キャノンボール・ファスト前にはもちろん、授業の内容として高速機動の授業を行うのが通例だが、それはキャノンボール・ファストの1週間前からとかなり過酷なスケジュールだ。授業時間で言えば6コマ。時間でいうなら270分。専用機持ちでないなら合計で30分も乗れればいい方だろう。
さらに言えば、そもそも2年生から参加のイベントだから、もともと無かった単元を無理に組み込んでいるわけで。時間調整に追われる千冬の姿が目に浮かぶ。
というわけで始めての高速機動の単元がいま始まろうとしていた。生徒の前に立つのは山田先生。すこし離れて織斑先生が居て、私は生徒の後ろから見ている。
「はいはーい。それでは高速機動の授業を始めますよー」
山田先生が声をあげると生徒の話し声がピタリと止んで視線が前を向く。春先にはありえない光景だったのに…… 山田先生がしっかり生徒からの尊敬を受けている証拠だろう。
基本的なアレコレの説明より先に、実際に見てもらった方が早いとばかりに、セシリアと一夏くんが呼び出され、前に出た。
「武器の使用は禁止です。体を慣らすようなつもりで8割くらいのペースで1周してきてください。いいですか? 3,2,1,ゴーっ!」
言うが早いか、光の筋のなって目の前を飛び出していった2人。さすがに肉眼では見えない距離になってきたので空間投影ディスプレイで後ろを飛ぶ一夏くんのハイパーセンサーの映像を映した。
「ありがとうございます。さて、いま織斑くんの視点を借りてますが、見ての通り、高速機動時にはハイパーセンサーのモード切り替えをして、ハイスピードモードに設定します。これにより、遠距離のものを捉える性能は下がりますが、より近い距離を鮮明に見ることができるようになるんです。それでも50キロほど先までは見通せますから、極端に性能が下がった感じはないと思います。そして、ハイスピードモードの注意点ですが…… そうですね、鷹月さん、わかりますか?」
「えっと、慣れていないと高感度すぎて3D酔いに似た感覚に陥ることがある、でしょうか?」
「正解です。教科書に載っていないのによく調べていますね! 鷹月さんの言った通り、ハイスピードモードは人間の目よりも高い感度で精細に周囲を見ることができるようになります。その感覚に慣れていないと酔ってしまうんですね。ちなみに、ノーマルモード時には普段5メートル先のものを見るときと同じ感覚で数百キロ先まで見えるように設定されているんですよ。そろそろ2人が戻って来そうですね」
そのあと、ぴょんぴょんしながら2人を褒める山田先生に色んな念のこもった視線が向けられたり、一夏くんの首が妙な方向を向いて固定されたりしたものの、織斑先生がパパッと手を打つと一斉にその視線がむいた。
「いいか、今年は異例の1年生参加だが、やるからには各自結果を残すように。キャノンボール・ファストでの経験は必ず生きてくるだろう。それでは、訓練機組の選出を行うので、各自割り振られた機体に乗り込め。ぼやぼやするな、解散!」
私は事前の打ち合わせ通りに訓練機組の選出、端的に言えば選抜トーナメントを織斑先生と行い、代表者を選ぶとその後は上級生と競うことになる2人を付きっ切りで見ていた。
今日ラストの授業であることに感謝しつつ、授業が終わるとさっさと着替えてチェックリストをさっさと書いて送信。教室に向かう。私が教壇に立つとおしゃべりが止むから面白い。なんだかんだでこっちを見ているのだ。
「今日も1日お疲れ様。始めての高速機動とか色々あっただろうけど、週末には本番だ。代表にならなかったからって手を抜かず、あと2回の授業もキチンとやってね。連絡事項は…… ああ、ISスーツがキツイとかで調整か新しく注文したい人は私か織斑先生のとこまで来てね。いつでもいいから、年明けに太って入らなくなった時でもいいよ。んじゃ、今日はおしまい」
軽く
