修学旅行に必要な荷物を宅配業者に任せ、一夏たちは教室で雑談をしていた。
「何だか、こうして一夏さんとお話しするのが久しぶりのような気がしますわ」
「確かに。一夏、もう少し教室に顔出せないの?」
「シャルは知ってるだろ。俺だって忙しいんだ」
「うん、それは分かってるけどさ……」
「確かに、シャルロットもたまに仕事と言って教室に顔を出さない日があるが、お兄ちゃんはそれ以上に忙しいのだろう? たまにしか顔を出せないのも仕方ないだろうな」
「だから、お前が『お兄ちゃん』って呼ぶな!」
いつも通りの言い争いが始まりそうになったのを、一夏が視線だけで二人の妹を宥める。
「さすが一夏さん、扱いに慣れてますね」
「マドカは血縁者だからな。ラウラも、言えばちゃんと聞いてくれるいい子だぞ?」
「何だか、本当にお兄さんみたいですね」
「ダメな姉を見てきたからな。反面教師になってるのかもしれん」
年上としての心得など、一夏は特に気に掛けた事は無い。だが、実姉である千冬と千夏、そして義姉である刀奈の行動を反面教師としてきた結果が、こうした振る舞いになっているのだった。
「刀奈様は相変わらずだもんね~」
「お前もな、本音」
「ところで、一夏さんたちは自由行動の時は何処に行くか決まっているのですか?」
セシリアの質問に、一夏は首を捻った。
「別に出かけなくてもいいんだろ? 部屋でのんびり過ごせるなら、それが一番だろ。京都の安全を守るためにもな」
「何時、何処で襲われるか分かりませんからね……出先の人が多い場所で戦うより、更識の息のかかったホテルで待機していた方が、文化財などの多い京都の街を守るには最適ですね」
「ですが兄さま、そのような行動を姉さまがお許しになるでしょうか?」
担任であり責任者でもある織斑姉妹が、旅行先で引き篭もる事を善とするかと問われれば、おそらくは許可しないだろうと一夏も分かっている。だが、一夏の本音は京都の街の安全ではなく、観光などめんどくさいという怠惰の気持ちから出ているのだ。
「観光なんて、人が多いところに行く意味が分からない。PCで景色だけ楽しめば、それで十分だろ」
「一夏、それって引き篭もりの考えだと思うけど」
「そもそも、俺が動けばそれだけ周りに危害が及ぶ可能性が高まるんだ。本当なら京都にすら行きたくなかったのを、学校行事だからという理由で参加しなきゃいけなかったんだ。これ以上面倒事は御免だ」
「やはりお兄ちゃんの立場ともなると、色々と大変なんでしょうね。護衛がついているからと言って、それで安心出来ない程に」
「兄さまを狙っているのは国際犯罪組織だからな。ましてそのうちの一人は、周りの事などお構いなし、自分が良ければ他などどうでも良いという考えの持ち主、篠ノ之箒だからな」
「ウサ耳マッドに監視は頼んだが、それでも人がいない場所に誘導するのは難しいだろうからな。観光地なんて、無関係な人間が多い場所で襲われて、怪我でも負わせれば更識の信用にも関わってくるからな。学校行事なんて理由で、それが許されるはずもないし、そもそも学校なんて単位と同じレベルで語れるほど、更識は小さくないからな」
「僕のところでも、この学園とほぼ同じ人数の社員がいるんだから、本社ともなるとそれ以上だもんね。社員全員を路頭に迷わせるわけにもいかないし、一夏の考えも理解出来るね」
学生社長として、日々努力しているシャルは、一夏の立場を考えれば部屋に引き篭もっていたいと思う気持ちも理解出来た。だが、セシリアとラウラは、その辺りの話には疎く、ただただ別次元の会話として聞いていたのだった。
「学園が責任を取ってくれるのであれば、俺もそんなこと考えないがな」
「たぶん取ってくれないでしょうね。都合が悪いと日本政府も学園も、全て更識に押し付けてきますから」
「いっそのこと、更識単体で独立宣言でもするか? そうすれば学園側も政府側も、こっちに仕事を押し付けられなくなるだろうし」
「ですが、そんなこと出来るんですか?」
美紀の質問に、一夏は再び首を捻る。可能性はあるだろうが、面倒な手続きだとか、書類整理だとかがあるだろうし、何より独立すると言う事は、何処へ行くにもパスポートが必要になるのだ。
「想像しただけで面倒だ。この考えは無しにしよう」
「いっちーって研究以外はめんどくさがりだよね~」
「全てにおいてめんどくさがりのお前に言われたくはない」
「そうかな~? 私、やるときはやるよ~?」
「その『やるとき』が何時なのか、俺には分からないんだがな」
侵入者撃退の時には、意外と冷静な判断を下す本音だが、生憎その場面に一夏は遭遇した事は無い。だから本音が本気になったところを、一夏は話でしか聞いたことが無いのだった。
「まぁまぁ、とりあえず織斑姉妹には話してみましょうよ」
「そうだな。まぁ最悪、脅せば言う事を聞かせられるし」
「兄さま、顔が怖いです」
冗談を言っているようには見えない一夏の表情に、マドカは戦慄を覚えた。姉二人も十分に怖いが、それ以上にこの兄は怒らせてはいけないと、本能的に理解しているのだ。
雑談を楽しんでいた一年一組の教室に沈黙が訪れたのは、予想外の人が教室にやって来たからだった。
「一夏さん、少しよろしいですか?」
「虚さん? どうかしましたか?」
「今朝からお嬢様の姿が見当たらないのですが、気配を探ってもらってもよろしいでしょうか?」
「刀奈さんの?」
一夏の気配察知は、学園内全てに範囲が及ぶが、普段から全員を警戒しているわけではない。むしろ学園内の人間には、このセンサーは反応しない。警戒しているのが外からの気配なのだから、日常的に範囲内にある気配に鈍くなるのは仕方ないだろう。もちろん、一夏が警戒すれば、学園内の気配だろうが全て掴むことが出来るのだが。
「……? 学園内に刀奈さんの気配がありませんね」
「まさかお嬢様……」
心当たりがあるのか、虚は頭を押さえながら一年一組の教室から去っていった。残された一夏たちは、刀奈がどこに消えたのか首を傾げて考えるのだった。
まさか本当に実行するとは思ってなかったんだろうな……