部屋に戻ってきた刀奈たちが見たものは、珍しく寝転がっていた一夏の姿であった。
「一夏君、どうかしたの?」
「いえ、少し逆上せました……」
「お嬢様がその無駄に大きいものを押し付けるからですよ」
「押し付けてないわよ!? てか、無駄に大きいって酷くない!?」
「いえ、刀奈さんが原因ではないので安心してください……単純に風呂が熱かっただけですから」
「一夏は普段から湯船に入らないから、温泉も熱く感じちゃうんだね」
実際普段浸かっているお湯より熱くは感じたが、逆上せるほどではないと簪は思っていたので、一夏が逆上せたのを見てつい笑ってしまった。
「どうかしたの、簪ちゃん?」
「ううん、一夏が弱ってる姿を見ると、普段なら心配するんだろうけども、逆上せてる一夏は面白いなと思っただけ」
「一夏さん、冷たい水です」
碧が一夏に水を差し出すと、一夏は弱々しく手を伸ばしてそれを受け取り、ゆっくりと水を飲んでいく。
「やっぱり一夏君に温泉はキツかったかしら?」
「いえ、もう少し短い時間なら大丈夫だと思います」
「短いって、今日もそんなに長く入ってたわけじゃないんだけど」
「刀奈さんたちにはそうでしょうけども、普段から湯船に浸かる習慣のない俺には長過ぎです」
「これを機会に、一夏もちゃんとお風呂に入るようにしたら?」
「どんな機会だよ……」
逆上せたのに風呂に入る習慣をつける気になどなれないと、一夏は簪の提案を却下して、ようやく立ち上がることが出来たのだった。
「ちょっと外で風に当たってきます」
「付き合いましょうか?」
「さすがにこんなところまで護衛が必要になることは無いと思いますので、碧さんも休んでてください」
一人で庭に出た一夏を見送り、虚と簪は刀奈に鋭い視線を向けた。
「な、なに?」
「やっぱりお姉ちゃんが転んで胸を押し付けたから」
「一夏さんは否定しましたが、あのような短時間で逆上せるなんて、他の理由があったに違いありません」
「一夏君が違うって言ったんだから違うわよ! そもそも、一夏君に胸を押し付けたからって逆上せるとは思えないんだけど」
普段から美紀や碧が抱きしめてもそのような事が起こらないのだから、その理屈はおかしいと刀奈が言うと、簪も虚も渋々納得したのだった。
「ではやはり、一夏さんには温泉は熱すぎたという事でしょうか?」
「そうかもしれないわね。一夏さんは普段から湯船に浸かる習慣が無いですし、シャワーのお湯もそこまで熱くしてる感じではありませんし」
「まだ入ってる本音たちは、一夏からしてみれば我慢大会でもしてる感じなのかな?」
「マドカちゃんやマナカちゃんが入れるんだから、血縁である一夏君も入れるはずなのにね」
「更識に来てからというもの、一夏さんはお風呂に入ることを嫌ってしまいましたからね」
「あの時、無理にでも一緒に入ってれば違ったのかな?」
研究があるからという理由で、一緒に入ることを断っていた一夏だったが、あの時刀奈たちが無理にでもお風呂に入れていれば変わっていたのかもしれないと、今更ながらにそんなことを考えたのだった。
「とりあえず明日は、もう少しゆっくりお風呂に入れるようにしてみましょう」
「そんなこと言ってもお姉ちゃん、一夏は今日の時間で限界だったんだよ? のんびりも何も無いとおもうんだけど」
「少しお湯を温くするとか、いろいろと方法を考えてみなきゃ」
「温くすると言いましても、温度調節は旅館がしていますので、そう簡単に温度を変えられるとは思えないのですが」
「少し水を入れるとかして、ちょっとの間だけ温くなればいいのよ」
「そこまでして一夏さんをお風呂に入れる理由はあるのでしょうか?」
美紀の問いかけに、刀奈は少し考えてから答えた。
「シャワーだけだと身体を温める事が出来なかったり、風邪をひいちゃうかもしれないでしょ? それに、少しでも一夏君に温泉を楽しんでもらいたいのよ」
「まともな事を言っているようですが、お嬢様は一夏さんと一緒に入りたいだけですよね?」
「そ、そんな事ないわよ? それに、虚ちゃんだって一夏君に背中とか洗ってもらってる時嬉しそうだったわよ」
「それとこれとは話が別だと思いますが。そもそもお嬢様は調子に乗って前まで洗わせようとしていたではありませんか」
「一夏君になら見られたり触られたりしても恥ずかしくないからね。それに、結婚したらそう言う事もするんだから、今から耐性をつけておいた方が良いじゃない?」
「お嬢様は普段からそのような事を考えているのですか?」
「そんな事ばっかじゃないけど、一夏君と結婚するんだから少しはね。それとも、虚ちゃんは一夏君以外の男の人と結婚したいの?」
刀奈の問いかけに、虚は力強く首を横に振った。一夏以外の男性はあまり知らないが、それでも一夏意外と結婚するのは絶対に嫌だと感じたのだ。
「ほら、だから一夏君とそう言う事をする妄想をしても仕方ないのよ」
「お姉ちゃんは痴女だもんね」
「痴女じゃないもん!」
簪の言葉を力強く否定してから、刀奈は逃げ出すように庭へ出て行った。
「あっ、逃げちゃった」
「簪ちゃん、少し刀奈お姉ちゃんが可哀想だったよ」
「うん、少し反省した」
それでも少しなのは、普段から刀奈がそう思われてもしょうがないからである。
十分が限界かも……短すぎかな……