やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

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「秒速」の情景描写以外は、ほぼ私の主観と偏見で書いておりますので
違うと感じる方もいらしゃるかも知れません。
その点で不快な思いをした方がおりましたらお詫びします。




秒速五センチメートル

想いを伝えることすら出来なかった花苗の姿に思うところがあったのだろう。

顔を両手で隠し泣き出してしまった一色が落ち着くまで、映画を止め休憩することにした。

わずかに開いた窓から夏風が涼やかに吹き抜ける。

部屋はしんと静まり返っており、時折零れ落ちる一色の小さな嗚咽の声が聞こえるだけ。

 

「……すいません。ちょっと自分と重なってしまうところがあったので……」

 

泣きはらした目で気恥ずかしげにいう一色の頭を、めぐり先輩が優しく撫でる。

見ているだけでほっこりと心温まる光景。

 

そんな二人の姿を見ながら、目的のためならあらゆる手段を惜しまない俺は

いいな、俺も泣こうかしら……と邪な思いに身を焦がしていた。

綺麗なほんわかお姉さんに頭を撫でられる。

そんな素敵な経験を積めば俺のレベルは急上昇し五年は余裕で戦えると思うのだ。

 

一色への羨ましさとこれから自分がしようと考える行動の気恥ずかしさに悩んでいると

泣き止んだ一色に優しく最後のひと撫でをした先輩は、俺の方にくるりと姿勢を変えてきた。

まさか俺にも!? と思い胸をときめかせていると、先輩は柔い笑みを浮かべながらも

年下の俺を優しく窘める大人びた口調で叱ってくる。

 

「それはそうと比企谷くん! 映画を観てるときは静かにしないと駄目だよ?」

 

映画館で大暴れするラブライバーにも聞かせたいお言葉。

 

そして「てりゃ~!」の声とともに、めぐりんチョップを繰り出してきた。

ゆっくりと迫り来るめぐりんチョップ。

避けるのは至極簡単だが、めぐり先輩とタイアップするチャンスはそうそう訪れるものではない。

俺は自ら当たりに行くべくおデコをずいっと差し出すと、ばっちこい状態で迎え撃つ。

そうして望み通り、ぺちこんっとめぐりんチョップの直撃を受けた瞬間

「ぐはっ」と喜びの声をあげてしまう。

 

もう一発プリーズ……。そんな感想を抱かせるほんわかする一撃。

しかも当たった箇所を優しく撫でてくれるアフターケアーまでついてきた。

これはもう余裕で諭吉のやり取りが発生するレベルのプレイ。

諭吉が二人、いや三人は必要なハイレベルなサービス。

 

そんなめぐりんチョップの微睡むような余韻に浸りつつ

俺は去年の秋、体育祭の事を思い出してしまう。

体育祭の件で奉仕部へと相談に訪れためぐり先輩はその柔らかな手で

雪ノ下の手を握り由比ヶ浜の頭を撫でていたのだ。

なのに俺には何もなかったあの時から少し遅すぎた感があるが、それでも今この時、

先輩からチョップをもらえたことに、胸が張り裂けそうな喜びを感じる。

 

念願叶うとはまさにこの事。

今日の事を忘れないために、ここは一つ日記でもつけようか。

そんな思いに耽っていた俺は、自分の横顔に冷たいものを感じそちらへと目を向ける。

すると、さっきまで目をはらして泣いていたはずの一色が、怪訝な表情でじーっと俺を

見ていることに気が付く。

 

一色が極限まで細められた薄目で睨めつけてくるので、居た堪れない気持ちになり

顔を背けてしまう。やめろ……そんな目で俺を見るな……

気まずさを誤魔化すように軽く咳払いをし、二人の了承を得て、止まっていた物語の

続きを見ようとボタンを押す。

 

そうして最終話、『秒速5センチメートル』が始まった。

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

それまでの恋する男女の視点で描かれていた『桜花抄』と『コスモナウト』とは一転、

夜のシーンが多いというのもあるが、どうにも陰鬱な雰囲気で物語は進む。

明確な描写がないので不明だが、多分高校卒業から十年ほど経った二十代後半の貴樹の話。

 

高校時代からその片鱗は見えていたが、貴樹くんは更にめんどくさい男になっていた。

頑張る目的を見失っているのに、それでもがむしゃらに前に進まなければならないという

強迫観念だけが更に強くなっており、めんどくさいレベルがカンスト寸前の模様。

 

大学を卒業した貴樹は就職しシステムエンジニアとして働いていた。

仕事の方はエンジニアとしての能力が優れていたこともあり評価される。

だが評価されたゆえに、入社以前から続いていた敗戦処理の

達成感の得られないプロジェクトの担当にされてしまう。

 

プロジェクトリーダーと対立し全作業を一人でやる形になり、仕事に追われる毎日。

そしてそれに対処できてしまう能力の高さ。

なのに、それらに価値を見出すことが出来ないジレンマが貴樹を苦しめる。

 

やはり働くべきではない。そんな感想を抱かせる彼の姿に

俺は自分の判断の正しさを証明されたような気分になる。

現実を上手く乗り越える器用な面と、その意義を上手く納得できない不器用な面。

多分、貴樹だけでなく誰にだってあると思う。

形は違えど、本当にこれで良いのか? と思うことは。

 

