やはり俺の数学教師が一色というのは間違っている   作:町歩き

17 / 93
第一章 番外編。彼女たちの日記。
彼を知らない私


7月23日(木) 晴れ。夕方に通り雨

 

今日は午後の講義が休講したので、大学の敷地をゆっくりとお散歩した。

もうすぐ見納めになるし夏休みにも入る。

講師都合で急に休講になり、好きな講義だったので少しがっかりしたが

丁度良かったのかも知れない。

 

入学してから四ヶ月。大学という環境に慣れるのに必死だったように思う。

慌ただしく日々を過ごすばかりで、こんな風に落ち着いて散策しようなんて

思う暇さえ無かったのだから。良い気分転換になったと思う。

 

その帰り道、ふと気が向いて立ち寄った図書館で、久しぶりに比企谷くんと出会う。

相変わらず目付きが悪い子だな。

でも、初めて彼と会った文化祭の時よりも、彼の表情はとても柔らかいものになっていた。

 

最初は、声を掛けることを躊躇したと思う。

新しい生徒会の子たちや彼が所属する奉仕部の子たちには、たまに遊びにくるね、と

いってはいたが、あそこはもう私のための場所ではないのだ。

卒業した学校に近づくのは場違いで、立場を弁えない行動のように思えてしまう。

そこにいたときには、自分がそんな風に思うとは考えもしなかったけど。

 

そして多分、彼が一人でいたことが、声を掛けてみようと思えた理由として

大きいように思う。

もし彼が誰かといてその誰かと、今の総武高の様子を楽しげに話しでもしたら

私は疎外感と居た堪れなさで、上手に笑うことが出来なかったかも知れない。

もともと私は、笑顔をつくるのが苦手なのだから。

 

そうやって声を掛けてみたものの、私と彼の間にはそれほど接点がある訳でもない。

すぐに話題が尽きてさよならと告げて、お別れするものだと思っていた。

彼の問いかけに答え、何の気なしに口にした言葉。

私が読みたいと思った本の話を、彼は真剣に聞いてくれた。

そして私に、一冊の本を教えてくれた。なんか変な勧め方ではあったけど。

 

まずタイトルが気に入ったように思う。とても短い距離、秒速五センチメートル。

 

でもそれは、何かと何かの間にはどうしても距離があるという事。

そして少しずつ確実に、離れていくことを示してもいる言葉だと思う。

これまでにひらいた距離。これからひらいていく距離。

どこか自分と、重なる言葉だと思ったのかも知れない。

 

私の問いかけに応え、比企谷くんは一生懸命に本の内容を話してくれた。

その声や話しぶりはとても楽しげで、彼の意外な一面を垣間見たような、

そんな気持ちに私をさせる。

 

考えてみれば比企谷くんと二人でゆっくり話したことなど、一度もなかったように思う。

生徒会室の引渡しの時、私物を運ぶのを手伝ってもらい、その時少し話しただけな気がする。

それだって本当にちょこっとだ。だったら良かったと思っていた自分の願望を。

 

そういえば、比企谷くんが口にした桜の話とても素敵だったな。

そうだ書いておこう。忘れないように。

えーと……。なんだったっけ。

 

今、二人で見てる? 見上げている? この桜の花が落ちる速さのように

あなたと時間を掛けて、ゆっくりと確実に結びつきたいです。

 

だったかな……。まあいいや、明日、買いに行こう。

最近、荷物の整理ばかりで外に出掛ける事もなかなか出来なかったし。

とても良いお話だったから、教えてくれた彼に感謝しなきゃ。

 

一色さんにも久しぶりに会えた。やっぱり二人は付き合っているのかな?

生徒会の引き継ぎ業務のとき、いっつも彼の話を彼女はしてたように思うし。

 

話を聞いてたとき、いいなーとおもってたと思う。

生徒会の仕事ややらなきゃいけない事に一杯一杯で、恋をする暇もなかったし。

自分の名誉の為に言えば、何度か告白めいた事を言われなかった訳じゃないけど

それどころじゃなかったと思う。

 

いや、嘘じゃないよ。

二回か三回くらい校舎裏に呼び出されて、遊びに行かないか? って誘われたし。

んっ、四回か五回くらいあったかも知れない。

五回かな? 十回はあったかも知れない。うん、十回はあった。そうしておこう。

 

日曜日も楽しみ。比企谷くんの家にお邪魔して三人で映画を観ることが決まったから。

男の子の家に遊びに行くなんて初めてだけど、一色さんもいるからちょっと安心できる。

一人だったらパニックになちゃうかも知れないし。

 

