少女は目が覚めてまず見たものは、板張りの床に高い天井だった。
「ここは何処でしょう……その前に、私は誰で何故寝ていたのでしょう……」
記憶喪失者が良く言うだろうと言われている言葉を、彼女も口にする。やはり自分が誰だかわからないという事は相当な恐怖なのだろう。
「目が覚めたかい」
「ど、どなたですか……?」
いきなり声を掛けられて、少女は身体を震わせながら、声を掛けてきた相手に問いかける。どうやら声を掛けてきたのは中年の男性で、少女が感じた限り敵意は無かった。
「やはり何も覚えていないのか……」
「えっと……貴方は私が誰だか知っているのですか?」
「ああ、知っている」
「教えてください。私は誰で、貴方とはどのような関係なのかを」
あったばかりの人間を信じるのは危険な事だが、彼女にとっては記憶の手掛かりなのかもしれないのだ。そのような事を考える余裕はない。
「お前の名前は、篠ノ之箒。そして、私は篠ノ之柳韻だ」
「……お父様?」
「なるほど、そう呼ぶか……」
「あの、何か間違えましたか? もしかして旦那様だったでしょうか?」
「いや、父で間違いない」
恐る恐る柳韻に問いかけ、自分と彼の関係が親子であると理解した。だが、柳韻は自分の呼び方を気にしてるようで、箒は何が原因なのかと首を捻る。
「記憶を失う前、私はお父様の事をどのように呼んでいたのでしょうか?」
「前の事は気にすることは無い。私が慣れればいいだけの話だからな」
「そうですか……ところで、私は何故このような場所で倒れていたのですか? お父様なら何かご存じなのではないでしょうか」
箒がその事を柳韻に聞くと、柳韻は視線を逸らし渋い顔をしていた。それを見た箒は、たぶん聞かれたくないことだったのだろうと察し、頭を下げようとする。
「……何があったかを教える前に、前の箒の事を話さなければならないだろう」
「前の私……? 記憶を失う前の私はどのような人だったのでしょうか?」
「それを知ったら、今の箒が苦しむかもしれないが、それでも構わないか?」
「今の私が苦しむ? 前の私はそんなに酷かったのですか?」
「覚悟があるのなら話そう。元はと言えば箒自身の事だから、今の箒にも知る権利は当然ある」
「……お願いします」
小さく息を吐き、箒は柳韻の前に正座し、話を聞く体勢を取った。それを見て柳韻も腰を下ろし、懐から数枚の紙を取り出し箒に手渡した。
「これは?」
「読んでみなさい」
柳韻に言われるまま紙に書かれた事を読み進め、徐々に箒の表情は険しく、時に信じられないという感じの表情を浮かべた。
「そこに書かれている事、それはすべて前の箒がしたことだ」
「私、こんなことを……」
「ああ。だが前の箒はそれが悪い事であると――いや、自分がやったのにそれを自分がしてきたことだと認識していなかった」
「どういう事でしょうか……」
「紙に箇条書きしたのは前の箒だ。そして、そこに書かれている事を読んで『自分が成敗してやる』とすら言いだした」
信じられない事を聞かされ、箒は口を押さえる。紙に書かれている事はあまりにも非人道的な行為が多く、『一夏』なる人物に多大なる迷惑をかけているのが読み取れた。
「一夏君というのは、私の教え子の弟で、箒と同い年の男の子だ」
「前の私との関係は……?」
「箒は幼馴染だと言い張っていたが、一夏君は顔馴染み程度にしか思っていなかったと思う。何せ記憶を失ったばかりの一夏君に付きまとい、彼を孤立させようとしてたらしいからね」
「その『一夏さん』も記憶を……? 私と同じように記憶を失ったのですか?」
「いや、一夏君は箒とは違う理由で記憶を失った――いや、彼の場合は記憶を自分の奥底に封じ込めた、と言った方が正しいのかもしれない」
「どういう事ですか?」
柳韻は一つ咳ばらいをしてから、今の世界について箒に話し始める。ISの事、ISを造ったのが姉である束である事、ISの所為で一夏が誘拐され拷問された事、その時の恐怖から一夏が記憶を閉ざした事など、長時間かけて現状を箒に話聞かせた。
「――何か質問はあるか?」
「いえ、とても分かりやすかったです……ただ、本当に前の私は人を殺めたのですか? この手で?」
「ISを使ってたらしいから、その手でかどうかは分からない。だが、間違いなく人を殺したのだろう。それも一人二人ではなく、大勢の人間を」
「では、私は処刑されるのでしょうか……覚えていないことで処刑されるのは嫌ですが、前の私だろうが今の私だろうが人を殺したのは『篠ノ之箒』なのですから仕方ないのかもしれませんね」
「いや、一夏君がその件については世界中と交渉して一任されている。前の箒だったら処刑もやむなしだったかもしれないが、今の箒ならまだ分からない。もう少し混乱が収まったら彼に会いに行こう。教育に関しては私より彼の方が適任だろうし」
「一夏さんっていったい何者なのですか……? 先ほどの話を聞く限り、私と同い年の高校生だと思ったのですが」
「あぁ、肝心な事を言ってなかったね。一夏君は世界トップ企業である更識企業の代表で世界中に対して影響力を持ってるんだ」
「そんな人に迷惑をかけていたなんて……なんだか恥ずかしいです」
前の箒に手を焼いていた柳韻は、この箒ならまっすぐ育ってくれるのではないかと思いと、結局更生させることは出来なかったという思いが心に押し寄せてきて、結局はため息となって外に吐き出すしか出来なかったのだった。
綺麗な箒ってなぁ……難しいんですよね……