空物語   作:向ヶ丘こよみ

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仁物語
かけるキャンサー 其の壹


000

 

 青春と聞けばさもいいもののように聞こえる。しかし、その実態はドロドロとした群像劇であり、或いは爽やかなものはあれど体感9割が前者である。

 青春はしないほうがいいのか──前世を過ごした僕からすればその体感1割を制した側なので肯定派ではある。さりとて僕のように全てがうまくいっていたような(まあ道半ばで死んでしまったわけだが)人間の言葉に説得力などないだろう。

 あるとすれば──例えば阿良々木暦。彼は筋金入りの友達いない人間であり、このまま進めば間違いなく彼女もできずに人生を歩んでいくことだろう。どうやらこの男には姉がご執心のようだが唯一の身内である僕がそれをブロックしてやらねばなるまい。

 友達はいるが怠惰に過ごしている。友達はいないが真面目に生きている。そんなような人間の中にも逸材がいるもので──。

 

001

 

 戦場ヶ原ひたぎという名前を知る者は数多くいる。無論僕も例にもれずその一人であった。深窓の令嬢、窓際の乙女、木陰の女神、様々な異名を持つ程に直江津高校において彼女の存在はそれほど特別視されているのである。病院通いだというのもその存在の儚さに拍車をかけていた。加えて言えば、勉強もできる優等生――その割には先生に指されても「わかりません」などと言っているらしいが――と彼女は称されていた。

 かわったよね、戦場ヶ原さん──というのは彼女の過去を知る人が軒並み発する一言だ。一体何があったのか、そんなもの知る余地も無いが、

 かくいう僕もその一人で、彼女の昔を知っていた。中学の同級生であった彼女は、少なくとも今よりは明るかったと記憶している。一緒にいるだけで楽しい普通の女の子だったという印象だ。僕と彼女は部活が一緒だったために彼女の運動をする姿というのを何度も見てきていたのだが、見ているこっちが清々しくなるような気持ちのいい走りだったのはいまでも僕の記憶にはっきりと残っている。宙を翔る、という表現がまさに正しいだろう。時には僕と一緒に走ることなんかもあったけれど、一度も勝てた覚えはない。それほどまでに彼女は『完成』されていた。

 彼女が変わり始めたのは中学卒業もあとわずかといった辺りだろうか。彼女は様子がおかしくなった。噂では両親が離婚したなどと言われていたが、所詮は噂――彼女は曖昧に言い淀みつつ、彼女の進学先を聞けぬまま、中学を卒業し――そして、少し見ぬ間に彼女は変わってしまっていた。

 彼女がまるで遠い存在だったかのように、近寄ることさえも許さず、ましてや誰かが話しかける事すらも許さないような、そんな異質さだった。まるで本当に最初からそうだったかのように。

 人を避け。

 関わらない。

 それが今の戦場ヶ原ひたぎという人物であった。

 まるで中学時代とは違う、全くの正反対を彼女はしていた。読んで字の如く、行動で示し、現していた。それもそのはずだろう。彼女という人物は本当の意味で変わっていたのだから。変わり、変化(へんげ)していた。

 作為的なものではない。人がやったわけでもない。

 寧ろ彼女の意志である。彼女が願ったからこそ、()()は現れたのだろう。

 ()()――人知を超えた存在。人の思想が生み出した虚無の妖怪変化。どこにでもいるしどこにもいない。

 人はそれを怪異と呼ぶ。

 

002

 

「阿良々木が?」

「そう。阿良々木君が」

 僕と姉である羽川翼と帰路を共にしたあくる日の放課後、最近彼女が熱心である阿良々木の名前を聞くこととなった。阿良々木暦。言わずと知れた校内でも悪い意味での人気者──いい印象も悪い印象もある同級生の名前である。

 姉さんと阿良々木が一緒のクラスになったのは三年生からだったか――どうやら、不変の委員長は不良たる阿良々木に目を付けたらしく、春休みから今日までずっと関わりあっている。弟としては最初のころは不安で仕方がなく、なんならあの春休みで阿良々木を殺しておこうとさえ思ったものだが、ゴールデンウィークの姉弟喧嘩では非常に世話になったために、今は保留にしておいている。でも姉を要らぬ道に引きずり込もうというのなら容赦はしないつもりである。

