日が暮れる前にケルンから飛行機に乗り、1時間半でロンドンに到着。その日はホテルにチェックインしてご飯を食べただけなので特筆すべき事はない……あぁ、寝る直前にクラリッサから写真付きでメールがとどいた。私が置いてきた黒うさぎのぬいぐるみを抱きしめたラウラの写真だ。
クラリッサのチョイスであろう薄いピンクのパジャマでぬいぐるみを抱きしめる姿はまるで10歳に満たない女の子だが、本人に言えばまた拗ねられてしまうので心にしまっておく。適当な言葉で返信してから少し奮発して取ったふかふかのベッドに身を投げた。
翌朝は6時過ぎくらいに朝食を食べずにチェックアウトすると前もって予約していたレンタカーに乗り、フリーウェイを1時間ほど走らせるとイギリス空軍司令部を擁するハイ・ウィッカム空軍基地に到着した。
ゲートに車をつけ、名乗ってからパスポートを提示したは良いが、話が通っていなかったのか、全く相手にしてくれない。流石にここで揉めて拘留は勘弁して欲しいので一度ゲートから離れて今回私を呼んだ張本人に連絡を取ることにした。
「Hello Melissa Hamーー「おはようございます。私です」」
「アンネ……何の用? 今日来るんだからその時でもよかったじゃない」
「会ってお話し出来なさそうなんだけど? メインゲートまで来てくれない?」
私の同期はIS黎明期に学園を出ているだけに時々めちゃくちゃ出世する人がいる。彼女はその一人で、今はイギリス空軍で大佐なんて階級をぶら下げ、飛行軍団隷下の特殊兵器飛行軍のトップに立っている。
数分待つとライトブルーのシャツとタイトスカートを着こなしたクラスメートが見えた。
憲兵が揃って敬礼すると彼女もキッチリと返礼してから憲兵の2人と話し始めた。チラチラとこちらを伺っているために間違いなく私の事だろう。
道中に買ったまずいコーヒーを啜ると彼女が車の側まで寄ってから窓を叩いた。
「ごめんなさいね、話を通してたつもりだったんだけど。一応もう一度手続きしてから入って。中は私が案内するわ」
「もちろん」
隣にメリッサを乗せ、ゲートで再びパスポートを提示してから基地に入った。
空軍基地と言ってもここに滑走路は無く、木々が並ぶ中にレンガ造りの建物がポツポツと建っている。とてもここが司令部とは思えないが、そんな"ヨーロッパの都市郊外"な風景に似合わない近代的な建物が一つだけあった。
「アレが自慢の開発棟。ISだけじゃなくて民間の航空機や携行火器の開発部門もあるし、近々陸海軍の開発部門も入る予定なの。上層階は司令部がお引越し中。お役所は効率化に必死で」
「なぁるほど」
車を降りて銀色の建物に入ると綺麗な病院や研究所と言った言葉がぴったり当てはまる銀と白とグレーなロビーが広がっていた。
先を歩くメリッサの2歩斜め後ろをついて広々としたロビーを抜け、白い壁の廊下を歩いて進む。廊下の1番奥、A000と書かれたプレートが付いたドアを開けるとこれまた白い部屋の真ん中に青いISが白衣の人間に囲まれていた。
「アレが我が国の第3世代、ブルーティアーズだ。エネルギー兵器の実証機なんだけど、これは事前に送ったレポートにまとめてあるからいっか。どう、イケる?」
「もちろん。エネルギー兵器は得意だし、対策も考えてある」
「助かるわ。それさえ終われば完成なのよ」
イギリスの注文はシンプル。BT兵器をなんとかしてくれ。これだけだ。BT兵器はエネルギー兵器の中のレーザーライフルに分類される射撃装備だ。1つの大型ライフルと4つのビットで構成され、操縦者の頭次第で波長を変えて曲げられるという。
ただ、そんな頭のおかしい芸当ができるのは千冬や(以下略。
部屋の片隅で小さくなっている金髪の女の子ーーおそらくセシリアだろう。が目に止まったが、とりあえずスルーして部屋をぐるりと見回した。
「さて、解決策を教える前にアレに乗せてよ。いいでしょ?」
「え? えぇ、良いけれど。データ取りならこの機体の操縦者が来てるわよ?」
「まぁ見てなって。隅っこにいる女の子が操縦者でしょ? 彼女にも見ててもらってよ。ーーもしかしたら心が折れちゃうかもしれないけど」
「あなた、また良からぬ事を企んでるでしょう? パイロットにトラウマを植え付けたりしないでよ? 前科もあるんだし」
そんな言葉を聞いたか聞かなかったか、こちらに向かってきた操縦者の女の子が一瞬足を止めた。そしてメリッサの隣に立つと顔色を伺っている。
「相変わらず空気が読めるわね。アンネ、彼女が代表候補の1人、セシリアよ」
「博士のおうわさは予々伺っておりますわ。セシリア・オルコットと申します。以後お見知りおきを」
「嬉しいね。改めて、上坂杏音だよ。ミス・オルコットは学園に進学するんでしょ?」
