筆記試験は特に問題無く終えた虚だったが、実技試験が近づくにつれて緊張は増して行く。唯一の救いは、実技試験の対戦相手が碧では無かった事だ。試験官相手に勝つ必要が無い事は虚も理解しているが、碧を相手にするとどうしても緊張してしまい、普段の実力の半分も発揮できない事が多々あるのだ。その所為で不合格になどなれば、恥ずかしくて一夏に顔向けが出来ないと考えているのだ。
『虚は気にし過ぎなんですよ。貴女は立派に戦えるんです。相手が誰であろうと自分を信じ、また専用機である私を信じて下さい』
「(そう…ですね。一夏さんが大丈夫だと言ってくれましたし、なにより私には丙、貴女がついていますしね)」
『少しは気が楽になりましたか?』
「(ええ。相手は元日本代表候補生ですが、私は常日頃から日本代表や代表候補生と訓練を積んできたのです。ここで緊張する事など無いのですね)」
『適度な緊張は必要ですが、過度な緊張は確かに不要です。良いですか、自分の力を過信し、慢心する事など無いように。普段通りに動かせば、貴女は確実に合格出来るだけの操縦技術を持ち合わせているんですから』
専用機に励まされるなど、普通ならあり得ない事だろう。だが更識製の専用機はその持ち主に対して話しかける事が出来る。したがって持ち主に対して叱咤激励をする事も、的確なアドバイスを送る事が出来る。心は持てど緊張とは無縁の存在だ。常に冷静でいられるISだからこそ、持ち主の緊張を解く事が可能なのだ。
「次、布仏虚さん。第二アリーナへ来て下さい」
「はい」
受験生を案内する教師に連れられ、虚は第二アリーナへと向かう。対戦相手は元候補生と言うだけで詳しい情報は得られていない。だが虚は緊張で固くなる事無く、何時も通りの雰囲気を纏っていた。その事に、案内を任された教師は驚き、感心していたのだった。
筆記試験の監督だった碧は、実技試験をモニタールームで見学していた。本当ならアリーナに直接赴き、受験生の動きを生で見たかったのだが、元日本代表で無傷で世界を制した自分がその場にいると、緊張を加速させるかもしれないという理由でモニター越しでの見学になっている。
「私ってそこまで有名だったんだね」
『自覚してないんですか? 貴女は織斑姉妹と並んで、全世界のIS操縦者、及び操縦者を志している少女の憧れなんですよ。世間に疎いのは仕方ないですが、それくらいは自覚したらどうです? モンド・グロッソは世界大会なんですから』
「そんなこと言われてもねぇ……織斑姉妹と比べれば私なんて普通よ、普通」
『比べる相手がおかしいんですよ。一夏さんだって偶に言ってますが、篠ノ之博士と比べて普通でも、世の中から見れば十分凄いんです。まったく、何で自分が凄いって事を認めないんでしょうね……』
「だって、私たちからしてみれば普通なんだもの。私より強い人がいる、それだけで十分だと思うけど?」
周りに人がいない事を良い事に、碧は普通に木霊と会話をしている。誰か近づけば碧にも、木霊にも分かるからこそ、こうして普通に会話が出来るのだが……
『上を見るのはいい事ですが、偶には下も見ないといけませんよ。自分がどの位置にいるのか、正確に把握する事も大事です』
「自分の位置、ねぇ……いたくているわけじゃないんだけどね」
『何を贅沢を言って……まぁ、これは言っても無駄ですけどね。そろそろ虚さんの番ですね』
「そうね。まぁ虚ちゃんなら心配なく合格ラインを突破するでしょうけども」
木霊が何を言いかけたのか、碧は気にする事はしなかった。言っても無駄、と言われたのだから気にするだけ無駄だと判断したのだろう。既に碧の意識は木霊との会話から虚の戦闘に向けられている。
「相手は真耶なんだ。紫陽花の方が楽が出来ると思ったんだけど、こればっかりは仕方ないわね」
『楽って……貴女から見れば、ですからね。受験生たちにとっては、山田真耶が相手でも五月七日紫陽花が相手でも楽などでは無いんですが』
「まぁまぁ、確かに二人とも元候補生だけど、紫陽花は選考会で真耶に負けてるのよ。だから、その分紫陽花相手の方が楽だと言えるでしょ?」
『……実力者から見れば、と何故思えないのでしょうか』
真耶相手だろうが紫陽花相手だろうが、受験生が勝てる確率などコンマの先にしか無いと木霊には思えている。それなのに碧は、紫陽花相手なら受験生でも勝てるんじゃないかと思っている。これが碧の世間とのズレであると、木霊は悩んでいるのだった。
「やっぱり虚ちゃんは他の人と動きが違うわねー。専用機を使ってるっていうのもあるんでしょうけども」
『いくら一夏さんが造ったとはいえ、打鉄やラファールと丙を比べるのは失礼ですよ。あれは虚さん専用にカスタマイズされてますし、いくら元候補生とはいえ容易ではないのは当然です』
「あーやっぱり私が相手したかったなー」
『貴女、SEが半分でも刀奈さんを完封するんですから、虚さんが自信喪失しちゃいますよ』
「そうかな?」
VTSとはいえ、碧は刀奈相手に完封勝ちしている。それも木霊では無く打鉄を使ってだ。その碧が相手ならば、虚は今のように落ち着いた状況で試験に臨む事など不可能だっただろう。それは木霊には容易に想像出来る事であり、実際にそんな事になればそれは現実のものだったであろう。
『本当に、貴女は自分の能力を正確に把握する必要がありそうですね。一夏さんにデータ化してもらって送ってもらいましょうか? 貴女のデータと各国の代表のデータを見比べれば、貴女でも理解出来るでしょう』
「酷くない、それ? 見比べなくても理解くらい出来てるわよ。ただ、織斑姉妹と比べるとねぇ……」
『だから! 比べる相手がおかしいんですってば!』
木霊の叫びが碧の中に響いたと同時に、虚は真耶との対戦を終えた。結果は引き分け、時間内に両者ともSEをゼロにする事は出来なかったのだった。
元候補生と企業代表ですからね……実力は互角くらいかなと