 ……さて、話を戻そう。姉さんが言うには、今日の放課後にクラスの文化祭の件で何をやるかというのを話し合ったらしいのだが、その時に『戦場ヶ原』の名前が出されたらしい。

 嫉妬というには少し違うか。いやしかし、純粋に気にしているというわけでもないようだ。少なくとも色恋の方面ではあると思うのだが。十八年の付き合いになるが未だに彼女の心理はよくわかっていない。ゴールデンウィークからようやく理解が一歩進んだが、それでもその全容は理解できてはいないのだ。

 とはいえ、どちらにせよ姉さんが阿良々木にご執心というのは事実である。僕としてはあんな男と付き合ってほしくはないのだけれど――少なくとも恋をすることはいいことのはずなのだ。

 まあもしもがあれば絶対にブロックするが。

「しかし、戦場ヶ原さんねえ」

 彼女と阿良々木に接点があるとは到底思えない。昔ならともかく今の戦場ヶ原は特殊な事情でもない限りは。そう、例えば――怪異絡み、とか。

「一年生と二年生――今年も同じクラスだって。私はあまり彼女に理解があるわけじゃないけれど、確か翔はおんなじ中学校だったよね。公立清風中学校」

「……まあ」

「随分と煮え切らないじゃない」

 今の戦場ヶ原と前の戦場ヶ原を同じ人物として扱ってもいいのだろうか、という言葉が出かかって直前んで飲み込む。

 中学の頃とは別人みたいだね、なんてことはよくある話だけれど、まぎれもなく彼女らは別人であると断言できるほどの変容、虚弱さは高校デビューでまかり通るものではないだろう。

 だがしかし、なぜだろうか。中学校の方が明らかに完成されていたはずなのに、あれが正しい姿だと認識しているはずなのに――今の彼女の方が美しいと感じてしまっていた。不完全であるが故の美とでも表現すればいいのだろうか。

 今にも消えてしまいそうな儚さが、戦場ヶ原を美しくさせているように思えて知人だった僕としてはその話題の扱いに非常に困る。

「まあ、今の戦場ヶ原さんとは喋ったことも接したこともないよ。昔の話ならともかく今はわからない」

「ふうん。そっか。……でもなあ、今すぐとはいかないにしろ、もう三年生だし、文化祭も近いし、阿良々木君から切り出されなくとも、戦場ヶ原さんのことはどうにかしなくちゃいけないことなのよね」

「一応優等生なんだろ?それこそ三年生なんだしそんなに気にすることでもないと思うんだけど」

「でも、せめて文化祭くらいは、ね。高校生最後の大きなイベントなんだから」

「……さすがは委員長」

 その気になればどうにかできそうなところが怖い。

 とはいえ、さすがにそんな無理な手段に出ることはないだろう――というよりも、きっと姉さんは阿良々木に信頼を寄せているのか。きっと自分が手を加えるまでもないとか、そんな風に思っているに違いない。

 前の姉さんならばやみくもに突っ込んでいって、自分をいとわずに無理やり解決していただろう。……これも阿良々木のおかげなのだろう。頼れる人を見つけられたのは本当に喜ばしい成長だった。そうなると、阿良々木が少しうらやましいな――それは僕にできなかったことなのだから。

「……変わったな。姉さん」

「へ?……えっと、どこが?……ああ、確かに三つ編みは二房になったわね」

「いやそうじゃねーよ。……と、いうか、本当だ。気づかなかった。いつの間にか二房になってる……」

「……いや、姉の髪形に瞬時に反応されても困るから、いいんだけどさ」

 だったらどういう意味なのだろうか?と首をかしげる姉さんを横目に苦笑する――そんなことを話していると、尻ポケットに入れていた携帯電話が震えた。開いてみると、一通のメールが来ていた。

