心象世界に意識を投げ出していた私はファウストによって身体機能を最小限に抑えられていた…… いわば冬眠に近い状態だったらしく、身体の他の場所に回すエネルギーを全て頭に回していた様だった。
おかげで目が覚めたのは翌日の昼。束の栄養剤を投与してもこれだ。まるっと24時間近く寝ていた私が目覚めて初めて見たものは板張りの天井、そして視界の片隅で船をこぐ金髪だった。
「ん……あ?」
「目が覚めたか」
「ちーちゃん?」
「ああ、私だ。気分はどうだ?」
「疲れた」
「だろうな」
身体を起こそうとするとあちこちから激痛が走り、思わず声が出た。それで目が覚めたのか、見慣れない金髪…… ではなくナターシャが顔を上げた。
「杏音!」
そして目覚めのハグ。中途半端な角度に起きていた私の身体に再度激痛を走らせ、重力に従い再び布団にダイブした。いや、あんた重いよ、普通に。クッソ痛いからはよ退け。
「ナターシャ、痛い……」
「退いてやれ、杏音がまた気絶するぞ」
「あっ、ゴメンね。でも、無事で良かった。杏音と学園の後輩たちが戦ってくれたの、見てたから……」
という事は私が福音のエネルギー弾を全身に浴びたのも知ってるはずだし、もしかしたら心象世界での事も見ていたかもしれない。
彼女は昔からISに愛着を持って接するタイプだったから、コアからも好かれやすかったはずだ。福音はそれを身を以て示していたし。
「ナターシャ、なにか夢とか見なかった? 福音が乗っ取られた時とか」
「ええ、見たわ。私が磔にされる夢。目の前であの子を閉じ込めて、その身体を無理に動かして……」
「そう、やっぱり……」
「ボーデヴィッヒの時と同じか?」
「コアに直接影響するタイプのシステムが福音に組み込まれてだからね。もしかしたら、と思ったけど」
この際、福音に組み込まれたのはウィルスだと言ってもいいかもしれない。明確な悪意を持って機体に入れられたそれはコアだけでなく、操縦者にすら影響しかねなかった。
一応、この件でのけが人は私だけ。ナターシャはただ気を失っていただけで、昨日の夕方には目を覚ましていたそうだ。
「辛気臭い話はもういいだろう。昼食を持ってくるが、どうする。お粥とかにしておくか?」
「うん、お願い」
「ナターシャ、ついてきてくれ」
「わかった」
部屋を出た2人と入れ替わるように入ってきたのは束だった。まぁ、予想はしてたけどね。
部屋に入ってきても黙ったままの束をじっと眺めていると、漸く口を開いた。
「あーちゃん、なにかいう事は?」
「ありがとう、ごめんね、束」
「よろしい。心配したんだからね? 命張るとは思わなかった」
「先生だからね、私は。福音の処理の時は助かったよ。ありがと」
「あーちゃんがスパコンしてるから、なにかあるな。と思ったら、ね」
あーちゃんの頭は相変わらず人外スペックだね。と褒めてるのか貶してるのかわからない言葉を付け加えて束は私の手首に下がる鈴のついた紐を見た。
「箒ちゃん、どうしたの」
「あーちゃんがダメ、って言ってたシナリオ通りに進んじゃった。やっぱり紅椿は今は必要無いって」
「やっぱりね……」
ファウストを起動して重力から解き放たれ、身体を起こすと手首から紅椿を取って束のエプロンのポケットに突っ込んだ。
俯く束を抱いて頑張ったね、と頭を撫でる。昔から褒められる事のなかった束を上手く扱うコツは褒めることだ。ただし、適度に。
「あーちゃん、私、頑張ったよ。箒ちゃんに嫌われるかもしれないと思うと怖くて怖くて仕方なかったけど、頑張ったよ」
「うん。よく言ったね。ほら、泣かない。箒ちゃんに嫌われた訳じゃないんだ。むしろ好印象なんでしょ? 結果オーライだよ」
束は紅椿を渡したくとも渡せないもどかしさを感じ、私は原作通りにことを勧めるべく箒ちゃんに紅椿を持っていて貰いたかった。
私というイレギュラーの影響が大きくなり、原作シナリオとのズレが大きくなってきた。これ以上の誤差は私1人では吸収できないだろう。
亡国機業との関係は私個人としては良好であっても、彼女らが束や一夏くんを求めることに変わりはない。今後、学園祭や修学旅行での交戦が明らかな今、原作と違い二次移行していない白式単機では間に合わない事も増えるだろう。
ただ、一夏くんの実力が原作よりも上なように感じられるのが救いか。それでも、白式とセットで動くべき紅椿が居ないのは明らかなマイナスだ。
「杏音、お昼を貰って…… 篠ノ之博士?」
「どうした…… って束……」
「寝ちゃった。どうせ目が醒めるまでずっと私のこと監視してたんでしょ」
「えっ? 篠ノ之博士、んん?」
「ナターシャ、落ち着け。まずはお盆を置け。杏音、どういうカラクリだ? お前のISか?」
私は上半身を起こして束を抱いている。さっきまで動くだけで激痛の走っていた身体で、だ。不審がられても仕方ないし、千冬はファウストの事を知っているようだ、ここは大人しく白状すべきだろう。
「そう。PICで重力いじってる。どこまで聞いたの?」
「束と杏音の持てるもの全て注ぎ込んだISだ、と言うところまでだな」
「まぁその通り。コアナンバーX、唯一無二の存在だよ。今までこっそり使ってたんだけど、バレちゃったかぁ……」
