刀奈が部屋にやってきたので、簪の看病は刀奈に任せて、一夏は部屋のシャワーで汗を流しに行った。
「ほら、簪ちゃん」
「……何しに来たの」
「そんなに睨まなくてもいいじゃない」
「お姉ちゃんが来なければ、一夏に食べさせてもらえたのに」
「昨日食べさせてもらったでしょ? それに、これ以上甘えるのは一夏君の為にならないよ」
「どういう事?」
刀奈がおかしなことを言ったので、簪は首を傾げる。刀奈がおバカ発言をするのは、割と何時も通りなのだが、今回は妙に実感が籠っていたので、さすがの簪もスルーすることは出来なかったのだ。
「さっき言ったでしょ? この学園には、一夏君のストーカーがいるって」
「うん、聞いた……」
「当然、簪ちゃんが一夏君に甘えてたところはバッチリ見られてるの」
「何だか恥ずかしい……」
「簪ちゃんは風邪をひいてるから我慢してるっぽいけど、これ以上は我慢の限界みたいだったから私がここに来たのよ。さすがにマドカちゃんやマナカちゃんをここに来させたら簪ちゃん以上に甘えるでしょうし、本音じゃあまり意味ないしで……」
「マナカは分かるけど、マドカもなの?」
「双子の姉が大好きな一夏君と一緒にいたら、マナカちゃんも突撃してくるかもしれないでしょ」
「そう言う事ね……」
簪が納得したところで、刀奈が両手をワキワキと動かしながら近づいてきた。
「な、なに?」
「汗をイッパイ掻いたでしょうから、お姉ちゃんが全身隈なく拭いてあげるわよ」
「不純同性交友は認められませんね」
「あら、一夏君……相変わらずお風呂短いのね」
「簪が嫌がってますし、本気で嫌われますよ?」
「うっ……簪ちゃんに嫌われるのは嫌だな……織斑姉妹みたいな思いをするって事でしょ?」
「何故そこで織斑姉妹の名が出て来るんですか」
本気で分からないという顔をする一夏に、刀奈は苦笑いを浮かべながら答える。
「だって、大好きな妹に――あっ、あの二人の場合は弟だけども、蔑まれたりつっけんどんな態度を取られるわけでしょ? 私だったらそんなの耐えられないよ」
「別に蔑んでるわけでもつっけんどんな態度を取ってるわけではないんですが……大人として、あれは駄目だろうと思ってるだけです」
「より酷いわよ……とにかく、そんな風にされたら私、立ち直れないからやめておくわね……」
「簪もシャワー浴びるか?」
「……タオル濡らしてくれれば、自分で拭ける」
「そうか、じゃあ洗面器とタオルを用意するか」
「背中はお姉ちゃん、拭いて」
「まっかせなさーい! 綺麗に拭いてあげるわよ」
「……やっぱり一夏が拭いて」
「何もしないわよー!」
妹に信用されていない事が寂しいと、初めて実感した刀奈だったのだった。
あれから何度も箒を反省させようと四苦八苦した柳韻ではあったが、そろそろ一ヶ月経とうとしているのにまったく成果が上がらない。
「我が娘ながら、何故あそこまで偏った考え方しか出来なくなってしまったのだろうか……柔軟な発想をしてもらいたく剣道をさせたのだが、それが間違いだったのだろうか……」
この年になって娘の事で頭を悩ませるとは思っていなかった柳韻は、懐から昔撮った家族写真を取り出した。
「束も色々と問題あるようだが、向こうは一夏君が言えば大人しくなるそうだし……やはり箒か」
誰が言っても自分がしてきたことを認めず、それ以前に自分が悪だという事を認めていない。挙句の果てには一夏が悪いとか言い出す始末に、さすがの柳韻も匙を投げたくなっていた。
「約束の期限までは、まだ一月以上残ってるが、私には荷が重すぎる……何故こうなってしまったんだ……」
いっそのこと稽古とかこつけて痛めつけようと考えた事もあったが、さすがに剣の道を極めた人間としてそれは出来なかった。
「父上、いい加減私を解放してください! 腐った性根を持つ一夏を更生出来るのは私だけです!」
「だから、一夏君は真面目だと何度も言っているだろ。腐った性根を持ってるのはお前だ」
「まだそんなことを言っているのですか……私を監禁し不当な拷問などを強いた一夏がまともなわけないでしょうが」
「彼がしてきたことを不当だと思ってる時点で、お前の思考が狂ってると何故わからない……それに、一夏君は拷問などしていないはずだが」
「精神的苦痛を与える事も、立派な拷問だと思いますが」
「そう言う事をされる原因を作ったのはお前だろうが」
このやり取りも両手の指では足りないくらい重ねてきたのだが、一向に箒の主張は変わらない。それどころかより過激になっているとさえ柳韻には思えていたのだった。
「何故父上ともあろう方が、一夏などに洗脳されてしまったのですか」
「洗脳などされていないし、お前が考える一夏君は、人の事を操るような人なのか」
「ですから、一夏は更識に引き取られて変わってしまったのです! だから私がこの手で一夏を更識から解放し、操ってきた人間どもを始末する」
「もうこのやり取りに意味はない。箒、竹刀を持って道場に来なさい」
「また、私を痛めつけるのですか」
「教育的指導だ。それに、お前だって生身の一夏君に竹刀を振り回したりしていたのだろ」
幼少期の奇行を更識家から知らされている柳韻は、記憶を失ったばかりの一夏に対してしてきた箒の所業に、何故あの時叱ってやれなかったのだろうかと後悔していた。その念も相まって、箒相手に手加減出来ずにいたのだった。
次回ちょっと急展開……?