 差出人は阿良々木暦。

 件名は『少し話がある』。

 本文には『廃墟跡にきてくれ』とあった。

 直前に戦場ヶ原、なんでも首を突っ込む阿良々木暦。

 どうやら、笑ってもいられない状況らしい。

 

003

 

 阿良々木暦という人物のことをこの場を借りて語らせてもらおう。

 ノリがいいが友達はいない。面倒くさいが、意外と頼れる。しかし変態であり、お人好し。他人を助けるためなら自分をいとわない正義の味方と言って相応しい。

 さて、先述したとおり、そもそも僕が彼と出会ったのは春休みのことである。ファーストコンタクト自体は高校一年生の頃に済ませていたのだが、まともな会話をしたのはその時が初めてで、加えて言うなら、彼はその時かなり特殊な状況にあった。

 春休みの時、姉さんはそんな阿良々木の状況を知り、そして僕は姉が夜中に出かけるという不可解な行動に疑問を持ち、すべてが判明したのは、姉をストーキングした時のことである。たどり着いたのは廃墟であった。そしてそこで、忍野メメと名乗る小汚いおっさんから事情を聞き出し、姉を巻き込んだ阿良々木を殺しかけた。以降僕は彼を敵対視するようになる。

 そんな春休みを乗り越え、しかし姉をこんな奇妙なことに巻き込んだ阿良々木へ心に遺恨を残していた僕は、姉さんと衝突することになった。

 それを解決したのが阿良々木とあっては、もはや和解せざるを得なかった。

 そんなこんなで、僕と阿良々木は知り合い以上友達以下の関係性と相成ったわけである。

 さて、これから向かう廃墟跡というのは件の春休みに世話になった廃墟なわけなのだが、もう一人、紹介せねばならない人物がいる。

 怪異の専門家、妖怪変化のオーソリティ――春休み、ゴールデンウィークと世話になった忍野メメ、その人である。

 アロハシャツに短パン、ぼさぼさの頭、そして火のついていない煙草を口に咥えているという僕が前世から会ったことのない強い個性を持つ人物だ。これだけでも十分不審者ではある。が、しかし、その本分は怪異譚の蒐集である。不審者から異常者にジョブチェンジする勢いがあるだろうが、彼はこの街に来てからその仕事を全うしている。しかも身内が──実の姉が世話になっているのでそう一概には言えないのが僕の立場である。

「っとと。ここか」

 危うく通り過ぎそうになったところを慌てて止まる。

 羽川家から学習塾跡はそれほど遠くなく、自転車ならば十分もしない距離だ。

 立ち入り禁止と、ところせましに書かれた看板が貼ってある通路を自転車を押しながら歩き、廃虚の入り口に自転車を立て掛けた――そこにはすでに自転車が一台ある。阿良々木は既に着いているらしかった。

 一階から順に彼を探すためにうろうろと教室を回っていく。

 三階の三つ目あたりの教室をのぞいてみると、そこに彼らは居た。

山状に積み重ねられた机の上に座り、いつもと同じ口調で、いつもと同じ雰囲気で、そこにいるのが当たり前のように、そして見透かしたようにこう言った。

「やあ。羽川君。やっと来たのか」

 その目の前、忍野メメとは違い、床の上に立つのは二人の男女である。

「よう。このあいだぶり、だな」

 妙にたどたどしい日本語で話すのは僕を呼び出した張本人である阿良々木である。

 そしてその横に立つのは――。

「久しぶりね、羽川君」

 物静かで冷ややかな印象を与える口調は、まぎれもなく、戦場ヶ原ひたぎその人で、しかし、彼女そのものではなかった。こうして向かい合うことで初めてわかる違和感がある。浮世離れという言葉がぴったりなほどに地に足がついていない様子に見えたが──よもやそれが慣用句としての意味ではなく、文字に通りの意味だとは思うまい。

 

004

 

 夜更、月が真上に出た頃。

 僕と阿良々木、そして件の当事者である戦場ヶ原は其々帰路についていた。

 向かう先は戦場ヶ原宅である。

 曰く儀式のためには清潔であれ、とのことで一番最寄の戦場ヶ原宅へと訪れたわけで、清潔と言ってもなにも聖水を浴びろとか、処女であれとか、裸で月の光を一日中浴びろとかそういうことをするのではなく、単純な話で、身体を洗うのだ。身を洗い清めることで、外界との接触をなくし怪異と対峙しやすくする、というのが主旨らしい。