手ぶらは失礼だしお土産なにが良いんだろう。

さっき、一色さんからメールが来た。彼女はショートケーキを作るらしい。

すごいなケーキとか焼けるなんて、私には無理っぽい。

そうだ。明日、本を買いに行くついでに、何か良さそうなものを探しにいこう。

ここは紅茶が良いかも知れない。一色さんの手土産とも合うし。

 

一色さんとメールのやり取りも久しぶりな気がする。

卒業してすぐの頃は、週に二、三回は来ていたように思う。

徐々に、ちょっとずつ、少なくなっていき、ここのところ全くなかったな。

自分たちだけで生徒会運営ができるようになったんだ、そう思えば嬉しい気持ちになるけど、

ちょっと、少し、寂しくもあった。

 

そういえば二人と別れた後、すぐに雨が降ってきたけど大丈夫だったかな?

なんか邪魔しちゃ悪い気がして、電話もメールもしなかったけど。

 

まあなにはともあれ明日は本を買いに行こう。

最近、ほとんど日記に書く事がなかったけど、今日はなんだか随分と長くなってしまった。

 

そろそろ寝よう。おやすみなさい。

 

7月24(金) 曇りのち晴れ。

 

今日は朝から曇り空。雨が降りそう。

雨は嫌いじゃないけど、それは部屋の中から眺めたりその音に耳を澄ませる時に限る。

外へ出ないといけない時は、髪は膨らむし服は濡れるしでちょっと嫌かも。

 

午前中、終業式に出席し、午後からは事務所で手続きを済ませる。

はるさんに相談したらあれこれと手伝ってくれたので、楽に終わらせる事ができた。

 

向こうでの手続きも付き添ってくれるとの事。

場所が場所だけにさすがにそれは……と遠慮する私に、はるさんは笑顔で

旅行がてらだから気にしないでいいよ、と言ってくれた。

ますますはるさんに頭が上がらない。

 

考えてみれば、生徒会長に立候補するきっかけもはるさんがくれたように思う。

立候補した時も会長に就任した後も、いつもいつでもはるさんは私を助けてくれた。

一人っ子の私には本当に実の姉のような人。

 

今度、ランチでもご馳走しないと。でもご馳走されちゃうんだよなぁ。

それで本を買いなさい! と言って出させてもらえないし。

 

私が自分の趣味の読書について話せる人。たぶん、はるさんくらいだと思う。

そして本の内容よりも私がそれを読んで、どう感じどう思ったか

そんな事を尋ねてくるのも、はるさん一人。

 

私は何を読んでも何も感じないし何も思わないから、だから聞かせて。

そう口にしたはるさんの顔は今でも忘れられない。

はる先輩優しいし、そんな風に見えないです。

答えた私に、はるさんは困ったような笑顔を見せる。

それでそれ以上、私は何も言う事が出来なくなった。

 

その頃の事を思い出しながら、比企谷くんに教えてもらった本を探したけど

結局見つからなかった。

仕方がない、もう遅いし明日にしよう。続きが気になるけど。

その代わり、良さそうなお茶の葉を見つけられたから良かった。

前に飲んだとき美味しかったし、これなら喜んでもらえるかな?

 

家に帰って、また荷物の整理をする。

まだ少し早いような気もするけど余裕をもってやらないと。

ただでさえ私は手際が悪いのだし。

そろそろ半分位は終わったかな? 疲れた。

今日はもう寝よう。おやすみなさい。

 

 

7月25日(土) 晴れ。

 

今日は朝から本を探しに家を出た。うん、良い天気。

足取りも弾んでいたと思う、この時は。

 

結局、十軒以上本屋さんを回ってやっと本を手に入れた。

まさか夕方まで掛かるとは思っても見なかったな、足が棒になりそう。

 

そういえば比企谷くん、結構前の映画だって言ってた気がする。

七年だったか八年だったか。

 

「携帯やらなんやらで人と繋がっているのが当たり前の今と、そういうものがなく

人と繋がり続けるのが難しい時代の、丁度中間に作られた作品だと思うんです」

 

彼がいった言葉を思い出す。

 

その帰り道、駅で偶然比企谷くんに出会った。

すごく頑張って手に入れたから、それを見せて褒めて欲しかったように思う。

そのせいで慌ててしまい、袋をビリビリに破いてしまった。

慌てる私を見て、彼は売店まで走ると紙袋を買ってそれを手渡してくれた。

 

それが意外だった。

悪い子で無いのは知っていたけどこんな風に気遣いが出来るタイプとは

正直思っていなかったから。

 

