正式に養子縁組されて、晴れて一夏の苗字は「織斑」から「更識」へと変更された。学校や役所への手続きなど面倒な事は全て更識家が受け持ち、織斑姉妹は特にする事無く一夏は更識家の人間になったのだった。
「本日を以って、更識に籍を置くこととなりました。皆さま、これからもよろしくお願い致します」
「今まで通り、一夏にはIS部門で活躍してもらうつもりだ」
「はい、自分もそのつもりです」
一夏の返事に、楯無は満足そうに頷いた。そして人の悪い笑みを浮かべて続けた。
「一夏が更識に籍を置いた事を受けて、私は次期当主候補を刀奈から一夏に変更する」
「ですがご当主、一夏殿は養子です。実子の刀奈様の方がよろしいのでは……」
「刀奈は日本代表候補の選考合宿に参加出来るほどの才能の持ち主だ。更識という枠にはめるのは惜しい。一夏も無類の才能を発揮しているが、これは逆に世界に出すには惜しい才能だ。したがって私は一夏を次期当主候補とし、今まで通り更識の為に力を振ってもらいたいのだよ」
表社会における更識は、IS企業のトップとまで言われるくらいの大企業に成長している。その業績の殆どは一夏のおかげであり、一夏が世界に飛び立った場合、更識に勤めている大半の人間が路頭に迷う可能性があるのだ。
「さて一夏、次期当主候補に指名したが、君はどうしたい?」
「自分は更識で生活する事を選んだのです。ご当主様がそのようにお決めになられたのなら、自分はそれに従います」
「そうか。更識の当主を継げば、私の娘二人や布仏の二人、そして四月一日家の娘や小鳥遊とも共にいられるだろう」
「自分にはまだそのような話は……」
「分かっているさ。まだ小学五年だからな、一夏は」
実に楽しそうに笑う楯無を前に、さすがの一夏も苦笑いを禁じえなかった。
「とにかく、次期当主候補は刀奈から一夏へと変更、それ以外は何も変わらない。これからも一層励むように」
「承りました。更識の為、ひいては自分の為にこれまで以上努力する事を約束致します」
この宣言を合図に、招集を掛けられた人間はそれぞれ任務へと戻っていく。この集まりに参加していた碧は、誰もいなくなったのを見計らって一夏に話しかけた。
「ご立派になられましたね、一夏様」
「止めてください、そんな喋り方。碧さんは今まで通りで良いんです」
「ですが、次期ご当主となられると、私などは立場が……」
「碧さんは、俺が普通に接する事が出来る貴重な年上の人なんですから。その人に距離を取られると、凄く悲しいですし」
いまだに大人相手に身構えてしまう一夏だが、碧だけは昔から例外として付き合ってきているのだ。その碧にあのような喋り方をされると、さすがの一夏も凹んでしまうのだ。
「じゃあ、誰もいない場所では今まで通りに話すわね。でも、先に喋り方を改めたのは一夏さんですよね」
「俺は、昔が馴れ馴れし過ぎただけで、普通に変えただけなんですけどね」
「じゃあ一夏さんも、人前では今のままで良いですが、二人きりの時は昔みたいに話して下さい」
「……分かったよ、碧お姉ちゃん」
少し顔を赤らめながらも、一夏は昔の呼び方で碧の事を呼んだ。それに満足したのか、碧はその日一日気合いが入っていたのだった。
更識姓を名乗り始めて暫く、学校でも漸く馴染んで来始めていたのだった。
「なぁおり……更識。ここってどうやって解くんだ?」
「どこ……あぁ、ここはだな……」
まだ若干のぎこちなさは残るものの、クラスメイトの大半は一夏の事を「更識」と呼ぶようになっていた。
「一夏、アンタ色々と大変なのね」
「まぁまず両親がいない時点で大変だと思うんだろうけどな」
「アンタ、記憶無かったもんね。それにしても、随分と急な養子縁組ね。何かあったの?」
「織斑姉妹が本格的に忙しくなると、さすがに保護責任を全うできないだろうからとご当主は仰っていたが、その真意は俺にも分からん」
「そうなんだ。それにしても、アンタも堅苦しい家に養子縁組されたわね」
鈴は一夏の苗字が変わろうが、変わるまいが関係なく、名前で呼び続けていた。一夏も他のクラスメイトにも名前で呼んで良いと言ったのだが、過去のトラウマというものはそう簡単に払拭できるものでは無かった。
「それにしても、アタシが来る前にいた篠ノ之束博士の妹って、随分と暴力的だったのね」
「そうだな。俺の事を名前で呼ぼうとした相手に殴りかかってたからな」
「アンタ、その箒とかいうこになにしたの?」
「知らん。いや、覚えてないと言った方が正確か?」
「アタシに聞かれても分からないわよ!」
鈴の事を見て首を傾げた一夏に、鈴がツッコミを入れた。
「多分だけど、更識は何もしてなかったと思うぞ」
「そうそう、篠ノ之さんが勝手に更識君に付きまとっていただけだったと思う」
「だとよ」
周りの証言を受け、一夏は鈴に視線を向けた。
「随分と勘違いヤロウだったのね、その箒って子は」
「『野郎』じゃないけどな」
「細かい事は良いのよ。とにかく、その箒から解放されたのに、アンタたちはそのトラウマから一夏の事を名前で呼べない、と」
「木刀を持って追いかけ回されたんだから仕方ないだろ」
他人事のように言う一夏に、鈴は呆れた視線を向ける。本人が意図した事では無いにしても、トラウマの原因は一夏にもあるのだと鈴には思えていたのだ。
「ま、気長に克服するのね」
「別に苗字のままでも不便は無いが、呼ぶ度に閊えてたら面倒だろ?」
「そんなもんかしらね」
一夏の苗字が変更されても関係無かった鈴としては、他のクラスメイトの気持ちは分からない。だけど「篠ノ之箒」という人物が面倒だったという事だけは理解出来たのだった。
しっかりとした当主になるでしょうね