私のルーティンとして、お茶を淹れ、机についたらまずは出席管理。欠席者や遅刻を表に入れるだけの簡単な作業だ。今日は誰も居ないから次。メールチェック。私の頼んでいた車が日本に着いたので納車整備をしていると言うメールがあった。嬉しいことに写真付きだ。少しニヤけていると、後ろから声がかかる。
「上坂先生、車買ったんですか? いいなぁ…… うげっ、これF12じゃないですか!」
「流石、フェラーリ先生、一目でわかりましたか」
イタリアで代表候補を務めた経歴の持ち主であるフェラーリ先生。主に上級生の操縦実習と語学を担当している。彼女もまた車好きらしく、愛車のランボルギーニで通勤している。曰く、フェラーリは好きだが、大人っぽすぎるから見ているだけでいいらしい。だが、今は子供っぽい目の輝きで私の隣にちゃっかり座って、私のフェラーリに物欲しそうな目を向けていた。
「いいなぁ、私も買おうかなぁ…… いやでも、維持が…… うーん」
「今乗ってるのを買い換えると言うのは……」
「non、アヴェンタドールは私の、いえ、イタリアの宝とも言うべき車ですよ? 手放すなんてありえません」
「そうですか……」
「そう言えば、先生は増車ですか?」
「いえ、4Cの買い替えです。パワステがないのは流石に辛くて。先生、良ければ買いますか?」
「ええ、是非!」
即決かよ、と内心戸惑いもしたが、IS操縦者は得てして高給取りで、お金には困らないものだ。まぁ、そんなに高く売りつけるつもりもないのでまぁいいだろう。
さてさて、車談義も楽しいが、まだ就業時間だ。メールチェックが済むと、次は課題の提出状況を見て、締め切りであれば採点もする。ある意味一番先生らしい仕事と言えるかもしれない。
今はそんなに多くの課題を課しているわけではないのでこれも適当にチェックすると私の一番嫌いな書類仕事に移る。あれを許可しろ、これはどうだ、といちいちペーパーで聞かないといけないのか、と思うものまで様々だが、なぜか毎日10枚程度机に置かれている。
それを終わらせれば次は放課後の大部分を占める課外活動の顧問だ。まぁ、場合によってさらに自分の専門の勉強をしたり、授業の見直しをすることもあるが、今日は生徒会室に行くことにしよう。
「やっはろー」
「先生、今日の仕事はもうないわよ?」
「嘘、だろ? だって、楯無だよ? えぇ……?」
私が部屋に入るなり、楯無が投げ掛けたのはいらない子宣言。せっかくテキトーに書類にハンコ押しながら虚ちゃんのお茶とお菓子を楽しめると思ったのにこの仕打ちだ。
「本当ですよ、先生。お嬢様と一夏くんで終わらせてくれました。実際のところ、先日の仕分けもあってもともとの仕事量が減ったのが大きいですが」
「と言う訳でアフターヌーンティーにしましょ?」
どうやら今日は仕事の少ない日らしい。
なんやかんやでときは進んでキャノンボール·ファスト当日。
訓練機組は千冬か山田先生か私が少人数レッスンをしたおかげで下手な代表候補生ならカモれるレベルに達している。上級生よりいいタイムが期待できそうだ。
超満員の会場は本当に生徒が呼んだ人と関係者だけなのか、と疑いたくなる喧騒に包まれ、ピットにいても何を言っているのかわからない歓声 が聞こえてくる。
レースを終えた2年生の候補生を迎えると、入れ替わりに1年生の専用機持ちが飛び出して行った。
「みんなお疲れ様。サラはラファールで大健闘だったね」
「ありがとうございます。でも、やっぱり専用機との壁は越えられませんね」
「汎用機に負けてたら専用機の名折れだもの。ね、フォルテ」
「楯無は相変わらずやり方が汚ねぇっす。スタートダッシュ決めたらあとは水で全部防いじゃって」
「正直なんの役にも立たないただのエンターテイメントなんだからそんなに気にしたら負けだよ」
「「「先生が言っていいセリフじゃない
あちゃ、ダメだったかね? 実際、妨害ありだとしてもこんな決められたコースを飛ぶだけのレースはエンターテイメントでしかないのだから、兵器としての性能が求められているISでそれをやったところでなんの意味があるのか、些か疑問ではあるのだが。
