目が覚めると、そこは自分の部屋であった。これが刀奈が目覚めて最初に思ったことだった。
「あれ? 私いつの間に部屋に戻って来たのかしら……」
「さっき更識君がかっちゃんをおんぶしてきたわよ」
「一夏君のおんぶ!? そんな最高の時間を、まさか寝て過ごすとは……」
「そもそも、かっちゃんが起きてたら、更識君はおんぶしてくれなかったんじゃない?」
薫子の指摘に、刀奈は思わず手を打った。普段から甘えっぱなしで忘れがちだが、一夏は基本的に異性に触れるのを極端に嫌う節がある。それは刀奈たち「家族」でも見られるので、手をつなぐことさえ、一夏はあまりしてくれないのだ。
「碧さんや美紀ちゃんだと、比較的大丈夫なんだけどね」
「そうなの? それって、更識君の中で、かっちゃんよりその二人が上って事じゃない?」
「……そうなの!?」
薫子の指摘に、今度は驚きの声を上げる刀奈。自分では全く気にならない事だったのだが、第三者から改めて指摘されて初めて、その考えに至ったのだろう。
「ちょっと一夏君の所に行ってくる!」
「でも、そろそろ消灯時間だよ? 一年のフロアの担当は織斑姉妹だし、明日でもいいんじゃない?」
「夏休みに消灯時間なんて関係ないわよ! そもそも、ほとんどの生徒が実家に帰ってるか、海外遠征で不在なんだから、織斑姉妹だって緩くなってるわよ、そこらへんは。でも、とりあえず仲間を連れて行かなきゃ」
そういって刀奈は、一夏の部屋に向かう前に、虚と簪と本音を迎えに行くのだった。
ほぼ休みなく働いて、偶の休日には刀奈たちに振り回され、挙句にその刀奈をおぶって帰って来た一夏は、部屋で伸びていた。
「さすがに疲れた……」
「お疲れさまです。刀奈お姉ちゃんを背負えるのは、一夏さんか虚さんのどちらかだけですからね」
「簪と本音と美紀じゃ、刀奈さんより背が低いからな……」
「それと、刀奈お姉ちゃんを背負うとこう……背中に当たる感触で悲しい気分になりますし……」
「女子ってそのあたり気にしすぎだと思うんだけどな」
自分のベッド、自分の部屋ということで、一夏は今、思いっきりリラックスしている。それでも、衣服を乱れさせないだけの常識は持ち合わせていた。
「一夏さんは、大きいのと小さいの、どっちが好きですか?」
「いや、その前に女性恐怖症を何とかしないとダメだろ。俺の場合は」
「女性だけですか?」
「……人間恐怖症です、はい」
素直に白状した一夏を見て、美紀は楽しそうな笑みを浮かべる。普段は主従関係に徹している美紀も、部屋では年相応な反応を見せるのだ。
「そういえば一夏さん、プールの後にちゃんと髪の毛洗いましたか? 少しごわついてますけど」
「シャワーで洗ったけど」
「ダメですよ! ちゃんとシャンプーを使わなきゃ! さぁ! お風呂で洗ってあげますから」
「自分でやる! だから勘弁してくれ」
フランスでも似たようなやり取りをした気がする一夏だったが、とりあえずは起き上がって部屋のシャワー室へ駆け込んだ。
「一夏さんのお風呂嫌いも筋金入りですね……研究に没頭するのは仕方ないにしても、その時間を無駄にしないためにお風呂に入らないなんて……」
母親のような気持ちになりながら、美紀は読みかけの本を読み終えてしまおうと思い、机の上に置いた本に手を伸ばし――
「一夏君!」
「刀奈お姉ちゃん?」
――その手を伸ばしたまま来訪者の名を呼んだ。
「美紀、一夏君のベッドに手を伸ばして、何してるの?」
「へっ? ……違う違う、本を取ろうとしただけ」
若干ジト目で睨んでくる簪に、美紀は冷静に誤解を解くことにした。
「ところで、一夏君は?」
「一夏さんなら、シャワー室で髪を洗ってますよ」
「いっち~、入ってもいい~?」
『ダメに決まってるだろ!』
扉越しのツッコミは、全員の耳に届いたが、本音と刀奈の悪戯心に蓋をする威力は無かった。
「ダメって言われると、余計にやりたくなるんだよね~」
「刀奈様もですか~。それじゃあ、扉オープンまで……って、かんちゃん? おね~ちゃん? 何でそんなに怒ってるのかな~?」
「「自分の胸に聞いてみなさい(たら)?」」
声をそろえて本音と刀奈に詰め寄る姉と妹。二人は後ずさろうとしたが、すぐに壁に行き当たり逃げ場をなくしたのだった。
「何ですか、騒々しい……って、何で簪と虚さんは怒ってるんです?」
「何時もの事ですよ……刀奈お姉ちゃんと本音ちゃんが悪戯しようとして、簪ちゃんと虚さんを怒らせたんです」
「少しは反省してくださいよ……っと、それで、何か用事なんですよね?」
部屋を訪れてきた理由を一夏が尋ねると、刀奈がそこに活路を見出したように食い付いてきた。
「そうよ! 一夏君!」
「な、何ですか?」
「一夏君の中で、私たちより美紀ちゃんや碧さんの方が上なの?」
「……はい?」
質問の意図が理解できずに、一夏は首をかしげる。彼の中では別に「家族」に優劣はつけているつもりはないのだ。
「だって、私たちが抱き着いたりすると嫌がるけど、美紀ちゃんや碧さんにはそんなことしないでしょ?」
「そもそも、その二人は抱き着いてきたりしませんし……」
「でも、一夏が幼児退行を起こしたとき、抱き着くのはその二人だよね?」
「偶々だろ……そもそも、幼児退行を起こしてる時の記憶は、俺にはないんだが」
何故か簪からも責められ、一夏は困惑気味にそう告げる。そもそも幼児退行を起こした時、傍にいるのがその二人の可能性が高いだけであって、一夏個人が選んで抱き着いているわけではないのだ。
その事を一夏はしっかりと説明し、四人は若干不満気味だったが、納得して部屋に戻っていったのだった。
そろそろまたいちか君の出番か?