「戦場ヶ原さんは重し蟹──だったか?に、取り憑かれている、と。そういうわけだったよな」

「……取り憑かれているとは違うらしいが」

「取り憑かれてるって表現する以外にどうするんだよあんなの。それは否定されることじゃない」

 ()()()()()()()に居座っていた件の怪異の気配を思い出しながら──果たしてあれを取り憑いていると言わずしてなんと言えばいいか。忍野さんをしてさしも遠回しな返答をしたことを思い出す。

「人は勝手に助かる、だったか」

 あまりにも僕の教えとはかけ離れたものだ──とはいえこちらとしてはこっちに足を突っ込んだ姉を助けてもらった恩がある。やり方に文句を言うつもりはない。

 だがどうしても自分の知る化け物退治とは勝手が違いすぎて、頭が混乱してしまう。阿良々木の時にしろ、姉さんの時にしろ、ああいった暴力的な方が僕の道理に一番近しいのだが。

 向こうが暴力的なのだからこちらもしかるべき対応をすべきなのだ。

「で、なんで呼ばれたんだ?」

「羽川から聞いた事があってさ。お前、戦場ヶ原と仲よかったんだろ?」

「……仲が良い……か」

 悪いというと嘘になる。しかし良かったというとそれもまた嘘だ。同じ陸上部に所属していた身としては仲が良かったという自負はあったが、しかし、そんな人は五万といた。それはつまり彼女にとっては誰もが平等であり、言うなればそれは聖者の行進とでも言うべきな、兎に角それ以上でもそれ以下でもない一定のラインに置かれた存在でしかない。

「加えて言うなら、戦場ヶ原自身の指名もあった」

「戦場ヶ原さんが?」

「お前、中学生の頃にこう言う悩みを解決してたんだろ。……春休みにしろゴールデンウィークにしろ、通りで妙に慣れてると思ったぜ」

「……そうか」

 要は慣れていない奴よりも慣れてるやつがいて欲しかったということか。

「まあ今はそんなことに足突っ込んでないから、なんにしても迷惑な話だよ。大体、この街は症例が少ない。生業にも出来ない」

「……それに越したことはないだろ」

「そりゃそうだけど、例えば忍野さんみたいにしなきゃ生活はできないってことだよ。あちこちを転々としてさ」

 要するにこっちはハイリスクだというのに帰ってくるのは感謝の気持ちだけなのである。そりゃあやる気も無くしてしまう。

 忍野さんがらみで無ければ今回もパスしていたことだろう。

 ……そういえば僕が生前活動していた時どんな風に指針を持っていたのだろうか。彼女の経営手腕の賜物だったのかもしれないが、それにしたってよくもああも続いたものだ。

「あんまり深入りはするなよ。忍野にも言われたろ」

「深淵を覗くものはなんとやらってな。……肝に免じてるよ。骨身にも染みてら」

 冗談めかして言う。阿良々木は不思議そうな顔をしていた。

 ……人の役に立ちたいとは思うが、それこそ姉さんの為ならなんでもする気概でいるが、僕はもうそういうことに深入りするつもりはない。

 あんな死際はまっぴらだ。

 血に溺れて死ぬ経験なんてそう何度もしてたまるものか。

 ……それに中学生の時のこともあるし。

「……遅いな。戦場ヶ原」

 阿良々木が風呂場にドアを凝視して言う。

「そうか?女子のシャワーなんてこんなもんだろ」

「ん、まあそうか。……なにぶん妹以外だと、その、初めてなわけで」

「ああそうか」

 よくよく考えれば付き合ってる女もいない男子高校生が身内以外のそういうあれこれを知っている筈もない。僕の場合は自慢をするわけではないが、そういう尺度を存じていない。