さっさとISを量子化してベンチに座った2人は画面の向こうで始まったばかりの1年専用機持ちのレースを真剣な目で見ていた。
「おや、イギリスのがトップっすか。サラぁ、おたくの後輩ちゃんがスタートダッシュでトップっすよ〜」
「あっ!」
「おっ、鈴が行ったね。サラ、セシリア抜かれちゃったよ」
その後も、セシリアがズルズルと順位を落とすたびにサラに声をかけ続け、本人から「うるさい!」と3人で怒られたが、それでもレースは続いている。だが、それも長くはなかった。
訓練機を戻したサラが加わり、レースも2周目に入ろうとした時にそれは起こった。
先頭を争っていたシャルロットとラウラが突然、空から放たれたレーザーに撃ち抜かれたのだ。
「敵襲! 楯無!」
「わかった。サラ、フォルテ、避難誘導行くわよ!」
「ええ!」
「わかったっす!」
ピットを飛び出した3人に続き、私も鎮圧行動のために別の訓練機が置いてあるピットに走る。
首から下げたIDをキーパッドにぶつけてロックを解除すると既に先生が何人か準備を始めていた。
「ブライトマン先生、現状は?」
「わかりません、私たちも敵襲があったために駆け込んだので。今は上坂先生に従います」
「わかりました。上級生の候補生達には避難誘導に当たらせています。私たちは襲撃者の気を引き、避難完了まで時間を稼ぐことが第一目的です。火器の使用を私の権限において許可します。フィールド内、1年生の専用機持ちが交戦中と思われます。くれぐれも誤射に気をつけてください」
千冬に連絡が取れないことを悔やみつつ、私含め4人の先生方がラファールに乗り込み、ピットから飛び出した。
案の定、1年生はサイレント・ゼフィルスを駆るエムに翻弄されっぱなしで、見るに耐えないワンサイドゲームが繰り広げられていた。
「やばっ。教員に連絡! 襲撃者との交戦は許可しません! Engagement negative! 来賓の避難誘導に当たってください!」
「Rogger that」
「上坂先生!」
「あの機体との交戦は被害を大きくしかねません! 1年生にも撤退命令を……」
教員同士でのチャンネルでとっさに撤退とも取れる命令をしたところ、やはり不満げな声も聞こえた。だが、これが現実なのだ。1年生、世界トップクラスの機体を駆る5人組が束になってかなわない人を相手に機体性能で劣り、実力でも拮抗しているか怪しい教員が飛びかかったところで返り討ちにあうのが目に見える。
生徒を犠牲にするようなやり方でとても気にくわないのは私も同じだ。だが、時には引くこともしなければ……
「上坂先生! 上空にもう一機! 不明機です!」
「先生! オルコットさんが襲撃機を追って市街地方面に!」
「橋本先生! ハイパーセンサーで不明機を追い続けてください! 私は市街地に向かいます! それ以外の先生は引き続き避難誘導を!」
そのセシリアを追うように飛び出した白式を横目に怒鳴るようにしてから私もまた市街地方面に機体を飛ばした。
既に手遅れ感は否めないが、ハイパーセンサーで見るにちょうど一夏くんがセシリアを抱きとめた瞬間が見えた。
悔しげな顔をするエムが引き返すその先を予想して回り込んで待ち伏せると、上手いことやってきてくれた。
「またお前か。そんな機体で落としに来たのか?」
「いんや、ただ、話をね」
「何を話せと? お前に語ることなど何もない。何が目的かなんて私だってわからないからな。スコールから聞けばいい」
「違うよ、そんなつまらない事じゃなくてさ。どうよ、"君の半身"は」
わざといやらしい言い方で聞けばエムの身体が少し震えた。頰が引きつり、歪んだ笑みを浮かべてみせる。
「期待外れだ。あんなのが私の半身だと? ふざけるな。今日はスコールに言われて引き下がるが、次会った時は殺す」
「そうかい。ついでと言っちゃ悪いんだけどさ、私の事一つ斬っていってくれない? 無傷で帰ると疑われるからさ」
エムは「知るか」と言ってそのまま飛び去り、ご丁寧にフレキシブルで曲げたレーザーを諦めて帰ろうとした私の背中にバカスカ当ててくれた。黒い煙を吐きながら市営アリーナに戻ると空っぽのは観客席とフィールドの真ん中、スタートラインの上で千冬が仁王立ちして待っていた。