それで彼に興味が湧いたのだと思う。

似たような事を高校一年のとき、はるさんが私に同じ事をしてくれたから。

なのでお茶に誘ってみた。足が痛かったから座りたかったのもある。

 

そこからはびっくりだった。

お茶で喉を潤しながら、お互いに読んだ本の話で花を咲かせたのだが

私の読んでいる本は彼も殆ど読んでいた。

面白いと思ったとこ。悲しいと感じたとこ。感心した文章。驚くくらい似ていた。

彼は口数が多いほうではないけど感想を口にするとき、その表現がとてもユニークで

私はお腹を抱えて笑ってしまった。店員さんに叱られたくらい。

 

でも比企谷くんも悪いと思う。

笑わせないで~っていってるのに、さらにおかしな事いうし。

うん、比企谷くんが悪い。でも楽しかった。

捻てるというより捻ってる話し方だと感じた。

 

そして私が尋ねたことも真剣に考えて答えてくれた。

私は話を纏めるのが苦手で友達にもよく話が長いって叱られる。

そんな私の話を彼は嫌な顔一つせずきちんと聞いてくれた。

そうする事に慣れていないのかな? ぎこちなさを感じたけど優しい笑顔も見せてくれた。

 

こんな子だったっけ? 彼と話しながら私は思う。

 

文化祭の時。

彼は人一倍頑張ってくれていたけど、やる気のない他のメンバーにやる気を出してもらおうと

四苦八苦していた私や生徒会の子達には、あまり印象が良くなかった。

刺のある発言が多かったからだ。

 

気持ちはわからなくもない。

相模さんの提案で、もともとやる気のなかった文実の子達があからさまにサボりだし

その分雪ノ下さんや比企谷くんに負担を掛けていたから、面白くなくて当然だと思う。

 

ただ文化祭顧問の平塚先生と私たちも手をこまねいていたわけじゃない。

何度も相談しこの先状況の改善が見られなければ相模さんには役職を降りてもらい

今回に限り生徒会長の私が実行委員長を兼任する。そこまで話は進んでいた。

生徒会はあくまで文実をサポートする立場なため、余程のことがない限り

実行委員会で決めた事に口を挟む事が出来なかったからだ。

まああの状態で私が実行委員長になっても、何が出来たかわからないというのが

ホントのところだけど。

 

そして一番悪いのは私なのはわかってる。

私にははるさんのように人を従わせるカリスマ性も実務能力がないから。

気を使って仲良くしてもらって作業してもらう事ばかり考えていた。

 

そんな中、彼が口にする言葉は正論ではあったと思う。

でも実際やる気のない人を動かすのに正論を言っても意味がない。

言葉が通じる事と話が通じることは全く別の話。

 

きちんと話し合って作業をしてもらえばいいのに。そう思う人もいるかも知れない。

話し合わなければ分からないのは確かだけど、だからといって話せば分かるわけじゃない。

話そうが話すまいが分かっててあえてやってる人もいる。

 

殴ったり脅したりは出来ない。仕事のように金銭のやり取りもない。

それでも何とか働いてもらうため気を使っているのに。

彼に対して正論だけで世の中は回ってない。人の気も知らないで好きな事言って。そう思ってた。

 

それでも、比企谷くんが頑張ってくれたのは事実だ。

その事で彼に感謝を伝えた際、彼の表情を見てほんの少し違和感を覚えた。

ただその時はそれを確かめる暇もなく文化祭の後片付けに追われ、

彼との関係は一旦途切れてしまう。

 

それからひと月後、体育祭の時。さらにやる気にないメンバーを纏める、というか

締め上げるのに、彼が出した案には驚かされた。

その時、彼の案に耳を傾けながら疑問を感じたのを今でも覚えている。

何でこんなに頭が回る子がわざわざ文化祭の時、あんな事を口にしたのか。

意地の悪い方向にとはいえこれほど頭が回るのだ。

そう言ったらどう思われどう言われるかなど容易に想像つきそうなのに。

 

それに生徒会の私たちとは違い彼は責任を追及される立場ではなかった。

気に入らないことがあっても口を閉ざしていれば、文化祭の後、

影口を言われないで済んだはずなのに。

 

何か理由があったのかな? あったのなら何だろう?

そして私はこの男の子のことを、全く理解しても理解しようともしてなかったのかな?

駅からの帰り道、私はそんな事を考えながら、彼に家まで送ってもらった。

 

家でまた荷物の整理をする。でも頭の中はその事で一杯一杯になってしまう。

明日は比企谷くんのお家にお邪魔するし、今日はもう寝ておこう。

 

おやすみなさい。

 

 




それでは次回で。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。