簪が風邪をひいたと聞かされ、刀奈は逸る気持ちを抑えるのに精一杯だった。
「かっちゃん……もう少し落ち着きなさい」
「薫子ちゃんは他人だから落ち着いてられるけど、最愛の妹が風邪をひいたって聞かされて落ち着いてる姉なんていないと思うわよ」
「ウチの姉は、私が風邪をひいたって聞かされても落ち着いてると思うけどね」
姉妹の仲は悪くはないが、刀奈のように妹を溺愛してるわけではないので、薫子が風邪をひいても渚子はそこまで反応を示す事はしないだろうと薫子は思っている。
「それに、更識君が看病してるなら問題ないでしょ? これが織斑姉妹が看病してるとかだったら、私も慌てるけどさ」
「それじゃあ看病じゃなくってトドメだよ……まぁ、間違ってもそんな事にはならないし、なったとしても私たちが全力で織斑姉妹を止めるから」
「逆の意味で信用されてるのね……」
織斑姉妹の生活力の無さは、IS学園に在籍している人間ならほとんど知っているが、本当の意味で織斑姉妹の酷さを知っているのは、更識所属の人間を除けばほんの僅かしかいない。薫子はその少ないうちの一人なのだ。
「掃除や洗濯が出来ないってレベルじゃないものね、あの二人は」
「掃除をしようとすれば余計に散らかし、洗濯をしようとすれば洗濯機を破壊する……マニュアルを見ながらでも洗濯機を操作出来ないレベルだもんね」
「一度洗濯機を爆発させたって聞いたけど、それもあながち誇張した話ってわけじゃなさそうよね……」
「とりあえず、一夏君が簪ちゃんの看病をしてくれてるのは安心出来るんだけど、別の意味で全然安心出来ないのよね」
「どういう事?」
一夏の家事スキルの高さは、薫子も当然知っているし、一夏が弱っている女子を襲うようなケダモノではないことも重々承知している。だからスクープ性が無いと判断し、一夏の部屋を突撃する気持ちにはなれなかったのだが、刀奈の中では別の問題があるようだと、薫子は少し楽しそうな臭いを感じ取っていた。
「弱ってる女の子に、一夏君はいつも以上に優しくなるの。それを知っている簪ちゃんが、この機会を逃すとも思えない。思う存分甘えるに決まってるわ!」
「かっちゃんだって、何時も更識君に甘えてるじゃないのよ」
「あれは、義姉の特権よ!」
「そんなことを言い出せば、簪さんだって義妹でしょ? お義兄ちゃんに甘えてもいいじゃないのよ」
「でも、簪ちゃんの事だから、普段我慢してた分箍が外れると大変な事に」
「例えば?」
面白がっているのを隠す事をしない薫子だったが、今の刀奈にそれに気付けるだけの冷静さは残されていなかった。
「汗を掻いたから身体を拭いてほしいとか、寝るまで手を繋いでて欲しいとか、あまつさえ一緒に寝てほしいとか」
「それって、かっちゃんの願望じゃないの?」
「うぐっ!?」
「まぁかっちゃんの場合、鬼の霍乱でも起きないと風邪なんてひかないと思うけどね」
「それってどういう意味よ!」
薫子とじゃれ合ったお陰で、刀奈の中にあったもやもやは解消されたのだが、それ以上に恥ずかしさが去来し、刀奈は別の意味で眠れぬ夜を過ごしたのだった。
一夏が隣にいるというだけで、緊張して眠れないのではないかと思っていた簪だったが、体力の低下と一夏が側にいる安心感に包まれたおかげで、ぐっすりと寝る事が出来たのだった。
「ん……そっか、昨日は一夏の部屋で寝たんだっけ」
隣に本音がいないことを確認して、簪は昨日の出来事が夢ではなかったと再認識したのだった。
「目が覚めたか?」
「おはよう、一夏……どこかに行ってたの?」
「食堂に行ってお米を分けてもらってきた。まだおかゆの方が良いだろ?」
「うん……昨日よりだいぶ楽だけど、まだ若干熱っぽいかな」
「どれ」
一夏が簪の額に自分の額を押し付け熱を測る。それだけで顔の熱が上昇していくのが簪には分かったが、目の前に一夏の顔があると言うことに幸せを感じてしまったのだった。
「確かにまだ少し熱いな……今日は大人しく寝てろ。五月七日先生には俺から言っておくから」
「ゴメンね、一夏」
「ん?」
何で簪が謝ってきたのかが分からない一夏は、視線で簪に真意を問う。その視線の意味を理解した簪が、ゆっくりと口を開いた。
「一夏だって色々あって疲れてるのに、私の看病をさせちゃって」
「そんな事か。簪が謝る事じゃないだろ。風邪は注意してたってひいてしまう事があるんだし、簪は俺の家族なんだから。家族の看病をするのは苦じゃないと俺は思う」
「織斑先生たちの看病も?」
「むしろあの二人を病気に追いやるだけのウイルスがあるなら手に入れたいが……少しくらい大人しくなった方が世界の為だと俺は思うんだが」
「そうかもね」
「だが、あの二人が感染するくらい強力だと、他の人が死に至る可能性があるしな……」
本気で悩みだした一夏を見て、簪はクスクスと笑う。そんな簪に優しい眼差しを向けながら、一夏は簪の額に熱さましを貼るのだった。
「恐らく休み時間の度に刀奈さんがお見舞いに来るだろうな」
「お姉ちゃんならありえそうで嫌だな……」
「それだけ簪の事を大事に思ってるって事だろ」
「うん、分かってるんだけどね……」
刀奈の気持ちは理解しているが、休み時間の度に来られるのは嫌だなと、複雑な思いに苛まれた簪だった。
一夏、結構酷い事言ってるが的を射てる……