムカつくな、こいつ。

でも考えてみれば、バレンタインの時もこんな感じで

ついで感とおざなり感満載だったなと思い出す。

 

あれから半年ほど経つが、こいつとの関係は良くも悪くも全く変わってねーなあと思い

そしてそういやこいつとも、あと五ヶ月くらいで会わなくなるんだよなと気づく。

三学期は受験の追い込みで、学校に来ることも無くなる。

そう考えれば、少しくらいは一色のお願いに応えても良いような気もする。

今も一色はじっとこちらを見ながら手を差し出し、はようしろと言わんばかりに

「んっ、んっ」って言ってるし。

これはちょっと何かしらのリアクションを返さない訳にはいかなそうだな。

それでもまあ、差し出すのは一色と同じ右手だが。

 

覚悟を決めると手のひらをズボンで軽くこすって手汗を拭き取る。いや出てないけど、一応ね。

そして右手でそっと一色の手の甲に触れ、そのまま下にゆっくりと降ろす。

一色は手が触れた瞬間、驚いたような表情を浮かべたが、何も言わずに俺の手に動きに

合わせてその小さな手をぺとっと自分の太ももに置いたので、俺はすっと手を引っ込める。

 

どっちも手のひらはね。ちょっと、あれだしね。ていうか、一色。顔真っ赤かなんですけど。

まあ俺も赤くなってるのだが。ヤバイかな。通報されたらどうしよう……

一色に、ちらちらと視線を向けながらそんな事を考えていると、

俯いていた一色が顔をあげたので目が合ってしまう。

慌ててこそっと視線を外すと、視界の端で一色がふっと薄く吐息を吐く。

 

「先輩。これからも、こんな感じでお願いしますね!」

 

一色は言うと、にぱっと笑顔になる。

そして上半身をやや前倒し気味にすると、

横を向いてる俺を下から見上げる様に見つめてくるので、思わず仰け反ってしまう。

そんな俺を見て、一色は可笑しそうにくすくすと笑った。

 

 




それでは次回で

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