「ミス・オルコットだなんて、セシリアで結構ですわ。もちろんIS学園に進学する予定ですの。ランクもA判定を頂きましたし、勉学も怠っていませんわ。それに専用機もありますし……」
「うーん、ISランクなんて正直そんなに役に立たないよ? 私の知り合いでもランクCで千冬と殴り合う奴居たし」
ちなみにそれはヒカルノがトンデモ兵器で千冬の相手をした時だったりする。ランチャーからリアルなカエルの顔が付いたミサイルがゲコゲコ言いながら数百発追いかけてきたらいくらブリュンヒルデでも逃げざるを得ないだろう。
「ま、頑張りな。IS学園は意欲ある若者を歓迎するからね。機体は?」
「は、はい……」
意気消沈気味のセシリアの肩を叩いてからブルーティアーズに触れ、左目とリンクさせる。部屋の技術者が「不明な端末が接続された」とかわめいているから私の解析用端末だと言って誤魔化した。
窓付きの壁が横にスライドして開く様はなんとも不思議で、シャッターにして見た目をぶっ壊すわけにもいかないけど壁を持ち上げるわけにもいかないからこうしました、と言った苦労を感じさせる。
メリッサに目で乗って良いか聞くと頷きが返ってきたので実際に乗り込み、スターライトMk.Ⅱなどの装備が拡張領域に入ったのを確認すると、そろりそろりと部屋から出た。
流石に私が機体を盗んでいく可能性を考えてか、周りに4機、警戒の為に実弾装備のISが付いているが別に構わない。
「さて、よく見てな? 数値も必ず記録するんだよ。特に操縦者の脳波をね」
事前にもらったデータでシミュレーションをかけるとレーザーは綺麗に曲がった。ただ、人並み以上の処理能力が求められるだけだ。
シミュレーションに使う人間のスペックが足りなかったのだ。だからレーザーが曲がらず、BT兵器が不完全だと私に泣きつく事になった。
ならば人間がもっとスペックを上げれば良いだけの話。なぜ操縦者が成長する事を考えずにシミュレーションをしたのか疑問しか浮かばない。
そんな文句を垂れつつ私はライフルとビット4機を展開すると、振り返って部屋に機体を向けた。
そしてライフルとビットを真横に向けると適当にトリガーを引き、もちろん真横に向かって放たれたレーザーを曲げて私の真後ろ数百メートル先にある的に当てた。
「嘘でしょ……」
『事実さ。なんならもう一度見せようか?』
「いえ、結構よ。降りてきてちょうだい」
すべての武器を量子化して仕舞うと、元あった場所に機体を戻してスルリと体を地面に降ろした。
「あなた、まだそのスーツ使ってるのね」
「デザインが同じだけだよ、あれは官給品だから貰えないんだ。それで、データは取れた?」
「取れたけど、今までと何も変わりはないそうよ? 操縦者以外は……」
「簡単な話さ、操縦者の問題だからね。君たちはシミュレーション段階で操縦者のスペックを前提条件、変わらないものとして入力したかもしれない。けれど、人間は絶えず進化するものさ。彼女が頭の使い方を理解すれば、まぁ、きっかけはなんでも良いけど、本気出せばレーザーだって曲げられる。BTはほぼ完成してると言って良いからね」
私は未だに個人の仕事ではモンドグロッソの時に使っていたISスーツと同じデザインのものを使っている。自分への戒めではないが、気持ちのブレーキとして手元に置いておきたかった。
セシリアは私とブルーティアーズとメリッサを代わる代わる見ては信じられないと言った顔をしている。目の前で自分が今まで成し得なかった事を突然やってきた日本人にやられては彼女のプライドもボロボロかもしれない。
「わかってもらえた? あとは彼女次第ってわけよ。んじゃ私の仕事は終わりかな? メリッサ、このあと時間ある?」
「まだ9時にもなってないのよ? 夜まで待ってちょうだい。セシリアはもう帰って構わないわ。朝早くから呼びつけて何もさせられなくて悪かったわ」
「いえ。候補生の責務ですから……」
そういうセシリアは大分大人しくなっていた。部屋を出て行く彼女を目で追っていると、メリッサが「あなたの所為よ? 責任とってよね」と、なんとも勘違いしそうな言葉をくれたので小さな背中を追うことにした。
「セシリア」
「上坂博士。どうかいたしましたか?」
「いや、この後ご飯でもどうかな、ってさ」
「お気持ちは嬉しいのですが、そういう気分でもありませんの」
「私のせいで君の気持ちを傷つけたかな、と思ってさ。私の一方的な謝罪だけど」
「いいえ、博士はただブルーティアーズの性能を発揮しただけ。わたくしにはできない。それだけですわ」
それだけ、なんて思うならそんな顔をしないでもらいたいものだが。そんな、悔しくて堪らない、見たいな顔を。