 因みに姉さんは割と早い方である。

「因みにお前のお姉さんは──」

「いっぺん死んでみる?」

「冗談だよ!男子高校生ジョーク!だからその地獄少女みたいな目を止めろ!」

 地獄少女とはなんぞや、と首を傾げていたところにほんの一時間と三十分前に聞いた立て付けの悪そうなドアの音が部屋中に響いた。元々壁が薄い家ということもあり、耐えかねた我々が一生懸命に水音などが聞こえないよう聞こえないよう、と、喋っていたのに会話の途切れ目だったせいか衣服の擦れる音が部屋中に響いていた。

「……不愉快な視線を感じるわね」

 ピシ、と空気の凍る音だ。

 壁越しに──もっといえば部屋も違うというのによく響くアパートである。

 中学の彼女なら通じた冗談もあるだろう。しかし今の彼女は別キャラだと考えたほうがいい。ダッシュファイターである。

 故に僕は円形のちゃぶ台に片肘をつき頬を乗せ、加えて足を組みキザな態度でこう言った。

「おいおい勘違いするなよ戦場ヶ原さん。視線じゃなくて聞き耳だ」

「誤解しか招かないし正直に言ったことには些か好感を覚えるが羽川弟!それは選択肢として最低最悪だ!」

「煩いわね阿良々木くん、ここ壁薄いのだからもう少し静かにして頂戴」

「あれ?怒られるのは僕だけか!?」

 そのツッコミに言葉が返されることはなく、今度は重い蒸気機関のような音が聞こえた。恐らくドライヤーだろう。戦場ヶ原の髪は長いので恐らく小一時間はかかることだろう。

「重し蟹、ね」

 そんな怪異は聞いたことがなかった。

 体重を奪い去るという性質のようだが、成る程、そうなれば現代医学では想像だにしえない奇病でしかない。

「本当に、馬鹿みたいな話だよね」

 僕が阿良々木に合流した後、忍野と僕に向け一通り話を終えた後に、彼は火のついていない煙草を口に加えながら苦言を呈したことを思い出す。

 季節柄夜が更けるのも早く、少し話を聞いただけで日は完全に傾いていた。

「ええ本当に。私もそう思います」

「いや、別にキミに同情してるわけじゃあない」

 戦場ヶ原はピクリと眉を動かした。一触即発な空気を遮るように今度は阿良々木がこう言い放った。

「それで、戦場ヶ原は助かるのか」

「助けないよ。被害者ぶってんのかは知らないけれど、キミがこの子をかわいそうに思ってるのかも知らないけれど、僕に言わせてみれば──」

 人は一人で勝手に助かるだけだよ。

 へらへらと火のついていないタバコを口から手へ、そのままペンを回すように弄びながらごちるように吐き捨てた。

「で」

 忍野さんは瞬時に貼り付けたような笑みを浮かべ、「詰まるところ、どうしたいの?」と言った。

「……どうって」

「だからさ、キミはその身に起こった不自然をどうしたいのかって話だよ。現状維持?それとも綺麗さっぱり何もかも無かったことにしちゃう?」

「お……おいおい忍野。そんなのは聞くまでもないだろ。そもそもここに来てるのだって、その、おもし蟹を退治するっていうのが目的であって」

「退治するだなんて、相変わらず乱暴だなあ阿良々木くんは。委員長ちゃんの時から何も学んでない。愚かしいよ」

 ゴールデンウィークを引き合いに出されては阿良々木としても分が悪い。一瞬の静寂が当たりをつつむ。

「それにしても、どうして蟹なんですか?」

「さあ?けれど、蟹が一般的なんだよ。僕のオリジナルの説ではあるけれど、元は神なんじゃないかな」

「神……カミ……蟹?」

「そう、そんな感じ」

 ……そうだとしたら、それって。

「駄洒落じゃん」

 僕の呆れを阿良々木が同様の声色で言う。

「まあね。でもそんなもんさ」

「あの」

 戦場ヶ原は眉を顰め、強気な様子で言う。

「名前なんて、そんなものなんだって構わないんですけれど」

「構わなくないさ。名前は重要だよ」

「よくわかりません」

 言うと、忍野さんは快活に笑う。爽やかさすら感じるその笑い方は、少なくとも戦場ヶ原の気に障ったらしい。