「お前が落ちた時、束から聞いたんだ。ナターシャ、ここで見たこと聞いたことはーー」
「言える訳ないでしょ? それに、杏音がおかしいISを持ってるのは今に始まった事じゃないしね」
仕方ないので私はファウストの概要を本当に嘘のない程度に過小評価して千冬に報告した。だが、それも千冬の一言でファウストの一番触れられたくない場所、遠隔起動システムについて聞かれてしまったのだ。
「だが、お前のISはレーダーに映らなかった。如何なるものでもコアネットワークに繋がっている限りあのレーダーから逃れられないのはお前が一番よく知ってるはずだ」
「うぐっ、それは…… トップシークレット中のトップシークレットなんだけど……」
千冬からの無言の圧力。そしてナターシャからの好奇の視線を受け、流石に話さないといけない雰囲気になってしまった。
「はぁ。私のファウストはコアとフレームが分離してるんだ。コアは誰もわからない場所に隠して、私はコアの受け持つ機能を受け取る子機を持ってるって仕組み」
「相変わらずお前らはどうして現代の常識をひっくり返してくれるんだ」
「嘘ォ……」
「本当。だから私が襲われたところでコアは奪えないし、子機を奪っても私以外には反応しないから使えないってワケ。ある意味最強のセキュリティ下に置かれてるISだね」
千冬は呆れた、と声には出さないが目がそう言っているし、ナターシャは今まで使っていたISとはなんだったんだ。と自問でもしているのだろう。
世間は確かに頑張っている。7年前には束が作っていた第3世代機をなんのヒントも無く作り上げた。
第1世代や第2世代なんてものが束の意識に存在しないのは言うまでもない。白騎士は現代の第2世代を凌駕する機体スペックを持っていたし、そもそも"世代"の括り自体、科学者達がジェット戦闘機に例えて作った枠組みだ。
そんな後付けの枠に囚われるほど私たちは落ちぶれちゃいない。
「というワケで、私はこれからISを切ります。ちーちゃん、食べさせて」
「お前ならISを起動したまま食事するくらい余裕だろ」
「いや、雰囲気? あと、こっちに近づいてくる生徒がいるからバレたらマズイ」
「はぁ、仕方ないな」
千冬の「あーん」をたらふく頂いて、それを盗み見ているであろう専用機持ち達に見せつけるようにたっぷり甘えてやった。
相変わらず身体は補助無しじゃ痛くて動けたものじゃないから帰りのバスまでは千冬のお姫様抱っこ…… その頃には内心「これってほぼ介護じゃね? みっともなくね?」とも思わなくもなかったが、学園に着いた時にはケイト先生に肩を貸してもらいつつも自立することでなんとかちっぽけなプライドを維持した。
臨海学校の翌日は振り替え休日になり、私は相変わらず少し痛む身体をベッドで横たわらせていた。学園に戻ってから医務室で精密検査を受けたら骨に異常は無いけど、打ち身打撲が酷いからさっき立てたのは奇跡だね。とまで言われた。そのツケが回ってきたかのように身体中が筋肉痛どころでは無いので朝からベッドで携帯をいじっている。
「セシリアです。上坂先生、いらっしゃいますか?」
「開いてるよ〜」
「失礼します」
控えめなノックとともにやって来たのは専用機持ち一行、そして箒ちゃん。おそらくドアの前で「あんたが行け」とかそんなやり取りを繰り返してセシリアに決まったのだろう。
「先生、お加減はいかがですか?」
「うん、打ち身打撲がすごいことになってるらしい。おかげで寝たきりだね」
「あたしのせいよね…… ごめんなさい」
「気にするな、とは言わない。ただ、結果としてみれば私は生きてるし、鈴も生きてる。それをどう自身の糧にするかだよ」
鈴が俯き加減に小さな声で謝るので大好きな持論をサラッと語って手持ち無沙汰な一夏くんと箒ちゃんにお茶を淹れるよう頼んでから残りの4人を適当なところに座らせた。
「杏音さんの部屋って生活感がないと言うか……」
「綺麗すぎる気はするな。杏姉はズボラっぽくて結構綺麗好きだし」
「ズボラだから綺麗なんだよ。必要な動作だけすれば物は散らからないし、ゴミもゴミ箱だからね」
「無精者、ここに極めり……」
「簪ちゃん、怒るよ」
「ごめんなさい」
簪ちゃんを少し睨んでから改めて人の部屋をキョロキョロと見回す4人を眺めていると一夏くんがお茶を持ってきた。
ティーバッグの紅茶なのにわざわざ蒸らしの時間まで考えて入れたのだろう。妙に時間がかかっていた。その辺りが一夏くんらしいけれど。
「あら、カップが」
「さすがセシリアだな、ちゃんとカップも温めてあるぜ」
「一夏が変にこだわるから時間がかかってしまった……」
「食へのこだわりは人間として感性の高い証拠、と著名な料理家が言っていましたわ。それに、カップ1つにまで気配りが出来るのは紳士として好印象ですし」
「あんまり褒めるな。一夏はすぐに調子に乗るからな」
ラウラがセシリアのコメントに鋭いツッコミを入れていると、案の定一夏くんが1つだけ角砂糖を大量に突っ込んだ激甘の紅茶を作り上げていた。
これには皆苦笑いするしかなかったようで、一夏くんの慌てた弁解も虚しく、その甘い紅茶は彼の胃に収まる事になった。
1学期も残すは数日、修了式には出たいところだが、私の軟弱な身体がどこまで回復してくれるか……