私だって一端の大人だ。子供を笑顔にする事くらいしてやれなくてどうする。
セシリアの前に回って彼女の正面で膝立ちをすると手を取った。
「私だって大人だ、先生だ。子供を教え導く責任がある。だから私なりの責任を取らせてくれないか?」
「な、な、いきなりなんて事を……!」
「え? あぁ、これじゃ姫に忠誠を誓うナイト様だね。恥ずかしい?」
「当たりまえですわ! 貴方こそわたくしの様な子供にそんなポーズを取って恥ずかしく無いのですか!?」
私としてはなんとも思っていないのだが…… 彼女に言うと怒られそうなので
「流石に人前じゃやらないよ。さてさて、セシリア姫、私のお誘いを受けていただけますか?」
「うぅぅぅ! 分かりましたわ! その代わりちゃんとエスコートしてくださいまし!」
「セシリア、顔真っ赤だよ?」
「誰の所為だと思ってますの? まったく、ご高名な博士がどんな方かと思えば……」
「こんな女ですみませんね」
私はこんな適当な女なのさ。ARレンズで近所の少しお高いレストランを探すとそこまでのナビを出してから建物を出ると、正面に
セシリアが運転手と一言二言会話をすると大人しく私の手を握った。
あの車の1/10位の値段であろうレンタカーのコンパクトカーにガチガチのお嬢様を乗せるのも気が引けたが、彼女自身はなんとも思っていない様で、私がドアを開けようとする前にさらりと助手席に乗り込んだ。
「てっきり後ろに乗るものかと思ってたよ」
「わたくしも人並みの生活力はありますの。こういう車にも慣れてますし。お金持ちのお嬢様ばかりがわたくしの全てではありませんわ」
「わたくしの全てではない、ね」
少し自虐的に聞こえなくもなかったが、彼女がシートベルトを締めたのを確認してからクルマを出した。
幹線道路を10分ほど走ってハイウィッカム中心部に着くと、目当ての店近くに堂々と路駐。海外ドラマなんかでお馴染みかもしれないが、本当に路駐が多い。イギリスでは路駐でペナルティを受けるか受けないかが路肩に引かれたラインの色でわかるらしい。ここはライン無し。路肩OKだ。
「そこだよ」
「美味しいフレンチで有名なお店ですわ。わたくしも一度来たことがありますの」
「あら、残念。まぁ、ハズレじゃないって事だと思っておくよ」
「ふふっ。そうですわね」
オープン直後の時間という事もあり、すぐに席に案内され、なんの迷いもなくコースを頼むと前菜が来るまでに少しずつ客が入ってきた。
私が食前酒(ノンアルコールだよ? もちろん)のグラスを傾けているとセシリアが少しトーンを落とした声で聞いてきた。
「博士」
「ん? どうした」
「正直にお答えください。わたくしに、ブルーティアーズは乗れますか?」
「イェスかノーならば、イェスだね。ただ、君のデータを見る限り1年でレーザーが曲がればラッキー、3年掛ければできる様になってもおかしくない。くらいの認識でいて欲しいね」
「長い、道のりですのね……」
「それが普通さ。私は他の国の第3世代も見てるけど、今はどの国も特殊な装備に傾きすぎてる。それが操縦者を選ぶんだ。長い訓練期間を必要とするのにその間にISはさらに進化を遂げて努力を無に帰してしまう。そういう風に私は考えてるよ」
「だからと言って努力が無駄だとは考えるな、とでも続けますの?」
「その通り。あまり人に言いたくないけど、第3世代機の操縦者に求められるのはどれだけ多くのことを同時に考えられるか、なんだ。機体制御、相手の動き、自分の動き、火器管制、全て同時に考えてなお第3世代兵器のことを考えさせられる。正直おかしいね」
だが、人間のマルチタスク能力が高まることは得はすれど損はしない。少なくとも人工的に与えられたものでなければ。
だから私は脳の処理能力を上げることがISの能力向上に繋がると考えているのだ。余裕があることは戦略の多様性を生み、機能の多様性を生む。その多様性がISの進化に繋がるものでもある。
「ま、私が今言えるのはここまでかな。詳しくは学園に来てから、ね」
「これだけ聞ければ十分ですわ。少なくとも、出来るとわかったことから逃げ出したくはありませんし」
「良い意気だ。若いって良いねぇ」
私もまだ20代半ばだけど! 若いけど!
こうして私の夏休みはメインイベントを残すのみとなった。私の命があることを祈ろう。
そうだ、次の日に食べたイングリッシュブレックファーストは最高に美味しかった。屋台で買ったフィッシュアンドチップスもマズくは無かったし、イギリス料理はマズいってイメージが大きく覆された。
あぁ、うなぎのゼリー寄せ、テメエは絶対許さねぇ。マジで吐くかと思ったよ。
杏音のヒカルノへの呼称を「篝火さん」から「ヒカルノ」に変更しました。
流石に余所余所しすぎましたね。