 それは阿良々木も同様か、とはいえ、慣れているのかそこまで顔に出しているわけではない。

 それもそうか、これは茶化されているように見える。

「よくわからない、とはずいぶんな言い草だ。今だって、そこにいるんだから」

「──何か、見えるんですか」

「いいや、見えないよ。僕にはね」

 言うと忍野さんは僕へ視線を向ける。

「いや、僕も見えないですよ」

 霊視なんてたいそうなものは持っていない。僕の専門は見える怪異なのだ。

 見えるならば武力で対抗できる。

 見えないのならそもそも悪さはしない。怪異は僕にとってそう言う分類でしかない──と、此処でふと気づく。

 見えないのなら悪さはしない。なら、戦場ヶ原の場合は(、、、、、、、、)?おもし蟹が神だと言うのなら、神であることが本懐であるなら……かの怪異は本当に体重だけを奪ったのだろうか?

「まあ、うん。いいよ、わかった。体重を取り戻したいのなら力になるさ。阿良々木くんの紹介だしね」

「助けて……くれるんですか」

「助けない。力は貸すけど」

 ──そんなやりとりがほんの二時間前のことだ。

 戦場ヶ原の家を見渡す。

 ……確か彼女は良い家のお嬢さんだったはずだ。

 普通の住宅街ではなく高級住宅街に立ち並ぶ、その中でも一層大きめの家に住んでいたらしい。

 だが今はどうだ。これほど没落という言葉が似合う状況はないだろう。

 戦場ヶ原曰く、母親が宗教にハマった、とのことだったが、それにしたってここまでの事になるだろうか。

 華々しかったあのスポーツマンが、果たしてこうなる程に。

 暫くしてガチャリと恐らく浴槽へと続く扉が開いた。そこに立っているのは自分の記憶の中以上に成長していた戦場ヶ原の姿だ。

 なるべく清潔な服を、と言われていた彼女が身に纏うのは白のスーツとスカートである。

「なによ、ジロジロと見ないで頂戴。童貞が移るわ」

「女子小学生かお前は」

「羽川君には言ってないわよ。私が言ったのはそっちの童貞臭い男のことよ」

「いや僕は見てないが!?」

「見なさいよ!」

「逆切れされた!?」

「ワーワー喚かないで頂戴。更年期障害?」

「よくもそんな失礼なワードがすらすら出てくるな!」

「更年期童貞」

「組み合わせるな!まるで僕が一生童貞みたいじゃないか!」

「てめえそれをコンプレックスに姉さんに手ェ出したらぶっ殺すからな」

「お前はこのタイミングでシスコンを拗らせてんじゃねえよ!」

「冗談だよ。殺しはしない。一応は姉さんの恩人だから」

「そ、そうか?それは良かった」

「足にコンクリートつけて海に沈めるだけだ」

「いっそのこと苦しみなく殺してくれ!」

「それじゃ流石に阿良々木君が可哀想よ羽川くん。……こういうのはどうかしら。足の先から徐々に切り落として──」

「凌遅刑じゃねえか!お前が世界で一番残酷だよ戦場ヶ原!」

 閑話休題。

「羽川くんは──忍野さんと親しいのかしら」

「……いや、僕は全然。姉さんの繋がりで知っただけ」

「ふうん」

「羽川の時も、僕の時も忍野に世話になったのは間違い無い。腕は確かだから信用してくれて良い」

「……そ。でもね阿良々木くん」

戦場ヶ原は言う。

「悪いけれど私はまだ忍野さんの事を半分も信頼してないのよ。おいそれと信じるほど世間を知らないわけじゃない」

 私は今までに五人の詐欺師に騙された、と淡々とつげ。

「偶然に偶然が重なって、阿良々木くんにこうして力になってもらっているわけだけど。それに、友達のいない阿良々木君に私との共通の知り合いが居るだなんてことも、本当にたまたま、偶然、楽観的に捉えるなんて事、私にはできない。どうしたってそう思えないの」

 戦場ヶ原は僕を見て、そう言った。

 


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