一夏も碧も、虚さえも不在となれば、本音がだらけるのは火を見るよりも明らかだろう。現に本音は、訓練もせずに一日中部屋でダラダラしていた。普段なら簪が諫めるのだが、その簪も不在。本音を注意する人間など誰もいないと思われていた。本音自身さえも……
「布仏妹、今からグラウンド二十周だ!」
「一夏から頼まれたからには、わたしたちはお前をしっかりとしごくからな!」
「ほ、ほえっ!? なんで千冬先生と千夏先生が」
「今言っただろ! 一夏に頼まれたからだ!」
先に言った通り、本音がだらけるのは誰の目にも明らかだったので、一夏は対策として織斑姉妹に本音の監視を任せたのだった。
「二人がいっちーに頼まれたからって、私の事を監視するはずがないと思ってたのに……」
「確かに、普通ならお前などどうなっても知らんがな」
「報酬として、部屋の掃除と三日間の食事の準備を約束してくれたのだ!」
「……物でつられたんですね」
普段は自分がつられる側の本音だが、今だけは織斑姉妹に蔑みの目を向ける。仮にも世界最強の姉妹が、実に即物的だと……
「お前だって一夏の料理の腕は知っているだろ」
「そして、最近は忙しくて滅多に作ってくれないことも」
「確かにそうですけど~……じゃ、じゃあ、訓練したことにしていっちーを誤魔化せば……無理ですよね」
二人に鋭い視線を向けられ、本音は途中で反撃を諦めた。
「貴様が多少なりともマシになれば、一夏もお姉ちゃんたちを見直すだろうしな!」
「最近お姉ちゃんの株が大暴落気味だから、ここら辺でしっかりしたところを見せなければいけないのだ!」
「……まだ下がる余地があったんですね」
口は禍の元、この言葉の意味を、本音はこの後じっくりと理解させられたのだった。
いくらIS業界のトップの更識企業の社長代理と言えども――いや、そういう立場だからこそ、無駄遣いは避けるべきだろう。だからではないが、一夏が海外に出張するときの滞在先は、必ずと言っていいほど護衛と同じ部屋という形をとっている。一部屋で済ませ、経費を少しでも減らす努力を見せれば、下の人間も無駄な経費を使わないようになるのだ。
「一夏さんと二人っきりって言うのも久しぶりですね」
「国内なら美紀や本音も同行しますし、碧さんは教師だから生徒より融通が利きませんからね……」
「IS学園の教師は、普通の学校の教師とは違いますからね」
さほど広くない部屋で、男女が二人っきりと言えばけしからんことを考える人間もいるかもしれないが、この二人の間にはそんな空気は介在しない。一夏がそういった事が得意ではないということを重々承知しているので、碧もそんな空気になるような事は避けているのだ。
「一夏さん、少し休んだ方が良いんじゃないですか? さっきから休みなく働いてますし」
「少しでも完成度を上げるためには、出来る限りの調整をしておきたいんですよ」
「ですが、開発はデュノア社の技術者にお任せしてるんですし、一夏さんが今からデータ解析をする必要は無いと思いますけど」
「開発は確かに任せていますが、俺が何もしなくていい訳ではないですからね。それに、立案者としては少しでもいい方向に進めるように何かしたいんですよ」
根がまじめなのか、一夏は自分の事を二の次にして開発に没頭する癖が最近ついてきている。学園生活をしているだけならば、休むタイミングはいくらでもあるが、この夏休みの間の一夏のスケジュールでは、休めるときに休んでおかなければもたないと碧は懸念しているのだ。
「一夏さん」
「何ですか?」
「偶には年長者の言うことを素直に聞いてくださいよ。私は立場的には、一夏さんの護衛――一夏さんの部下ですけども、IS学園では私が先生で一夏さんが生徒なんです。生徒の健康を心配する先生の気持ち、一夏さんに分かりますか?」
若干涙声で訴える碧に、一夏は作業の手を止め両手を上げた。
「そんな事を言うのは卑怯ですよ……分かりました、今日はもう休みます」
親しい相手の忠告は割と素直に聞く一夏だが、今日はやけにすんなりと降参したので、訴えた碧の方が面食らってしまった。
「一夏さん、体調でも悪いんですか?」
「酷い言われようですね……根を詰めても仕方ないと思っただけですよ。それに、まだまだ俺が介入しなくてもあの人たちならさらにいいものを作ってくれるって思ったんですよ。現場の人間を信じることも、俺の仕事なんだと思いなおしただけです」
「一夏さんが自分で全てできるわけじゃないですからね。まぁ、大抵の事は出来そうですけど」
「さすがに俺一人で、この短時間で六割完成させることなんて出来ませんよ。精々四割に満たない程度だと思います」
「それじゃあ、PCの電源を落として、大人しくお風呂に入ってください」
「……シャワーだけじゃダメですか?」
意外なことに、一夏はあまり入浴が好きではない。昔から開発やら研究やらに没頭する傾向があった一夏は、少しでも時間を浪費しないために、湯船に浸かる事を避けシャワーだけで済ませてきたのだ。
織斑姉妹の話では、昔はお風呂が大好きだったらしいのだが、これも記憶喪失の弊害なのだろうと更識内では考えられている。
「ダメです。ゆっくりとお風呂に入って、日ごろの疲れを溶かしちゃってくださいね。なんなら、一緒に入って見張りましょうか?」
「いや、俺一人で大丈夫ですから! お願いですから、勘弁してください、ホントに……」
「……そこまで嫌がられると、女として自信を無くしそうなんですが」
「そうじゃなくて。碧さんが女性らしいから勘弁願いたいんですよ……」
刀奈や本音ほどではないが、碧も十分に発育しているので、下手に意識してしまうと逆上せる可能性がある。だから一夏は混浴は避けたいと考えているのだ。
一夏の理由を聞いた碧は、それなら仕方ないと諦めて一夏一人で入浴させたのだった。
一夏と束くらいだろうか……