「遅かったな。サイレント・ゼフィルスを追ったか?」
「まあね。返り討ちでこのザマだけどさ」
「ファウストを使え…… ないからこうなったんだな」
「あれはまだ見せられる代物じゃないからね。そうそう、次に彼女が来た時は一夏くんが死ぬよ」
調子を変えずに言うと千冬の頰が引きつる。ただし、エムとは違ってその顔は憎しみに歪んだ。しっかし、エムと瓜二つだね。あーヤダヤダ。
「どう言う意味だ」
「言葉通り。あの子、次会った時は殺す、って言って帰ったよ。だから、間違いなく生身でいる時間を狙ってくる」
「……!」
「今日は一夏くん、誕生日だったよね? パーティやるとか聞いてない?」
「あ、ああ。専用機持ちや中学の友達を集めてやると……」
「一夏くんが危ない」
「だがっ!」
「証拠がないからねぇ…… とりあえす、今日は本気で仕事終わらせて帰らないと一夏くんの死体とあいさつすることになるよ」
学園に戻ると専用機持ち達から事情聴取。その際にラウラには一夏くんが狙われる可能性を伝えておいた。そして、こっそりと銃も渡す。ISが使えない可能性もあるのだから仕方がない。
事情徴収が終わると次は報告書だ。自分が書くだけでなく、他人のものを確認し、齟齬がないことも見ないといけない。関係省庁にも電話をして、死ぬほど疲れた身体を引きずって校舎を出たのはすっかり日も暮れた7時過ぎ。
アルファロメオの隣に千冬を乗せて法定速度は守らず安全運転で家まで帰っても8時を過ぎてしまうだろう。
「危ういな」
「時間的にはいい感じだね。ちょうど人が少なくなる時間だよ」
「街灯も少ないからな、あの辺りは」
「ラウラには言ってあるから、1人になったりしなければ……」
そう言った矢先に、私の携帯が鳴った。相手は…… ラウラ。話が話だっただけに一抹の不安を覚えながら受話ボタンをタップし、スピーカーモードにすると一番聞きたくない報告が聞こえた。
『上坂先生、一夏が一人で外に。見失いました』
「最悪だ。間に合いそう?」
『自販機に行く、と言っていたので遠くには行っていないはずです』
「一番近い自販機は家から南側の道路沿いだ。街灯もない」
『織斑先生! 今地図で確認しました、向かいます』
「私たちもあと10分で着くから。ISの展開も辞さないで」
『了解』
短くも濃い会話を済ませると郊外の幹線道路から住宅街に入る。自販機の近くまで来るとそこで千冬を下ろし、私はそのまま反対側へ回り込んだ。
エンジンを止め、一息つくと再び着信。今度は千冬からだ。
『やはり襲撃にあっていた。ラウラが間に合って2人とも無事だ。少女は9ミリ口径のハンドガンで武装している。そっちに逃げたそうだが、気をつけろ』
「わかった」
あまりにも短い会話。だが、それにはもちろん理由がある。
目の前をハンドガンを片手に、反対の手から血を流して歩く少女が通れば嫌でも目につく。千冬と同じ長い黒髪と妙に似合ったゴスロリ風のワンピース。
車から飛び降りて後ろから声をかけた。
「お昼ぶりだね、マドカ」
「またお前か…… アドバンスドもお前の差し金だろう?」
「もちろん。面と向かって殺害予告なんてされたら警戒するに決まってるじゃん」
「ふん、次こそ、次こそ殺すからな。まずはお前を始末するのもいいか……」
ここでようやくこちらに振り返る。その顔は血に濡れ、どこか恍惚とした笑みを浮かべている。
千冬そっくりの顔が血に染まっているのはいい気分とは言い難い。
「そうして千冬と同じ身体を傷つけるのは楽しい?」
「当然。私は生きてる、そう思えるからな。この痛みが、この色が、私を生かしているんだ。お前にはわからないだろうな。この恍惚が」
「わかりたくもないかな? それで、どうする? ご飯でも行くかい?」
マドカの口が開いた瞬間、聞こえてきたのは全く違う、聞き慣れた声だった。
「それはいいわね、是非ご一緒したいわ」