貴樹は疲れ果て表情も険しい。生活もやや荒れている。

中学や高校のときの強い想いが、形を変えて貴樹を不幸にしていた。

そうして限界に達した貴樹はプロジェクト達成の目処が付くと、会社を辞め

再就職では自分の幼い時からの夢だった宇宙開発関連の仕事につく。

周囲からの期待に応えやらなければいけない事ではなく、貴樹自身がやりたかった事を、

彼はようやく選べるようになる。

貴樹が疲れ果て限界に至るまで、生き急ぐことを止められなかったことは不幸ではあったけれど

結果的には大丈夫になれた。過去に明里が言っていた通りに。

 

結局は最後まで貴樹は明里との再会を果たせずに終わってしまう。

だが、互いに互を直接には幸せにできなかったけれど、遠くから互の幸せを願う、

そんな暖かな関係に明里は少しだけ早く貴樹はようやくなれたように物語は紡がれる。

 

そうして、貴樹がこれからへと踏み出す事が出来た所で物語は終わる。

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

見終えると、三人が三人とも疲れたような吐息をもらす。

何度見てもこの物語は俺にそうさせる。初見の二人なら尚更だろう。

 

最後には結ばれて欲しかったという二人の意見に耳を傾けていると、

一色がどうしてハッピーエンドにしなかったのかと疑問を口にした。

めぐり先輩もそう思うらしく、二人の疑問に応える形で俺は口を開く。

 

「秒速を作った理由の一つに、新海監督があんまりモテなかったことがあるそうです。

それで自分が初恋の人と結婚していれば、こういう作品は作らなかったと思うっていってました」

 

「でも世の中、初恋の人と結ばれる人の方が圧倒的に少ないわけじゃないですか?

なら、初恋の人と結ばれる“ロマンチックラブ”じゃない作品を作るってことは

他の人にとっては何らかの救いになるんじゃないかって思ったらしいです」

 

「例えばですけど、ジブリって“ロマンチックラブ”を強く肯定する作品が多いと思うんです。

そのことで「こう生きなければならないんじゃないか」って思う人がいるんだったら、

それは結構きついことだなと」

 

「気持ちが通じ合うっていうのは大切なことなんですけど、でも通じ合ってそこで人生が

終わるわけではなく、そのあともすれ違いはどうしたって出てくると」

 

「それをどうやって乗り越えていくか。通じ合ったと思ったけどダメになってしまい、それでも

生きていかなければならないって事の方が人生では大事だと思う。そう言ってましたね」

 

俺の言葉に、めぐり先輩と一色はふむふむと頷く。

すると一色がはいっと手をあげて、自分が感じたことを口にする。

 

「えっと、私が思ったことなんですけど……。タイトルの「秒速5センメートル」は

物語の中では桜の花びらの舞い落ちる速度を表していたじゃないですか?」

 

「でも同時に、人の気持ちの離れていく時間の早さを表しているんだろうなって思いました」

 

その言葉に、ほーと感心した声を漏らしてしまう。

一色は真剣な表情で更に言葉を続ける。

 

「やっぱり好きな人とは離れちゃいけないなと思います」

 

「……どんな手を使っても」

 

どんな手を使ってもって……なんか怖いんだけど、この子。

そう思ってちょっと引いていると、一色は顔をあげ俺をじっと見つめてくる。

 

「先輩。ちょっとご相談が……」

 

小さい声でそう言うと、座布団を滑らせずずっとこちらに迫ってきた。

そして俺の前にぴたっと止まると、瞳をウルウルさせて前かがみで上目遣いをしながら

俺を見てくる。これまでの経験から嫌な予感をひしひし感じていると案の定。

 

「先輩。その時は付き合ってもらっても良いですか?」

 

と猫撫で声で尋ねてきた。

 

その時ってどの時だよ……

なんか犯罪に巻き込まれるどころか共犯者にされそうで少し怖いが

手伝える範囲で手を貸すのはやぶさかではない。

 

「法に触れない範囲なら、まあ手は貸すぞ」

 

念のため、法に触れることはしないぞ? と伝えたのだが、上手く伝わらなかったようだ。

俺の言葉に、一色は表情を明るいものにすると

 

「……法に触れない範囲。

それってグレーゾーンまでは手を貸してくれるってことですね。分かりました!」

 

と、一色特有の変な解釈をしてくる。

ちげーよ……と思いつつ、なんとか説明しようと考えていると、

めぐり先輩が一色に優しく声をかける。

 

「一色さん、危ないことは全部比企谷くんにお任せするんだよ!」

 

その言葉に、にぱっと微笑み元気良く返事を返す一色。

 

ちょっと待ってくださいよ。それって俺には全然優しくないんですけど……

何とか反論しようと口を開きかけるが、楽しげな二人の表情を見ていると

まあいいか、と思え微笑んでしまう。

 

窓の外へ視線を向ける。もう夕方のようだ。

茜色の空に浮かぶ飛行機雲がゆっくり薄れていくのを眺めながら、

こうして三人で「物語」を観ることが出来た事を嬉しく思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

これが三人で笑い合える、最後の時とは気がつかぬままに。

 

 

 




それでは次回で。

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