目を覚ました一夏に、刀奈は飛びつかん勢いで迫った――いや、迫ろうとしたが虚に止められ、少し身を乗り出しただけだった。
「一夏君、何があったのか覚えてる?」
「一応は覚えているようです……いや、正確には何があったのか闇鴉が教えてくれました。俺自身はそれが現実だという実感はありません」
そういって待機状態の闇鴉を指差して、何もかも分かっているという顔で視線を逸らした。
「それで、学園側の被害は?」
「更衣室の天井を破られた以外は、一夏さんとお嬢様の怪我だけです」
「そうですか……それで、元凶は」
「巻紙礼子と名乗っていた女性なら、碧さんに撃退され逃げていきました」
その名前を聞いて、一夏はオータムが他の人間には名乗ってなかったのかと理解した。
「あの女は亡国機業のオータム、そう名乗っていました」
「オータム……それで、一夏さんは彼女と面識があるみたいでしたが、何処で会ったのですか?」
虚の質問に、一夏は気まずそうに視線を逸らす。聞かれたくない事なのか、あるいは知らなくても良い事なのかの判断はつかなかったが、虚は一夏が答えたくないのだと判断した。
「一夏さんが言いたくないのでしたら――」
「いえ、大丈夫です。オータムと会ったのは、俺が攫われた時。俺を攫った組織が亡国機業で、恐らくその場所にオータムがいたのでしょう。午前中に感じた気配も、アイツのものでした」
「ではやはり、彼女を招待したダリル・ケイシーは――」
「決めつけはよくありません。今後の監視を強め、尻尾が出たら捕まえる感じにしましょう。今問い詰めても答えない可能性の方が高いです」
冷静な判断力を失っていない事に、虚は安堵したが、いささか甘い気もしていた。犯罪組織に加担しているのはほぼ間違いないのだから、多少強引にでも吐かせるべきだと虚は思っていたのだ。
「そう言えば、他の人たちは?」
「碧さんは、先ほど保健室から移動し、更衣室の片づけを指揮しています。簪お嬢様、本音、美紀さんは織斑姉妹の監視、マドカさんはクラスメイトを安心させるために事情説明を行ってくれてます」
「織斑姉妹の監視? また何かやらかしたんですか?」
何時もの一夏ならすぐに気づくであろう事に気づかなかったことに、虚は首を傾げた。
「何かって、監視を怠ったから一夏さんとお嬢様が襲われたんですよ!」
「まぁ、そういう考えも出来るのか……俺はてっきり、織斑姉妹の監視よりオータムの行動力が優れているのかと思ってた」
「あの織斑姉妹の監視から抜け出せるなんて、一夏君と碧さんくらいでしょ。犯罪組織の人間がそんなスキルを持っているわけないじゃない」
刀奈の辛辣な評価に、一夏は首を傾げたくなった。むしろ犯罪組織の人間だからこそ、織斑姉妹の監視から逃れる術を持っていたのだと思っていたのだから。
「それで、監視と言っても織斑姉妹の事だ、どこかから抜け出す可能性だってあるのでは?」
「碧さんがカミナリを落としたので、それは大丈夫だと思いますよ。さすがのあの二人も堪えてたようですし」
一夏は、碧が怒ったとこを見た覚えがなかった。そんな碧が怒ったということは、織斑姉妹のやらかした事は相当なのだろうと思い直す事にしたのだった。
「一夏さん、何故私を起動しなかったのですか?」
「……あの状況で上手くお前を動かせたと思うのか? 足は震えるし腰は抜けるしで、みんなに助けを求めるのが精一杯だったんだぞ」
いきなり人の姿になった事にはツッコミを入れず、一夏は事実のみを闇鴉に告げた。あの状況で闇鴉を展開しても、良いようにやられてただけなのは客観的事実だ。
「ですが、逃げることは出来たのでは?」
「刀奈さんを置いてか? それは絶対にありえないだろ」
「一夏君……」
「まぁ、刀奈さんも頭に血が上ってISを展開し忘れるというくらいに、一夏さんの事を心配していたようですしね。助けに来てくれた人を置いていくのは、確かに心苦しいでしょう」
「……闇鴉、それって私に対する毒吐きよね?」
自分が責められているということを正確に受け取った刀奈が、闇鴉に頬を膨らまして抗議する。だが闇鴉はそれに付き合う事は無く続けた。
「ですが一夏さん、貴方に何かあったのなら、刀奈さんに何かがあった時よりも更識に与えるダメージは大きいのです。時には人を見限る判断も必要なんですからね」
「それは分かってるつもりだが、あの場面では見限るではなく見捨てるになるだろ? だから助けを求めたんだ」
「だったら暗号化などせず、素直に助けを求めればよかったじゃないですか」
「オータムに解読されたら、俺も刀奈さんもこの場にいなかったかもしれないだろ? だからあえて『何かしたと言う事を分からせた』んだ。意識を俺に向けさせれば、時間を稼げるからな」
あの時の一夏は、幼児退行を起こす暇もなかった。意識を失い、また取り戻しまた失う。その繰り返しだったので、幼児退行せずに冷静な判断が下せたのだ。
「とりあえず、一夏さんとお嬢様が今するべきことは、しっかりと休んで体力を回復させることです」
「私はもう大丈夫よ。ちょっと身体が痛いけど」
「俺ももう大丈夫ですよ」
「駄目です。今日一日は安静にしてください。さもないと、私たち全員が悲しみます」
別角度から脅され、一夏と刀奈は大人しくベッドに寝転んだ。怒られるならまだしも、悲しまれたら目覚めが悪い。そう感じた一夏と刀奈は、特にすることも無い時間を耐えることにしたのだった。
虚も分かってやってるから性質が悪い……